出版社による紹介。
古代ギリシャにおいて、主張にはかならずそれを裏付ける証拠、また議論(および他者の説得と第三者による判定)においては客観的証明という過程が必要であることが明確な概念として認識されたのは紀元前 5-4世紀の由。それ以前の古代エジプトやバビロニアのたとえば数学においても証拠の提示や証明は見られるが、それはいまだ十分に意識的に行われていたとはいいがたいという。この点に関して、アリストテレスは発明者ではなく、それまでの無自覚あるいは半自覚的な習慣を自覚的に概念化して人間の知性活動のなかに位置付けた存在であって、いわば祖述者と見るのが正しいらしい。('3. The conception and practice of proof', pp. 73-97)
(UK: Cambridge University Press, 1990)
古代ギリシャにおいて、主張にはかならずそれを裏付ける証拠、また議論(および他者の説得と第三者による判定)においては客観的証明という過程が必要であることが明確な概念として認識されたのは紀元前 5-4世紀の由。それ以前の古代エジプトやバビロニアのたとえば数学においても証拠の提示や証明は見られるが、それはいまだ十分に意識的に行われていたとはいいがたいという。この点に関して、アリストテレスは発明者ではなく、それまでの無自覚あるいは半自覚的な習慣を自覚的に概念化して人間の知性活動のなかに位置付けた存在であって、いわば祖述者と見るのが正しいらしい。('3. The conception and practice of proof', pp. 73-97)
(UK: Cambridge University Press, 1990)