書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

渡部昇一 『日本語のこころ』

2017年12月14日 | 人文科学
 学術論文など、知的な文章のときに漢語が多いのは、それは漢語の方がよそよそしいからである。よそよそしいと言って悪ければ、情緒を比較的からませないですむからである。 (「第一章 大和言葉と外来語」 本書20頁。下線は引用者)

 その後の議論は措いてここは同意する。

(講談社 1974年10月)

本気なのだろうか

2017年12月14日 | 思考の断片
 「近世近代の和歌が現代の我々に解りやすいのは中世の和歌よりも合理的な精神に則っているからで、その合理的精神の由って来たる所は朱子学で、朱子学は合理的だからである」(要旨)という、たかがこれしきの長さの言説で「理」という言葉を二つの意味で使うという、じつに驚嘆すべき議論を和歌史の専門家の専著に見た。現代日本とその言語の「合理」の“理reason, rationality”と、朱子の言う理(理気二元論の“理”)は、表記する漢字が同じだけで内容として異なるだろう。
 この論法は、例えば、ヨーロッパの封建制は、日本(語)ではfeudalismの翻訳語として中国古代にやや類似した存在した風習を意味する「封建」という漢語で用いられることになったのだが、それを見た漢語話者(具体的には中国人)が、「封建」という文字を使っているから西洋のfeudalismと同じものが中国の歴史上にもあったと議論を組み立てるようなものである。それが間違っていること、言うまでもない。


ウィキペディア 「ウドムルト語」

2017年12月14日 | 人文科学
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%89%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%88%E8%AA%9E

 動詞の過去形には話者の経験によるか否かの区別がある(日本語の文語体に似る)。

 面白いな。英語版の同項には同じことをこういう表現で記している。

  The second preterite is a past tense with an evidentiality distinction. It can be compared to the English perfect in which the speaker did not personally observe the past event. The preterite II is marked with (э)м/(е)м, which is historically related to the third infinitive in Finnish. ('Past tense, Preterite II')

『明治学院デジタルアーカイブズ 聖書和訳デジタルアーカイブス』 

2017年12月14日 | 人文科学
聖書和訳史概説 明治元訳の完成ー日本初の聖書全訳『新約聖書』

1872年(明治5)9月、横浜居留地39番のヘボン邸で宣教師会議が開かれ、各派共同での翻訳を決定し、翻訳委員社中を結成した。

委員長をS.R.ブラウン(オランダ改革派)とし、ヘボン(長老派)・グリーン(組合派)・マックシー(メソジスト派)・N.ブラウン(バプテスト派)・パイパーとライト(イギリス教会宣教会)の7名で発足したが、事実上ヘボン・S.R.ブラウン・グリーンが中心となり、日本人補佐人は奥野昌綱・松山高吉・高橋五郎・井深梶之助であった。

翻訳を成し遂げた聖書は1876年より順次分冊刊行して、完訳は1880年(明治13)である。

この明治訳は、漢字交じりの格調高い文体であり、本文の正文はかなである。漢字表示は漢訳聖書から当てた字が多く、翻訳を補助した日本人の知識層は漢文に慣れており、漢語調の文体が標準と考えた。しかし、翻訳する宣教師たちは、日本語として誰でもわかる言葉が重要であると考えた。

新約聖書は、平かな版、真仮名(カタカナ)版などの版があり、言葉が定まらない時代に実践的にどのような文字表現が良いかも試している。この明治訳は、漢字交じりの格調高い文体であり、本文の正文はかなである。漢字表示は漢訳聖書から当てた字が多く、翻訳を補助した日本人の知識層は漢文に慣れており、漢語調の文体が標準と考えた。しかし、翻訳する宣教師たちは、日本語として誰でもわかる言葉が重要であると考えた」「新約聖書は、平かな版、真仮名(カタカナ)版などの版があり、言葉が定まらない時代に実践的にどのような文字表現が良いかも試している。
 (太字は引用者)

 太字にした部分、『井深梶之助とその時代』では書かれていなかったことを、結果だけ、しかしきっちりと書いている。私にとって肝心の過程が書いてないと、うっかり読み飛ばすところだった。これから推測ができる。