著者が編纂委員に名を連ねていた『中江兆民全集』(岩波書店)の編纂作業において、著者の編み出した使用語彙による著者識別法の適用の結果、それまで署名無署名を問わず兆民の手になるものと信じられてきた『東洋自由新聞』論説の多くが他人の作と認定されて全集収録から落とされてしまった。
『中江兆民全集』におけるのと同じ識別法を井原西鶴の『好色』シリーズや『福沢諭吉全集』に適用した結果の報告が、この論文集(座談記録も含む)である。
そしてこの研究書は、平山洋氏が『福沢諭吉の真実』(→2004年12月14日欄)を執筆する際に参考とした先行研究の一つでもある。
この著者識別法で「脱亜論」に内容的に関連もしくは類似し、かつ従来福沢諭吉の作とされる『時事新報』の無署名論説を分析してみると、結果は以下になる。
論説名 推定起稿者
「外交論」 福沢(自筆原稿が残存)
「脈既に上れり」 高橋義雄
「東洋の波蘭(ポーランド)」 (第一日) 高橋義雄
「東洋の波蘭(ポーランド)」 (第二日) 高橋義雄
「支那風擯斥すべし」 福沢
「輔車唇歯の古諺恃むに足らず」 渡辺治
「支那を滅ぼして欧州平なり」 高橋義雄
「軍事支弁の用意大早計ならず」 高橋義雄
「戦争となれば必勝の算あり」 渡辺治・高橋義雄
「御親征の準備如何」 高橋
「国交際の主義は脩身論に異なり」 福沢
「脱亜論」 高橋義雄(?)
(第二章「福沢諭吉――テクストの認定①」同書105頁の表より)
高橋、渡辺はこの時期の『時事新報』の主力記者である。
“福沢がいくら元気だからとて、『時事新報』論説篇だけで全二十一巻中九巻を占めるのはいかにも多すぎる” (「あとがき」 同書367頁)
岩波書店の『中江兆民全集』は全17巻(別巻1巻)で、無署名論説はそのうちの2巻だけだそうである。
福沢に固有な語彙や文体の特徴が摘出できて明らかに福沢が斧正を加えていると判断できる(つまり福沢その人の論説論旨と見なしてよい)のは、自筆であることが明白な「外交論」「支那風擯斥すべし」「国交際の主義は脩身論に異なり」を除けば、「脱亜論」だけになるというのが井田氏の結論である。
この分析結果を見て真っ青になる福沢研究者や近代日本思想史家はあまた居るに違いない。しかし不思議なる哉、平山氏以外に賛同の声は聞こえず、さりとて誰かが公の席で反駁したとは耳にしない。現行の『福沢諭吉全集』(岩波書店)見直しが始まっているともとんと聞かぬ。日本近代思想史研究者はやはり、森銑三の「西鶴の真作は『好色一代男』のみ」説を賛成も反対もせずまさに黙殺した近世日本文学研究界の故事に倣っているのであろうか。
もっとも『史学雑誌 2001年の歴史学界 回顧と展望』(山川出版社 2002年5月)には、さすがに言及がある。
“『中江兆民全集』編修に携わった井田進也氏が兆民研究と史料論を次々に出版した。『兆民をひらく』『二〇〇一年の中江兆民』『歴史とテクスト』(いずれも光芒社)である。なかでも『歴史とテクスト』は『全集』編纂の過程で培った(溝口雄三氏の発案による)「テクスト認定法」によって、「時事新報」所載の論説を分析し、これまで福澤のそれと信じられてきた諸論説(脱亜論発表前後、日清戦争前後)が弟子達の執筆であることを明らかにし、史料批判の重要性(恐ろしさ)をいやというほど教えた。これによって立論の根拠を失う福澤研究は数知れず、(活字)文献史学を生業とする研究者には最も深刻な問題を突きつけた書である。評者も又、暫くの間寝汗にまみれそうである” (「日本 近現代 三 政治史関係 1」、川口暁弘執筆、同書155頁)
ただし『2002年の歴史学界 回顧と展望』『2003年の歴史学界 回顧と展望』には、支持もしくは反論の研究(論文・著書)についての紹介はない(『2004年の歴史学界 回顧と展望』はまだ出版されていない)。やはり臭い物には蓋で頬かむりを決め込んでいるらしい。寝汗も暫くすればおさまったのであろう。
来月あたり出版されるはずの『2004年の歴史学界 回顧と展望』で、平山洋氏の『福沢諭吉の真実』(文藝春秋 2004年8月)が紹介されるか否か、紹介されるならばどのような評価を与えられるかが興味津々である。紹介されなかったら大いに嗤う。「最も深刻な問題を突きつけた書である」といった2001年度の台詞の繰り返しでも、やはり嗤う。
(光芒社 2001年12月)
『中江兆民全集』におけるのと同じ識別法を井原西鶴の『好色』シリーズや『福沢諭吉全集』に適用した結果の報告が、この論文集(座談記録も含む)である。
そしてこの研究書は、平山洋氏が『福沢諭吉の真実』(→2004年12月14日欄)を執筆する際に参考とした先行研究の一つでもある。
この著者識別法で「脱亜論」に内容的に関連もしくは類似し、かつ従来福沢諭吉の作とされる『時事新報』の無署名論説を分析してみると、結果は以下になる。
論説名 推定起稿者
「外交論」 福沢(自筆原稿が残存)
「脈既に上れり」 高橋義雄
「東洋の波蘭(ポーランド)」 (第一日) 高橋義雄
「東洋の波蘭(ポーランド)」 (第二日) 高橋義雄
「支那風擯斥すべし」 福沢
「輔車唇歯の古諺恃むに足らず」 渡辺治
「支那を滅ぼして欧州平なり」 高橋義雄
「軍事支弁の用意大早計ならず」 高橋義雄
「戦争となれば必勝の算あり」 渡辺治・高橋義雄
「御親征の準備如何」 高橋
「国交際の主義は脩身論に異なり」 福沢
「脱亜論」 高橋義雄(?)
(第二章「福沢諭吉――テクストの認定①」同書105頁の表より)
高橋、渡辺はこの時期の『時事新報』の主力記者である。
“福沢がいくら元気だからとて、『時事新報』論説篇だけで全二十一巻中九巻を占めるのはいかにも多すぎる” (「あとがき」 同書367頁)
岩波書店の『中江兆民全集』は全17巻(別巻1巻)で、無署名論説はそのうちの2巻だけだそうである。
福沢に固有な語彙や文体の特徴が摘出できて明らかに福沢が斧正を加えていると判断できる(つまり福沢その人の論説論旨と見なしてよい)のは、自筆であることが明白な「外交論」「支那風擯斥すべし」「国交際の主義は脩身論に異なり」を除けば、「脱亜論」だけになるというのが井田氏の結論である。
この分析結果を見て真っ青になる福沢研究者や近代日本思想史家はあまた居るに違いない。しかし不思議なる哉、平山氏以外に賛同の声は聞こえず、さりとて誰かが公の席で反駁したとは耳にしない。現行の『福沢諭吉全集』(岩波書店)見直しが始まっているともとんと聞かぬ。日本近代思想史研究者はやはり、森銑三の「西鶴の真作は『好色一代男』のみ」説を賛成も反対もせずまさに黙殺した近世日本文学研究界の故事に倣っているのであろうか。
もっとも『史学雑誌 2001年の歴史学界 回顧と展望』(山川出版社 2002年5月)には、さすがに言及がある。
“『中江兆民全集』編修に携わった井田進也氏が兆民研究と史料論を次々に出版した。『兆民をひらく』『二〇〇一年の中江兆民』『歴史とテクスト』(いずれも光芒社)である。なかでも『歴史とテクスト』は『全集』編纂の過程で培った(溝口雄三氏の発案による)「テクスト認定法」によって、「時事新報」所載の論説を分析し、これまで福澤のそれと信じられてきた諸論説(脱亜論発表前後、日清戦争前後)が弟子達の執筆であることを明らかにし、史料批判の重要性(恐ろしさ)をいやというほど教えた。これによって立論の根拠を失う福澤研究は数知れず、(活字)文献史学を生業とする研究者には最も深刻な問題を突きつけた書である。評者も又、暫くの間寝汗にまみれそうである” (「日本 近現代 三 政治史関係 1」、川口暁弘執筆、同書155頁)
ただし『2002年の歴史学界 回顧と展望』『2003年の歴史学界 回顧と展望』には、支持もしくは反論の研究(論文・著書)についての紹介はない(『2004年の歴史学界 回顧と展望』はまだ出版されていない)。やはり臭い物には蓋で頬かむりを決め込んでいるらしい。寝汗も暫くすればおさまったのであろう。
来月あたり出版されるはずの『2004年の歴史学界 回顧と展望』で、平山洋氏の『福沢諭吉の真実』(文藝春秋 2004年8月)が紹介されるか否か、紹介されるならばどのような評価を与えられるかが興味津々である。紹介されなかったら大いに嗤う。「最も深刻な問題を突きつけた書である」といった2001年度の台詞の繰り返しでも、やはり嗤う。
(光芒社 2001年12月)