書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

作・雁屋哲 画・花咲アキラ 『美味しんぼ』 29 「美味しい暗号」

2012年06月30日 | コミック
 この巻の内容にはまったく憶えがない。正真正銘の初めてらしい。
 『週刊タイム』の団社長登場編(「究極の弱点」前・中・後編)、団一郎は、もうひとりの北大路魯山人だったのか。幼いときに養子にやられ、養父母に気に入られるために料理を練習して玄人はだしの腕になったという経歴は、養家との仲が円満だったという点を除けば、魯山人のそれに一致する。
 それで、後になるとたいぶ変化するが、最初のころの団一郎には目的達成のために手段をえらばないアクの強いところがあったのかと納得。そのまま行けば、海原雄山との三角関係のなかで、山岡士郎とはその時々の利害で付いたり離れたり、敵対と同盟をくり返す呉と蜀のような緊張した関係になったのではないかと、ちょっと想像した。
 
(小学館 1991年5月初版第1刷 1995年2月第14刷)

班固著 小竹武夫訳 『漢書』 上中下

2012年06月26日 | 東洋史
 本当に全訳なのだ。日本語訳と訳注だけ。平凡社の『中国古典文学大系』のような感じである。
 秋からの特殊講義で『漢書』を引用する部分があるので、先達に敬意を表して訓読は断った上でそれを利用するつもりでいた。では訓み下しは私の好きなようにやらせてもらいます。

(筑摩書房 1977年6月―1979年11月)

赤木攻監修 『タイ検定 ASEAN検定シリーズタイ検定公式テキスト』

2012年06月26日 | その他
 おもしろい。何がおもしろいかって、教科書にありがちな、「これをおぼえたら合格するからおぼえなさい」的なつまらなさがない。出てくる事項にすべて出てくるべき必然的な理由があるし、そしてこれはいま述べたことの紙の表裏だが、全体的にも有機的な構造を成している。つまり試験側が一方的に決めた出題事項の、互いに無関係な羅列ではなく、読み終えると自分なりのタイ像が結べるようになっている。さすが、「めこん」。

(めこん 2010年5月初版第1刷 2010年8月第3刷)

作・雁屋哲 画・花咲アキラ 『美味しんぼ』 38 「ラーメン戦争」

2012年06月24日 | コミック
 本巻はすべて「ラーメン戦争」、全9話。ストーリーは山あり谷あり蘊蓄ありでとてもおもしろく、それだけなら全巻(これまでのところ)屈指の面白さではないかと思えるのだが、「先祖返りを求め、自分の先祖が流されてきたその大本をたどる情熱」(第9話・188頁)という根拠もなにもないこじつけが、肝心のところで興を醒まさせる。少なくとも私はそうだった。同じ感想を第100巻「日本全県味巡り 青森編」でも抱く。
 
(小学館 1993年5月第1刷 2007年9月第22刷)

作・雁屋哲 画・花咲アキラ 『美味しんぼ』 8 「飲茶(ヤムチャ)」

2012年06月19日 | コミック
 連載時、「第3話 愛の納豆」で山岡が「関西の人はみんな納豆が嫌いだからねえ」と言う科白を聞いて、「あまりに図式的な」と興を醒ました。私の実家(兵庫県明石市)では普通に食卓に出ていたから。
 それからである、次第に読まなくなったのは。
 しかし今読み返してみると、瑕瑾というほどのものだ。この漫画が本当に面白くなる時代は、これより後に始まるのだから。

(小学館 1987年2月第1刷 2004年1月第57刷)

作・雁屋哲 画・花咲アキラ 『美味しんぼ』 3 「炭火の魔力」

2012年06月16日 | コミック
 「第7話 美声の源」。来日したギリシャ出身のオペラ歌手の不調を、故郷の食材(精製していないオリーブオイル)で治す話。たしかに、20数年前、アテネで食べたギリシャ料理は、日本で食べるものよりもクセが強かった。この話では、精製していないオリーブオイルはすごい臭いだとしてあるが、私は強いが好きな香りだと思った。明日(もう今日か)は、母親の墓参りで兵庫の奥へ行く。帰りは神戸で夕食になるだろう。神戸の某店で、ほとんど20年ぶりにギリシャ料理を食べるのもいいかもしれない。あの店、ドルマダキアあったかな? 

(小学館 1985年7月第1刷 2006年4月第75刷)

森安孝夫編 『ソグドからウイグルへ シルクロード東部の民族と文化の交流』

2012年06月15日 | 東洋史
 2012年06月04日「森安孝夫 『興亡の世界史』 5 「シルクロードと唐帝国」」のいわば増補学術版。だから当然のことながら「偽ウイグル」のことは一言も出てこない。
 それにしても、「シルクロードと唐帝国」にも書いてあったが、ソグド人が西晋時代からすでに中国へ来ていたとは。つまり当時の「胡人」という表現は、第一に鮮卑のほか、彼らを指す場合もまた相当にあったということである。

(汲古書院 2012年1月)