goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

狩野直喜『清朝の制度と文学』「清朝文学 第二編 乾隆・嘉慶時代」より

2018年09月21日 | 抜き書き
 元来韓〔愈〕・柳〔宗元〕は唐の人にて、当時辞賦駢儷の尤も盛んに行わるる時代にありて、『文選』の如きは、其の熟読する所で、殆ど暗記する所であつたが、其の頭の中にある漢魏六朝の文字をば其の儘に使用せず、即ち形を換えて古文といふ形式の文をかり材料にした。それ故に、韓・柳の文は読み難い訳であるが、それと同時に、文に古色含蓄ありて雄勁なり。宋以後は古文といへば、達意の文と心得て、唯すらすらと書くから、読み易きと同時に平板なり。〔中略〕両者互ひに用をなすという事を知らざるに由るなり。 (「第一章 古文 第四節 陽湖派」本書159-160頁。原文旧漢字)

(みすず書房 1984年6月)

Wilfred Hodges, "Logic: An Introduction to Elementary Logic"

2018年09月15日 | 抜き書き
〔Is consistency of beliefs a virtue? Is it something we should spend time tryng to achieve?〕To some extent this is a question in a vacuum. Nobody is deliberately incosistent in his beliefs. It is simply impossible to believe, fully and without reservation, twi things which you know are inconstent with each other. ('Cobsistency', p. 15)

Logic is about consistency. ('Consistency', p. 13)

〔A〕 set of beliefs is called consistent if these beliefs could all be true together in some possible situation. ('Consistency', p. 13)

(London: Penguin Books, 1977)

笠谷和比古 『主君『押込』の構造 近世大名と家臣団」

2018年09月04日 | 抜き書き
 主君を含めた〔原文傍点〕大名家の成員の総てが国家共同体の官僚制を形成するということである。その目的は主君個人に向けられるのではなく、治国安民という公共性に求められる。 (「第四章 近世の国制」“第四節 君臣秩序とその思想” 本書280頁)

 すなわち主君も家臣も国家統治を職務とする役人であり、 (同、279頁)

 こうして公私の分離と、主君の地位の公的機関化が進行すると、それは必然的に、主君が公的機関に相応しくない態度を改めようとしない場合には交替させよとする、主君廃立の正当化理論としての性格を持つに至る。 (同、275頁)

(講談社学術文庫版 2006年10月。もと平凡社 1988年5月)

笠谷和比古 『士(サムライ)の思想 日本型組織と個人の自立』

2018年09月04日 | 抜き書き
 室鳩巣『明君家訓』で用いられるところの、「義理に基づく(主君への)抗命を肯定する」(著者の形容)“義理”という語についての、著者による注釈。

 ここにいう「義理」とは、通例知られている情緒的・習俗的に頽落した意味でのそれとは別ものである。それは普遍的な意味での「善」であり、現実の諸権威を超越した「正義の道理」に他ならないであろう。
 (「三章 『御家』と『藩』――日本型組織の成立」“(3)武士道とは「個」の完成を目指すもの”、本書88頁)


(岩波書店 同時代ラブラリー版 1997年6月)

増井経夫 『アジアの歴史と歴史家』から

2018年09月03日 | 抜き書き
 してみると欧陽脩は道義という次元の高い目標をたてて、これに勢揃いすることを要求しているようである。儒教は古くからこの理念を持ちつづけてきたが、事実は支配者個人が道義の象徴であり、これに合わないときは退避する以外牽制の道をもたなかった。しかし官僚が組織化されてくるとその力で支配者そのものも制約が果たせるので、主権をうわまわる目標を自信をもって主張できたし、政策や主義が党人を中心に具現できることにもなったのである。 (「9 欧陽脩」本書101頁。下線は引用者)

(吉川弘文館 1966年6月)

藤枝晃 「勝鬘経義疏 解説」

2018年09月02日 | 抜き書き
 『日本思想体系 2 聖徳太子集』(家永三郎/藤枝晃/早島鏡正/築島裕校注、岩波書店 1975年4月)収録、同書484-544頁。

 北朝前半期の注釈書〔金谷注。仏典注釈書写本〕は、一つの章と一つの段粗くとかの大意をとることに重点があり、とくに難解な語句にだけ注解を加えるという行き方であったのに対して、北朝後半期になると、次第に注釈が細かになって、一つの大段落を幾つかの中段落に分け、それをさらに小段落、ないし小々段落にまで細分し、また文義の解釈についても、異派の説とか、微妙に違った解釈、ないし相矛盾する説までも並記するようになり、それと共に、原典の一句一句についての説明も加えられるようになる。これは、注釈は詳しいほど親切な注釈であり、異説を多く並べるほど、それは原文の理解に役立ち、同時に、異説を多く知るほど、それだけすぐれた学者であるとする考え方がそこにはあったと見受けられる。(486-487頁)

 大づかみな注釈から細かな注釈への転回点は、どうやら五世紀の末あたりにあったものらしく、また異説包容主義が頂点に達するのは隋から唐初にかけての頃だったようである。
 (487頁)

谷沢永一『日本史の裏事情に精通する本』(PHP研究所 2009年2月)から

2018年06月11日 | 抜き書き
 地獄の門を思わせる苛酷な業績審査の死命を決するのは、学問の何たるかに関心のない窓口の小役人である。論文だけが研究だと思いこんでいるから、注釈読解辞書の編纂は、印税稼ぎ名義貸しの学参に等しいと心得ている。それゆえ、前田勇の生涯を賭けた大著『近世上方語辞典』(昭和三十九年)に学問的価値を認めず、論文のない者に大学院を担当する資格なしと却下した。 (84頁)

 翻訳もここに入るだろう。翻訳を学問的業績に数えない研究者がいるが、そういう人は実は小役人なのかもしれない。

 ここに批判されている各種の注釈書類が、古今集を正味のところ全く読解できていないのは明白である。それらの無理解と鈍感と怠惰は、小松英雄が明細に指摘する通りであろう。ところで我は学者でございと世に昂然と闊歩している人たちの多くは、本気で学問に身を挺するのではなく、いかにも学者らしい格好をして、大きな面をさらしておりたい渡世人なのである。その人たちがみみっちい合従連衡を画策し、見栄えのする出版物を利権として分け取り、お体裁だけの業績を、省エネに徹しながら捏造しているにすぎない。 (96頁) 

 ここで谷沢大人の痛罵される対象の衆と、私が大人の指さされるを聞いて連想する相手の群とで、互いに重なるところはまああるまい。

風(百目鬼恭三郎) 『風の書評』、「菊地昌典・山本満『北京・新疆紀行』」 から

2018年06月09日 | 抜き書き
 菊地は、いつも、中国の支配体制からあてがわれる材料を分析してものをいっているだけだから、体制が入れ替われば、支給される材料も逆様になって、逆の答えしか出せなくなるということなのだろう。ありていにいえば、この秀才すら、常に中国の支配者の手玉にとられて、その御用をつとめる学者でしかないわけである。 (本書102頁)

 材料を自分で選択甄別できれば秀才ではあるまい。

(ダイヤモンド社 1980年11月)

正岡子規 「人々に答ふ」

2018年04月17日 | 抜き書き
 テクストは青空文庫

 歌の事につきては諸君より種々御注意御忠告を辱うし御厚意奉謝候。なほまた或諸君よりは御嘲笑御罵詈を辱うし誠に冥加至極に奉存候。早速御礼かたがた御挨拶可申上之処、病気にかかり頃日来机に離れて横臥致しをり候ひしため延引致候。幾百年の間常に腐敗したる和歌の上にも、特に腐敗の甚しき時代あるが如く、われらの如き常病人も特に病気に罹る事有之閉口之外無之候。

 きっつ。