竺沙雅章「宋代の士風と党争」から。
台諫の発言が公議を反映するといえば、はなはだ聞こえはよいが、往々にしてそれは恣意的主観的であった、まったくの公正な議論とはいえない。 (本書119頁)
そもそも当時の台官諫官に現在の我々が頭に想い描くところの“公正”という概念や“公正たれ”という倫理規範は存在したのか。私は『国朝諸臣奏議』を通読して、どちらのそれも見いだせなかった。
また、本書には小野和子氏の「明代の党争」も収録されている。出版年から推測されるように、視角も議論も下部構造が上部構造を規定するという大前提枠組のもとにある。つまり社会経済史の変形であって政治史でも政治過程分析でもない。ここに人間はいない。
台諫の発言が公議を反映するといえば、はなはだ聞こえはよいが、往々にしてそれは恣意的主観的であった、まったくの公正な議論とはいえない。 (本書119頁)
そもそも当時の台官諫官に現在の我々が頭に想い描くところの“公正”という概念や“公正たれ”という倫理規範は存在したのか。私は『国朝諸臣奏議』を通読して、どちらのそれも見いだせなかった。
また、本書には小野和子氏の「明代の党争」も収録されている。出版年から推測されるように、視角も議論も下部構造が上部構造を規定するという大前提枠組のもとにある。つまり社会経済史の変形であって政治史でも政治過程分析でもない。ここに人間はいない。