『桃源』4-2、1949掲載。同誌48-67頁。原文旧漢字・旧仮名遣い。
同論考では、『太平記演義』の文体は文語(古代漢語)的で『水滸伝』のような白話調ではなく、『三国志演義』のそれに近いと断じている。そしてそれは荻生徂徠に中国語を教え、その『六諭衍義』の翻訳を助けて訓詁を付けさせ、また服部南郭には「和中の華客」と称されたほど、古今の中国語に通じていた冠山による、元の『太平記』の文体に合わせた、意識的な選択であったとする。つまり
荒木説とは真っ向から衝突する。ちなみに上田説は、表現・文レベルではなく、使用される虚詞の共通性という語彙レベルの文体分析に基づくものである。