書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

馮天瑜 「“明末清初文化近代性”筆談」

2014年02月25日 | 東洋史
 『江漢論壇』2003-3、57-59頁。
 再読
 明末清初に見られる、西洋科学・学術に触れての近代的な諸特徴を“早期近代性”とよぶ向きがあるらしい。著者は、この文化面における“早期近代性”について、当時の宣教師や彼らと交流関係のあった中国知識人が、西洋の学術に比べて当時の中国の学術に足りないのは論理的思考と“度数の学”(幾何学と代数、また物理など、世界の数理的把握、つまり現在から言えば自然科学的思考)と考えてその普及に努めたとしている(58頁)。その証拠として徐光啓『幾何原本序』の内容を例として挙げる。

野間文史 「齊桓公の最期と『左傳』の成立」

2014年02月23日 | 東洋史
 『東方学』87、1994年1月、28-41頁。
 斉の桓公の有名な、死後内訌で二か月以上放っておかれて蛆が寝室の外にまで這い出てきたという逸話は、斉の暦と『春秋』の拠る暦が別のものであるがために月が二か月ずれていて、実際にはそんな時間は存在しないので、その事に気がつかなかった人間が舞文したものだという指摘。
 なお著者は『左氏伝』の成立時期については断定を避けながらも、『史記』斉世家が明らかに『左氏伝』の文章に基づいていることから、『史記』よりも以前、部分的には『呂氏春秋』(秦代)よりも先んずるとしている。ただし最終的な完成は劉歆の手になるのではと。

吉本道雅 「左伝成書考」

2014年02月23日 | 東洋史
 『立命館東洋史学』35、2002年7月、1-21頁。
 著者は文中提示される予言について、後世の事実に照らして当り外れを見ることでその記事が書かれた年代を絞り込むという顧炎武の手法と、歳星記事が前365年を起点に計算されているという新城新蔵の説とを批判的に受け継ぎ、『左氏伝』の成立を前365/364年(ただし前330年頃に部分的な追加あり)と特定する。編纂者として、呉起・呉期・鐸椒という劉向『別録』の説を、状況的に可能性高しとして支持。


ウィキペディア「授時暦」項の奇妙な表現

2014年02月23日 | 東洋史
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%88%E6%99%82%E6%9A%A6
 そこでは、「モンゴル帝国(元)の時代になると、西方のイスラム・アラビア世界の科学技術が本格的に中国に流入するようになり、アラビア天文学の影響を受けて精密な天体観測が行われるようになったためであるとも言われる」と、どういうわけかひどく曖昧ないいまわしが見える。なぜだろうと、手持ちの関係資料を調べてみた。
 杜石然ほか編著『中国科学技術史』下(川原秀城ほか訳、東京大学出版会1993年3月)には、アラビア天文学の影響について全く言及がない。授時暦は中国伝統天文学の達成として書かれている(第7章の8「天文学の発展の高峰と著名な科学者の郭守敬」)。
 また、藪内清『中国の科学文明』(岩波書店1970/8)では、天体観測のために天文台が設けられたのは明らかにイスラム天文学の影響であり、使用された機器のいくつかはイスラムのものを模倣しているが、暦法としては授時暦は純然たる伝統中国のそれであって、「イスラム天文学の影響はまったく認められない」と断言されている(「Ⅴ イスラム文明との交渉」)。
 『元史』『新元史』の郭守敬伝、また「天文志」では、郭守敬による授時暦作成の事実と授時暦の内容をしるすのみで、イスラム天文学との関連を覗わせる記述はなにもない。観測機器(たとえば簡儀)がイスラムにある同様の器械に倣って作られたものであることすら書かれていない。
 つまり、断定するに足る証拠がないということであるか。

加地伸行 『「史記」再説 司馬遷の世界』

2014年02月22日 | 東洋史
 再読。なんと面白いのだろう。かたや史学、かたや哲学というジャンルと方法論の差はもちろん勘案せねばならないが、いまの私には宮崎市定氏の『史記を語る』より面白い。『史記』の構成その他から考えて、「孝武本紀」は(「封禅書」の焼き直しなどではなく)基本的に司馬遷の筆になるとする説など。
 加地氏は、『史記』執筆は司馬遷が父司馬談から引き継いだ畢生の「私史」編纂作業であるということ、加えて宮刑を受けた後の司馬遷にとっては、武帝の政治、特に自らが宮刑に処せられる原因となった匈奴戦役による国家・社会の困窮に対する批判が大きなモチーフの一つになっておるという主張を、展開される。
 たとえば、「孝武本紀」で匈奴戦役のことがまったく触れられないのは意図的、つまり暗黙の批判であり、その戦役の結果として国家と社会がどうなったかを「平準書」で、事実と数字をもって語らせているのだと。
 『史記を語る』にはやや乏しいと思える、一個の著作物として『史記』を捉え、その全体を流れる内的論理を把握して各部分の有機的な連関を見出そうという姿勢と方法論とが、きわめて刺激的だ。これらはつまりは、『史記』はあくまで「私史」であるという氏の根本的な認識からすべては出発しているのであろうけれど。

(中央公論新社 2010年1月)

康有為は『大同書』を何語で書いたか

2014年02月18日 | 思考の断片
 漢文(文言文)ではない。なぜならこの著には語彙に当時の(近代の)それが混じる(参考)。時事を論じる以上それは避けられなかったにせよ、このことだけを問題にすれば文言文ではなく書面語ということになる。だが基本的な語彙表現と文法は(つまりベースとなっている文体は)、浅文言ながら却て深文言に近い。ではこれは何語というべきか。

陳垣 「中國佛教史籍概論」

2014年02月18日 | 東洋史
 『陳援庵先生全集』第九冊(台北 新文豊出版公司、1993年)所収のテキストをざっと眺めた。体裁は簡素、文体は明晰、必要なことだけを書き、内容・語句ともに無駄というものがない。清代学者の筆記や札記を見るようだ。これで、この著の日本語訳と注釈を読むのが楽しみになった。

小津安二郎監督 『東京物語』(1953年)

2014年02月18日 | 映画
 カットが長い。撮影位置が低い上に固定されているから余計に長く感じる。当時はそれほど長いとは思われなかったのだろうか。香川京子さん演じる京子の清潔な美しさと、杉村春子さんの志げが見せる小商売の世界に染まった品のなさとに共に、平成にはない昭和の日本を感じる。