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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ネルソン・マンデラ著 長田雅子訳 『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』 から

2012年04月26日 | 抜き書き
 当初政府は、暴力は許すことのできない犯罪行為に過ぎないという、これまで通りの姿勢を維持していました。私の主張は、被抑圧者が闘争を進める上で採用する手段は、抑圧者によって決定されるということでした。抑圧者が平和的手段を採用すれば、被抑圧者もまた平和的手段を用います。しかし、もし抑圧者が力を使用すれば、被抑圧者も力をもって対抗するでしょう。それが私の主張だったのです。 (「第10章 駆け引き」「リチャード・ステンゲルとの会話 1980年代の交渉について」本書296頁)

 チベットとウイグルのことを考えつつ。

(明石書店 2012年1月初版第1刷 2012年2月初版第2刷)

山上たつひこ 『中春こまわり君』

2012年04月24日 | コミック
 再読(何回も読んでるが)。それにしてもジュンが離婚した二度目の夫とずるずる一緒に暮らしているのが兵庫県明石市というのはどういうわけだろう。明石はこんなとこちゃうぞ。かろうじてそれっぽいのは、冒頭魚の棚商店街の絵だけやないかい。

(小学館 2009年2月初版第1刷 2009年8月第3刷)

『古文真宝』で韓愈「師説」冒頭句の注釈を確かめる

2012年04月24日 | 東洋史
 『漢文大系』(冨山房 1910年4月)2 収録。正確には『箋解古文新寶』(後集)。
 2012年03月28日『韓愈 「師説」 冒頭句新釈」より続き。

*「ウィキペディア」「古文真宝」項から

 『古文真宝』(こぶんしんぽう)は、漢代から宋代までの古詩や文辞を収めた書物。宋末か元初の時期に成立したとされる。
 黄堅の編と言われるが、編者の人となりや具体的な成立の経緯は伝わっていない。前集に詩、後集に文章を収録する。各時代の様々な文体の古詩や名文を収め、簡便に学習することができたため、初学者必読の書とされて来た。
 日本には室町時代のはじめごろに伝来した。五山文学で著名な学僧たちの間より広まり、江戸時代には注釈書が多く出された。


 入門書である以上、歴代の注釈の主なところが紹介されているであろうという予測のもとに、該当箇所を閲してみた。「巻之二 説類」、同書75頁。

 古之学者、必有師。 師者所以伝道授業解惑也。 人非生而知之者。 孰能無惑。 惑而不従師、其為惑也、終不解矣。

 はたして、“学者”を「学ぶ者」ではなく「学ぶこと」、“師”を「師匠」ではなく「師とすること」と解釈した注は古来あったかどうか。
 結論を言えば、なし。引かれている諸家の解釈は、すべて“不可無師”、師なかるべからず、つまり「師匠」の意に解している。“学者”に至っては、注すらない。
 しかたがないので、自分で調べてみる。先ず、「学者」から。
 韓愈の時代に、“学者”を「学ぶこと」という意味で使った用例があるかどうか。
 『諸橋大漢和辞典』「學(学)」の「學者」では、出てこない。古い時代の「礼記」から韓愈よりあとの朱子の「大学章句」まで、例文が引かれているが、どれも①「学問する人」「学生」「学士」あるいは②「学問を積んだ人」「碩学鴻儒」という、人間を指す用例しかない。
 なんか頼りないので『佩文韻府』も見てみる。巻五十一、二十一馬、者。「學者」。
 こちらは例文が一つだけ。ただし『(旧)五代史』だから韓愈とよほど時代が近い(「史匡翰伝」)。だがそれはやはり学者、『諸橋大漢和辞典』の分類に従えば②のほうである。
 というより、こんな熟語としての用例を探して稽えずとも、単純に“學”+“者”の連続と看た方がいいのかもしれない。文脈からいってそのほうが自然であるし(だから私は前回そう解した)、それに者というのは、「~する人・物・こと」をすべて意味する語(虚詞)なのだから。もっとはっきりいえば、虚詞としての“者”の意味は、「~する人・物・こと」つまり即物之辞(事物に就いてそれを指し示す辞)である以上に、別事辞(事を別くる辞)、つまりその語をその他の語から切り離して際だたせる、たとえば文頭であれば文章のテーマ(主題・あるいは時に主語)を示す働きが第一なのだから(『助辞弁略』「者」)。
 その『助辞弁略』にも省略された形で載っているが、『中庸』の、
 
 仁者人也。親親爲大。義者宜也。尊賢爲大。(仁は人なり。親を親しむを大いなりとす。義は宜なり。賢を尊ぶを大いなりとす。)(第二十章)

 など、その良い例である。

 まあそれにしても、古人の注釈もいい加減なものだ。見るからに穴があいているのに填めようとしないのか。

(冨山房 1978年5月増補3版)

西健一郎 『和のおかず 京味・西健一郎の幸せな台所』

2012年04月24日 | その他
 これも図書館で借りた本。中を見ると、これなら手間暇を惜しまなければ味はともかく自分にもできるかな、と思える献立が割合多い。私だけではないのか、この人の他の本に比べて古びかた、読まれかたが格段に違う。10数年前の出版で、定価2,900円とある。買おうかなと思ってアマゾンを見たら、古本で7,000円。やはりいい値段がついている。

(大海社 1997年3月)

岡田晃 『香港 過去・現在・未来』

2012年04月23日 | 地域研究
 中国側としては佐藤〔栄作〕内閣の倒閣、そのタイミング、新内閣の対中国基本政策などについての情報はハッキリと握っていたはずである。しかも、世界の政情はアメリカをはじめ中国との関係改善に向かって滔々と動いている。天才的外交手腕をもつ周恩来総理が、この期に及んで佐藤内閣を相手にするはずはない、新内閣との間に、民間外交の線で固まっていた日中復交の文書にサインする日を満を持して待っていたのである。外交上、既に戦いは終わっていたのである。 (「Ⅲ 繁栄する香港」「3 日中国交回復前夜」本書78頁)
 
 1971年10月保利書簡問題前後の状況を述べた部分。中国外交は、相手にしない対手はぼろくそに罵るという公式化ができるのではないか。2000年代の小泉内閣にたいするあの激烈な批判も、次の“新内閣”を見越したそのための行動ではなかったか。ただ当時の周恩来首相とこのたびの胡錦涛総書記・温家宝首相の違いは、その“新内閣”のあてがあまりはっきりしていなかったことではないかと思えるがどうだろう。少なくとも満を持して具体的な何かを待っていたということはあるまい。あの騒ぎで、中国は外交的に勝てたのだろうか。そもそも目的は何だったのか。日本の国連安保理常任理事国入りの阻止?

 ところで、著者の岡田氏は、“水鳥外交”で有名な外交官だが、この書を読んでいると、中国に対する尊敬というか畏敬の念をひしひしと感じる。キッシンジャーに感じるのとよくにたそれ。

(岩波書店 1985年7月)

カルパナ・サーヘニー著 袴田茂樹/松井秀和訳 『ロシアのオリエンタリズム 民族迫害の思想と歴史』

2012年04月23日 | 地域研究
 「第7章 歴史と文化の抹殺――ソ連の言語政策と非ロシア民族」が立てられ、そのかなりの部分が中央アジア諸民族のそれに充てられているのに、セルゲイ・マーロフの名も事も、一言も出てこない。バルトリドは出てくる。なお著者は1950年代後半から60年代初めにかけてソ連時代に同国に留学した経験のあるインド人研究者。専攻はロシア文学だそうな。

(柏書房 2000年1月)

曹長青 「方励之等和《深せん〔土+川〕青年報》」 を読む

2012年04月22日 | 現代史
 〈http://caochangqing.com/gb/newsdisp.php?News_ID=2816

  方励之、刘宾雁和王若望的可贵之处,都在于他们身居中共党内高位,不计个人利益得失,发出知识人的思考的声音,良知的声音。不要说在当时,即使今天,又有几个身居高位的知识分子、文化人能为中国的政治改革而高喊几句?

 まさにそうである。

謹告

2012年04月21日 | その他
 二度目の大学・大学院のときから痛切に思ったが、あなた方は自分でものを考えない祖述の喉舌、帰納を金科玉条とする徒、私は自分でものを考える、帰納と同時に演繹も使う徒、所詮交わるところはない。あなたがたには理解不能だろうが、私にすればあなたがたは旧弊に泥んだ鈍い守旧の輩。互いに多分汚らわしいでしょうから、没交渉にしましょう。私は貴方を無視するから私もあなた方を無視します。いいかげん、反体制のダシにベトナムと中国を使っただけという事実と自己愛を認識してそこから脱却しろ。臭くてかなわん。