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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「舞台の演技はカメラには写らない」らしい

2018年10月07日 | 芸術
 「舞台の演技はカメラには写らない」らしい。山崎努氏の『俳優のノート』にそう書いてある。
 氏は『ダミアン神父』をビデオ化するにあたって、映像用に演技を変えてあらたに撮影した由。アル・パチーノはアクターズ・スタジオのインタビューで、「(初主演作の)『哀しみの街かど』ではカメラに訴えかける演技をまだ会得していなかった」と、言っていた。YouTubeで内外の舞台映像を観ても、映画にくらべて、いまいち受ける印象が“遠い”のは、あるいはこの機微に触れるからか。

江口寿史 『江口寿史の正直日記』

2018年06月24日 | 芸術
 山上たつひこ氏原作の『冷馬記』の作画担当を降ろされた経緯がよくわからない。いや、降ろされるのは客観的に見て仕方がないが、ああいう経緯をたどることになった江口氏の側の事情がいまひとつわからない。この人のこれまでの作品の作り方自体がわからないと言ったほうが正確か。自分のなかにも多少存在する部分を拡大して想像してみるに、これも私がひそかに想像するところの池大雅のような気質と仕事・生活態度なのだろうか。

(河出書房新社 2015年6月)

板倉聖哲/実方葉子野地耕一郎編 『典雅と奇想 明末清初の中国名画』

2018年03月14日 | 芸術
 アマゾンによる紹介

 典雅と奇想――もとの展覧会HPの紹介文の言葉をかりれば「創造力」――のもとは図柄や対象の把握において分析的手法をもちいたことにあると“原因”が書かれている。しかしその分析的手法を用いたのは何故というさらなるwhyへの答えはない。root causeがない、というよりこの「分析的手法」とて本当は原因ではなくmethod、howにすぎないのではなかろうか。それは創造力の発揮のされかたであってもその源泉ではない。

(東京美術 2017年11月)

安田靫彦 安田建一編 『画想 安田靫彦文集』

2018年03月13日 | 芸術
 出版社による紹介

 おそらくはその意味をもって冒頭に置かれた「古画の研究に就て」が、やはりアルファでありオメガであるだろう。実作にもとづく画の構成要素にして評価基準を「構想」「線」「色彩」「形」の四つにわけ、それぞれについて古今東西の画の巧拙・品格や良し悪しを論じ、さらにはときに画全体としての上下へと及ぶ。面白いのは、作品はこの四つにおいて重複して取り上げられることはないが、作家についてはそれがあり、軸ごとに評価があがったりさがったりすることだ。渡辺崋山など。

(中央公論美術出版 1982年9月)

増川宏一 『将棋の起源』

2017年05月10日 | 芸術
 出版社による紹介。
 
 期待したルールの起源についてはほとんど書かれていなかった。ところで現在の国境や時空を越えて同種もしくは類似したものが分布していると――この場合将棋――、すべて自国が起源と主張する中国の研究(者・書)の粗笨な論法に、著者はあきれ気味である。それは本気の言なのか、それともためにする議論なのか。

(平凡社 1996年11月)