書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

橋本峰雄責任編集 『日本の名著』 43 「清沢満之 鈴木大拙」

2006年07月31日 | 人文科学
 よく解らない。私は、こういった方面の本には、あまり縁がないのだろう。

(中央公論社 1970年11月)

▲「Sankei Web」2006年7月31日、「外交の狭間で… 提訴から40年、異例の長期審理『光華寮訴訟』」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060731/sha007.htm

 メモするのは忘れないためである。

今週のコメントしない本

2006年07月29日 | 
 市職員の相次ぐ逮捕、某仏教宗派宗務庁職員の巨額の使い込みと、官民の不祥事に揺れる京都からこんにちは。

  ●「YOMIURI ONLINE」2006年7月29日、「“免職教師”実名出さず、『かばい合い』に批判の声」
   →http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060729ic01.htm

 正直なところ、この程度の「かばい合い」で驚いてはいられないというのが、一京都市民としての感想です。
 さて。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  鶴見俊輔 『鶴見俊輔集』 5 「現代日本思想史」 (筑摩書房 1991年5月)

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  リービ英雄 『日本語の勝利』 (講談社 1992年11月)

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  吉川幸次郎 『支那人の古典とその生活』 (岩波書店 1945年10月第二刷)

④参考文献なのでとくに感想はない本
  胡適著 楊祥蔭/内田繁隆訳 『古代支那思想の新研究』 (大空社 1998年2月、もと巌松堂書店 1925年9月)
  胡適著 井出季和太訳 『胡適の支那哲学論』 (大空社 1998年2月、もと大阪屋号書店 1927年4月)

  中村元 『中村元選集〔決定版〕』 第4巻 「チベット人・韓国人の思惟方法 東洋人の思惟方法Ⅳ」 (春秋社 1989年1月)
  
  松本清張 『草の径』 (文藝春秋文春文庫版 1994年8月)

  小野信爾/吉田富夫/狭間直樹 『中国文明選』 第十五巻 「革命論集」 (朝日新聞社 1977年1月第二刷)

  谷沢永一 『読書人の点燈』 (潮出版社 1997年12月)

  吉田伸之編 『日本の近世』 第9巻 「都市の時代」 (中央公論社 1992年11月)

⑤ただただ楽しんで読んだ本
  ジェームズ・M・バーダマン著 森本豊富訳 『アメリカ南部 大国の内なる異郷』 (講談社 1995年6月)

  山極寿一 『サルと歩いた屋久島』 (山と渓谷社 2006年4月)

▲国連レバノン暫定軍(UNIFIL)基地に対するイスラエル軍の空爆は、事故だったのか。それとも意図的な行動だったのか。

  ●「Sankei Web」2006年7月28日、「監視員死亡で議長声明採択 イスラエル非難は削除」
   →http://www.sankei.co.jp/news/060728/kok038.htm

 もし後者なら、イスラエルは戦前の日本、現在の北朝鮮と同じかそれ以上に、国際社会の平和と安寧に対する敵になったと言えるでしょう。そして同時に、国連安保理の議長声明から「非難」の語句を削らせた米国の行動は、同国の外交上の大失策となるでしょう。
 では来週にまた。

松本清張 『昭和史発掘』 6

2006年07月28日 | 日本史
“後年、彼ら(軍部)の望む軍部独裁内閣が成立したとき彼らは大きな問題で何一つ天皇の意志を守ったことはない。日中戦争勃発のときも、第二次世界大戦に突入したときも、軍部は悉く天皇の意志を蹂躙している。軍部は天皇機関説を撲滅したが、それ自らは機関説の忠実な実行者だったのだ” (「天皇機関説」、本書205-206頁)

 この痛烈にして的確な指摘を含む節(「10」)を読んだ私は、まず、今日から見ればあまりに馬鹿げた当時(昭和十・1935年)の状況に笑いだし、ついで、軍人たちの得手勝手さに腹を立て、さらには、彼らのあまりに独りよがりで閉じた言動がとても正気の沙汰とは思えなくなり、ひどく気分が悪くなった。

(文藝春秋文春文庫版 1978年9月)

▲「asahi.com」2006年7月28日、「パロマ工業、部品欠陥81年把握 発売1年後設計を変更」
 →http://www.asahi.com/national/update/0727/TKY200607270733.html

 会社が儲かれば、我が身の安泰に響かなければ、自分たちの行いの結果で他人(ひと)が体を損ねようが死のうが知ったこっちゃないと。パロマ工業は宜しくスーダラ工業と改名すべし。

▲「MSN毎日インタラクティブ」2006年7月27日、「牛肉輸入再開:今後の条件緩和めぐり、日米対立は確実か」
 →http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060728k0000m020055000c.html

 無責任男のアメリカ版はこちら。

小林俊一/鈴木隆一 『スパイM 謀略の極限を生きた男』

2006年07月28日 | 日本史
 スパイM、松村昇こと飯塚盈延は、1965(昭和四十)年9月4日、北海道で死亡。享年62歳。死因は脳軟化症。著者二人が調べ上げた晩年の飯塚の生活は松本清張が「『隠り人』日記抄」で描き出したものとは大分異なる。松本のそれは小説だから、話をおもしろくするための脚色があるのは当然だろうけれども。

(文藝春秋版 1994年12月)

笠原英彦 『明治天皇 苦悩する「理想的君主」』

2006年07月27日 | 日本史
“皇室典範の起草は明治憲法と別立てで作業が進められた。明治十八年(一八八五)、宮内省の制度取調局では「皇室制規」が起草された。内世は驚くほど柔軟であり、「女帝」のみならず。母方のみに天皇の血を引く「女系天皇」までもが容認されている” (「第六章 立憲性の確立と皇室制度の形成」 本書195頁)

 そういえば論議はどうなっているのか。世上、寂として声が無いようだが。

(中央公論新社 2006年6月)

▲備忘のメモ。
「MSN毎日インタラクティブ」2006年7月27日、「ロッキード事件:5億円は参院26候補に 調書で元秘書官」
 →http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060727k0000m040177000c.html

劉傑/三谷博/楊大慶編 『国境を越える歴史認識 日中対話の試み』

2006年07月26日 | 東洋史
 副題に「対話」と銘打ってあるが、正確には論集である。しかも中国側の寄稿者は、巻末のプロフィールを見ると、日本あるいは米国在住の、それも専門の研究者ばかりである。

“最近でも、『正論』二〇〇六年四月号の特集で、蒋立峰・中国社会科学院日本研究所所長が、「田中上奏文」が偽文書であると認めたことが紹介されている(八木秀次「中国知識人との対話で分かった歴史問題の『急所』」)。
 しかし、これらをもって中国国内に新しい動きが出てきたと見るのは、時期尚早ではないかと、私は思う。
 たとえば、「田中上奏文」については、中国社会における現実について八木秀次が特集末尾の「解説」で批評しているとおりであろう。すなわち、蒋の言うように「田中上奏文」が存在しなかったという見方が研究界の主流となりつつあるとしても、一般大衆のレベルで、たとえば学校教科書や一般国民向けの宣伝において相変わらず本物として扱われていれば、実際的な意味はほとんどないのだ”  (林思雲/金谷譲『続・中国人と日本人 ホンネの対話』、日中出版、2006年5月、金谷譲「後記」、本書234-235頁。太字は引用に際して施した)


(東京大学出版会 2006年5月)

▲「YOMIURI ONLINE」2006年7月22日、「『南京事件』題材に3映画、中国で同時に計画進行」
  →http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060722i401.htm

 70周年を祝して来年、犠牲者数は40万の大台に乗るかもしれない。
 「中国の日本研究は日本工作」
 これは、毛里和子『日中関係 戦後から新時代へ』(岩波書店 2006年6月)で、ある中国人のものとして引用される言葉。至言。

下斗米伸夫 『アジア冷戦史』

2006年07月25日 | 東洋史
 再読。

“貧困にあえぐ社会主義国が独自の核ゲームに参入することにより国民に多くの負担と犠牲を強いて、飢餓を招くことは一九四六―四七年のソ連、五八―五九年の中国で経験済みであった。北朝鮮での九〇年代半ばの「自然災害」という名の飢餓は人為的なものであり、実際は核開発の代償であった。餓死者の数字は、二〇〇万人ほどのレベルに達したと推測される” (「第六章 ソ連の崩壊とアジア」、本書164頁)

 北朝鮮の飢饉を同じく人為的なものとしてとらえる萩原遼氏は、その原因を金正日書記の個人的性格(独裁志向)および国内政治上の必要(敵対階層の抹殺)に帰している(→2005年02月27日、萩原遼『金正日 隠された戦争 金日成の死と大量餓死の謎を解く』)。下斗米氏の分析は、冷戦という、より大きな、当時の北朝鮮が置かれていた国際政治・経済的状況に原因を求めるものである。
 ちなみに下斗米氏によれば、冷戦とは、米ソを中心とする東西両陣営の核兵器開発競争と、そのための核兵器製造に不可欠なウラン鉱の供給もしくは産地確保をめぐる争いにほかならず、それ以上でもそれ以下でもないらしい。
 もしそうであれば――冷戦におけるイデオロギーの意義は飾りかせいぜい添え物程度でしかなかったというのなら――、冷戦は東アジアではまだ終わっていないのはもちろんのこと、全世界的規模においても、地域・二国間レベルで継続していることになる。

(中央公論新社 2004年9月)

佐藤優 『自壊する帝国』

2006年07月24日 | 西洋史
 文中、主人公=著者と登場人物群(とりわけサーシャ・カザコフ)との間で交わされる会話は、石上玄一郎『彷徨えるユダヤ人』(人文書院 1974年1月)のそれよりもさらに神学的である。宗教的という形容語でもいいが、その場合、“『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』のように”という前置きと共に。

(新潮社 2006年5月)

筆坂秀世 『日本共産党』

2006年07月24日 | 政治
 元日本共産党常任幹部会委員・政策委員長、元参議院議員である筆者の日本共産党に対する評価は、「思考停止」「無責任」「自画自賛」「とても政権担当能力など持ちえていない」。つまり彼らは上から下まで、腹に一物で馬鹿のふりをしているのではなく、本当に馬鹿だというのである。
 なるほど、本当に馬鹿だから、例えば「プロレタリアート独裁」の「独裁」を「執権」と言い換えれば、「鎌倉に幕府でも開くつもりか」などとのちのちまで嘲られることになるという、こんな火を見るより瞭かな結果も予測できなかったのであろう。

(新潮社 2006年5月5刷)

今週のコメントしない本

2006年07月22日 | 
 暑いので気の利いた言葉が出ません。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  三宅雪嶺 『同時代史』 第四巻 「明治四十一年より大正四年迄」 (岩波書店 1967年11月第二刷)

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  保阪正康 『東條英機と天皇の時代』 (筑摩書房版 2005年11月)

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  久米邦武編 田中彰校注 『米欧回覧実記』 全5冊 (岩波書店 1992年1月第12刷ほか) 

④参考文献なのでとくに感想はない本
  松本清張 『昭和史発掘』 5 (文藝春秋文春文庫版 1978年9月)

  藤井省三責任編集 『岩波講座 「帝国」日本の学知』 第5巻 「東アジアの文学・言語空間」 (岩波書店 2006年6月)

  ピリヤ・パナースワン著 桜田育夫訳 『アジアの現代文学』 7 「〔タイ〕メコンに死す」 (めこん 1987年6月) 
  堀田善衛 『広場の孤独 漢奸』 (集英社 1998年9月)

  毛里和子 『日中関係 戦後から新時代へ』 (岩波書店 2006年6月)

  五百旗頭真/伊藤元重/薬師寺克行編 『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』 (朝日新聞社 2006年6月)

⑤ただただ楽しんで読んだ本
  ポール・ホフマン著 平石律子訳 『放浪の天才数学者エルデシュ』 (草思社 2000年4月)

  谷沢永一 『文豪たちの大喧嘩 鴎外・逍遥・樗牛』 (新潮社 2003年5月)

 では来週。