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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

梁啓超 『新大陸遊記』

2008年04月30日 | 東洋史
 久米邦武『米欧回覧実記』と比較すると抽象的・観念的な記述が多く、事象の具体的な描写が少ない。これは校注者の李雪濤が序文で注意するように、“文は以て道を載す”を旨とする儒教文化人の梁啓超が、「風景の記述は悉く刪去」した、その結果であろう。しかしそのことを抜きにしても、観察が表面的で記述に事実の平板な羅列が続き、突っ込んだ分析と思索に欠けるという印象は否めない。

(社会科学文献出版社 北京 2007年1月) 

稲垣武 『朝日新聞血風録』

2008年04月28日 | その他
 読むに当たって参照したもの。
  ●Wikipedia 「朝日新聞の中国報道問題」
  ●同上 「日中記者交換協定」

 理想を説くのも懐に響かないうちで、ぎりぎりの局面になると、「読者大衆をつなぎとめ部数の拡大を図るためには」、「やむを得ないと自己弁護」(143頁)しながら、結局はその時々の「時代の風潮に合わせ」(218頁)てきたというのであれば、それはいつでもどこにでもある話。

(文藝春秋 1991年12月)

思考の断片の断片(50)

2008年04月26日 | 思考の断片
 聖火リレーにむかって "One China forever" 等と、数を恃んで猛々しく叫ぶ中国人に愛国の情なし。彼らの言動は、結果として、中国の国家の威信に益することはいささかもなく、それどころかその逆の効果をもたらすことに大いに貢献したから。
 それに、彼ら自身、その大方が自分が言ったりしたりしていることを信じてはいるまい。

富永健一 『近代化の理論 近代化における西洋と東洋』

2008年04月24日 | 世界史
“日本を含む東洋の宗教においては、宗教改革をつうじての「呪術からの開放」は達成されませんでした。日本に伝統的に存在してきた諸宗教からは、西洋のプロテスタンティズムの倫理のように近代思想の担い手となるものはあらわれなかったのです。それどころか、日本で一九七〇年代いらい発展のいちじるしい「新新宗教」と呼ばれる新興宗教諸教団では、まさにそれとは反対の非合理的な呪術や「超能力」の隆盛が見られ、そして驚くなかれそれらの非合理的要素は、ある宗教学者によって「ポスト・モダン」の名によって語られているのです(島薗進、一九九二)。これらの新宗教をもしポスト・モダンであるというなら、日本の宗教においては「モダン」はついに実現されないまま解体にむかい、そのあとにポスト・モダンという名のプリ・モダンがまかりとおっているといわねばなりません。” (「第二十九章 ポスト・モダン」、本書460-461頁)

“ポスト・モダン論を文化の側面における「反近代」のテーゼとして限定すれば、それは支持されうるということになるでしょうか。” (同上、本書462-463頁)

 つまり「ポスト合理主義」に非ず「アンチ合理主義」もしくは「没理性」。
 退化のすすめを支持などできず。

(講談社 1996年1月)

平勢隆郎 『中国古代の予言書』

2008年04月23日 | 東洋史
 紀元前328年に踰年称年法がいくつかの王国で開始されるまでの中国では立年称年法のみが行われていたから、踰年称年法で書かれている『春秋』は紀元前328年以後の成立である(そして当然ながら孔子の著作ではない)という論理は、分かる。『左氏伝』『公羊伝』『穀梁伝』は、『春秋』の成立後ほどなく成立した書物であるから、元来『春秋』の“伝”(=時間の経過により本文で意味不明となった部分の注釈)などではなかったという主張も、首肯できる。だが、それ以上はよくわからない。

(講談社 2000年6月)

有馬哲夫 『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』

2008年04月23日 | 政治
“最終的提案は、○○〔CIA局員〕には二人か多くても三人のエキスパートを、ポダム〔正力松太郎〕には同数かそれより少し多いエキスパートを与えることだ。/このグループの機能はポダムのメディアのためのニュース素材の詳細を決め、プロデュースし、それらで日本共産党をたたくことだ。○○の側は記事のリード部分とアイディアのプロデュースをし、使用可能なニュース・マテリアルを用意する。ポダムの側は日本語の専門家と日本側の視点と、このことを知らない数千の記者のマンパワーを提供する。” (「第四章 博覧会で世論を変えよ」、本書114頁に引く1955年9月12日付けCIA文書」

 「このことを知らない数千の記者のマンパワー」。個々人の正義感とともに。

(新潮社 2008年2月)

大久保利謙 『明六社』

2008年04月22日 | 日本史
“物ありて然る後に倫あるなり。倫ありて然る後に物を生ずるに非ず、臆断を以て先づ物の倫を説き、其倫に由て物理を害すること勿れ” (本書220頁に引く福沢諭吉『文明論之概略』)

 となりの国にはこの道理の解らない人がいまだにいるようだ。酸素は善で窒素は悪か?

(講談社 2007年10月)