書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ドローン教授

2009年07月31日 | 抜き書き
▲「Searchina 中国情報局」2009/07/31(金) 11:24、「『中国人は傷ついた』日本のラビア議長の受け入れ」 (部分)
 〈http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0731&f=politics_0731_002.shtml

 「世界ウイグル会議」のラビア・カーディル議長の訪日について、中国の日本問題専門家、清華大学の劉江永教授は、「日本がラビア議長を受け入れ、中国人は傷ついた」と述べた

 勝手に集団を代表するな。自分が代表できるのは自分だけだ。それとも中国人はボーグの類か。

「中産階級の台頭が『中国らしさ』変える、公平で安定した社会に―中国紙」 から

2009年07月31日 | 思考の断片
▲「レコードチャイナ」2009-07-31 09:36:05、翻訳・編集/NN。 (部分)
 〈http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=33915

 「中国新聞社」、2009年7月28日の報道から。

 陳〔学芸・中国社会学研究会〕会長によれば、生活を楽しむ余裕のある中産階級は公平で安定した社会を求めるようになっている。彼らの理想は自分だけでなく社会全体が平和で幸せに暮らせること。同会長はこうした考え方を持つ中産階級が中国社会の「安定剤」となり、新たな「中国らしさ」を実現させる原動力になっていくと強調した。

 公平であれば公正ではなくてもいいらしい、やはり。

森久男 『日本陸軍と内蒙工作 関東軍はなぜ独走したか』から ②

2009年07月30日 | 抜き書き
 外蒙古・ソ連からの赤化防止を名目として、中央アジアに防共回廊を建設し、日本・満州国とドイツを航空連絡する関東軍の欧亜連絡航空路の建設構想は、アラシャン・オジナに特務機関を進出させて、ゴビ砂漠地帯に航空補給基地を設営する一方、甘粛・青海の回教軍閥を懐柔して、甘粛省安西に中継飛行場を確保し、さらに新疆地方への勢力拡張をはかる企図が盛りこまれており、綏遠事件を誘発する大きな要因となっている。これが、関東軍の中国一撃論の最終的な到達点でもあった。 (「第一章 日本陸軍の革新運動と対中国政策」 本書60頁)

(講談社 2009年6月)

森久男 『日本陸軍と内蒙工作 関東軍はなぜ独走したか』 から

2009年07月30日 | 抜き書き
 2009年07月09日「護雅夫/神田信夫編 『北アジア史(新版)』 から」より続き。

 〔内モンゴルの〕盟旗王公には三年に一回、定期的に北京に居住する義務があった。王公は北京で固定式住居・中華料理等の漢族の風俗・習慣になじんで、草原に戻っても、北京での華美な生活をもちこんだ。増加する支出を賄うため、王公は旗の所有地を漢族に委ねて現金収入を得た。 (「第二章 内蒙高度自治運動」 本書62-63頁)

 まるで参勤交代のようで、これぞまさに封建制といいたいところだが、その目的は何だったのだろう。日本の場合、平時における臣下の主君に対する軍役の一種だったが、中国のこの場合も果たして同じか。

(講談社 2009年6月)

森久男 『日本陸軍と内蒙工作 関東軍はなぜ独走したか』

2009年07月30日 | 日本史
 十五年戦争の立場にたつ進歩的歴史学者は、満州事変から盧溝橋事件にいたる日中関係史を研究する際、中国侵略の野望をもつ日本陸軍による領土拡張の自己展開過程として叙述する傾向が強い。たしかに、種々の歴史的事実を表面的に観察すれば、日本陸軍による中国侵略の証拠は枚挙に暇がない。しかし、陸大出身のエリート軍人の内面に沿ってその軍事思想を検証すれば、彼らはつねに帝国国防方針を基礎とした対ソ軍事戦略の一環として、対中国政策を位置づけていたことがわかる。中国に対する最強硬派である関東軍の支那通幕僚が起案した各種文書の論理構造を分析すれば、中国侵略計画のように見える種々の施策は、いずれも対ソ防衛体制を構築するための手段として位置づけられている。 (「終章 辺境が照射する日本陸軍の対中国政策の特質」 本書272-273頁)

 東京裁判の判決――というより論告とそこでなされたあらゆる日本にとり不利な証言――を経典にして絶対の真理とする(そしてそれ以上考えない)、こんにちの中国人には、絶対に理解できないし、受け入れることなど勿論出来ない議論だろう。

 対ソ防衛体制の構築を主要な任務とする関東軍は、なぜ任務外である華北分離工作に熱中したのだろうか。〔略〕関東軍の支那通幕僚にとっては、将来の対ソ戦の勃発を予想して、中国に対して事前に有利な地歩を確保しようとしていたにすぎなかった。 (「終章 辺境が照射する日本陸軍の対中国政策の特質」 本書273頁)

 問題は、「どこまでやれば十分」という限度が設定もしくは予想されていなかったことだろう。その結果、事態は果てしない中国の“侵略”、もしくは“征服”運動と同じ様相を呈することになってしまった。筆者によれば、「中国一撃論」それ自体には一応の具体的な最終目標が設定されていたというのだが・・・・・・。

(講談社 2009年6月)

「Uighur Leader Raises New Accusations」 から

2009年07月30日 | 抜き書き
▲「The New York Times」July 29, 2009, By ANDREW JACOBS and MARTIN FACKLER. (部分)
 〈http://www.nytimes.com/2009/07/30/world/asia/30uighur.html?_r=1&ref=world

 In recent weeks Ms. Kadeer has provided a very different narrative. She says that most of the dead were Uighur, not Han, and that as many as 1,000 people were killed, many of them peaceful demonstrators shot dead by security officials who chased them down dead-end streets and opened fire after turning off street lamps.
 She has not provided evidence to back up such claims, saying to reveal her sources would put them in peril. Interviews with both Han and Uighur residents in Urumqi, however, have not yielded any witnesses who can corroborate such accounts.

 Such assertions, however, are difficult to verify, and the government has yet to provide proof showing that Ms. Kadeer or her organization had a hand in planning the chaos.  (太字は引用者)

「【Twitterで実況中継 終了!】世界ウイグル会議のラビア・カーディル議長の記者会見」 から

2009年07月30日 | 思考の断片
▲「佐々木正明さんのページ」2009/07/29 18:00。 (部分)
 〈http://sasakima.iza.ne.jp/blog/entry/1152384/

 ラビア:わたしはあの事件に関与していません。私がやったというなら、証拠をもってきてほしい。中国側は事件の前日に、ウルムチにいる弟にいれたメールを暴動の宣伝にはならないのです。個人の電話を盗聴しているということなのです。

 (暴動化した)デモがあって、その前にそれに関連していると何らかの意味でみなせる電話やメールをしていれば、それは“関与”であり、さらには、結果として、その暴動(化したデモ)を“組織”したということになるのである。これを「春秋の筆法」という。この「春秋の筆法」の思考様式が、漢系中国人をして物事の原因―結果の因果関係を正確に理解することをどれだけ妨げているかわからない。彼らには政治あって科学なく、倫理あって哲学なし。

 参考:「環球網」2009-07-30 08:26、环球时报驻日本特派记者于青 「环球时报记者在东京拆穿热比娅谎言」 (部分)
 
  热比娅这样回答:“7月5日当天我接到很多电话,随时告知我当天当地的情况(注:不打自招。此前只说在7月4日与弟弟通过电话,现在承认7月5日当天与当地保持密切联系。)

 ラビア:盗聴は恥ずかしいことです

 愛国無罪。国籍や信条に関わらず、目的は手段を浄化すると平気で思える相手に、これは言っても無駄。 

伊藤之雄 『日本の歴史』 22 「政党政治と天皇」 から

2009年07月29日 | 抜き書き
 2009年07月28日「伊藤之雄 『昭和天皇と立憲君主制の崩壊』」から続き。

 明治天皇ですら行わなかった田中〔義一〕首相(内閣)への強い政治関与を、昭和天皇はなぜ行ったのであろうか。それは、大正天皇が皇太子時代から病弱であったため、明治天皇の憲法運営の手法が、昭和天皇(裕仁)に十分に伝わらなかったからである。明治天皇が死去したとき、裕仁はわずか十一歳であった。〔略〕大正天皇は明治天皇の政治手法をほとんど受け継ぐことができず、一九一六、一七年頃より、心身を悪化させた。裕仁が十五、六歳の頃である。
 昭和天皇(裕仁)の宮中側近も、明治天皇の政治手法を直接知っているとはいえなかった。側近最長老で、宮内大臣から内大臣となる牧野伸顕ですら、第二次西園寺〔公望〕内閣〔1911-1912〕で農商務大臣として、最晩年の明治天皇に十一ヵ月仕えただけである。
 昭和天皇の田中問責を、先例がないとして反対した元老の西園寺は、違っていた。一八九四年(明治二十七)に第二次伊藤〔博文〕内閣の文相(のち外相兼任)になって以来、第三次伊藤内閣の文相、枢密院議長、第四次伊藤内閣の班列相(首相臨時代理も行う)、第一次、二次西園寺内閣の首相を歴任し、明治天皇の人柄や政治手法を知る機会や、先例を学ぶ機会が豊富であった。 (「序章 一九二九年六月二十七日」 本書22頁)


 昭和天皇や牧野ら宮中側近は、一九二〇年代に編纂が進んだ「明治天皇紀」(一九六八年から七二年に公刊)などに見られる天皇「親政」という建前の下で、理想化された虚像としての明治天皇を信じ込んでいったのである。 (「序章 一九二九年六月二十七日」 本書22頁)

 昭和天皇が田中内閣期の政治に積極的に関与しようとしたのは、明治天皇の若い頃の、実際には存在しなかったリーダーシップを美化した三上参次東京帝大文学部教授(日本近世史が専門)の進講や、〔略〕田中義一に反感を持つ牧野宮相(後、内大臣)が、昭和天皇に摂政時代から及ぼした教育の影響があったからである。 (「第七章 北伐と御大礼」 本書294頁)

 牧野は、一九二四年一月に、三上教授が、当時二十二歳の摂政裕仁に、征韓論政変に関し、明治天皇に存在しなかったリーダーシップを美化した進講をした際にも、「君徳御大成上多大の効果あるべく」と、高く評価した。牧野に気に入られた三上は、その後もたびたび明治天皇に関する進講を、摂政から天皇にかけての裕仁に対して行った。また牧野自身、明治天皇とは晩年以外に直接の接触がほとんどないにもかかわらず、三上の進講に共鳴し、その理想化された像を信じようとした。 (「第七章 北伐と御大礼」 本書294頁)

 昭和天皇は、明治天皇を、政治関与を抑制して調停機能を果たす君主というよりも、政治問題の是正を積極的に行った君主として理想化してとらえるなかで、政治問題への意欲を膨らませていった。 (「第七章 北伐と御大礼」 本書295頁)


 上奏事件〔鈴木貫太郎侍従長が加藤寛治軍令部長のワシントン海軍軍縮条約締結反対の上奏を阻止した事件〕のあと、一九三〇年四月から、それまで数年間はほとんど登場しなかった「軍部」という用語が急に使われるようになる。このことは、単に言葉の問題だけに終わらない。それまで天皇や藩閥官僚閥・山県〔有朋〕系官僚閥・政党内閣などに、まがりなりにも統制されてきた陸・海軍が、統帥権の独立という法制的枠組みを利用しながら、軍部として自立した行動を取りはじめたことを意味している。
 この過程は、昭和天皇は政治的にも力量がなく、牧野内大臣ら宮中側近に影響されているため、軍部にとってはあまり頼りにならないという、田中内閣総辞職以来の天皇に対する不信を背景としていた。 (「第八章 世界恐慌と立憲君主制の危機」 本書317頁。太字は引用者)

(講談社 2002年9月第1刷 2007年6月第2刷)

名を名乗れ無礼者

2009年07月29日 | 抜き書き
▲「環球網」2009-07-29 07:52、「专家建议必要时“敲打”日本 压缩疆独藏独国际空间」(●本报驻日本特派、特约记者 于青 林雪原 林梦叶 ● 本报记者 郭芳 王盼盼 ● 陈一) (部分)
 〈http://world.huanqiu.com/roll/2009-07/530202.html

  一位不愿透露姓名的中国专家表示,中国必须有制约日本的工具,也必须有制约其他国家不友好举动的工具。以往中国在对外发生纠纷时大多以劝说为主,但国际间的友善光靠劝是不管用的,必须得有让对方惧怕的手段。像日本这样经常给中国制造麻烦的国家,中国必须要认真研究,找出它的弱点,在关键时将其打痛 (太字は引用者)

 成敗して呉れるわ。

「<ウイグル問題>閣僚『反中発言』のトルコに罵詈雑言―中国」 から

2009年07月29日 | 抜き書き
▲「Searchina 中国情報局」2009/07/11(土) 13:14、編集担当:如月隼人。 (部分)
 〈http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0711&f=politics_0711_006.shtml

 「トルコ政府関係者全員は、超超超強力な新型インフルエンザで全員死んでしまえ」との極端に感情的な書き込みや、「トルコの犬は1000年前に逃げ出した、ウイグルの豚は逃げ出さず、1000年後に反乱を起こした。消滅させてしまうべきだ」と、国内のウイグル族とあわせて攻撃する意見もある。

 先ず隗より始めよ。