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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ジャン・モリス著 椋田直子訳『パックス・ブリタニカ 大英帝国最盛期の群像』 上下

2018年02月28日 | 世界史
 私には注がすくない。注がすくないということは、これはと思う記述があっても、出典にさかのぼって確かめることができないということである。その結果としては、お話として拝聴するしかない。

(講談社 2006年10月)

ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 『サピエンス全史』 上

2017年05月04日 | 世界史
 貨幣に関する章。金がどうして全世界的にもっとも価値ある物として“信じられる”(流通するではない)ようになったかの説明がわからない。ある地域でそう信じられその信仰に基づく価格がついているのを見聞した、そしてそこに売って金儲けした、他のそうでない地域の人間もそう信じ始めるというのだが、それならここでも名の出る中国の絹や磁器が逆にヨーロッパでそうなっていておかしくないだろう。“金の福音”条、同書228-230頁。(下巻は未読。)

(河出書房新社 2016年9月)

ニーアル・ファーガソン著 仙名紀訳 『文明 西洋が覇権をとれた6つの真因』

2016年07月01日 | 世界史
 全体の論旨にはかならずしも首肯しないながら、次のくだりについては、我が意を得たりと膝を打った。

 非西洋諸国は、西洋が優位に立てた理由の方程式――つまり、私有財産の権利、法の支配、真の代議政治――を拒否した形のままで、西洋の科学的な知識だけをダウンロードして利益を得ることができると考えているのだろうか。 (「第2章 科学」本書173頁)

 これらが“真因”かどうかは私には判らないが、すくなくともこれらが西洋とそのもたらした近代国家という制度の、もしくは“近代”そのものの前提となっていることは確かだろう。その前提を否定して、なおかつ近代国家の枠組みを保とうとするのは不可能ではないかと、私は常々思っているのである。

(勁草書房 2012年7月)

ウィキペディア 「神明裁判」 項

2015年02月11日 | 世界史
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%98%8E%E8%A3%81%E5%88%A4

「何らかの手段を用いて神意を得ることにより、物事の真偽、正邪を判断する裁判方法」。つまりそれが真実であるかどうか、また正義であるか否かの判断は、人間には――聖俗どちらの支配者でさえ――できなかったということか、神に属する領域だったから。

矢沢利彦 「西洋文化と中国文化の交流」

2014年10月18日 | 世界史
 『東西文明の交流』5 「西欧文明と東アジア」(平凡社 1971年7月)、第三章。同書245-301頁。

 重農学派は「自然法」ということを説く。これはたんなる自然の法則であるばかりでなくいっさいを予見する全知全能の造物主が人間の最大幸福という究極の目的を実現するために設定した法則であり、したがってまた道徳的本質としての人間に対する行為の規範でもあるというのである。自然の法則と道徳的規範とを全然同一としてしまう考え方は、西洋にはほとんどないもので、中国思想の特色であると小林市太郎氏は述べている〔注1〕。 (本書291頁)

 注1。巻末参考文献リストから判断して、小林市太郎『支那思想とフランス』(弘文堂 1939年)のことか。リストに小林氏著作は2つあげられている。いま1つは『支那と仏蘭西美術工芸』(弘文堂 1937年)。同書447頁。

 農業、すなわち土地とともに働く職業だけが生産的機構であり、他はすべて直接性w産に関係しない従属機構にすぎないと主張するのであるが、これは中国古来の農本思想と密接な関係があると思われる。なお彼〔注2〕は中国の皇帝が親耕籍田の儀礼を行っていることに感激し、ルイ一五世に説いてこれを行わせたという。 (同上)

 2。フランソワ・ケネー

岡田英弘 『歴史とはなにか』 

2014年01月01日 | 世界史
 再読。
 以下は、2001年10月18日欄からの再掲である。

>引用開始

  「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである」
  明快さが岡田氏の立論の顕著な特徴である。

 そして、こういった内容である歴史を成り立たせるものとして、氏は以下の条件を列挙する。

 1.直進する時間の観念
 2.時間を管理する技術(暦の存在とそれに基づく出来事の記録)
 3.文字
 4.因果律の観念

 である。ある文化・文明において、これら要因のうちどれかでも欠けていると、冒頭に挙げた意味の歴史は成立し得ないと氏はいう。
  この基準に照らして、氏は、その代表的存在としてインド文明(因果律の不在)とアメリカ文明(歴史を拒否することで成立した)を挙げる。イスラム文明もまた、時間の観念が特異なため、歴史が存在しないとするとともに 世界の文明で“歴史という文化”を生み出したのは地中海文明と中国文明だけであるとする。ただし、前者が時間の推移にともなう世界の変化を叙述するための歴史であったのに対し、後者は世界が不変であることを証明するためのものだった(正統な天子の支配のもとでは何事も変化しないはずだから)と、氏は注記する。
 ついで岡田氏がくりかえし強調される点は、科学は実験ができるが歴史はできないのである以上、「歴史は科学ではない」ということである(たとえば82頁で)。
 歴史を書くということは何であるか。それは、「一個人である歴史家が、他人の経験を利用しながら、それを自分の認識のフィルターをとおして、組み立てていくということ」(218頁)である。氏はさらにいう。歴史は文学であり、物語であり、歴史家は物語作者なのである、と。ただ、文学一般と歴史が異なるのは、文学には単なる創作は許されるが、歴史には許されないという点である。歴史家は、史料準拠という制約のなかで、“その史料を、明快な論理で、矛盾なく説明できる(84-85頁)”ことが求められているのであると、氏は釘をさす。
 そして、 「歴史家にとって大切なのは、いったいなにがほんとうに起こったのかを明らかにするために、史料の矛盾をつきつめていって、もっともありそうな、説得力のある解釈をつくりだすことだ」(152頁)。その解釈は、政治的立場や異なる文化をこえて通用する、万人が納得できる説明でなければならない。それが「よい歴史」である。「よい歴史」とは「普遍的な個人の立場」で、「史料のあらゆる情報を一貫した論理で解釈できる説明」である(220頁)。そしてそれは「その歴史家が他人の経験にどれくらい自分を投入できるか、ということにかかっている」(同上)のであり、ゆえに、「書く歴史家の人格の幅が広く大きいほど、「よりよい歴史」が書ける、ということになる」(221頁)。
 そのためには、どうすべきか。「(歴史家は)なるべくたくさんの経験を積まなくてはならない。いろいろな人と、気持ちを通い合わせることができた、と感じるような経験を、たくさん積み重ねなくてはいけない」(221頁)。その結果として得られるであろう「世界を包みこむような普遍的な知恵」、つまり“般若の智慧”がよき歴史家には必要なのであるというのが、岡田氏の結論である。 まさしくそのとおりであり、またそれしかないであろう。

付記

 手元にある哲学辞典では、因果の観念はインドで発生したと書かれている。それからすれば岡田氏の冒頭に挙げた4つの要素のうちのひとつ、因果律の観念がインドにないという主張はおかしいと思えるかも知れない。しかし、ここで氏は、ニュートンの『プリンキピア』以来の、“原因と結果との関係、形式的にはAという条件群の下に、Bという現象が必ず起こる、AがあってBが起こらないということはない、という関係づけの思考方式(山崎正一ほか編 『現代哲学事典』、講談社、73頁 「因果Ⅰ」の定義による)”の有無を言っておられるのであろう。これは、つまりは論理的思考のことである。 〔下線は再掲に際して今回追加したもの〕
 この氏の意見から思うのだが、中国文明もまた歴史が薄弱とはいえはすまいか。私のみるところ、中国語(古典・現代をとわず)には、すくなくともこの意味での因果律の観念がきわめて弱いと感じられるからだ。というより、論理的思考―とくに帰納的思考―が弱いと行ったほうがいいかもしれない。ある現象(結果)の原因、あるいはある結論の理由を述べる際に、原因や理由ではなくそれらの含まれる状況を漠然と紹介しているだけの場合がおおいという印象が拭えないのである。いかがなものであろうか。

>引用終わり

 「付記」の部分に関し、とくにその前段についてあらためて考えてみるための準備として、再度掲げた。
 
(文藝春秋 2001年2月)