書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

『ダ・ヴィンチ』 2012年8月号

2012年07月28日 | その他
 荒木飛呂彦氏インタビューと『ジョジョの奇妙な冒険』特集。本当にこの人52歳なのか? アップにしても年齢が出ない。写真に修整をかけているのかと思うほどだ。どうみても30代がせいぜいである。本人こそが波紋使いでは?と言われるわけだ。多分、きわめて規則正しい生活をしていることと、極めて論理的な頭脳によってものごとを無駄に悩まないであろうことに、その理由の大半はあるだろうが。

(メディアファクトリー 月刊版 2012年7月)

うえやまとち 『クッキングパパ』 31

2012年07月23日 | コミック
 『美味しんぼ』の時とおなじく、これも市図書館から、開いている巻を前後お構いなく、手当たり次第に借りている。80巻台まで行ったあと30巻代のこの巻へ戻るという乱雑さである。おかげで登場人物の関係や背景が錯綜してよくわからない(シンディって誰?)。ところで、これほど続けざまに読んでいると、毎回(?)冒頭の「博多」というト書きとその風景図が、魔夜峰央『パタリロ!』の毎話劈頭の「常春の国 マリネラ」のお約束コマに被って見えてきた。

(講談社 1993年5月)

うえやまとち 『クッキングパパのレシピ366日』

2012年07月19日 | 料理
 『美味しんぼ』に較べ、手間と時間を惜しまず地道にそのとおりやれば何とかなりそうなレシピが基本であるようだ。『美味しんぼ』に出てくる料理は、センスがあれば手間と時間が(ある程度)省けるかわり、センスがないと最初からどうにもならないレシピが多い。レパートリーを増やすために重宝するのはコチラだが、本音で挑戦したいのは、アチラ。

(講談社+α文庫 1996年12月第1刷 1997年11月第6刷)

イスマイル・ベシクチ著 中川喜与志/高田郁子訳 『クルディスタン=多国間植民地』

2012年07月15日 | 地域研究
 著者がトルコ人で、「知的欲求」のために身の危険を冒してトルコの政治的タブーであるクルド人問題を研究したということに感動した(訳者両氏の「あとがき」から)。著者は、どうやってクルド語を学んだのだろう?

(柘植書房 1994年11月)

東大作 『平和構築 アフガン、東ティモールの現場から』

2012年07月15日 | 地域研究
 こちらの無知のせいか、問題を理解するうえでのとっかかりとなる事態の突起のようなものが見いだせない。説明がつるつる滑って行く。よく飲み込めない。
 原住民がタリバンを脅威と感じているという証言(8-9頁)などは、タリバン支持派からは、嘘か通訳の歪曲ということになるのだろうか。それとも聴き取り調査が大なわれた2008年から今年2012年までのあいだに情況が劇的に変わったのだろうか。

(岩波書店 2009年6月)

秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』

2012年07月15日 | 日本史
 初めて克明に最初から最期まで読み通す。
 結局「運動」の常として、当の「慰安婦」は――1940年半ば以降公文書で多用されるようになったのだから「」を付ける必要もないのだが――、ダシですか、と言う感想。問題が深刻だから「当事者」の「告白」はそのまま受け取れなどと、私の常識ではついてゆけない。「告白」の立証(あるいは真偽の判定)責任は日本国家の側にあるという主張にいたっては、ためにする政治的プロパガンダでなければ気が狂っているとしかおもえない。「性奴隷 sex slave」という用語は、代金を支払われていたのなら不適正である。「広義」のであるというなら、戦前の日本(軍)だけをねらい打ちにするのは不公平だ。歴史的史実としての学問的研究のほか、世間のそれは(中国や日本の“市民団体”や韓国のマスゴミの煽り記事を含めて)今後一切相手にするのはやめた。勝手にやってくれ。

(新潮社 1999年6月)

Thomas S. Mullaneyほか編 『Critical Han Studies』

2012年07月12日 | 地域研究
 副題「The History, Representation, and Identity of China's Majority」

内容説明
Constituting over ninety per cent of China's population, Han is not only the largest ethnonational group in that country but also one of the largest categories of human identity in world history. In this pathbreaking volume, a multidisciplinary group of scholars examine this ambiguous identity, one that shares features with, but cannot be subsumed under, existing notions of ethnicity, culture, race, nationality, and civilization.
 (アマゾンの同書項より)

 おもしろそうなテーマだと思ったのだが、何かピンとこないという感想。巻頭 Thomas S. Mullaney による「序言と序説」が、そもそも何を言わんとしているのかよくわからない。こちらの知識不足のせいか。私の第一の関心である、方言と(地域)アイデンティティの関係、および全体(=漢民族)アイデンティティの関係については、Kevin Carrico が "Recentering China: The Cantonese in and beyond the Han" (本書23-44頁)で取り上げている。しかし結論がやはりよくわからない。何度も読み返さないとだめかな。

(Global, Area, and International Archive, University of California Press, Feb. 2012)