『中國語文通訊』1989年1月第6期掲載、同誌19-21頁。
漢語で「是」を繋辞copulaとして使う最古の用例は戦国時代末期にあるそうだ。睡虎地秦簡に見える「是是~」の2番目の「是」が、いまのところ最初期の例であるとのこと。「これは~である」。ということは、仏教経典の漢語翻訳の影響(つまりサンスクリット語やパーリ語からの影響)ではないわけだ。古代漢語は一種暗号文のような性格があって、本人や当事者関係者が解ればいいという意識のもと(それだけが理由ではないが)、その範囲内の大まかなルール(もしくは共通の理解)に従って省略可能な語はたとえそれが言語としては文法的に不可欠なものであっても書記においてはぶいた可能性があるから、本当に戦国時代末以前の漢語に(史料のほぼ残っていない口語だけでなく文語であっても)繋辞が存在しなかったどうか、断定しにくいところがある。
漢語で「是」を繋辞copulaとして使う最古の用例は戦国時代末期にあるそうだ。睡虎地秦簡に見える「是是~」の2番目の「是」が、いまのところ最初期の例であるとのこと。「これは~である」。ということは、仏教経典の漢語翻訳の影響(つまりサンスクリット語やパーリ語からの影響)ではないわけだ。古代漢語は一種暗号文のような性格があって、本人や当事者関係者が解ればいいという意識のもと(それだけが理由ではないが)、その範囲内の大まかなルール(もしくは共通の理解)に従って省略可能な語はたとえそれが言語としては文法的に不可欠なものであっても書記においてはぶいた可能性があるから、本当に戦国時代末以前の漢語に(史料のほぼ残っていない口語だけでなく文語であっても)繋辞が存在しなかったどうか、断定しにくいところがある。