書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

藤本幸夫 「李朝訓読攷 其一 『牧牛子修心訣』を中心にして」

2015年05月26日 | 抜き書き
 『朝鮮学報』143、1992年4月掲載、同誌109-218頁。

 漢数字や星点による〔『牧牛子修心訣』(1467年刊)の〕訓読法は、日本の奈良末資料にも確認される。それも華厳宗関係の経典に多いが、日本の華厳宗は新羅華厳と言われる程新羅の影響を蒙っている。八世紀の新羅留学僧によって華厳宗と共に、漢文訓読法が齎された可能性も考えられる。
 (「要旨」109頁)

アマルティア・セン著  池本幸生訳 『正義のアイデア』

2015年05月25日 | 社会科学
 この日本語版の「序」(6頁)ほかで出てくるジョン・ロールズの概念「公正としての正義」は、英語原文では'justice as fairness'となっている。また同じ「序」(12頁)に見える「公正な制度」という術語は、'just institutions'である。
 そして同じくロールズの著書『正義論』は、原題を"A Theory of Justice"という。
 興味深い。
 fairとは平等かつ法の支配に基づく状態を謂い、justはmorally fair にしてreasonableなことの謂である。
 つまり、「法の支配rule of law」と「理性reason」が存在しない(またはその存在および必要性がまったくあるいは十分には認識されていない)所では、公正fairnessも正義justiceも存在しないことになる。

(明石書店 2011年11月)

狩野直喜 『中国哲学史』 から

2015年05月25日 | 抜き書き
 前項より続き。
 「第五編宋元明の哲学 第一章 宋代(960-1276A.D.)の哲学 第一節 概説」に、

 之を要するに、此の時代の学問が規模宏大であると謂ふは、漢唐儒学に比して宏大であるといふだけのことであり、彼等が所謂新局面を開いたと云ふは、仏教を加へて性理の説を詳かにしただけのことであつて〔後略〕 (同書353頁・原文旧漢字。下線は引用者)

 と、只今の私にとってはまことに身も蓋もないと思えることが書かれている。

(岩波書店 1953年12月)

鎌田茂雄 『中国仏教史』

2015年05月25日 | 東洋史
 再読

 朱熹は形而上・形而下のあらゆる面から仏教を排撃した。 (「第12章 転換期の仏教 宋の仏教」本書300頁)

 朱熹は仏教を排撃したというが、彼のいう「性(理)」は「仏性」とどうちがうのだろう。万物に性は内在する、知のない植物にもあるというのなら、無情の草木にも仏性はあるとする「一切衆生悉有仏性」と変わらないのではないか。

(岩波書店1978/9)

ピーター・バーク著 亀長洋子訳 『ヨーロッパ史入門 ルネサンス』

2015年05月25日 | 西洋史
 ルネサンスの特徴を論じるもう一つのよくあるやり方は、理性の面から特徴づけるものである。人文主義者が称賛した人間の理性、遠近法の発見によって可能となった空間の合理的な秩序づけ、もしくはブルクハルトが一五世紀のヴェネツィア共和国によって集められた統計から例証して『計算する精神』と呼んだものがそれである。 (「第5章 結論」同書94-95頁)

 遠近法自体はルネサンス以前から存在するが、中世では閑却され、この時代になって科学や芸術において復活した。まさに理性=ratioということか。

(岩波書店 2005年11月)

金文京 『漢文と東アジア 訓読の文化圏』

2015年05月21日 | 東洋史
 再読
 「第二章 東アジアの訓読――その歴史と方法 5 中国の訓読現象」より。

 宋代以降になると、経典の字句を当時の口語で説明し、かつ全文を口語訳したものがあらわれる。これを直解と言った。直解があらわれた理由としては、朱子学の流行により、単に字句の意味だけではなく、経典を著した聖人の意図を全体的に把握しようとする傾向が強まったこと〔略〕などがあげられるが、その背景には、文言と口語の距離が広がり、経典の一部を文言の注釈で説明しただけでは、もはやその意味を理解することが難しくなったという事実があったと考えられる。 (本書170-171頁)

 もっともな説明として、ひとまずは理解する。しかし、あえて"背景”の以前の、現象としての"理由”に拘りたい。「単に字句の意味だけではなく、経典を著した聖人の意図を全体的に把握しようとする傾向が強まった」のは何故か。「朱子学の流行により」というのであれば、朱子学が宋代に出現した理由は何か。その背景は何か。

(岩波書店 2010年8月)

澤井繁男 『イタリア・ルネサンス』

2015年05月21日 | 抜き書き
 神はルネサンスという時代に消え失せたわけでなく、神と人間との関係に、前時代に比べて相違点が生まれたにすぎないのである。神と人間と動物の三者に関して、人間をその中間に位置づけたのであって、人間が神にとって代わったのではない。 (第Ⅱ章 新しい教育と生き方の誕生 3 人文主義」本書90頁)

(講談社 2001年6月)

唐律疏義 - Wikipedia

2015年05月21日 | 東洋史
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E5%BE%8B%E7%96%8F%E7%BE%A9

 高宗の詔勅で「律学未有定疏,毎年所挙明法,遂無憑準(律には公式の注釈がなく、毎年の科挙で基準が定まっていない)」と現状を指摘し、太尉長孫無忌、司空李勣、尚書左僕射于志寧、刑部尚書唐臨、大理卿段宝玄、尚書右丞劉燕客、御史中丞賈敏行等に命じ衛禁、職制、戸婚、廄庫、擅興、賊盜、鬥訟、詐偽、雑律、捕亡と断獄の12篇,502条からなる永徽律を編纂させ、条文の後ろに注釈を加え『永徽律疏』が完成した。


 つまり唐律という法律の解釈権は後にも先にも彼ら数名しか持っていなかったことになる。ではなぜ彼らが持ちえたかというと、その権限を皇帝から付与されたからであった。
 ちなみに『唐律疏義(議)』で展開される類推解釈には、私にはどうしてこんな類推になるのか(できるのか)よくわからないものがあるのだが、仁井田陞氏はその例を列挙してもそれらに内在する論理については詳細には述べられないので、氏の『補訂中国法制史研究 刑法』(東京大学出版会 1980年11月)をひもといてもやはりわからない(「第二部 中国古刑法の基本原則の展開 第六章 宋代以後における刑法上の基本問題」266-267頁)。それ以前の、議論の前提がわからないのだ。此方にそのために必要な知識がないせいである。

オッカムのウィリアム - Wikipedia

2015年05月20日 | 抜き書き
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0

 オッカムにとって、唯一の本当に必要な存在は神であった。他のすべてのものは不確定である。そのため彼は充足理由律を受け入れず、本質と実在の区別を否定し、能動的知性と受動的知性というトマス・アクィナスの学説に反対した。彼の存在論的倹約の要求によって導れる彼の懐疑論は、人間の理性は魂の不滅性も神の存在、唯一性、無限性も証明できないという彼の学説の内に現れる。彼の説くところによればこうした真理は啓示によってのみ知られる

 ちなみにオッカムのウィリアムは13-14世紀の人である。「充足理由律」という語を考え出したのは彼より後世(17-18世紀)のライプニッツだから、この記述はもちろん、「どんな事実であっても、それに対して『なぜ』と問うたなら、必ず『なぜならば』という形の説明があるはずだ」という意味だろう。