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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

陳培豊 『日本統治と植民地漢文 台湾における漢文の境界と想像』

2012年10月30日 | 地域研究
 著者の見地と定義によれば、「漢文」とは「伝統的な中国の古文語の文法に従って、作成された文章だけを指」すのであり、「同じ漢字を並べていても文法の異なるもの、例えば、万葉仮名を含んだ漢文及び漢字のみの和式漢文、また日本統治下の」「漢文」などは、「漢文と自民族語が混淆した」「変体漢文」である(「序章 『クレオール化』した漢文への想像と境界」本書27頁)。
 
 従って、本書に現れる「和式漢文」、「中国白話文」、「帝国漢文」、「漢文訓読体」、「植民地漢文」、「台湾話文」、「混成漢文」はすべて「変体漢文」に属する〔略〕。 (同上)

 それぞれが何かを詳しく知りたい向きは、本書を直接に閲せられよ。その手間と時間に見合う価値は十二分にある。
 それにしても、シュメール時代の楔形文字と、それ以降のアッカド語、ヒッタイト語楔形文字との関係を思い起こさせることよ。

(三元社 2012年8月)

平山洋 『アジア独立論者 福沢諭吉 脱亜論・朝鮮滅亡論・尊王論をめぐって』

2012年10月29日 | 日本史
 私に言わせれば、馬には乗ってみよ人には添うてみよ福澤は読んでみよということに尽きる。この研究書はそのあとで自分が疑問に思ったことを確かめたり(必ずしも著者の意見に賛成する必要はない)、あるいはいまの全集では覆い切れていない福澤諭吉の真実を知るのによい。

(ミネルヴァ書房 2012年7月)

朱葵菊 『中国思想通史 清代巻』

2012年10月25日 | 東洋史
 2012年10月05日「李沢厚『中国近代思想史論』」より続き。
 これは明末清初から1940年代のウェスタン・インパクト時期はもちろん、清末の厳復・康有為・梁啓超までを取り扱っている。しかし明中期から清朝初期までの第一次ウェスタン・インパクトともいうべき当時の西洋の科学・技術の影響を幅広く認めながら(論拠は挙げないものの『徐霞客遊記』までその一つとして数えるのには驚いた。「第一章 清代的社会背景和思想概況」本書5頁)、乾隆時代以後、次第にその影響が薄まり保守化が進んだ学術・思想状況にまったく触れることなしに、1840年代以降の19世紀西洋科学・学問の影響を取り込んだ結果としての厳復とその思想と作品にいきなり繋げてある。それを受け入れる下地としての清の科学・学問・思想情況についての説明分析がまったくない。これではやはり戴震ほかの啓蒙思想の設定が浮いてしまう。それともやはり中国独自の発展だという見地だからだろうか。実際、総論というべき「第一章 清代的社会背景和思想概況」では、そうなっている。「商品経済の発展と資本主義の萌芽によって、士民意識が覚醒し、思想文化の領域において、市民階層の利益と願望を反映した啓蒙意識が出現した」(同、5-6頁)。科学的知識や思惟が明中期以前に退化した一方で歴史的に進歩した啓蒙思想が興起するというのはどういうことなのか。理解できない。

(武漢大学出版社 2011年7月)

三浦國雄 『風水・暦・陰陽師 中国文化の辺縁としての沖縄』

2012年10月25日 | 地域研究
 蔡温の文章・政策に見える風水思想に基づく表現や論理が果たして本心からの信仰によるのか(風水は疑似科学というか宗教にだから信仰と謂って差し支えあるまい)、それとも中国留学生・通訳あがりで自身も中国系である(唐栄出身)以上、レトリック、文飾として用いただけであるのか。この問題はむずかしい。過去に読んだ研究書では、真栄田義見氏は文飾とみなし、佐久間正氏は本心からの信仰によるものとしている。この書もまたどちらかといえばその見方に与する。前二者の見解の相違に判断がつきかねて、なにかヒントはないかと思い沖縄全体の風水ほかの歴史的情況を知ろうと繙いてみた本書だが、日本“本土”よりも風水が広く深く根を張っていることはわかった。
 
(榕樹書林 2005年3月)

森部豊/石見清裕 「唐末沙陀『李克用墓誌』訳注・考察」

2012年10月22日 | 東洋史
 墓誌は李克用・その子李存勗の後唐君主二代に仕えた盧汝弼の手になるもの。李克用の字が翼聖であることを知る。いったいに中国の周辺民族が漢字や漢文化にある程度泥むと、わりあい簡単に“聖”の字を使う印象がある。遼の聖宗しかり、ベトナムの諸々の聖宗しかり。李克用の翼聖(聖人を翼(たす)ける)は、まだ自らを聖人になぞらえてはいないが、「聖宗」が廟号(つまり死後の追贈=他称)であるのに比べて自称である点、かえって凄い。
 なお沙陀族はもと沙陀部・朱邪部の連合体で、最初は沙陀部から首領を輩出していたが、ある時期、李克用の祖父の執儀(執宜)の代から朱邪部から出るようになったらしいという。墓誌における克用に至るまでの系譜上の人名がそれまで沙陀姓だったのが執儀から朱邪姓に変わることがその根拠になっている。

(『内陸アジア言語の研究』18, 2003.08, pp. 17-52)

エリノア・ラティモア/オーエン・ラティモア著 小川修訳 『中国 民族と土地と歴史』

2012年10月17日 | 地域研究
 原書 China: a short history. New York: W. W. Norton, New and rev., 1947.

 兄妹の共著。分業ははっきりしないが、全体の骨格と大体の論旨は兄の手になるものであろう。訳者や監修者で序文を寄せる平野義太郎も、基本的にオーエン・ラティモアの著と見なしている。いずれにせよ、中国育ちで途中一旦離れるものの居住歴も長いラティモアが、中国には好意的――もしくは平静な――見方を堅持するのに対して、日本と日本人には露骨に感情的であることを再確認した。興味深いことである。双方に中立もしくは好意的というのは難しいのであろうか。

(岩波書店 1950年9月第1刷 1965年10月第25刷改版 1986年9月第50刷)