書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

例によって公立図書館の除籍によってもらい受けた、1987年に・・・

2018年08月26日 | 芸術
 例によって公立図書館の除籍によってもらい受けた、1987年に東京・京都・大阪で開催されたカンディンスキー展の公式図録を見る。カンディンスキーの絵の大いなる振幅を伴いつつ変遷をとげてゆく様が興味深い。素人にはその軌跡はある種謎めいてさえいる。

江口寿史 『江口寿史の正直日記』

2018年06月24日 | 芸術
 山上たつひこ氏原作の『冷馬記』の作画担当を降ろされた経緯がよくわからない。いや、降ろされるのは客観的に見て仕方がないが、ああいう経緯をたどることになった江口氏の側の事情がいまひとつわからない。この人のこれまでの作品の作り方自体がわからないと言ったほうが正確か。自分のなかにも多少存在する部分を拡大して想像してみるに、これも私がひそかに想像するところの池大雅のような気質と仕事・生活態度なのだろうか。

(河出書房新社 2015年6月)

魯大鳴 『京劇訳者が語る京劇入門』

2018年04月25日 | 芸術
 出版社による紹介

 200頁あまりの本に、みっしりと中身が詰まっている。

(駿河台出版社 2012年3月)

板倉聖哲/実方葉子野地耕一郎編 『典雅と奇想 明末清初の中国名画』

2018年03月14日 | 芸術
 アマゾンによる紹介

 典雅と奇想――もとの展覧会HPの紹介文の言葉をかりれば「創造力」――のもとは図柄や対象の把握において分析的手法をもちいたことにあると“原因”が書かれている。しかしその分析的手法を用いたのは何故というさらなるwhyへの答えはない。root causeがない、というよりこの「分析的手法」とて本当は原因ではなくmethod、howにすぎないのではなかろうか。それは創造力の発揮のされかたであってもその源泉ではない。

(東京美術 2017年11月)

安田靫彦 安田建一編 『画想 安田靫彦文集』

2018年03月13日 | 芸術
 出版社による紹介

 おそらくはその意味をもって冒頭に置かれた「古画の研究に就て」が、やはりアルファでありオメガであるだろう。実作にもとづく画の構成要素にして評価基準を「構想」「線」「色彩」「形」の四つにわけ、それぞれについて古今東西の画の巧拙・品格や良し悪しを論じ、さらにはときに画全体としての上下へと及ぶ。面白いのは、作品はこの四つにおいて重複して取り上げられることはないが、作家についてはそれがあり、軸ごとに評価があがったりさがったりすることだ。渡辺崋山など。

(中央公論美術出版 1982年9月)

鄭燮〔板橋〕 『清鄭板橋懐素自叙帖/岣嶁碑』

2018年02月13日 | 芸術
 巻末の小林斗盦氏の解説が、わずか2頁余ながら鄭燮の人と書を簡潔に紹介している。

(二玄社 1970年7月) 

増川宏一 『将棋の起源』

2017年05月10日 | 芸術
 出版社による紹介。
 
 期待したルールの起源についてはほとんど書かれていなかった。ところで現在の国境や時空を越えて同種もしくは類似したものが分布していると――この場合将棋――、すべて自国が起源と主張する中国の研究(者・書)の粗笨な論法に、著者はあきれ気味である。それは本気の言なのか、それともためにする議論なのか。

(平凡社 1996年11月)


越劇 - Wikipedia

2017年05月07日 | 芸術
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%8A%87

 ここには触れられていないが、佐治俊彦氏によると、越劇では裏声を絶対に使わぬそうである。『かくも美しく、かくもけなげな―「中国のタカラヅカ」 越劇百年の夢』(草の根出版会2006/12)、57頁。

小松謙 『中国古典演劇研究』

2017年03月01日 | 芸術
 出版社による紹介

 氏の学問を勉強中。

(汲古書院 2001年10月)

山崎正和 「人間にとって藝術とは何か 近代の藝術論の発見したもの」

2017年02月20日 | 芸術
 『世界の名著』続15「近代の芸術論」(中央公論社 1974年8月)所収、同書5-56頁。

 もちろん、人間のあらゆる営みは理性と感性の両方にまたがっているが、藝術の場合、その両極にたいする関わり方はたんにまたがっているというようなものではない。藝術のなかに理性と感性が混在しているというのも不正確であって、藝術はある意味でたんなる理性以上にものの本質に深入りし、その反面、たんなる感性以上にものの表面に拘泥する性格を持っている。いわば理性以上に理性らしく、管制上に感性らしい性格を兼ねそなえた藝術は、どう見ても人間精神の素朴な二元論にはなじまない存在であるように見えるのである。 (「人間にとっての藝術とは何か」同書25頁)

 ここでの“藝術”をもっと広く“文系学問”もしくは“文学部”と置き換えれば、現在の問題としてそのまま考えることができるのではないか。

 「百万人の餓えた子供にとって、いったい文学には何の意味があるか」 (論文冒頭に引かれるサルトルの問題提起。同書7頁)
 「いったい百万人の餓えた子供は、私の文学にとって何の意味があるか」 (上のサルトルの言葉に続いて紹介される、ある“若いフランスの作家”による、「木で鼻をくくったような」返答。同頁)