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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

伴蒿蹊著 森銑三校注 『近世畸人伝』

2011年12月31日 | 伝記
 期せずして、あるいは感覚的には自覚して、世の常識や慣習の埒内に止まらない言動・生活・生涯を示した人(いわゆる風狂人)は多いが、確固たる信念を持っての非凡人というのはいないような。

(岩波書店 1940年1月第1刷 1993年2月第15刷)

島田虔次 『隠者の尊重 中国の歴史哲学』

2011年12月30日 | 東洋史
 従来、日本思想史、中国思想史を論ずる学者がつねに問題としたのは、自然と作為の区別であり、朱子学(あるいは儒教一般)論にあっては、自然法則と人間法則とが分離しているか、いまだ未分離であるか、という点を、その思想の近代思想であるかの否かの証拠とした。わたくしの見るところでは、この点はわが国の思想史家において、ほとんどひとつの公理と化し、もっとも有効なリトマス試験紙と見なされてきたといってよい。しかしながら、それは果してそれほど普遍的に妥当すべき公理でありうるであろうか。それは要するに、キリスト教的ヨーロッパの思想史においてそのような経過が見られた、というだけのことにすぎないのではなかろうか。 (「堯舜民主政?」本書76頁)

私の意見。

 普遍的に妥当すべき公理であるかどうかは知らない。思想・哲学においてはそもそも「普遍」も「近代」も尺度としてそれほど重要度をもたないであろう。それは著者もよくおわかりのことだと思う。「キリスト教ヨーロッパの思想史においてそのような経過が見られた、というだけにすぎないのではなかろうか」という指摘も、あるいはそうかもしれぬ。ただ問題は、近代社会および国家というものがその「キリスト教ヨーロッパの思想史においてそのような経過が見られた、というだけにすぎない」かもしれぬ「公理」、すなわち自然法則と人間法則とを分離して考えること、に基づいて成り立っていることであり、それを否認・否定することは、いわゆる「近代化」に背を向けて「前近代」の裡に跼蹐する途を選ぶということに他ならぬということなのである。

(筑摩書房 1997年10月)

王力雄著 馬場裕之訳 『私の西域、君の東トルキスタン』

2011年12月30日 | 地域研究
 2011年12月12日「なぜ湖南省の常徳市桃源県地域は『ウイグル族第二の故郷』と呼ばれるのか」より続き。
 ツイッターのほうで、湖南省のウイグル族のことについて、この書に言及があると教示いただいたので、確かめる。
 監修者の劉燕子氏が「解説」を書いていて、たしかにその中にあった(劉氏は湖南省の出身である)。翦伯賛のことも出てくる(456頁)。
 ただ首をかしげるのは、湖南のウイグル人は高昌ウイグル国の末裔である(=遊牧ウイグル)と書いておきながら、現代のウイグル人と無条件に同一視しているところである。少しでも歴史を知っていたらありえない話である。もっとわからないのは、おなじ湖南人でありながら、翦伯賛に“ジェンポツァン”と北京語(普通話・標準語)の発音でルビをふっていることだ。その無神経さにおどろく。これは湖南方言(湘語)でふるべきところだろう。さらにいえば普通話に濁音はない(ピンインの“j”は“ジ”ではなく息の出ない“チ”音というだけの意味)こと、百もご存じの筈である。耳の悪い素人の日本人がふったようなルビだと言われてもしかたがない。中国研究の専門家、さらには中国語のネイティブとは思えないほどの粗末さである。いったい何を考えておられたのか。
 
(集広舍 2011年1月)

「このロボットはガス漏出を探知できますが、そのガスを爆発させる恐れがあります」

2011年12月30日 | 
▲「シンシアリーのブログ」2011-12-30 08:08:20。
 〈http://ameblo.jp/sincerelee/entry-11120973279.html

 ビルの階段が上れない消火ロボット、ガスによる(もしくはその危険性のある)火災現場でさらなるガス爆発を誘発しかねない偵察機。想定外の壁が近すぎる。というより、何も想定せずに作りたいものを作っただけではないのかと疑う。観察せず、検証せず。観察に基づかない仮説は妄想でしかなく、検証されない妄想は脳内に何時までも残留する。笑いごとではないよ、これ。

「2011年7月23日温州市鉄道衝突脱線事故調査報告」を読む

2011年12月29日 | 現代史
▲「中華人民共和国中央人民政府門戸網站」2011年12月29日 11时10分,来源:安全监管总局网站「“7·23”甬温线特别重大铁路交通事故调查报告」「四、事故原因和性质(一)事故原因」
 〈http://www.gov.cn/gzdt/2011-12/29/content_2032986_4.htm

 「十分に職責を果たさなかった」「対処が不十分だった」「設計に重大な欠陥があった」は、真の原因とはいえない。まだ「なぜ」が付けられるからだ。真の原因を極めずして、規律強化を唱えても効果は余り見込めない。なおこちらも参考のこと。

「China police kill seven hostage-takers in Xinjiang」 から

2011年12月29日 | 地域研究
▲「Uyghur American Association」2011-12-28,Article Link. 〈部分)
http://www.uyghuramerican.org/articles/6672/1/China-police-kill-seven-hostage-takers-in-Xinjiang/index.html

  Dilxat Raxit, spokesman for the World Uighur Congress, an exile group, described the incident as a confrontation between Uighurs and local police prompted by mounting discontent over what he said was government repression.

 とにかく何か言わないといけないから言いましたという印象。「テロリスト」がウイグル人かどうかもわからないのにどうしてこんなことが言えるのか。

  "It was a form of protest, because they have no other way to express their unhappiness," he told AFP.

 ここまで来ると、言い出しっぺの勝ち、声のでかい方が勝ちという横着さが見えてきて、あまり好きではない。中国側は、はっきりいえば愚かだから根拠もなしにすぐ決めつけるのだが、ウイグル側は、小ずるいからとにかく断定してみせるという感じを拭いきれない。もしそうでなくても、外部からは、目くそ鼻くそを笑うの図に見える。これはすくなくともウイグル側にとって不利ではないか?

馬鹿と話すのは一瞬なりとも時間の無駄である

2011年12月28日 | 思考の断片
 だから私は、本当は携帯電話も、PCも、インターネットも、嫌いだって言っているだろうが。これらを使える、あるいは持っていることで人間の価値が決まるとでも思ってるのか。本当にそう思っているのなら、ちゃんと理由を私に説明してみろ。「みんな持ってるから」などと言ったら張り倒すぞ。私は、お前等みたいな阿呆がいるから、仕方なしに付き合っているだけだ。悔しかったら反論してみろ。いくらツールをそろえても肝心の脳味噌が悪ければどうにもならんこともわからんのだから阿呆だというのである。
 ただ、インターネットは、使いようによっては役に立つのは認める。電子辞書もそうだが、おかげで要らんことを覚えていなくても済む。また大部な辞典類をひっくり返すより遙かに時間の節約にもなる。そして嬉しくもある。知識はあっても何も考えない馬鹿な奴と顔つきあわせなくても、仕事で必要な情報は得られる。Le misanthrope の私にこんな嬉しいことはない。

「【中国ブログ】日本人は『中国の歴史の長さ』を羨んでいる」

2011年12月27日 | 
▲「サーチナ」2011/12/27(火) 18:15、編集担当:西谷格。
 〈http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=1227&f=national_1227_204.shtml

 それは言っている当の本人のことだろう。「中国6000年の歴史」はどうなったのか。
 「メソポタミアやエジプトの歴史に比べれば中国の歴史は大したものではないので、中国人は内心強い劣等感を抱いている。より長い歴史を根拠とすることで、中国人は独立心と穏やかな心を保てるのだ」と返されたらどうするのか。「自分がそう(とくに卑しい方面について)だから相手もそう思う、するに違いない」と考える典型的なバカ中国人の一例。こんな記事にも値しない屑豆知識をアップした編集者もどうかしている。これで日本人が「やはり中国人はすごい」と敬服して両国友好に役立つとでも思っているのか?ますます中国への目が冷えるだけだぞ。こっちもバカか?