goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「China and Tibet: Not much of a celebration」

2009年02月27日 | 思考の断片
▲「BBC NEWS」Feb 26th 2009、 TONGREN AND XINING。 (部分)
 〈http://www.economist.com/world/asia/displaystory.cfm?story_id=13184929

 China’s crackdown, however mildly or fiercely imposed, is breeding resentment and storing trouble for the future.

 Smart guys would walk away and say in asylum: "It's not my business."
 Less smart guys and poor people would stay and say in trouble: "It's not my fault."

「カイロ宣言(日本国に関する英、米、華三国宣言)」 を読んで

2009年02月27日 | 思考の断片
▲「国立国会図書館」「日本国憲法の誕生」から (部分)
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/002_46/002_46tx.html

 It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which she has seized or occupied since the beginning of the first World War in 1914, and that all the territories Japan has stolen from the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and The Pescadores, shall be restored to the Republic of China. Japan will also be expelled from all other territories which she has taken by violence and greed.

 右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
 日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ

 1914年の第一次世界大戦以後のくだりはさておき、“満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域”とは何事か。何回読んでも腹が立つ。満洲も除くとしよう、だが台湾及澎湖島が“又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル”ものだというのはおかしい。台湾と澎湖島は下関条約で清国から日本国へ正式に割譲されたものである。盗み取ったものではない。たしかに下関条約は不平等条約である。しかし不平等条約なら力関係が逆転した暁には力づくで奪い返しても良いというのであろうか。そんな考えの彼らであれば、安政以来1911年まで半世紀にわたって交渉による条約改正の努力を孜々として重ねた日本人などは、さぞ愚か者に見えたことだろう。

マーク・トウェイン著 野川浩美訳 「リンチ王国、アメリカ合衆国」 から

2009年02月25日 | 抜き書き
 原題「The United States of Lyncherdom」、1901年。
 『地球紀行 マーク・トウェイン コレクション18』所収。
 
 リンチ集団は追い払ってもらいたがっている。明らかにほとんどの暴徒たちが――勇気さえあれば、その場所から逃げたいと思っている。 (本書235頁)

(彩流社 2001年9月)

ロバート・J・C・ビュートー著 大井篤訳 『終戦外史 無条件降伏までの経緯』

2009年02月25日 | 日本史
 日本の降伏は国内の終戦への動きにくわえて米国による二発の原爆投下が最終的な決めてとなったのであり、ソ連の参戦は副次的要因であるという解釈。米国の“通説”通りではそれほどない。
 なおこの書は無条件降伏に至る日本国内の政治過程の研究である以上、原爆は本土決戦によって失われたであろう数十万の米国人の命を救ったという米国政府が後付けで行った自己正当化(にもなっていないが)は、ここでは当然ながら言及されず、行われてもいない。
 
(時事通信社 1958年8月初版 1971年6月第4刷)

"Don Corleone, give me justice!"

2009年02月23日 | 抜き書き
▲「BBC NEWS」18:53 GMT, Friday, 20 February 2009, Rupert Wingfield-Hayes 「Truth elusive in Politkovskaya case」 (部分)
 〈http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7902381.stm

 Very quickly the investigation ground to a halt. (...)
 As soon as it became clear that the FSB was involved, a veil of secrecy descended.
 In the end only three men were charged, and not directly with the murder. When the trial finally opened, it was, for no clear reason, held in a military court.
 For three months it stuttered on. The evidence presented was circumstantial at best. In the end the jurors were unconvinced.
 There are many theories as to who really ordered Anna Politkovskaya's murder.
 Most point to the pro-Kremlin militias in Chechnya, and in particular, to Chechnya's warlord president Ramzan Kadyrov, who has repeatedly denied the accusation.
 It seems very unlikely that we will ever find out the truth.

▲「The Moscow Times」19 February 2009 23:32 Moscow Time,「Politkovskaya Suspects Walk Free」
 〈http://www.moscowtimes.ru/article/600/42/374696.htm

柳父章 『翻訳の思想 「自然」とNATURE』

2009年02月23日 | 人文科学
 日本語(とそのもとになった古典中国語)の「自然」には人間が含まれ、英語(とそのもとになったプラトン以後のギリシャ語・ラテン語およびキリスト教文化圏のヨーロッパ諸言語)の"nature"(とその対応語)には人間は含まれない、さらには"nature"は「物質の本質」を意味するが、「自然」は「物事のあるがまま」を意味する、と云爾。
 荘子は天に蔽われて人を知らず。

(筑摩書房 1995年10月)

「私の知っている日本人―第四回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集」 から

2009年02月23日 | 抜き書き
▲「新世界読書放浪」2009年02月22日 (日) 13:54。 (部分)
 〈http://neto.blog10.fc2.com/

 結論は日本語を学んでウィンウィンの架け橋と、個人的利益でしているクセに天下国家の話。

 嵐山にある周恩来の「雨中嵐山」碑など、さぞかしいい飯の種になるのだろう。

「Wikipedia」(日本語) 「尖閣諸島領有権問題」項を読んで

2009年02月21日 | 思考の断片
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E9%A0%98%E6%9C%89%E6%A8%A9%E5%95%8F%E9%A1%8C#1895.E5.B9.B4.E3.81.AE.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E5.B0.96.E9.96.A3.E8.AB.B8.E5.B3.B6.E7.B7.A8.E5.85.A5.E3.81.AE.E6.9C.89.E5.8A.B9.E6.80.A7

 中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し何等異議を唱えなかったことからも明らか。 (「第二次世界大戦の戦後処理の妥当性・日本側の主張」)

 1895年~1970年まで日本への編入を長いこと認めていた中国が、1971年、ガス油田埋蔵の可能性が出てきて、そのときになって突如領有権を主張するのは矛盾がある。 (「1895年の日本による尖閣諸島編入の有効性・日本側の主張」)

 中国・台湾の主張は、この2点についてまったく反論できていない。

 1403年(明代)に著された『順風相送』という書物に釣魚台の文字がある。 また1534年の冊封使・陳侃(チン・カン)の報告書である『使琉球録』にも「釣魚台を目印に航行した」との記述がある。 これらのことから、明の時代にすでに中国人が釣魚台(尖閣諸島)の存在を知っていたのは明らかである。 (「誰が最初に発見し、実効支配をしたか・中国側の主張」)
 
 だから何なのか。
 しかも、

 『琉球三省其三十六島之図』において尖閣諸島が中国大陸と同じ色で彩色されているのは事実である。しかし、この地図で尖閣諸島と同じく中国大陸と同じ色で彩色されている花瓶嶼は今日台湾の領土となっている。その台湾は『琉球三省其三十六島之図』においては大陸とは別の色で彩色されている。したがって、この地図の彩色と領土とは必ずしも関係しない。 (「誰が最初に発見し、実効支配をしたか・日本側の主張」)

大竹博吉監修 『ウィッテ伯回想記 日露戦争と露西亜革命』(中) から

2009年02月21日 | 抜き書き
 土地共有体の土地所有といふことは、ロシア国民生活の一定の段階であつて、それは文化と国家の発達に伴ひ、必然的に個人主義――私有主義に推移すべきものである。この過程が停滞し、殊にロシアのやうにこれが人為的に阻止される時は、人民も国家も疲弊してしまふ。国民の現代生活は、すべて個人主義に基礎をおいてゐる。人民の機能や人民の心理状態はすべて個人主義に根拠してゐる。国家もこれに準じて組織されてゐる。個人の「我」がすべてを組織し、すべてを動かしてゐる。この「我」という観念が、最近の二世紀間に特に進歩して、今日の人間の世界観の根底を作つたのである。この「我」に対する崇拝なしには、ニュートンも、シェクスピアも、プーシュキンも、ナポレオンも、アレクサンドル二世も存在しなかつた。従つて技術の進歩も、富も、商業も存在しなかつた訳である。
 ロシア革命の一大原因は、この個人主義の発達が遅延したことにある。そのために私有権の自覚が遅れ、公民としての要求、公民的自由の要求等も遅れた。これ等のものを自然に発達させなかつた。生活は生活で勝手に進んだが、人民はその間に板ばさみになつてゐたのであつた。 (「第三十二章 十月十七日政変前の農民問題」、本書47頁。原文旧漢字)

 ロシアの土地共有体をもつて、現在または将来の土地共有制度と相似たものと見なす経済学者は、私の見る所では、野生の梨と進歩した果樹園に産する梨とを混同する園芸家にひとしい。将来もしロシアに土地共有制度が実現するとすれば、それは今の土地共有体を個人主義――私有制の溶鉱炉に入れて精煉したのちのことであらう。しかもそれは各人が自分だけの幸福を疑ひ、自分の「我」を疑ひ、自分の幸福のための救ひを「我等」のうちに求めるに至つて始めて実行されるものだと考へる。 (「第三十二章 十月十七日政変前の農民問題」、本書49頁。原文旧漢字)

 帝政ロシアは個人主義の伝統の未成熟な「帝国」であり、それをそのまま受け継いだ共産ソ連もその点は同じであった。これを「全体主義の帝国」と呼ぶことも出来よう。ただしロシア文化の中のヨーロッパ的要素に個人主義の因子も含まれているため、絶無というわけではなかった。だから共産主義体制は倒壊したのである。最も東の果て、絶域のロシアで崩壊したものが、より文化的に西欧に近い東欧でそうならないはずはなかった。
 さて米国だが、これはいうまでもなく「個人主義の帝国」である。
 中国は、伝統中国も、また共産革命後の新中国も、一貫して「全体主義の帝国」である。ただし清朝末期の変法期にはそれまでとは違う方面へ向かおうとする萌芽が見られたと思う。辛亥革命後の中華民国期については、いまの私にはよくわからない。

2009年3月8日追記。
 上記「全体主義」を「権威主義」と言い換えたほうが専門用語としては厳密な言葉遣いになるのだろうが、個人を単位として考えず集団(階級や民族や国民)を単位として捉える社会は、私は、昔ながらに全体主義と呼びたい。

(原書房 1972年10月第1刷 1980年9月第2刷)