書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Lay Theories – FREE Lay Theories information

2016年08月30日 | 抜き書き
 http://www.encyclopedia.com/doc/1G2-3045301312.html

  Lay theories, then, are the theories people use in their everyday lives. Lay theories are often captured by proverbs such as the early bird gets the worm” (Protestant work ethic), “you can’t teach an old dog new tricks” (entity theory), and “it’s never too late to turn over a new leaf” (incremental theory). Such lay theories often reflect the core beliefs of people living in a given culture or environment.

(9月13日追加)

  Some lay theories may serve many cognitive, social, and psychological functions, and other lay theories may serve only one.

  Since the 1990s there has been greater recognition that people’s perceptions are filtered through and guided by their lay theories and thus there is not one universal way for people to perceive and respond to the same social information.


佐々木高明 『日本文化の多重構造』

2016年08月28日 | 地域研究
 「序論 アジア的視野から日本文化の成立を考える 第二章 東アジアにおける民族文化のダイナミズム――紀元前一〇〇〇年紀を中心とした文化変動―― 一 東アジアにおける言語類型とその変化」に、“統辞構造の変化”として、通時的には殷と周の言語の順行構造・逆行構造の差異および前者から後者への変化、共時的には東アジア地域におけるその南北で北の逆行構造から南の順行構造への言語分布のグラデーション状の変化が存在する事実について、橋本萬太郎説を借りて言及がなされている。また“越文化とその特色――エバーハルトの学説を中心に”では、エバーハルトの『中国史概説』が紹介され、彼の「八つの地方文化」論が取り上げられて いる。エバーハルトの説では、この八つのなかの一である越文化は、もともと焼畑農耕の山地民の瑶文化と水田耕作をのタイ文化とが混成することによって成立した混合文化だった(60頁)のであり、そしてその瑶文化は照葉樹林文化であるとして、エバーハルト説と佐々木論とが結びつくわけである。橋本説にせよエバーハルト説にせよ、却って本来の中国史・東洋史において昨今個人的にはあまり出会っていないので、懐かしい感じがした。

(小学館 1997年3月)

Subject (philosophy) - Wikipedia

2016年08月27日 | 抜き書き
 https://en.wikipedia.org/wiki/Subject_(philosophy)

 A subject is a being who has a unique consciousness and/or unique personal experiences, or an entity that has a relationship with another entity that exists outside of itself (called an "object"). A subject is an observer and an object is a thing observed. This concept is especially important in continental philosophy, where 'the Subject' is a central term in debates over human autonomy and the nature of the self. (下線は引用者)

Susan Fiske (ed.), "Social Cognition" vol. 2

2016年08月27日 | 抜き書き
 In the tradition of William James (1890; father of self research), people have multiple selves relevant, for example, being a subject ("I") or an object ("me"). Being "my thinking is first and last and always for my doing" (1890, p. 960), people consult the self most relevant for the task at hand.  (Susan Fiske, 'Introduction: Topics in Social Cognition -- Self, Attributions, Heuristics, and Inferences,' p. vii)

(Los Angeles: Sage, 2013.)

《方言據》 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃

2016年08月27日 | 地域研究
 http://ctext.org/library.pl?if=gb&res=81773

 語の内包を定義してある。「“定義”にあたる“語”はこれこれ」という語順。「混沌不明了謂之霧淞〔混沌として明了ならざる、之を霧淞と謂う)」(「巻上」冒頭項)。
 これは、やや形は異なるが、戴震が『孟子字義疏証』で指摘した、「A之謂BはB也者A之謂(也)の倒置」の一例か。

 孟子凡曰「謂之」者,以下所稱之名辨上之實,如中庸「自誠明謂之性,自明誠謂之教」,此非為性教言之,以性教區別「自誠明」「自明誠」二者耳。(『孟子字義疏証』「巻中 天道四条」)

 なお著者は明代後期(万暦時代)の官僚で、浙江嘉興の出身。宋の岳飛の子孫に当たる由。
 同書「小引」によれば、この著は著者の郷里の方言(語彙・表現)を共通語(文言文)で説明したものらしい。

渡辺浩 『日本政治思想史』

2016年08月27日 | 日本史
 出版社による紹介

 「第二十二章 ルソーと理義――中江兆民の思想」を読んで、兆民というのは案外頭脳が粗雑、すくなくとも固陋だなと思った。天賦の人権right、また正義justiceの原理を、朱子学の「理(義)」に引き当てて理解、正当化している。成長する過程で一度頭に入った先入観から脱却することができないらしい。そして思考様式があまり論理的・科学的でない。以前彼と福澤諭吉、そして加藤弘之の翻訳者としての技倆を比較してみたことがあるが、福澤訳の明晰・正確さに比べ出来に遜色があったのは思考のそれの反映かと合点した。

(東京大学出版会 2010年02月)

青木正兒 「名物学序説」

2016年08月27日 | 地域研究
 テキストは『青木正兒全集』8(春秋社 1981年6月)収録のものを使用。

 「〔『爾雅』は〕十九篇より成り、先づ釈詁・釈言の二篇は主として名詞・動詞・形容詞の訓詁(解釈)を集めてあり、之に次ぐ釈訓篇は主として副詞・形容詞を集めてある〔後略〕」(10頁)とあり、また、『釈名』についても、「『釈姿容』が人の姿勢動作を現はす語、即ち主として動詞であるのと、『釈言語』が抽象名詞及び動詞・形容詞を雑採してゐる〔後略〕」と記している(原文旧漢字)。
 これは、当時の漢語にこれらの西洋語に基づく文法概念と同品詞が偶然ながら存在したということであろうか。あるいは後世の、たとえばそれらの文法知識のある著者からみてそれと看取できる外見上類似の現象がある、換言すれば一種の比喩表現だということであろうか。それならこれは厳密なる学問であるのかどうか。
 ちなみに事承尭は青木の名物学の学問的アプローチをこう評している。

 中国の文学を理解するためにはまずもって物の名の意味を正確に把握する必要があると青木が指摘されるように、『物の名の意味の正確な把握』は、中国における原意と和訓との比較だけにとどまらない。その取り組みは百科全書づくりにも匹敵する膨大な作業であった。名物学は青木にしかできない学問であったのかもしれない。 (「青木正児とその名物学研究」“二、青木の名物学研究のスタイル”)


李實著 黄仁壽/劉家和等校注 『蜀語校注 四川古代方言詞典』

2016年08月26日 | 地域研究
 《蜀语》是我国现存第一部“断域为书”的方言词汇著作。全书共收录四川方言词语563条,忠实地反映了明代四川方言的基本面貌,是研究明代四川方言的有效材料。 (『百度百科』「蜀语」より)

 方言辞典と銘打たれているが、体裁を見てみると、「共通語のこれこれは四川の方言でこれこれと言う」という語順になっている。“これこれ”に入るのはどちらも漢字である。つまり漢字を持たない方言語彙はここには収録されていないということだ。もっとも当て字でむりやり収めている場合があるかもしれない。語の発音を字の発音だとすればよいのである。

 なお著者李実の『序」が傑作である。『離騒』『左伝』『史記』『方言』その他、古今の文献に残された東西の方言語彙をパッチワークにして、破格で、奇天烈な文言文を綴っている。

(成都:巴蜀書社 1990年6月)

陽明学の“良知”は、ロシア語のблагоразумие、英語のprudenceと訳すことができるかもしれない

2016年08月26日 | 思考の断片
 Благоразумие — Википедия

  Благоразу́мие — качество личности, группы, позволяющее выбирать правильные средства и действовать сообразно c целью достижени собственного блага, счастья. (下線は引用者、以下同じ)

 Prudence - Wikipedia

 Prudence (Latin: prudentia, contracted from providentia meaning "seeing ahead, sagacity") is the ability to govern and discipline oneself by the use of reason.