書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

思考の断片の断片(27)

2007年02月28日 | 思考の断片
●「asahi.com」2007年02月27日22時07分、「『中国の何番目かの省に』と中川政調会長 首相は静観」
 →http://www.asahi.com/politics/update/0227/012.html

 安倍内閣炎上を狙う釣り発言? 

●「大紀元日本」07/02/17 17:26、「台北市の資料館に“107人斬り”の日本軍刀」
 →http://jp.epochtimes.com/jp/2007/02/html/d67527.html

 国共合作。

牧原憲夫 『シリーズ日本近現代史』 ② 「民権と憲法」

2007年02月27日 | 日本史
 再読。
 森鴎外と高木兼寛の脚気論争を取り上げても板倉聖宣『模倣の時代』上下(仮説社 1988年3月)に触れず、福沢諭吉の「脱亜論」と彼のアジア観を論じながら平山洋『福沢諭吉の真実』(文藝春秋 2004年8月)を黙殺する。本文中はもとより巻末の「参考文献」においてさえ、関係分野においてそれぞれ草分けであると同時に根幹を成すといっていいこれら二つの著作の名が挙げられていない(注)。「参考文献」の冒頭、「執筆にあたって参考にした主な文献を掲げた」だけであって「その他、ここでは紙数の関係からいちいち挙げないが、多くの文献に教えられたことを付記しておく」などという見え透いた言い訳は通らない。筆者は学界学閥におけるおのれの地位と立場の保全に汲々とするあまり、大勢への随順をひたすらこれ心掛けるのみらしい。
 
注:本ブログの関係文章。

 ★森鴎外と高木兼寛の脚気論争について。
  2005年04月19日、板倉聖宣『模倣の時代』上下
  2005年02月14日、板倉聖宣・重弘忠晴『日本の戦争の歴史 明治以降の日本と戦争』 

 ★福沢諭吉の「脱亜論」とアジア観について。
  2004年12月14日、平山洋『福沢諭吉の真実』
  2005年04月10日、柳田泉『明治初期の文学思想』上下 
  2005年05月31日、井田進也『歴史とテクスト 西鶴から諭吉まで』 
  2005年06月24日、桑原三郎 『福沢諭吉の教育観』 

(岩波書店 2006年12月)

思考の断片の断片(26)

2007年02月27日 | 思考の断片
●「BBC NEWS」, Saturday, 24 February 2007, 08:44 GMT, "Japan launches new spy satellite"
 →http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6392101.stm
●「MSN毎日インタラクティブ」2007年2月24日20時20分(最終更新時間2月24日21時21分)、「情報収集衛星:打ち上げ成功…4基態勢に」
 →http://www.mainichi-msn.co.jp/science/kagaku/news/20070225k0000m040059000c.html

 同じ物を指して、日本語では「情報収集衛星」と呼び、英語では“spy satellite”と呼ぶ。

大江志乃夫 『東アジア史としての日清戦争』

2007年02月26日 | 東洋史
 今月23日、黒野耐『日本を滅ぼした国防方針』の続き。

“現行の日本国憲法はその前文に実現すべき国家目標を明示しているが、明治憲法には国家目標が明示されていず、したがって明治憲法にしめされた統治機構はいかなる目標を追求するために、どのような政治的意義をもつ国家体制として創出されたかが明らかでない。明治憲法発布の「告文」は、その制定のよってきたる原由を説いているが、憲法実施をつうじて実現すべき国家目標にはまったくふれていない。「憲法発布勅語」も、憲法発布が明治一四年政変の際の詔勅の実現であるとの制定理由を明らかにしているにすぎない” (「第3章 和協体制としての帝国憲法体制」 本書160-161頁)

 先達はあらまほしきことなり。
 そして大江氏は続ける。

“しかし、明文化されなかったが、明治維新以来、政権担当者のみならず国民のかなり広範な部分にまで浸透していた、暗黙の国民的合意ともいうべき国家目標が存在した。それは当時の表現でいう「富国強兵・万邦対峙」であり、その前提としての「文明の域」への到達であった。「文明の域」とは欧米流の近代国家を意味し、それは制度的には欧米式の「立憲」国家であり、「立憲」制下で国家の経済的基盤を確立し、強大な軍事力を建設し、不平等条約を改正して欧米列強と対等の位置にたつ、という路線の実現が暗黙の国家目標とされ、明治政府はこの国家目標を国民統合の結節点にすえた” (同上 161頁)

 だが「富国強兵・万邦対峙」というのは、国家戦略レベルの話であろう。「富国強兵・万邦対峙」によって目指す、その上に立って為そうとする何かが、国是のはずである。やはり明治維新以後、第二次世界大戦敗戦までの近代日本には国是はなかったらしい。いや正確にいえば、国家と国民が達成すべき“崇高な理想と目的”(「日本国憲法」前文)がなかった、というべきか。

(立風書房 1998年5月)

今週のコメントしない本

2007年02月24日 | 
①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  なし

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  富士正晴 『高浜虚子』 (角川書店 1978年10月)

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  なし

④参考文献なのでとくに感想はない本
  王文亮 『格差で読み解く現代中国』 (ミネルヴァ書房 2006年11月)

  モーリス・フリードマン著 田村克己/瀬川昌久訳 『中国の宗族と社会』 (弘文堂 1995年3月)

  重久篤太郎 『お雇い外国人』 ⑤ 「教育・宗教」 (鹿島出版会 1979年5月第2刷)

⑤ただ楽しむために読んだ本
  開高健 『開高健全ノンフィクション』 Ⅴ 「言葉ある曠野」 (文藝春秋 1977年10月)

  アラン・シリトー著 出口保夫訳 『私はどのようにして作家となったか』 (集英社 1978年10月)

  アイザック・ディネーセン著 横山貞子訳 『アフリカの日々』 (晶文社 1986年4月16刷)

  ゲルハルト・プラウゼ著 丸山匠/加藤慶二訳 『天才の通信簿』 (講談社 1979年4月第6刷)

  萩原延寿 『遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄』 1 「旅立ち」 (朝日新聞社 1998年10月)

黒野耐 『日本を滅ぼした国防方針』

2007年02月23日 | 日本史
 大江志乃夫『日本の参謀本部』(→今年2月12日)は戦前の日本には国是(明文化された国家存立の目的)も国家戦略(大戦略・国策)も存在しなかったとした、だが黒野氏は、国家戦略はあったとしている。
 しかしそれでもなお、明治以後の日本には国是はなかったということになる。
 「大日本帝国憲法」は国是について触れるところがない。明治40(1907)年の「帝国国防方針」には、国是とは“開国進取”である旨が記されている。だがその“開国進取”の具体的な意味内容については何の説明もない。さらには大正12(1922)年および昭和11(1936)年の「帝国国防方針」では国是という言葉すら消えてしまい、その替わりに「国防の本義」という語が姿を現す。この交替の意味するところはつまり、国家存立という勝れて哲学的な問題が具体的な国家戦略のさらに一段下の概念であるところの軍事戦略の次元にまで引き下ろされてしまったということである。
 そこでは「国防の本義」は「自主独立」の謂であると説明され(例えば大正12年「帝国国防方針」)、さらにその後、対米戦争直前の昭和16(1941)年9月6日の御前会議において決定されることになる「帝国国策遂行要領」においては、「自存自衛」なりと定義されるのだが、独立国家の国是に「自主独立」もしくは「自存自衛」などと掲げても無意味ではなかろうか。結局何も言っていないに等しい。
 要するに、明治維新以後――おそらくは明治以前もだが――、とりわけ大正12年以後の日本という国は、ただ存在するから存在していたのだということになる。何のために存在するのか、指導者を含めて国民の誰にも(著者によれば石原完爾をほぼ唯一の例外として)、わからないし説明もできない国家だったらしい。驚嘆すべき消息というほかはない。

 戦後の日本国家は国是を有する。
 「日本国憲法」(1946年公布・1947年施行)の前文に、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と唱われている。
 これはどう見ても国是であろう。後に続けて、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と、書いてある以上は。

(文藝春秋 2002年5月)

思考の断片の断片(25)

2007年02月23日 | 思考の断片
●「中央日報」2007.02.21 16:28:39、「<グローバルアイ>北核と拉致問題」
  →http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84795&servcode=100§code=140

 “(先の六カ国協議で)日本はなぜこうした強硬姿勢を固守したのだろうか”

  ★「Time.com」, Wednesday, Feb. 21, 2007, "Why Japan Is Unhappy with the U.S."
   →http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1592181,00.html

  "'Japan backed the U.S. on Iraq and what does it get from the U.S. in the Six-Party talks?' says Robert Dujarric, a security expert at the National Institute for Public Policy in the U.S. 'Nothing, it seems.'"

 これが答え。Savvy?(『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(2003年)のジョニー・デップの口調で)。お分かり?


●「Economist.com」, Feb 22nd 2007, "Japan's economy: A hiker's guide to Japan"
 →http://www.economist.com/daily/news/displaystory.cfm?story_id=8731403

"But Mr Fukui’s sights are set further ahead. He makes policy according to the inflation outlook about two years down the road. Over that horizon, Japan’s recovering economy will surely begin to press against its supply-side limits, pushing up wages and prices. Mr Fuki’s forward-looking policy has something to look forward to."

 『エコノミスト』誌が誰かをここまで手放しで褒めるのは珍しいことではなかろうか。


●「ИТАР-ТАСС」, 22.02.2007, 13.16, "Сейм Латвии отклонил законопроект о предоставлении ветеранам статуса и соцгарантий"
 →http://www.itar-tass.com/level2.html?NewsID=11277000&PageNum=0

 これは遣り過ぎではないか。


●「MSN毎日インタラクティブ」2007年2月23日、「『あるある大事典』ねつ造:英科学誌『ネイチャー』が取り上げ」
  →http://www.mainichi-msn.co.jp/science/kagaku/news/20070223ddm041040135000c.html

  国辱?

加地伸行編 『易の世界』

2007年02月22日 | 東洋史
 再読。
 『易』の世界は妄想、表現を小綺麗にして“物語”である。
 ありていに言えば、風が吹けば桶屋が儲かる式の、屁理屈とも言い難いような、阿呆陀羅経でしかない。中国の伝統的思惟には因果律の観念がない。論理と修辞が同一視される。演繹と帰納が未発達である。だからだ。
 さらに言えば、倫理原則と自然法則が区別されない。主観と客観の境界が曖昧である。観察と実験的手法の必要性や意義が認識されない。そして何より真理に対する愛がない。   

  2005年07月28日、「J.K. フェアバンク著/市古宙三訳 『中国』(上)」ほかを参照されたし。

(中央公論社版 1994年4月)

J.M.ロバーツ著 月森左知/高橋宏訳 『〔図説〕世界の歴史』 5 「東アジアと中世ヨーロッパ」

2007年02月21日 | 世界史
“一五〇〇年にイギリスの農夫が耕した農地の形は、四〇〇年以上前に調査員たちがおとずれて『ドゥームズデー・ブック』に記録したころの形と変わらない場合が多かったようです。さらにいえば、一五三〇年にイギリスのある女子修道院を閉鎖するため、そこをおとずれた人びとは、修道女たちが三世紀前の貴族階級の日常語だったノルマン・フレンチ語を話していることを知って驚いたといいます” (「第六章 新たなる未来へ」 本書262頁)

 こちらも驚く。

“この時代〔引用者注・ヨーロッパ中世〕を理解するためには、それほどまでに変化にとぼしかった巨大な時の流れをよく認識しておく必要があります” (同上)

 なお、東アジアの部では、わずか40頁余で秦から清中期までの中国史を多面的に見事に描き出していて、ほとんど神技である。

(創元社 2003年5月)

思考の断片の断片(24)

2007年02月20日 | 思考の断片
●「BBC NEWS」Monday, 19 February 2007, 11:27 GMT, "Japan anger at US sex slave bill"
 →http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6374961.stm

"Japan acknowledged in 1993 that the imperial army set up and ran brothels for its troops during the war."

 結局、問題はすべて、ここ(「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」、1993年8月4日)に帰着する。
 Was it indeed based on facts? If so, was it carefully worded enough not to allow of different interpretations?

 ★「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」
  →http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html