書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ウソフ 『中国におけるソ連の諜報活動 20世紀20年代』

2011年06月29日 | 東洋史
 原書ロシア語表記・Усов, Виктор Николаевич. - Советская разведка в Китае в 20-е годы ХХ века.

 8年前に出た本の再刊らしい。初版は2007年に中国で翻訳が出版された由(どちらも巻頭出版社の但し書きによる)。
 新疆(東トルキスタン)についても一項をたててある(249-255頁)。セルゲイ・マローフの名がなんらかの形で出てくるかと思ったが、皆無。
                                                  
(Москва: Дом Конфуция, 2011)

「Vietnam-China joint press release」 から

2011年06月28日 | 抜き書き
▲「Nhan Dan Online」8:17PM (GMT+7), Sun, June 26, 2011. (部分)
 〈http://www.nhandan.com.vn/cmlink/nhandan-online/homepage/politics/external-relations/vietnam-china-joint-press-release-1.301599#FW1ON3AJ1hSw

  The two sides held that the relationship between Vietnam and China develops in a healthy and stable manner, meeting the common aspirations and fundamental interests of the Vietnamese and Chinese people and benefiting peace, stability and development in the region. 

  They also laid stress on the need to steer public opinions along the correct direction, avoiding comments and deeds that harm the friendship and trust of the people of the two countries.


 太字は引用者。"peoples" ではなく "people" になっている。同志・同胞という意味合いでだろう。思慮・配慮が細かい。

「済州伝統『草ぶきの家』を再現した村」 を読んで

2011年06月28日 | 地域研究
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2011/06/24 12:47:06、オ・ジェヨン記者。(部分)
 〈http://www.chosunonline.com/news/20110624000046

 いいねえ。むかし金時鐘氏の談話会に出席して親しくその謦咳に接したのと、司馬遼太郎氏『街道をゆく』の「耽羅紀行」を読んでからと、行きたくてたまらぬ。まだ行ったことがない。本土には行ったことがあるけれども。済州島方言は本土の言葉とは互いにまったく通じないほど違うと聞いたが、日本の本州方言(日本語)と沖縄方言(琉球語)ほども異なっているのだろうか。あるいは広東語とベトナム語の差異と比べてはどうか。

蓮田隆志 「17世紀ベトナム鄭氏政権と宦官」

2011年06月27日 | 東洋史
 〈http://ci.nii.ac.jp/naid/110007129122

 入門書・概説書としてひもとく三田村泰助『宦官』にはベトナムのことは書かれていないこともあって、この国の宦官事情がよくわからない。知らない。北宋の王安石を相手とし、押し寄せる中国軍を打ち破って敗走させたあの有名な李常傑(リ・トゥン・キェット)将軍は、宦官だったそうである。そんな基本的な、いわばベトナム史の常識さえ、ついこの間までわきまえていなかった。
 表題に掲げられた17世紀の鄭氏政権(1600―1786)のもとでは、科挙官僚の文班・軍人の武班にくわえて、宦官の藍班が正規の官僚制度として存在していた時期すらあるという。

(『待兼山論叢 史学篇』 39, 1-23, 2005-12-25)

「中国版新幹線:北京-上海1318キロを4時間48分」から

2011年06月27日 | 抜き書き
▲「毎日jp」2011年6月27日 19時51分(最終更新 6月27日 20時11分)、上海・隅俊之。(部分)
 〈http://mainichi.jp/select/world/news/20110628k0000m030050000c.html

 北京と上海を結ぶ高速鉄道(中国版新幹線)が30日に開業するのに先立ち、中国鉄道省は27日、国内外のメディア向け試乗会を開いた。中国の大動脈を結ぶ1318キロを、これまでの半分の最短4時間48分で走り抜け、その技術力の高さを内外に印象づけた。

 日本の新幹線と比べても振動や騒音は少なく、思った以上に快適だ。テーブルに載ったコップの水もほとんど揺れない。

 「気の遠くなるような試験を繰り返しやっとここまで来た」と語る技術者たちの言葉からは自負心のようなものも垣間見えた。〔略〕車両を製造した「中国北車集団長春軌道客車」の技術者、梁樹林氏は「私たちは試験段階で487.3キロを達成しても安全だった。中国の鉄道に合うように改善して実現したもので、技術は私たちのものだ」と胸を張った。

 ビジネスクラスだけでなく1等席(日本のグリーン席)と2等席にもパソコンが使えるよう各席に電源が用意されている。また、押しボタンで扉を開閉できる身体障害者用のトイレも併設されるなど日本の最新式の新幹線と変わらぬ内装が施されていた。


 26日より続き。
 絶賛だが、それでもまだ量産型ARMSがリミッターを外したような危うさを感じる。独シーメンス社の技術を導入したものではあるが、“中国の鉄道に合うように改善し”たらその“技術は私たちのもの”なのだという理屈がまるで理解できない。特許権云々の問題はあるいはクリアーできるのかもしれないが、根本的な技術水準自体は同じではないのか。そんなにスピード出して大丈夫なのか。問題はそこなのだが。

井上清 『「尖閣」列島 釣魚諸島の史的解明』

2011年06月27日 | 東洋史
 もと1972年10月に現代評論社より初刊、1996年10月第三書館から復刊。どちらの時期も、背景が手に取るように分かる。
 中身は、話にならない。より詳しくは、原田禹雄氏が自著『尖閣諸島 冊封琉球使録を読む』(榕樹書林 2006年1月)で、井上氏が準拠した当該史料の正確な読解に当たって氏が必要な知識を欠いていることとその結果としての読み間違いを、いちいち指摘したうえで徹底的に叩いている。だから私のような浅学者がこれ以上何をいうこともないが、井上清という人は嘘をついているついていない以前に、ホンが読めない人だったとは言っていいだろうと思う。

(第三書館 1996年10月)

呉士連ほか撰 『大越史記全書』

2011年06月26日 | 東洋史
http://www.nomfoundation.org/nlvnpf/index.php?IDcat=2&cat=3&subcat=215

 『アジア歴史事典』「大越史記全書」項、『東洋史料集成』また『アジア史研究入門』5「ベトナム(前近代)」章などのほかに、ここにもよい説明がある。

 まだ途中だが気が付いた点を記しておく。

 1. 編年体で、通史。あきらかに司馬光の『資治通鑑』を範にとっている。
 2. 年号は、干支―自国年号の順でしるされ、さらにその下に割注の形で中国年号が挿入される。君主が、自分のことを「朕」と平気で呼び、「勅」や「諭」を当然の如く発する。天候不順で農作物の出来が悪いと「己を罪する詔」まで下す。だいいち、指して「帝」と書いてある。
 3. 越習なし。ただし、たとえば『資治通鑑』とくらべると表現は平易で類型的という印象を受ける。文法的にはまちがっていないし表現としておかしいところもない(のだろう)が、さりとてネイティブとまったく同じかといえばそうは言えないような気がする。だが“plain Classical Chinese”とか “数百語でしゃべれる英語”とかまで言ったら言い過ぎになるだろう。記述すべき内容に必要な語彙は十分に足りているから。そうだ、私も仕事で書いていた経験があるが、日本人の貿易通信英語文、通称コレポンに印象がよく似ている。明快だが、実務一辺倒で、ふくらみがないのだ。

 それにしても、何時の版本かはしらないが、朱筆で句読を切ってある。ベトナム人にもやはり漢文(古代漢語・古典中国語)は読みにくかったのだろうか。ベトナム語は形容詞が名詞の後につく。漢語(周代以後の古代漢語および現代中国語)では前に置かれる。それだけでいかにも外国語だという違和感があっただろうと思う。

「クフ王第2の『太陽の船』、発掘作業始まる エジプト」 から

2011年06月26日 | 抜き書き
▲「AFPBB News」2011年06月24日 07:41 発信地:カイロ/エジプト。
 〈http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2808412/7416976

 古代エジプト第4王朝のクフ王(King Khufu)のために建造され、4500年以上もギザのピラミッド脇に埋められていた大型木製船「太陽の船(Solar Boat)」の2隻目の発掘作業が23日、カイロ郊外ギザ(Giza)で始まった。〔略〕発掘が開始されたのはクフ王のために造られた「太陽の船」の2隻目。1987年、大きな石坑の中に収められ、重さ16トンの巨大な石ぶた41個でふさがれているのが発見された。〔略〕1隻目の「太陽の船」は13年かけて復元作業が行われ、1982年に完成。ピラミッド脇の博物館に展示されている。

 私が訪れた時は2隻目はまだ発見されていなかった。もうほとんど30年前のことである。1982年完成というなら、1隻目は見ているはずだが、憶えていない。なにせものすごく暑かった。炎暑とはあのことだ。

「『お一人様焼き肉店』日本に登場」 を読んで

2011年06月26日 | 抜き書き
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2011/06/25 14:00:43、東京=車学峰(チャ・ハクポン)特派員。(部分)
 〈http://www.chosunonline.com/news/20110625000044

 このほど東京・上野にオープンした「ひとり」は、「お一人様」専門焼き肉店だ。店内は図書館の閲覧室や自習室のようで、広さ約70平方メートルの店内には高さ140センチ×縦60センチ×横70センチのパーテーション(間仕切り)で区切られたテーブルが25卓並んでいる。/テーブルに座ると、左右はもちろん、前も完全に仕切られている。店内を見回すと、食事をしている人の後ろ姿しか見えない。一般的に焼き肉店では、一人前の注文ができないが、この店では一人前からの注文が可能なのが特徴だ。

 いいねえ。家の近くにもできないかな。

「中国版パクリ新幹線を米国で特許申請へ〔・・・〕」 を見て

2011年06月26日 | 地域研究
▲「msn 産経ニュース」2011.6.24 09:46、上海=河崎真澄、全2頁、「中国版パクリ新幹線を米国で特許申請へ 『安全性置き去り』7月1日に見切り発車の北京-上海線にも採用」
 〈http://sankei.jp.msn.com/world/news/110624/chn11062409470001-n1.htm


 自分では開発できないんだからしかたがない。本当に、19世紀の変法運動あたりからやりなおさないと、中国はどうしようもない。