書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「経済学に未来はあるのか」池田信夫blog

2018年08月31日 | 社会科学
  2018年08月25日01:23

 私の学生時代にはもう経済学は終わりだと思われたが、1980年代にはゲーム理論で救われた。90年代以降は行動経済学や実験経済学などが出てきたが、科学としては「収穫逓減」だ。はっきりいって、アカデミックな学問としての経済学の未来は明るくない。
 だが社会人の基礎知識としての経済学の必要性は高まっている。


よくわからない。経験的事実を記述する学問すなわち経験命題の集まりであることにおいて物理学も経済学も同じである。その経験命題が否定されたら経験的事実とこれまで主張していたことからして事実ではなかったということになり、つまりその上に成立する体系たる学問としてそもそも終わりである。そのようななかにも事実の欠片はあるという意味だろうか。


虐待もそうだが、ハラスメントをして、・・・

2018年08月31日 | 思考の断片
 虐待もそうだが、ハラスメントをして、されたほうが傷ついたり自殺したりすると、それくらいで傷つく/死ぬ方が悪いと言うのは、本気の言なのか、それともただただ責任逃れの屁理屈なのか。

山本夏彦翁のエッセイのたしかどれかに、若い頃徴兵検査を受けて・・・

2018年08月31日 | 思考の断片
 山本夏彦翁のエッセイのたしかどれかに、若い頃徴兵検査を受けて幸いにも軍隊に取られはしなかった、これで最低2年は次の検査まで猶予がある、だからそのあいだに結婚しようと思ったとあった。最後の結婚云々の理屈はよくわからなかったが、当時の若者の間では当然の考え方だったのかもしれない。
 おかしなことに弱冠どころか還暦に近くなって、私はそれまでの前半分の気分はよくわかるようになった。これから先の2年を確実に約束されている不変は長い。

山本光雄訳 『イソップ寓話集』

2018年08月31日 | 西洋史
 各話の最後で、これはこれこれということ――概して教訓――のアレゴリー(という言葉は使われていないが)であると、すべて種を割ってみせている。文章作法上はつたなく見えるが、これは筆者と読み手の(たとえば時と場所を違えた私)文章表現に対する通念・感覚の違いに帰せられるのか、あるいは筆者もそう思いはしたが、自身の想定する読者の正確な理解を考えての付けたりの説明か。

(岩波書店 1942年2月)

なぜ漢字(漢語)の“前”は空間的にまさしく前方を、・・・

2018年08月30日 | 思考の断片
 なぜ漢字(漢語)の“前”は空間的にまさしく前方を、しかし時間的には“以前”がそうであるように、また現代漢語での“前天”と、後ろを指すのだろうか。動詞として使うときは物理的に「すすむ」=空間的に前方へ動くことだけを意味する。現代漢語の文法が順行構造と逆行構造の双頭の竜というか常山の蛇状態になっていることとは直接の関係はないらしい。古代漢語の時代からすでにこうなっている。

ウィキペディア「三分」項

2018年08月30日 | 宗教
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%88%86

 三分(さんぶん)とは、経典を序分・正宗分・流通分と3つに分けることをいう。また科段(かだん)、分科(ぶんか)、科文(かもん)、三分科経(さんぶんかきょう)ともいう。すなわち三科分類法のことである。

 とあるように、三分=科段=科文と、それぞれ同意語と説明してあるが、花山信勝校訳『勝鬘経義疏』(岩波書店 1948年8月)においては科段と科文が別のものとして並立している。前者は内容要約、後者は三分に基づく同経の具体的構造の分析である。同書12-13頁。

ビートたけし 『間抜けの構造』

2018年08月30日 | 
 出版社による紹介

 これも『バカ論』と同じく題名は釣りで、中身は漫才をはじめとする日本社会のさまざまな“間”についての話。通底する原則を取り出せば翻訳技法に応用できる考察や指摘がある。

(新潮社 2012年10月)

志村和久 『漢文早わかり』

2018年08月29日 | 人文科学
 「不(ず)」「也」などの助詞は平仮名書きにするとあるが、同じ助詞でも「有」「無」「所」「非」「以」は仮名書きにしてもしなくてもよいとあるのは、いったいどういう基準の線引きによるものであろう。67頁。また21頁。
 例えば岩波文庫の『日本外史』と有朋堂文庫の『十八史略』であるが、これらを並べて覧ると、同じ書き下し文でも細部ではずいぶん違ってくるものである。「之」を前者は「これ」と表記し、後者は「之」とそのままで書く。慣習ならんか。加えてこんにちの入試基準の漢文指導では、字音語は現代仮名遣いに、字訓語は歴史的仮名遣いにと教える例がある由など、もう私には原則がわからず理解を超える。

(学燈社 1982年12月)

津軽書房『ブルガーコフ短編集〈露和対訳〉』について

2018年08月28日 | 考古学
 『ブルガーコフ短編集〈露和対訳〉』(ミハイル・アファナーシェヴィチ・ブルガーコフ著、町田清朗訳、セルゲイ・ボルシンスキー監修、大月晶子校閲、2003年6月)。アマゾンによる紹介

 『巨匠とマルガリータ』のような長編は知らないが、何種か出ている日本語による短編の翻訳で、私にとり原文の印象とあわせていちばん違和感のないのはこれ。解釈と訳出の意見の異なるところはむろんある。対訳であることのありがたさよ。

トールキンの『指輪物語』は、・・・

2018年08月28日 | 文学
 トールキンの『指輪物語』は、英語で書かれた原作だけではなく、他言語への翻訳版と照らしあわせることでその真の姿(真価と言ってもいいが)が、分かることになっているらしい。「作中にある英語由来の固有名詞を翻訳する際には、各国の言語に修正するようにというトールキンの意向を反映して、瀬田貞二訳では幾つかの人名や地名が日本語に翻訳されている」(ウィキペディア「指輪物語」項“出版史・日本語版”条)例えばMiddle-earthを中つ国と訳してあるがごとき。オリジナルはこういう背景もあって言葉遣いそのものはかなり平易なので、かえってその用意を見過ごす。現に見過ごした。