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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ウィキペディア『万葉集』

2017年12月24日 | 抜き書き
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86#%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86%E3%81%AE%E6%88%90%E7%AB%8B

 万葉集の諸本は大きく分けて、古点本、次点本、新点本に分類できる。この区分は鎌倉の学僧仙覚によるもので、点とは万葉集の漢字本文に附された訓のことをさす。その訓が附された時代によって、古・次・新に分類したのである。古点とは、天暦5年(951年)に梨壺の五人の附訓で、万葉歌の九割にあたる四千以上の歌が訓みをつけられた。確実な古点本は現存していない。
 (“2 諸本と刊本”)

 近世には学芸文化の興隆から万葉集研究を行う国学者が現れ、契沖、荷田春満、賀茂真淵、加藤千蔭、田安宗武、鹿持雅澄、長瀬真幸、本居宣長らが万葉集研究を展開した。 (“6 研究史”)

ウィキペディア『古事記』

2017年12月24日 | 抜き書き
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98

 本文は変体漢文を主体とし、古語や固有名詞のように、漢文では代用しづらいものは一字一音表記としている。歌謡はすべて一字一音表記とされており、本文の一字一音表記部分を含めて上代特殊仮名遣の研究対象となっている。また一字一音表記のうち、一部の神の名などの右傍に 上、去 と、中国の文書にみられる漢語の声調である四声のうち上声と去声と同じ文字を配している。 (“1.5 表記”)

 『古事記』の研究は、近世以降、特に盛んとなった。江戸時代の本居宣長による全44巻の註釈書『古事記傳』は『古事記』研究の古典であり、厳密かつ実証的な校訂は後世に大きな影響を与えている。第二次世界大戦後は、倉野憲司や武田祐吉、西郷信綱、西宮一民、神野志隆光らによる研究や注釈書が発表された。
 (“2 研究史”)

ウィキペディア『釈日本紀』

2017年12月24日 | 抜き書き
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80

 史料には『上宮記』、『日本紀私記』、『風土記』、『古語拾遺』、『天書』、『安斗智徳日記』、『調連淡海日記』、『先代旧事本紀』等、現在では散逸している書物を参照しており、これらを逸文として残している。『日本紀私記』などは、奈良から平安初期の朝廷でしばしば行われた『日本書紀』の訓み方の講書記録にすぎなかったが、兼方は卜部家に伝わる家説に諸種の私記を併せ、解題・注音・乱脱・帝王系図・述義・秘訓・和歌の7部門に分け、兼方の厳密な書紀原文解釈の集大成とした。このため『古事記』、『日本書紀』の欠を補う史料として評価が高い。


ウィキペディア『日本紀講筵』

2017年12月24日 | 抜き書き
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80%E8%AC%9B%E7%AD%B5

 博士ら講義担当者は講義にあたって予めテキストに相当する覚書である『日本紀私記』を作成した。主に本文の訓読に関する記述が多いが、中には内容にまで踏み込んだものもある。これらの私記は、漢文で書かれた『日本書紀』を本来の伝承形態に戻って解釈することに力を注いでいると考えられている。現存4種の私記が残されている。また、これらの私記は後世の『釈日本紀』編纂時の資料として用いられたと考えられ、私記の逸文からの引用と考えられる部分が同書中に記されている。

ウィキペディア『日本書紀』 “7 書紀講筵と書紀古訓” 条

2017年12月24日 | 抜き書き
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80#%E6%9B%B8%E7%B4%80%E8%AC%9B%E7%AD%B5%E3%81%A8%E6%9B%B8%E7%B4%80%E5%8F%A4%E8%A8%93

 『日本書紀』は歌謡部分を除き、原則として純粋漢文で記されているため、そのままでは日本人にとっては至極読みづらいものであった。そこで、完成の翌年である養老5年(721年)には早くも『日本書紀』を自然な日本語で読むべく、宮中にて時の博士が貴族たちの前で講義するという機会が公的に設けられた。〔中略〕開講から終講までに数年を要する長期講座であり、承平年間に行なわれた講筵などは、天慶の動乱のために一時中断したとは言え、終講までに実に七年を要している。代々の講筵の記録は聴講者の手によって開催された年次を冠する私記(年次私記)の形でまとめられるとともに、『日本書紀』の古写本の訓点(書紀古訓)として取り入れられた。

Wikipedia, "Garden"

2017年12月23日 | 
 https://en.wikipedia.org/wiki/Garden#Etymology

  A garden is a planned space, usually outdoors, set aside for the display, cultivation and enjoyment of plants and other forms of nature.

 なるほどこれなら文化・地域差を超えての定義たりえる。逆にいえばその差異を捨象しているという事だ。
 現在やっている一段階の作業である。庭園について。さてこれから、中国庭園(園林)の沿革と展開について、仕事でむかしやったが、忘れているところもありそうなのでお浚いする。

平山洋 『「福沢諭吉」とは誰か 先祖考から社説真偽判定まで』

2017年12月23日 | 人文科学
 出版社による紹介

 福澤研究では、この方は結局、西鶴研究における森銑三のような位置に置かれたらしいテクスト自身の真偽から云々されてはその上で踊る吾らが飯の食い上げになると総スカンの生埋めに幾い処遇、本が出ているではないかという反論もあろうが、評価をしないという黙殺の刑である。(権柄づくで)存在を無視すれば問題も客観的事実も消えて無くなると思いまたそれで通るのはたぶん、人文系の思惟と世界の、そこに棲むものにとってはこのうえなく心地よく素晴らしい慣わしなのであろう。

(ミネルヴァ書房 2017年11月)

伊藤漱平/中島利郎編『魯迅増田渉師弟答問集』

2017年12月22日 | 人文科学
 出版社による紹介

 魯迅の作品を翻訳するにあたって増田氏が魯迅その人に質した箇条書きの質問条項に、作者が各項の余白や上下左右の空間に朱筆で回答を書き込んでいる。質疑・応答どちらも日本語だが、驚くのは魯迅の日本語が本当に自然であることだ。そしてその言いようも(きわめて口語的で平易な文章で書かれているのだが)、本来の冗長な話し言葉とは違い、直裁・的確で紆余も無駄もない。驚くばかり。

(汲古書院 1986年12月)

先日ある往来物で、・・・

2017年12月22日 | 思考の断片
 2017年11月20日「中村元「仏教における人間論」」から続き。

 先日ある往来物で、「ものを書けないのは人ではない」という意味の教訓の辞があった。「ものを書けない」というのは、書くための文字とともに、日常生活や仕事での主として手紙・文書作成のうえで必要な作法と書式(語彙・表現含む)とを弁えていない、よってその折々に就いてしかるべき文章が書けないという意味である(その往来物の内容から推して)。“考える”という要件は、そこには(少なくとも明示的には)ない。

小池一夫氏@koikekazuoのツイートを見て

2017年12月22日 | 数学
12月21日

ある球団のオーナーが、ある選手のことを「賞味期限切れ」という言葉を使ったことがすごく心に引っ掛かっている。モノじゃあるまし、いくらなんでもその表現は無いだろうと。人間の旬は生きている限り何歳でもいいよ。自分が旬だと思えば、その時が旬だ。そして旬は何度あってもいい。誰であっても。

 スレッドごと眺めてふと思ったが、人を物扱いというのは。言語だけに限っていえばそれは「擬物法」だということである。修辞技法としての用例は擬人法ほど頻繁ではないが、歴史的にちゃんと存在する。たが、ここで問題は、人を物に喩える理由だ。そしてここにおいて「対象となる人間を貶める目的で用いる」と擬物法の用法が確定されてしまえば、過去の用例も吟味しなおす必要が生じる。