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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

搏鵬著 後藤均平訳 『越南義烈史 抗仏独立運動の死の記録』

2011年05月31日 | 東洋史
 潘佩珠『ベトナム亡国史』(平凡社)の「亡国の時の志士小伝」と重なるところもある内容。
 ここに採られた約50名の人々の“大義”とは何だったのだろう。忠君か、愛国か。
 1911年の中国の辛亥革命以後、ベトナムの抗仏独立人士の政治思想も君主制から共和制へと移って行くといわれるが、このなかの1911年以前の“義士”にも、漠然としてはいるが、どうやら忠誠の対象が王朝(王)よりも国家(人民)により重きがあるらしい人が、何人かいる(その詩から判断して)。非常に興味深い。

(刀水書房 1993年4月)

杉田聡 『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集 「国権拡張」「脱亜」の果て』

2011年05月31日 | 日本史
 出版社が出版社だから最初から期待はしていなかったが、それにしても頭が固い。学問としても手法が杜撰すぎる。平山・井田批判など、単なる感情的な罵詈で、論理としてさっぱりわからない。編集者は何も言わなかったのか。これでは説得力に欠けますと。
 「処分」の意味も分からないような(20頁)、そして確かめてみようとしないような(25頁)、知的に怠惰で鈍感な人間が、偉そうな口を利くんじゃない。

(明石書店 2010年10月)

仲原善忠 『仲原善忠選集』 上中下

2011年05月31日 | 日本史
 著者は伊波普猷にわずかに遅れて出た沖縄学の大家。その学問は全体的にかなり古くなっているが、しかしいまだに後世の継承者を見いだせない分野もあること、伊波と軌を同じくするようである。
 たとえば「たまおどん(玉陵)の研究」(中巻、545-552頁。もと『沖縄文化』第9号、1962年掲載)など、そうではないか。
 私も先日沖縄を訪れた際に参拝したが、玉陵は、首里城西に位置する、第二尚氏の墓所である。論文はそこに建てられている碑文の紹介と分析である。
 碑文は、上段に第二尚氏初期の九名の王族の名が刻まれ、下段には「上記九名の子孫以外、何人といえども此処に葬ることを禁ずる。もし背く者あらば天を仰ぎ地に俯して祟るぞ」という旨がしるされているのであるが、著者は、これを以て「王家内の醜悪な斗争を露出」したものだとして、「庶民にも劣る」と断じている。
 今日でもふしぎなほど、琉球王家(もしくは一人一人の王)に対する評価は、良いも悪いも聞くことが少ない。琉球王朝全体については、人頭税その他の悪政をふくめ、評価は容易に目にすることができるのだが。
 なお本書は沖縄返還前の出版であり、よっていうまでもなく価格はドル建てである。

(沖縄タイムズ社 1969年7月)

YouTube 「宇多田ヒカル&ダウンタウン トーク」

2011年05月30日 | その他
 〈http://www.youtube.com/watch?v=LK1Ih9gRvT4&feature=related

 有名な、倉木麻衣さんについてのコメントの回。だが正直言って、どこがわるいの?という感じ。浜ちゃんの煽りに、宇多田ヒカルさんのほうは応じないばかりかかえって抑えようとしているほどである。
 ただし「アレッ、あたし?」だけは、彼女の立場(名声と影響力)からして、やりすぎだったのかもしれない。一般人なら何の問題もなかったろうが。(因みに松っちゃんの「俺しらんからな~、わからんな~」以下の台詞は、もしかしたしたら場の行き過ぎを抑えるためのおとぼけだったのかもしれないと思ったりする。)

Н.П.Рычков 『Дневные записки путешествия〔...〕』

2011年05月30日 | 東洋史
 原書名 Николай Петрович Рычков 『Дневные записки путешествия в Киргиз-Кайсацкую степь в 1771 г.』(СПб. 1772)
 〈http://kz.ethnology.ru/kz_lib/rchkv01/graf/rchkv01_annot.htm

 2011年02月15日「Чокан Валиханов 『Избранные произведения』」より続き。

 懸案となっていたニコライ・ルィチコフ大尉の日誌。
 だが読んでみて分かったのは、日誌そのものではなくどうやらそれを書き直したものであることだ。これは考えてみれば当たり前で、もとの日誌は軍事機密であるから、そのまま公表できるはずはない。一般向けに書き直した跡が随所に見られる。“次の日に(на другой день)”などという、漠然とした市井的な表現を、軍人が作戦日誌で使うわけがない。文体としては、スタインやヘディンのシルクロード探検記を想像してもらえれば近い。ただし彼は軍人であって、その報告は軍人らしく客観的な事実の記録に徹していて主観的な臆測や価値判断がまったくないことは素晴らしい反面、べつに中央アジアについての専門的な知識もないためであろう、きわめて表面的な見方となっている。軍事日誌なら見て聞いたことをそのまま、正確に記録すればそれでよいが、一般向けあるいは研究者向けとしてはそれでは十分ではないだろう。
 彼は、カルムィク人についても、アジア系の遊牧民というほか、なんの知識も持っていなかったらしい。任務の対象であるにもかかわらず、この著作中、名前以外ほとんど言及されるところがない。かえって密に接触のあったキルギス人(カザフ人)についての記述のほうが多いくらいである。この点、1世紀ちかく後になるがおなじく忠良なロシア帝国軍人であったチョカン・ヴァリハーノフ(カザフ人)の探査報告が、これもおなじく主観を厳しく排しながらも、親しく見聞する事物・事象に対して、その背景となる知識に裏打ちされた深い観察と洞察を示すのとは、著しくありかたを異にする。

「内モンゴル自治区、環境破壊抗議デモ多発」 から

2011年05月29日 | 抜き書き
▲「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」2011年5月29日01時33分、シリンホト(中国・内モンゴル自治区)=角谷志保美。(部分)
 〈http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110528-OYT1T00663.htm

 中国・内モンゴル自治区で5月中旬、モンゴル族の牧畜民が石炭を運ぶトラックにひかれて死亡する事件が続き、環境破壊などに不満を募らせていた地元住民の怒りが爆発している。

 規模の差こそあれ、また報道されたかどうかは別として、彼の地で同種の出来事がこれまでにまったくなかったというわけではあるまいと思うのだが、はたしてどうなのだろう。

「Kyrgyzstan Bans Finn」 から

2011年05月29日 | 抜き書き
▲「The Moscow Times」27 May 2011, Reuters.(全)
 〈http://www.themoscowtimes.com/news/article/kyrgyzstan-bans-finn/437652.html

  Kyrgyzstan's parliament voted on Thursday to ban the Finnish author of an independent report on last year's ethnic bloodshed from entering the country, saying his findings were a threat to national security.
  Deputies declared Kimmo Kiljunen, a former Finnish lawmaker, persona non grata in the state after his report implicated Kyrgyz security forces in the ethnic clashes that killed 470 people last June.
  Parliament said in a statement it did not recognize the May 3 report by the Kyrgyz Inquiry Commission, an independent initiative by Nordic countries chaired by Kiljunen and mandated by the government of Kyrgyzstan to investigate the violence against Uzbeks.


 真相を明らかにすると国家の安全保障の問題に関わってくるから許容できないということか、あるいは虚偽の流布で国家の安寧を乱すから駄目ということなのか。

  The government, which agreed with many of the report's final recommendations about future action, must now decide whether to implement parliament's decision.

 いずれにせよ、キルギス政府はどうするのだろう。

「温家宝:科学技術が発展する未来が中国の未来を決定する」 から

2011年05月29日 | 抜き書き
▲「中国軍網」2011-05-29 05:28:39, 来源:解放军报,据新华社北京5月28日电,记者吴晶晶,「温家宝:科技发展的未来决定中国的未来」(部分)
 〈http://chn.chinamil.com.cn/xwpdxw/2011-05/29/content_4443611.htm

  中国科学技术协会第八次全国代表大会28日上午举行全体会议,中共中央政治局常委、国务院总理温家宝应邀作关于科技发展问题的报告。他强调,我们国家要真正强大起来,屹立于世界民族之林,必须要有强大的科技,有众多高水平人才,这是国家发展的力量所在、后劲所在。没有科技的发展,就没有中国的发展;科技发展的未来,决定着中国的未来。

 共産党の指導とマルクス・レーニン主義・毛沢東主義その他大勢の思想に照らして真理やあやまりがあらかじめ定められているところに、科学技術の発展はありえない。
 この私の観点は、日本の“中国通”の人々には理解しがたいものであるらしい。おそらく、かの人々もまた、「社会科学が自然科学に優越する最高の科学である」と見なし、よって「人間の理性と知識によって自然を含む社会や環境を完璧に操作できる」と信じておられるゆえかと思える。私のほうも、あの方々のおっしゃっていることは大抵理解できないし、まあお互い様である。

「Uyghur Repatriation Imminent」 を読んで

2011年05月28日 | 思考の断片
▲「RFA Home」2011-05-27, reported by Shohret Hoshur for RFA’s Uyghur service, translated by Shohret Hoshur, written in English by Joshua Lipes.
 〈http://www.rfa.org/english/news/uyghur/repatriation-05262011192244.html

 ウイグル人が独立を回復したとき、同じことを東トルキスタンの漢民族をはじめそれ以外の少数民族にしないという保証はどこにもない。彼らは亡命チベット人(とその政府)と違い、西洋式(つまり近代的)な思考訓練や政治訓練の経験が乏しいまま、国際社会に放り出され、そのまま持ち上げられてしまった。ラビア・カーディル女史は、少なくともその著書を読む限り、感情や情念ではなく自由に商売がしたいという理性的・現実的な出発点からウイグル人自決運動を推進しているという点で、まだしも信用できるが、それ以外の、たとえば東トルキスタン共和国亡命政府などは、国民主義以前の部族主義的な情念(怨念)で動いているとしか思えないところがある。漢人の中華思想同様、自分たちが天下を取ったとき、おのれの力と地位を笠に着て、何をしでかすか知れたものではないという懸念を、私はぬぐえない。そもそもウイグル人の組織的な政治宣伝は、みずからを全き正義として描き、またおのれに都合の悪い事実を隠蔽するなど、自己正当化のための嘘や誇張がままある点、彼らの敵とする中国のそれと同じである。例えば亡命ウイグル人の著名な活動家コジャムベルドゥイの『ウイグル人 古代から現代までの民族政治史』(注)は、ウイグル民族の歴史は5,000年と唱うが、実際にはまだ100年も経ってはいないのである。

 。 Кожамберды К. - Уйгуры: Этнополитическая история с древнейших времен до наших дней. Алматы: Mir, 2008.