書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

池田信夫 「権力と反権力」 から

2009年04月30日 | 抜き書き
 山口〔二郎〕氏のような万年野党は、口先では「反権力」にみえるのですが、大企業に増税してかわいそうな労働者に分配しろというのは、国家権力の立場です。批判するときは国家が見えているのに、自分の立場を語るときは「主語」が消え、中立的な政府が理想的な政策を実行することになる。
 この種の連中は、自分が国家主義だという自覚がないので、万年野党であるうちは人畜無害なのですが、権力を握ると恐い。レーニンは「国家の死滅」を唱えましたが、実際に起こったのは国家の爆発的な拡大でした。この意味では、明示的に国家を語る右翼のほうが害は少ないでしょう。

 なるほど、左翼にとっては朕は国家也で自分への批判=国家に対する反逆だから、権力を握ると異見者をどんどん強制収容所に放り込んだり容赦なく極刑に処したりするのか。
 もっとも「右翼のほうが害は少ない」といっても、これは左翼と比較すればというだけだろう。

(「池田信夫 blog」2009-04-27 、「偽の希望を売り歩く人々」のコメント。2009-04-28 08:37:45)

上田信 『伝統中国 〈盆地〉〈宗族〉にみる明清時代』 から

2009年04月29日 | 思考の断片
 漢族が〈気〉の思想を生み出したと考えるべきものではなく、〈気〉の発想が生まれたときに漢族が成立したと考えるべきであろう。 (「第二章 親子関係は宗族(リニージ)をどう生み出すか」 本書93頁)

 気とは「漢族の発想の根底にある感覚なのであり、これ以上は因数分解できない素数のような言葉である」(93頁)とも。
 気は万物を構成する基本要素でもあるが、原子論を中国人(漢族)が受け入れることができないのは、受け入れると自らの存在が消滅してしまうからか。その原子論を背景に生まれた西洋の個人主義を排斥するのも理由は同じか。気の概念から導き出されるのは集団主義もしくは全体主義だから。

(講談社 1995年1月)

杉村濬 『明治廿七八年在韓苦心録』

2009年04月28日 | 東洋史
 自らと明治国家の対韓政策を正当化するのが執筆・出版の目的であるという評価(注1)や、本書が持つ「限界」についての指摘(注2)はあるが、他の基本資料とつきあわせて内容を細かく検証・分析した研究が、インターネット上にはどうも見あたらない。工具書を見ても、平凡社の『東洋史料集成』には著者名・書名と出版社・出版年しか記されていないし、同朋舎『アジア歴史研究入門』巻2の「朝鮮」部分には名前すら挙がっていない。

 注1。 『日韓外交史料』第10巻(市川正明編、原書房、1981年11月)、「解説」。
 注2。 同上。

(『朝鮮の群衆・明治廿七八年在韓苦心録 (韓国併合史研究資料) 』 龍渓書舎 2003年6月復刻版)

佐藤三郎 『近代日中交渉史の研究』

2009年04月28日 | 東洋史
 日本陸軍が仮想敵国をロシアから中国(清)へと変えたのは明治15・1982年6月の朝鮮事変(壬午事変)および8月の済物浦条約締結以後。同年8月15日山県有朋の軍事費増加要望の上申および同年12月地方間会議における発言の例。
 中国が「日本を仮想敵国として意識する」ようになるのは明治12・1879年3月の琉球処分以後。同年11-12月にかけ、両江総督沈保の軍事探偵・王之春が中国から日本へと派遣され、各地の軍備や地理をはじめとする日本の諸事情を調査し、『談瀛録』として報告している事実。

 (「五 日清戦争以前における日中両国の相互国情偵察について」、本書143-146頁から)

(吉川弘文館 1984年3月)

池田信夫 『ハイエク 知識社会の自由主義』 から

2009年04月28日 | 抜き書き
 きょうまで太陽が東から昇ったことは、あすも東から昇ることの根拠にはならない。「合理的」な推論にもとづいて経験的事実から「帰納」されたようにみえる因果関係は、実際には「習慣にもとづいた蓋然性」の認識にすぎない。 (「第一章 帝国末期のウィーン」 本書24頁)

 私もそう思う。これまでそうだったからといって今回もそうであるとは限らない。確かめる必要がある。と昔から思ってきたし、そう口に出して言ってもきたが、あまり賛同を見たことはない。「そうかもしれないが、そんなことを気にしていては、毎日生活していられない」「仕事ができない」が平均的な回答である。「常識がない」「アホちゃうか」、ひどい場合は「キ○○イ」というのもあった(ただしこれは話す相手を間違えたこちらの責任)。大抵は無反応。

(PHP研究所 2008年9月)

佐々木信彰編 『現代中国の民族と政治』 から

2009年04月28日 | 抜き書き
 イギリスは、当初チベットに関しては清帝国(=China)の「主権」を前提として対話姿勢を見せたものの、北京とラサの間の不協和音から次第に清帝国の対チベット「主権」の存在を疑い、ついに一九〇三~〇四年にはチベットを実質的独立国家とみなして侵略したのである。 (平野聡「第八章 チベット社会―歴史と現代化」、「2 『現代化』の最初の波」、本書172頁)

 もっとも、清当局はイギリスとの交渉や近代国際法への適応を通じ、すでに一九八〇年代にはチベットに対する自らの権力を「主権」と認識していた。 (平野聡「第八章 チベット社会―歴史と現代化」、「2 『現代化』の最初の波」、本書172頁)

(世界思想社 2001年7月)

アホバカ間抜け「中央日報」 ②

2009年04月27日 | 抜き書き
 今年3月30日から続き。

▲「中央日報 Joins.com」高陽=キム・ミンギュ記者、「【写真】キム・ヨナの新たな魅力」
 〈http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=114570&servcode=600§code=600

 「浅田真央さん(等)による進路妨害」発言の件については、まるで何も起こらず何も報道しなかったかのよう。

●同2009.03.16 08:42:26、「<フィギュア>キム・ヨナ『日本選手に練習を邪魔された』」 (部分)

 キム・ヨナは14日、現地練習地のカナダ・トロントでSBSのインタビューに応じ、「国際スケート競技連盟(ISU)主催大会の公式練習で日本選手から集中的にけん制を受け、練習を妨害された」と明らかにした。
 キム・ヨナは「特に今回の4大陸大会では少しひどいという印象を受けた。そこまでしなければいけないのか思うことが多かった。しかしそれに負けたくないし、それに負ければ競技にも少し支障が出るかもしれないので、対処方法を考えている」と語った。
 キム・ヨナを指導するブライアン・オーサー・コーチは最近、ある日本選手がキム・ヨナのジャンプの進路ばかり徘徊している、と抗議したりもした。

 ISU主催大会の公式練習映像にはキム・ヨナの悩みがはっきりと表われている。舞台衣装を着て行う最終練習で、中野友加里・安藤美姫・浅田真央ら日本選手はキム・ヨナの演技中にかなり接近し、練習の流れを遮っている。
 何よりもヨム・ヨナが後方に滑走して後ろの状況が見えない時、日本の選手たちがキム・ヨナを見ながら前進している点が疑惑を増幅させている。約6人がリンクで演技をチェックする練習時間には、ジャンプをする選手の進路を避けるのが不文律だ。練習の映像には驚いたファンが悲鳴の声も入っている。

●同2009.03.23 10:10:39、「<フィギュア>キム・ヨナ『トリプルループなくしミスのない競技したい』」 (部分)

 --最近日本の選手らが練習時に進路妨害をしたという話が出て波紋はあったか。
 「私がインタビューの時にどの国の選手が妨害したと言ったことはない。また特定の選手を指してもいないのにどうしてこうなるのかわからない。」
 これについて金妍児のマネージメントを担当するIBスポーツは、「金妍児は練習中にどの国の選手が自分を妨害したと言ったことはない。一部メディアがまるで金妍児がそうした言葉を言ったかのように報じて誤解が生まれた」と説明した。このため金妍児が言ってもいない言葉に対応はしないという立場だ。

 このキム・ヨナの否定発言の検証はしないのか、それとも正しいと認めているのか。正しいと認めているなら、「『日本選手に練習を邪魔された』」云々の記事は、勘違いどころか完全な虚偽報道ではないのか。謝罪・弁解・言い訳どころか頬被りで「なかったこと」扱い、続報せず訂正もしないとは、この「中央日報」の振る舞いは今回のTBSよりも下劣である。

はてさて体面とは厄介なものよの

2009年04月27日 | 抜き書き
▲「YOMIURI ONLINE 読売新聞」2009年4月26日21時57分、「TBS情報番組、『縦割り清掃』実は業者に依頼して撮影」 (部分)
 〈http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20090426-OYT1T00531.htm

 TBS広報部は「国が管轄する交差点では本来、ブラシを上げるものだと思い込み、業者に依頼をした。勘違いであり、やらせではない」としている。

 25日の安住紳一郎アナウンサーの「訂正とお詫び」の場面を見ていたが、基本的には判断は視聴者にお任せするという風で、事実と報道内容との相違点の淡々とした説明と謝罪に、「これは明らかにやらせだろう」と思ったものの、全体として悪い印象は受けなかった。しかしこのような言い訳がましい弁明をされると、かえって逆効果というものだ。やらせではないとして、では思いこみが強くて相手の話、それも現場の専門家の話に耳を傾けなかった愚かさは許されるのか。勘違いで済むか、間抜け。

「日本の右傾化恐れ常任理入り支持 71年対日政策文書で米国」

2009年04月26日 | 思考の断片
▲「47ニュース」2009/04/25 19:03、「共同通信」。 (部分)
 〈http://www.47news.jp/CN/200904/CN2009042501000526.html

 国連では当時、中華民国(台湾)を追放し、中国を承認する「中国代表権問題」が大詰めを迎えていた。中国の常任理事国入りで「格下」となる日本が不満を募らせ、右傾化することを恐れた米国が安保理改革とは直接関係なく、常任理事国入りを支持するに至った経緯が判明した。

 文書は56年に国連加盟を果たした日本が「大国と認知されたがっている」と分析。日本にとって常任理事国入りは「一流国」の条件の「主要な要素」となっており、中国が常任理事国になれば「日本はアジアのナンバー2として振る舞うことに大変な苦痛を感じるだろう」と述べた。

 「大国と認知されたがっている」。71年ならそうだったのだろう。東京オリンピックは64年、万博は70年。あるいは遅く80年代のバブル期にも、内容が経済的な方面へと変質したうえで、その傾向はなお明滅したかもしれない。しかし今日、そうだろうか。政治家や官僚や財界の人々はどうか知らないが。

 この文書は米国立公文書館のニクソン大統領図書館に保管されている公文書。キッシンジャー大統領補佐官が仕切る当時のホワイトハウス国家安全保障会議が中心となって作成した。

 なにせ部下にさえ後年、「日本のことを全く知らないし知ろうともしなかった」と批判された、日本嫌いのキッシンジャーの決めたことである。
 同年の北京秘密訪問の際に周恩来との間でもたれた機密会談の記録を見る限り、当時のキッシンジャーの日本(人)観には、多分に“日本異質論”に基づく偏見が入っている(例えば10月22日第4回会談)。あの時点の日本に対する見方としてはある程度有効だったと思うが、以後40年、現在に至るまで、以後の米国政府の日本(人)観がキッシンジャーのそれを踏襲しているとするならば、そろそろ認識を修正したほうがよいかもしれない。外国人や外国文化に対する感受性の鈍さや自文化の持つ求心性による偏狭な視点は、いまや日本人よりも中国人のほうが際だってきている。
 それにつけても思うのは、2005年の反日デモの原因である。いまだに私にはよく分からないのだが、もしあれが日本の国連常任理事国入りへの嫌悪が原因でありその阻止が本当に目的だったとすれば、あのデモを真剣に企画し、かつ/あるいは参加した中国人の日本理解は70年代初頭のままということになる。愚かしく、恐るべく、憂うべし。