『The Secret Man』(→7月8日)の続き。
原題は言うまでもなく『All the President's Men』。
ウォーターゲート事件について知識の整理をしてみる。
1.『ウィキペディア(Wikipedia)』より
「ワシントン・ポスト」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88
「ウォーターゲート事件」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88%E4%BA%8B%E4%BB%B6
2.「国際ジャーナリズム論(番外編)」より
隅井孝雄 「第14回 名乗り出たディープスロート、揺らぐ情報秘匿原則」 (2005年7月14日)
http://homepage2.nifty.com/sumee/journalism0514.htm
3.抜き書き
“「さて、ホールドマン〔引用者注。ハリー・ホールドマン(ハルデマン、ないしハルドマン)。大統領主席補佐官〕の問題ですけれど」とグレアム夫人〔引用者注。キャサリン・グレアム(グラハム)。ワシントン・ポスト社主〕は言ったが、その話を聞きたいのか自分でもわからないようだった。
ウッドワードはフォークをおいて、彼とバーンスタインがスローンの大陪審の証言でおかした失敗を話した。
「でも、こちらが正しいという自信はあるの?」。この質問には、これまでの会話に欠けていた熱気がこもっていた。「ヘンリー・キッシンジャーと話したことを忘れません」と夫人はつづけた。「彼は私のところにやってきて、こう言いました。『どうしたんですか、われわれが再選されないとでもお考えですか? ホールドマンについては、あなたがたの間違いですよ』って。それから、彼は腹をたてたのか、じつにひどい濡れ衣だといった意味のことを口にしました」” (「最高刑のジョン」 本書343頁)
ニクソン政権下のウォーターゲート・スキャンダルにおいて、ヘンリー・キッシンジャー(大統領国家安全保障担当補佐官、のち国務長官)は比較的“きれい”だったと言われている。本当か否か、あるいはどう“きれい”だったのかということに興味がある。
con 側の主張は同じ著者の続編『最後の日々』を読まねば十全とはいえない。pro 側の主張として最低キッシンジャー自身の証言(『キッシンジャー激動の時代』など)も聴かないと片手落ちになる。今は意見なし。
あらためて驚いたのだが、当時(1972年)、バーンスタインは28歳、ウッドワードは29歳の若さだった。
(文藝春秋文庫版 1980年11月)
4.マザー・グース「ハンプティ・ダンプティ」
ハンプティ・ダンプティが 塀の上 Humpty Dumpty sat on a wall,
ハンプティ・ダンプティが おっこちた Humpty Dumpty had a great fall;
王様の馬みんなと王様の家来みんなでも All the king´s horses, and all the king´s men,
ハンプティを元には 戻せない Couldn´t put Humpty together again.
(日本語訳は『Wikipedia』「ハンプティ・ダンプティ」項による)
原題は言うまでもなく『All the President's Men』。
ウォーターゲート事件について知識の整理をしてみる。
1.『ウィキペディア(Wikipedia)』より
「ワシントン・ポスト」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88
「ウォーターゲート事件」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88%E4%BA%8B%E4%BB%B6
2.「国際ジャーナリズム論(番外編)」より
隅井孝雄 「第14回 名乗り出たディープスロート、揺らぐ情報秘匿原則」 (2005年7月14日)
http://homepage2.nifty.com/sumee/journalism0514.htm
3.抜き書き
“「さて、ホールドマン〔引用者注。ハリー・ホールドマン(ハルデマン、ないしハルドマン)。大統領主席補佐官〕の問題ですけれど」とグレアム夫人〔引用者注。キャサリン・グレアム(グラハム)。ワシントン・ポスト社主〕は言ったが、その話を聞きたいのか自分でもわからないようだった。
ウッドワードはフォークをおいて、彼とバーンスタインがスローンの大陪審の証言でおかした失敗を話した。
「でも、こちらが正しいという自信はあるの?」。この質問には、これまでの会話に欠けていた熱気がこもっていた。「ヘンリー・キッシンジャーと話したことを忘れません」と夫人はつづけた。「彼は私のところにやってきて、こう言いました。『どうしたんですか、われわれが再選されないとでもお考えですか? ホールドマンについては、あなたがたの間違いですよ』って。それから、彼は腹をたてたのか、じつにひどい濡れ衣だといった意味のことを口にしました」” (「最高刑のジョン」 本書343頁)
ニクソン政権下のウォーターゲート・スキャンダルにおいて、ヘンリー・キッシンジャー(大統領国家安全保障担当補佐官、のち国務長官)は比較的“きれい”だったと言われている。本当か否か、あるいはどう“きれい”だったのかということに興味がある。
con 側の主張は同じ著者の続編『最後の日々』を読まねば十全とはいえない。pro 側の主張として最低キッシンジャー自身の証言(『キッシンジャー激動の時代』など)も聴かないと片手落ちになる。今は意見なし。
あらためて驚いたのだが、当時(1972年)、バーンスタインは28歳、ウッドワードは29歳の若さだった。
(文藝春秋文庫版 1980年11月)
4.マザー・グース「ハンプティ・ダンプティ」
ハンプティ・ダンプティが 塀の上 Humpty Dumpty sat on a wall,
ハンプティ・ダンプティが おっこちた Humpty Dumpty had a great fall;
王様の馬みんなと王様の家来みんなでも All the king´s horses, and all the king´s men,
ハンプティを元には 戻せない Couldn´t put Humpty together again.
(日本語訳は『Wikipedia』「ハンプティ・ダンプティ」項による)