書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「UN body criticises Russia abuses」 から

2009年10月31日 | 抜き書き
▲「Al Jazeera English」 Friday, October 30, 2009 19:00 Mecca time, 16:00 GMT, Agencies.  (部分)
 〈http://english.aljazeera.net/news/europe/2009/10/2009103014503523768.html

  The committee said it was concerned at "the alarming incidence of threats, violent assaults and murders of journalists and human rights defenders in the state party, which has created a climate of fear and a chilling effect on the media".
  The killings have made many of those working to halt alleged abuses by the authorities - including kidnappings, torture and extrajudicial killings - extremely cautious, with some avoiding media exposure.

 ふたつのユーラシア国家、ロシアと中国。どちらもそれゆえの共通の問題として、「民族」と「人権」とを問題として抱えている。だが国家を揺るがすまでの深刻さの比重は、ロシアでは「人権」、中国では「民族」に傾くようだ。ロシアの官憲はお上に楯突く国民の人権を侵害するにおいてその民族的出自をあまり顧慮しないらしいから。
 
 参考:「The New York Times」October 30, 2009、「China Is Trying a Tibetan Filmmaker for Subversion

内藤湖南 『支那論』

2009年10月30日 | 東洋史
 天子が何処までも独裁権を握つて、官吏といふものが一つも独立した権力を有さないのであるから、其の官吏の職務といふものは皆無責任になつて来るといふ傾きがある。/それで清朝の政治などは〔中略〕、独裁政治としては理想的であるが、其の臣僚といふものには何人も完全な権力が無い代りに、完全な責任も無いのである。〔中略〕其の後清朝の晩年には、外国の関係が滋してきた。外国との関係が出来るといふと、十分に責任の無い地方官が外国人を相手にして、成るべく自己一身に越度のないやうにばかり計らつて居つて、国の為に自分の地位を犠牲にして、其の発生したる事件を処理するといふ考へがない。日本人ななどは支那人の此の無責任の態度を老巧とか何とか感心したりするけれども、其の実結果は皆屈辱を来すに過ぎない。〔中略〕阿片戦争とか、英仏同盟軍の北清侵入とか、其の他近年に及んでも続々起つた所の外国交渉の難件は、皆当局大官が責任を完全に負はずして、さうして一時遁れをする為に、其の事件が大きくなつて、到頭其の為に国力が弱つて、清朝が滅亡するやうになつてきたのである。 (「君主制か共和制か」 本書38, 40-41頁。原文旧漢字、太字は引用者)

 内藤湖南(1866-1934)の中国時事論が今だに通用するのは、湖南の卓見というよりは、中国の政治体制が湖南の時代(清末から民国初年)から今日まで基本的にはほとんど変化していないという要因のほうが、理由としては大きいのではないか。
 なお内藤湖南は、李鴻章についてはこれは例外だとして、「不名誉を一身に引受けても、早く結末をつけることを好んだ」(40頁)と、高く評価している。

(創元社 1938年5月、1938年9月16刷)

直視と避諱と

2009年10月30日 | 思考の断片
▲「Видеоблог Дмитрия Медведева」30 октября 2009、「Память о национальных трагедиях так же священна, как память о победах」 (部分)
 〈http://blog.kremlin.ru/post/35/transcript

 スターリン時代について、あるままにあったことを見ることができることがこんにちのロシアにおける市民意識の成熟のしるしになると、メドヴェージェフ大統領は言う。そして、こうも言う。

  Правда и то, что преступления Сталина не могут умалить подвиги народа, который одержал победу в Великой Отечественной войне. Сделал нашу страну могучей индустриальной державой. Поднял на мировой уровень нашу промышленность, науку, культуру. (...) Не менее важно изучать прошлое, преодолевать равнодушие и стремление забыть его трагические стороны. И никто, кроме нас самих, этого не сделает.

 中国の国家元首が毛沢東と文化大革命について、これと同じくらい冷静で平衡のとれた、そして情理兼ね備わった声明を発表することは、私にはとうてい想像できない。

 *2009年10月31日追記。
 →「BBC NEWS」14:47 GMT, Friday, 30 October 2009、「Medvedev blasts Stalin defenders」 

「【幕末から学ぶ現在(いま)】(34)東大教授・山内昌之 大久保利通」 

2009年10月29日 | 思考の断片
▲「msn 産経ニュース」2009.10.29 08:03。 (部分)
 〈http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091029/acd0910290807001-n1.htm

 民主党閣僚のなかで一味変わっているのは、前原誠司国土交通大臣である。八ツ場(やんば)ダム計画の見直しや羽田空港のハブ国際空港化の提唱に見られる思い切った政治信念の披瀝(ひれき)は、与党に転じると、概算要求で官僚の言いなりになる大臣も多い中で異彩を放っている。何よりも、関係者に対する態度は丁重を極めながら、政策の主張ではぶれないのに好感をもつ人も多い。目標を定めて政治信念を実現するには、周到な準備もさることながら、周囲の圧力や雑音にめげずに毅然(きぜん)として意志を通す一貫性が必要なのだ。

 そういえば、前原氏は大久保利通に似ている。NHK大河ドラマの『花神』(1977年)で一蔵時代の大久保を演じた高橋長英氏がこれまで見たなかでは一番似ていると思っていたが、もしかしたらそれ以上かもしれない。残されている写真と比べて、とくに目元が似ているように思えるし、松原致遠が大久保の周囲の人びとを訪ねてしるした大久保についての聞き書きを読んでいる目には、実際の挙措・雰囲気もあんなふうだったのではないかと思える。自己抑制と気品。西郷は知らないが、当時の薩摩人にはこの二つはしばしば欠けていたようであり、それゆえに大久保が煙たがられた面もあったのではないか。

藤井哲博 『咸臨丸航海長小野友五郎の生涯 幕末明治のテクノラート』

2009年10月28日 | 日本史
 当時、同僚の誼みをもって事件の解決に奔走した福地源一郎(外国奉行支配調役並格・通弁御用頭取助)が、明治になって証言したところによると、福沢自身が、福地の問いに答えて、幕府の買上げ品の手形払いのなかに個人の買い物代一万三千ドルをもぐりこませ、それに私物運賃を公金払いとした分、両替の際、為替差金を私した分、および物品買上げの際、商人からとったコミッションを加えると、合計約一万五千ドルを利得したと正直に告白していたという(『福沢諭吉公金使込に関する件』)。一万五千ドルといえば、ダールグレン砲二台分の金額である。決して小さな金額ではない。 (「Ⅵ 米国再航―既製軍艦の買付け」 本書121頁。太字は引用者)

 太字の部分に関する福澤の行動の真実が、福澤という人間を評価する上での決定的な鍵になると前から思っていた。それには『福沢諭吉公金使込に関する件』に当たることがまず第一である。ここ数年、他の仕事に紛れて放置していたが、ふと思い立ってネットで検索してみると、『福沢諭吉公金使込に関する件』なる文書は存在せず、内容的にほぼ同一のものとして「福沢諭吉の幕府公金流用との噂についての覚書」が福沢研究センター編『マイクロフィルム版福沢関係文書-福沢諭吉と慶應義塾』(平成7・1995年3月刊)に収録されていること、そしてこれが生田目経徳という怪人物による偽作文書であるらしいことが、「福沢諭吉は公金一万五千ドルを横領したか?」によって明らかにされていた。
 やはり福澤は立派な人だった。円満な性格ではなかったかもしれないが。

(中央公論社 1985年10月)

佐伯和彦 『ネパール全史』

2009年10月28日 | 東洋史
 チベットのソンツェン・ガンポ王にネパールから嫁いだとされるブリクティー王女(赤尊公主)について、信頼できるネパール側史料にはまったく記録がないそうだ(本書104-106頁)。記載があるのはチベット側史料の『ブトン仏教史』『王統鏡』『ラダク王統記』であるが、しかもこれらはすべて14世紀以降の成立にかかるものである由。史料としての価値は当然ながら低い。
 また、同時代的史料であるところの敦煌出土のチベット語年代記や中国側の正史である『旧唐書』『新唐書』には彼女の入嫁について記載がなく、さらには前述の三史料においても、父親として見えるネパール王の名が各々違ううえに、王女自身の名前についても、前二者では「チツン」(中国側の「赤尊公主」のもととなった)、最後の『ラダク王統記』では「ブリクティー」と、異なって書かれているという。
 調べてみると、「チツン」とはチベット語で「王家の貴婦人」というほどの意味らしい。彼女が実在したとして、チベットに嫁して来てからの名なのだろう。佐伯氏がこれはサンスクリット語であると注記する、「ブリクティー」が本名ということであろうか。

(明石書店 2003年9月) 

「S Korea clone scientist convicted」 から

2009年10月27日 | 抜き書き
▲「BBC NEWS」14:42 GMT, Monday, 26 October 2009。 (部分)
 〈http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8325377.stm

  Hwang was hailed as a national hero in South Korea. He was awarded the title "supreme scientist" and heralded as a harbinger of a hi-tech, bio-tech future.
  The real concern here is that there is damage to South Korea's international scientific reputation as a result of all this.
  The claims he made back then held out real hope for sufferers of diseases like Parkinson's and cancer that these stem cell breakthroughs really would lead to improvements in medical care. (John Sudworth, BBC News, Seoul 太字は引用者)

 こちらのほうがよほど国威を墜としたと思うがね。少々のことをしても、頬かむりしても、到底おっつかないくらいに。なにより、国民の福利を第一に心配しろ、国賊ども。

「安重根義士死去100年、韓国とハルビンで記念式典」 から

2009年10月27日 | 抜き書き
▲「東亜日報」OCTOBER 27, 2009 08:27。 (部分)
 〈http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2009102700678

 ソウル南山(ナムサン)の安重根義士記念館前広場では、鄭雲燦(チョン・ウンチャン)首相など政府要人や独立会の会員、安義士の孫娘ヨンホさん(72)ら遺族10人あまりと市民など計1200人あまりが参加し、「安重根義士崇慕会」主催の記念式典が行われた。/行事は、「百年の愛国、千年の繁栄」というテーマの記念公演や記念挨拶、独立軍歌の提唱、万歳三唱などの順で進められた。鄭首相は挨拶の中で、「安義士は、我々の誇らしい民族魂の表象であり、世界平和を悟らせる灯火となっている」とし、「(安義士の)東洋平和や人類共栄の精神は、今も世界の人々にすばらしい手本となっている」と語った。

 つまり韓国という国は、テロリズムを国家の基本理念とし、殺人者を望ましい国民像としているということだろう。私は、赤穂四十七士を「義士」とよぶのにやぶさかではないが、一人の老人を寄ってたかってなぶり殺しにしたに等しい行為は誉められない。井伊直弼を討った水戸藩ほかのさむらいたちを維新回天に貢献した人びととして偉いとは思うが、それでもテロという手段を取った一点は首肯できない。だが韓国は、違うらしい。すくなくともその為政者は、正義のために人の命を奪うのは良いことだ、素晴らしいことだと、みな見習えと、国家の名において臆することなく内外に宣言しているわけだ。韓国という国は、立国の精神が根本において歪んでいるのではないか。安重根の行為は、北朝鮮でさえテロリズムだと認めているというのに。

「米国の怒りに右往左往する日本外交」 から

2009年10月27日 | 抜き書き
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2009/10/26 11:00:42、東京=鮮干鉦(ソンウ・ジョン)特派員。 (部分)
 〈http://www.chosunonline.com/news/20091026000031

 副題「米軍基地移転問題でもあたふた」。

 「怒れる」米国の前に日本が揺れている。岡田克也外相は23日、両国の争点の中核である在沖縄米海兵隊基地の移転について、「(沖縄県外に移転するのは)考えられない状況」と述べた。米国と自民党政権が既に合意した「沖縄県内移転」の約束を履行するという意味だ。「沖縄県外移転」を明示した選挙公約を破る、ということになる。

 鳩山首相は政権発足初期に、「米国のない共同体は考えられない」との意向を何度か表明している。野党時代に行った米国中心の経済秩序に対する容赦ない批判が日米関係に影を落とすのを意識した発言だった。しかし、岡田外相は今月7日、外国特派員協会での講演で、東アジア共同体の対象国家に言及した際、米国を除外した。すると、鳩山首相は24日、米国を排除する意思はない、と再度方向修正するに至った。

 これでは、本題も副題も、そう言われても仕方がない。
 こと日本報道に関する限り、「中央日報」に人はいないが、「朝鮮日報」には鮮干鉦氏がいる。

三島由紀夫/川端康成/石川淳/安部公房 「文化大革命に関する声明」 から 

2009年10月26日 | 抜き書き
 「東京新聞」1967(昭和42)年3月1日掲載。

 われわれは、学問芸術の原理を、いかなる形態、いかなる種類の政治権力とも異範疇のものとみなすことを、ここに改めて確認し、あらゆる「文学報国」的思想、またはこれと異形同質なるいはゆる「政治と文学」理論、すなはち、学問芸術を終局的には政治権力の具とするが如き思考方法に一致して反対する。 (テキストは『決定版 三島由紀夫全集』第36巻、新潮社、2003年11月所収による。同書505頁)

 声明文だし、しかも共同執筆だからしかたがないが、前出福田恒存氏による同様の文章と比べて、いかにも大味。そもそも「われわれ」という主語が、すでに「文学」的ではない。