副題「資料集‐済州島四・三事件60年を越えて」。
「済州島四・三事件とは1948年4月3日に済州島で起こった民衆の抗争事件です。事件による犠牲者数は、公式には最大で約3万人とされています。当時の島の人口は約30万人でしたから、その10人に1人が死亡したことになります。そのうち政府軍に殺害された一般人の割合は86パーセント、ゲリラ側による被害者の割合は14パーセントとされています。大部分が男性です。その後済州島では女性の人口が男性のそれを大幅に上回ることになりました。実際にはこれ以上の数の男性が死んでいるからです。いまでも高齢者にとっては、この事件は忘れることのできない記憶となっています。」
この10月に済州島を訪れた際にガイドさんから聞いた説明である。
この書は、事件当事者のオーラルヒストリーではなくて、「済州島四・三事件を考える会」に関与する研究者・作家および活動家による講演および文章と
済州四・三事件真相糾明及び犠牲者名誉回復委員会による『済州島四・三事件真相調査報告書』の抜粋・翻訳から成る。後者の『済州島四・三事件真相調査報告書』においては、事件の勃発と鎮圧過程における米軍政と駐韓米軍事顧問団の関与と責任が明らかになったと結論づけられている(「資料③ 真相調査報告書『結論』」本書85頁)。
前者においては、済州島事件の責任はまず第一に戦前の日本軍国主義および植民地支配にあり、ついで戦後は反共の砦としてその日本の軍国主義ファシズムと韓国におけるその追従者を復活させた米国だと主張されている(徐仲錫・韓国成均館大学史学科教授「『済州島四・三』の歴史的意義と今日的意味」村上尚子訳)。徐仲錫(ソジュンソク)氏は、済州島四・三事件真相糾明及び犠牲者名誉回復委員会委員である。済州島四・三事件の糾明は、日本の韓国に対する謝罪と賠償を含む過去の清算と連動して行われるべきであると同時に、北朝鮮に対する、拉致問題をはじめとする日本の敵対的態度を改めさせ、朝日関係正常化を実現した暁に訪れるであろう「東アジアの平和」の実現を最終目標としなければならない由。
前項でも言ったが、こんな口の臭い輩が中に入るとうようよいるから、普通の人間は“運動”に関わりたくなくなるのだ。早い話が、ゲリラ側が軍隊・警察・右翼暴徒、そして一般住民(=犠牲者数の14パーセント)を殺した事実には全然触れない。自分に都合の悪い事実は隠して都合のいい事実だけを吹聴する。そんな人間のいうことなどと、都合のいい事実でさえ怪しくなってくる。犠牲者を名誉回復するどころか冒涜しているとしか思えぬ。故に彼は信用されず、運動は社会に広がることはない。かくして自分で自分の首を絞めることになる。
(新幹社 2010年4月)