書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

川合康三/緑川英樹/好川聡編 『韓愈詩訳注』 第1冊

2017年12月10日 | 文学
 この訳注書、専門の方々からはどのような評価を受けているのか興味がある。各首毎に、まず解題を掲げ、次いで原文を頁の上に、訓読をその下に。然る後に校勘を付し、それから段落を改めて現代日本語訳を掲げ、最後に、詩中使用もしくは踏まえられる故事成語の補足と説明とを兼ねて、語彙・表現・文法の訳注を固めて置くという伝統的なスタイルである。漢文のジャンルのうち散文については訓読不要論があり、実際にも現代語訳しかつけない論著、あるいは原文も省略する例すら(史学の研究論文など)がすでに存在する。韻文については状況は何如かと。

(研文出版 2015年4月)

三枝博音編 『三浦梅園集』

2017年12月10日 | 日本史
 国立国会図書館サーチによる書誌詳細
 序文で、編者の三枝氏はこう書いている。

 ある国またはある民族のなかで、産業や技術が発達しないと、自然科学的な知識が発展してこないということが、つねにいわれている。自然科学的知識が発展してこないと、自然についての哲学およびその他の哲学が起るということがない。このことは世界の諸民族の歴史が明示している。 (「編者の序文」本書5頁、原文旧漢字)

 本当にそうだろうか。自然科学的知識が発展してこないと、自然についての哲学およびその他の哲学が起るということがないのはそのとおりだろう。しかし、産業や技術が発達しないと、自然科学的な知識は発展してこないのだろうか。自然科学的な知識がその基礎となってこそ、産業や技術は発達してゆくという面はないか。

 日本は、そうした意味の哲学の起らなかった国の一つであった。けれども、過去の日本人たちも産業や技術なしではなかった。だから、自然についての学問や思索がないわけではなかった。 (同上)

 この自然科学的な知識を、自然に対する科学的な(と後世からみて判定できる)ものの見方とそこから得られた知見(いかにささやかなものであっても)と、捉え直せば、私の問題提起は理解されやすいかもしれない。言い換えれば、産業や技術の基礎となる科学的なものの見方は、いつ発生するのかということだ。

 殊にヨーロッパの産業の仕方や学問が日本の学問に刺戟を与えはじめるや、日本にも自然科学らしい学問、哲学らしい思索が生まれはじめたのである。三浦梅園(一七二三―一七八九)はそうした時期の哲学者である。
(同上)

 ヨーロッパの産業の仕方や学問(つまりその原理と構造をなす知見とその思考様式の体系、その結果としての実際の例)がはいってきて初めて日本に「(ヨーロッパの)自然科学らしい学問、哲学らしい思索」が起こったというのであれば、それ以前の日本に存在した「産業や技術」は、ヨーロッパにおけるそれと、原理としての知識や哲学において異なるものであったということになる。それに対して考えられる回答は、①それ以前の日本にも「(ヨーロッパの)自然科学らしい学問、哲学らしい思索」、最初の引用部分に戻れば「自然科学的な知識」が、存在した。②それ以前の日本にはそのようなものは存在しなかった、の二つが考えられる。
 後者の場合、「産業」や「技術」としてヨーロッパのそれとは別種のものが存在したことになる。