昨日大学図書館で、同シリーズの第1・2巻を拾い読みしてきた。第1巻では自由主義史観の強い欧米よりも日本のほうがソ連をありのままに見、のち欧米で興ったリヴィジョニストの社会史派の視点を先取りできたところもあったという言う旨の議論があり、第2巻では第二次世界大戦末期のソ連参戦は、その事実を指摘することが過去においてネガティブキャンペーンとして使われたのであり、いまは日本側の対応のまずさに関心と研究の先をむけるべきだという議論がある。
前者は大阪外大ロシア語科で冷戦期(ブレジネフ時代、ソ連のアフガン侵攻期)を過ごした身には、限られた時空の経験からながら噴飯物の戯言にしか思えず、後者は、おなじく岩波書店の『昭和史』以来変わっていないのかという呆然とした感想を抱く。
亀井勝一郎氏の「今度の戦争で、ソ連の参戦といふ重大事実に対してなぜ批判を避けたのか」、「これは親ソとか反ソとは関係なく、国際法の上から是非を明らかにしておかなければならない問題である」という疑問と批判にはいまだ正面から答えるつもりはないらしい。
前者は大阪外大ロシア語科で冷戦期(ブレジネフ時代、ソ連のアフガン侵攻期)を過ごした身には、限られた時空の経験からながら噴飯物の戯言にしか思えず、後者は、おなじく岩波書店の『昭和史』以来変わっていないのかという呆然とした感想を抱く。
亀井勝一郎氏の「今度の戦争で、ソ連の参戦といふ重大事実に対してなぜ批判を避けたのか」、「これは親ソとか反ソとは関係なく、国際法の上から是非を明らかにしておかなければならない問題である」という疑問と批判にはいまだ正面から答えるつもりはないらしい。