書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

源了圓 「横井小楠における『公共』の思想とその公共哲学への寄与」

2013年05月30日 | 日本史
 横井の「公共」とは至誠にして無私なることらしい。そしてその至誠なるか無私なるか否かを測る基準は「天」にある。「公共の天理」と。では横井における「天」とは如何なる物だろうか。

(佐々木毅/金泰昌編『公共哲学』3、東京大学出版会 2002年1月所収、同書241-261頁)

原田禹雄 『琉球を守護する神』

2013年05月30日 | 地域研究
 明代同様、琉球の国王と百官は、薩摩に征服され同藩および日本の属国となった清代においても、冬至の遙拝は北極、つまり紫禁城に対して行っていた事実を、著者は、『琉球国由来記』を引いて指摘している(同書巻一「王城之公事 朝拝御規式」)。そして遙拝に臨むその国王の礼服は、明代そのままに、皮弁冠服であった。

 琉球国の王権とその秩序が、薩摩の藩主とも、江戸の将軍とも、京都の天皇とも関係はなく、中国の皇帝に由来するのだ、という心意がこめられており、それなればこそ、清代になっても、なお、似ても似つかぬ皮弁冠服を着用して、北極つまり中国皇帝を遙拝したのであろう。(「一六 琉球国王の皮冠弁服」本書248頁)

 清朝になって王朝交替の常として服制が変わった為、服および冠が下賜されなくなり(服用の生地だけは与えられた)、自前で作るほかなくなり、次第に変容していった由。

(榕樹書林 2003/10)

松浦玲 『横井小楠』

2013年05月29日 | 伝記
 わかったこと。横井の伝記の古典と呼ぶべき山崎正董『横井小楠』が、著者の意図せざるあるいは意図しての欠点も多い内容であること。
 わからなかったこと。横井の言う「公」とは何か?

(ちくま学芸文庫版 2010年10月)

島田正郎 『遼代社会史研究』

2013年05月23日 | 東洋史
 遼(契丹)といえば「北面官・南面官の二重統治体制」というのは与えられた答えの条件反射である。「なぜそうなったのかが」が答えるべき本当の問いではなかろうか。そして、「なぜ遼だけそうなったなのか」が次の問いであろうと、私は思う。
 この「北面官・南面官の二重統治体制」について、この研究書では、「なぜそうなったのか」に関し、私とは別の視点からそのなり立ちをわずかに論じている。「なぜ遼だけそうなったのか」については、おそらく著者の意図せぬ結果としての暗示的なかたちで言及がある。
 同書は著者の遼・契丹研究の総論的位置を占める存在らしい。各論たる個別研究(書)にはさらに詳しい形で載っているかもしれない。

(嶺南堂書店 1978年9月)

呉伯(女+亜) 『康雍乾三帝与西学東漸』

2013年05月22日 | 東洋史
 原題:吴伯娅《康雍乾三帝与西学东渐》

 『四庫全書総目提要』の良い所は西洋科学はすべて中国起源だと言っているところである(第五章、486頁)、清の支配者満族は夷狄のくせにあそこまで中華の文化や伝統を学びおのれのものとしたから偉い(「結語」488頁)、ヨーロッパの科学や技術が中国に与えた影響よりも、中国の学術が同時期18世紀のヨーロッパに与えた衝撃のほうがはるかに大きい、フランス革命を起こした思想の出現は中国からの影響が決定的な要因である(「結語」490頁)、だから中国は偉大で素晴らしい国という本。

(北京 宗教文化出版社 2002月12月)

ウィリアム・ヒントン著 加藤祐三ほか訳 『翻身』 Ⅰ・Ⅱ

2013年05月16日 | 現代史
 ヒントンは、中国語(山西省潞城県の方言)がどのくらいできたのだろう。ここに描写される人々の言葉はどこまで彼自身が聴き取ったものか。通訳がいたことは明記されている。そして1948年3月に彼と通訳が張荘村にやってくるまでのこの村の出来事を描写した最初の数章(第一巻の半分以上を占める)は、あきらかに何らかの資料(おそらくは口述も含めて)に基づくものであり、当然ながら彼の直接体験ではない。冒頭に、いろいろな人間によって本書を書くための材料収集を手伝って貰ったという旨を記した謝辞がある。その対象は、「山西省潞城県の共産党および人民政府、北方大学学長・范文瀾氏の援助、通訳の斉雲さんと謝洪さん、張荘村工作組、そしてなによりも張荘村の農民のみなさんの援助」である(本書ii頁)。

(平凡社 1972年11月)

井筒俊彦 『イスラーム思想史』

2013年05月16日 | 地域研究
 イスラーム思想に因果律の概念はないそうだ。なぜなら、一瞬一瞬をアラーが新たに創造しているから(「第一部 イスラーム神学」本書87頁)。
 そしてイスラームの原子論とは、「数も時間も空間も運動も全ては非連続的な、延長を持たぬ原子に分散して考えられる」とうふうのものだそうだ(同上、86頁)。この辺り、注(先行研究)があるから原本にあたるべし。

(中央公論新社 1991年3月初版 2001年10月4刷)

小島祐馬 「中国文字の訓詁に於ける矛盾の統一」

2013年05月13日 | 東洋史
 『古代中国研究』(平凡社 1988年11月)、同書134-148頁。もと『朝永博士還暦記念哲学論文集』(1941年4月)所収。
 
 何度読み返してもよく解らない。引申(派生)で本義が拡大した結果、正反対にまで意味が拡張するということが果たしてあり得るのか。対立する関係にあるものは必ずしも対立にあらず、互いに矛盾するものを総合統一している点から見れば両者の違いなどなくなるとは何のことか。
 なお、いくつか反訓の例として漢字とその用例が挙げられる中、『史記』「項羽本紀」の「面」は見えない。