書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

段莉芬 「最早出現繋辞「是」的地下資料」

2017年05月28日 | 地域研究
 『中國語文通訊』1989年1月第6期掲載、同誌19-21頁。

 漢語で「是」を繋辞copulaとして使う最古の用例は戦国時代末期にあるそうだ。睡虎地秦簡に見える「是是~」の2番目の「是」が、いまのところ最初期の例であるとのこと。「これは~である」。ということは、仏教経典の漢語翻訳の影響(つまりサンスクリット語やパーリ語からの影響)ではないわけだ。古代漢語は一種暗号文のような性格があって、本人や当事者関係者が解ればいいという意識のもと(それだけが理由ではないが)、その範囲内の大まかなルール(もしくは共通の理解)に従って省略可能な語はたとえそれが言語としては文法的に不可欠なものであっても書記においてはぶいた可能性があるから、本当に戦国時代末以前の漢語に(史料のほぼ残っていない口語だけでなく文語であっても)繋辞が存在しなかったどうか、断定しにくいところがある。

渋谷研究所/菊池誠 『信じちゃいけない身のまわりのカガク』

2017年05月28日 | 自然科学
 本書31頁の「科学・未科学・ニセ科学とオカルトの4段階」の図が、私にとってはこの本のキモ。図では下から、オカルト(・迷信・おまじない)→ニセ科学→未科学→科学の4段階となっているのだが、科学とそれまでの3段階とを分かつのは“根拠のかわりの信念の存在の有無”、“仮説の有無“、“検証の有無もしくは可不可”である。最高位にある科学も、第三者による追試で否定されると、さきの3段階同様、「間違った科学」になってしまう。

(立東舎 2017年2月)

井上正美 「『格義仏教』考」

2017年05月26日 | 地域研究
 高崎直道/木村清孝編『シリーズ・東アジア仏教』3「東アジアの仏教思想Ⅱ」(春秋社 1997年5月)所収、同書293-303頁。

 日本の中国仏教史家のみが用いる用語「格義仏教」とは、中国の東晋時代に、仏教の教理を解釈するおりに仏家たちが「格義」という方法を用いた」という「風潮」、もしくは「方法」ないし手段にすぎず、実態として「格義仏教」などというものは存在せず、当時「『格義』という方法が流行した」だけの事実であるという議論。

K.J.ホリオーク/P.サガード著 鈴木宏昭/河原哲雄監訳 『アナロジーの力 認知科学の新しい探求』

2017年05月26日 | 人文科学
 出版社による紹介。
 ここには言及されていないが、章ごとに実際の翻訳者が存在する。本書では列挙されている。

 さて、

 アナロジー的思考は論理的な演繹ではない。 
(「第1章 はじめに」本書4頁)

 では何か?

 そのような意味からすると、『論理的』ではないということになる。例えば鳥や人間が、それそれの居住環境を比較可能な仕方で同じようにつくらねばならない理由は無いのである。だからといってアナロジーはでたらめなものではない。ゆるい意味では、ある種の論理があるといえる。 
(同頁)

“ある種の”?

 それ〔引用者注。ある種の論理〕をアナロジックとよぶことにしよう。このアナロジックが、〔中略〕アナロジー利用の仕方に制約を与えているのである。 (同頁)

 そのアナロジックの基本的な“制約”(?)とは、同章10-11頁によれば以下の三である。
 ①アナロジーが適用される両者(ベース領域とターゲット領域)に直接的な類似性があること、
 ②この両者に一貫した構造上の相似関係を見いだすように働きかける圧力が存在すること、
 ③アナロジー利用のゴールがあたえるアナロジーの目的の内容のもたらす要請。

 だが、これら①②③はすべて、文化によってその中身が異なってくるものである。つまりアナロジックの条件ではありえても「ある種の論理」の“定義”たり得ない。ああ、だから“制約”なのか。

(新曜社 1998年6月)

興膳宏 『新版 中国の文学理論』

2017年05月20日 | 人文科学
 いったい一口に「六義」とはいうが、「詩経」の詩を内容上から区分した風(諸国の歌謡)、雅(王室の儀典歌)、頌(王室の先祖をたたえる祭祀歌)と、修辞上の技法である賦(直叙)、比(直喩)、興(隠喩)とは、範疇をことにした概念である。仮名序の「そへうた」「かぞへうた」「なずらへうた」「たとへうた」「ただごとうた」「いはひうた」が、そのままの順序で風・賦・比・興・雅・頌に対応するものならば、序の作者は「六義」を主に技法として解釈していたことになるが、本来二つの範疇に属する概念を混淆してしまうところに、そもそも根本的な無理がある。(「『古今集』真名序覚書」本書467頁)

 混淆ではなく仮名序では(あるいは紀貫之は)、これを「うた」という一つのカテゴリーとして捉えたとは考えられまいか。紀貫之は、「うた」を数え上げるくだりの冒頭、で「そもそもうたのさま、むつなり」と、はっきり言っている。

 また仮名序には、「そもそもうたのさま、むつなり。からのうたにも、かくぞあるべき」とあるから、これが「六義」からのアナロジーとして発想されていることはまちがいないが、その六種の「さま」の内容を一つ一つもとの「六義」に押しつけてゆくのも、かなり窮屈な解釈になってしまう恐れがありはしないか。(同上)

 むりがあるとすれば、その日本語の「うた」と漢語の「六義」に、カテゴリーとしてずれがあるということの現れとして、当然の結果ではないか。

(清文堂 2008年11月)

馬祖毅 『中国翻訳簡史 “五四”以前部分』

2017年05月16日 | 東洋史
 原題:马祖毅『中国翻译简史 “五四”以前部分』。

 冒頭レーニンの言葉が掲げられるのに半分くらい読む意欲を削がれたが、翻訳を通じて漢語に与えられた外国語の影響の分析が、語彙と表現の“破格”レベルに止まっていることで、残りの半分の個人的興味もほぼ失われた。

(北京:中国对外翻译出版公司 1984年7月)

渡辺純成 「満洲語資料からみた『幾何』の語源について」

2017年05月16日 | 数学
 CiNii 論文。
 もと『数理解析研究所講究録』1444、2005年7月掲載、同誌34-42頁。 … *読んだ。内容は、もともと「幾何」はGeometriaのGeoの音訳ではないこと、「幾何学」は西洋の数学全体mathematicaを指したのが本来の意味であること、幾何学を専ら意味するようになったのは19世紀以降という主張。たしかに、マテオ・リッチ/徐光啓の『幾何原本』はその内容に代数も含んでいる。さらに言えば、「幾何」はもともと漢語において「いくら」「いくばく」という数(と量)を指し示す言葉であるから、アリストテレス「範疇論」における10範疇のうちの「量」の訳語として当てられたという指摘もなるほどと素直に頷ける。