書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「エチオピアの日本人女医誘拐、ラマダン明けに進展か」

2008年09月30日 | 思考の断片
 「YOMIURI ONLINE 読売新聞」2008年9月30日12時55分。
 〈http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080930-OYT1T00419.htm

 あまりたいしたニュースとしては扱われていないらしい。2004年のイラク日本人人質事件を思えば、世間の空気も変わったものだという感想。
 ところのあの騒ぎの最中、小林よしのり氏が氏の思想的な敵対者に向かい「自己責任で死んでくれ」という罵倒を投げつけていたが、「死ね」では、あるいは「死んだらいいのに」でも、誹謗中傷として名誉毀損や侮辱、業務妨害などの罪で告訴されうると聞くが、この言い方はその点大丈夫なのかどうか。

「『10人に1人は人種至上主義者』豪の大学が調査」

2008年09月30日 | 思考の断片
 「msn 産経ニュース」2008.9.30 08:48。
 〈http://sankei.jp.msn.com/world/asia/080930/asi0809300850000-n1.htm

 10人に1人は異民族間の結婚は認められないとし、同じく10人に1人が、すべての民族が平等ではなく、自分たちより劣る民族もいると考えていた。

 オーストラリアは要は田舎だということだ。かつてのワン・ネーション党を見ればわかる。白人のオーストラリア人は田舎者。こんなこと、正直に口に出すかね。

またこんな馬鹿なことをする

2008年09月27日 | 抜き書き
▲「中央日報 Joins.com」2008.09.26 18:44、「『対馬島は韓国の領土』 全国地図が登場」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=105295&servcode=400§code=400

 対馬島の部分を見ると、日本の地図には見られない新羅(シルラ)の使臣・朴提上(パク・ジェサン)の殉国碑、崔益鉉(チェ・イクヒョン)先生の流罪地など、韓国関連遺跡地が案内されている。 対馬島には日本式の地名がなく、対馬島最大都市の厳原は‘オムウォン’と表記されている。

「『寺田屋』は鳥羽伏見の戦いで焼失 京都市が公表 展示改善を要請」

2008年09月26日 | 抜き書き
 「The Kyoto Shimbun Web News 京都新聞」2008年9月25日。
 〈http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008092500194&genre=I1&area=K00

 幕末の「寺田屋騒動」などの舞台として伏見観光の人気スポットとなっている京都市伏見区南浜町の旅館「寺田屋」について、市は25日、「(建物は)1868年の鳥羽伏見の戦いで焼失した」として幕末から残る建物ではないとの調査結果を公表した。(中略) 寺田屋は「あくまで市の見解であり、今までの旅館の取り組みがすべて否定されるものではない」と反論しているが、今後については「明確で分かりやすい展示を考えたい」としている。

 やれやれこわい事。(お登勢)

工藤忠 『皇帝溥儀 私は日本を裏切ったか』

2008年09月25日 | 抜き書き
 極東軍事裁判において、皇帝〔溥儀〕は、日本皇室に対し、何等のことも述べていない。天皇・皇后・貞明皇后〔大正天皇皇后〕をはじめ、皇族のことには、いささかも言及しておらぬ。これは、深い考えのあることと信じている。 (「第八 獄中の秋鴻皇后」、本書205頁。原文旧漢字)

 当否は分からないが、気に掛かったので書き抜いておく。

(世界社 1952年11月)

中江要介 『日中外交の証言』

2008年09月25日 | 政治
 いくら現在はもう退官しているとはいえ、元外交官(それも1984-1987年中国大使)が、「日本は少し油断すると大変やっかいなことをする危険な国だ」という日米安保条約「瓶の蓋」論を公然と容認(もしくは是認)するなど、あってよいのだろうか。「瓶の蓋」論は中国(と米国)の国益に沿った理論であり政策であり、日本の国際社会における活動を制約するという意味で、日本の国益には少なくともプラスにならない性質のものである。外交官とは自国を代表して他国と交渉する者であろう。だとすれば、もしこの人が中国大使の任期中かかる思想にもとづいて行動していたのなら、この人は当時、少なくとも日本国の外交官だったとは言えない。 

 参考:「世界読書放浪」2008/08/30、「日中外交の証言 中江要介著 2008 蒼天社出版」
  〈http://www.doblog.com/weblog/myblog/33838?TYPE=2

(蒼天社出版 2008年3月)

またこんな馬鹿なことを言う

2008年09月25日 | 抜き書き
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2008/09/25 08:45、辛貞録(同紙東京特派員) 「麻生新内閣:『極右閣僚』を布陣」
 〈http://www.chosunonline.com/article/20080925000017〉 

 同日発表された新内閣には、独島(日本名竹島)の領有権問題を教科書に明記することを主張し、従軍慰安婦の存在自体を否定してきた中山成彬元文部科学相が国土交通相として入閣したほか、日本の核武装を主張してきた中川昭一元自民党政調会長が財務相に起用されるなど、極右派が前面に布陣された。

ジョン・ハーシー著 石川欣一/谷本清/明田川融訳 『ヒロシマ〔増補版〕』

2008年09月24日 | 日本史
 米国では1946年8月「ニューヨーカー」誌に発表、まもなく単行本化。日本では1949年4月に邦訳(初版)出版。

Hendrik Hertzberg, Obituary, "John Hersey," The New Yorker, April 5, 1993, p. 111
April 5, 1993 Issue
http://www.newyorker.com/archive/1993/04/05/1993_04_05_111_TNY_CARDS_000365222

Obit of John Hersey, who died on March 24th at the age of 78. He had a distinguished career as a novelist and another as a teacher, but he was above all a reporter. "Hiroshima," his account of the experiences of six people who lived through the world's first atomic attack, may be the most famous magazine article ever published. It was the first and last article to ever occupy all the editorial space of an entire issue of "The New YorkerO--that of August 31, 1946-- and after, when it appeared as a book, it sold some 3 1/2 million copies, in many editions, and is still in print. Perhaps more astonishingly, its success was deserved. If ever there was a subject calculated to make a writer overwrought and a piece overwritten, it was the bombing of Hiroshima; yet Hersey's reporting was so meticulous, his sentences and paragraphs were so clear, calm, and restrained, that the horror of the story he had to tell came through all the more chillingly. Mentions his piece on P.T. 109 and J.F.K. Nevertheless, "HiroshimaO remains his crowning achievement. Though it is imbued with a profound moral sense, it does not preach. It does not hector. It simply tells. The power if it, and of its author, is in the reporting.

(法政大学出版会 2003年7月増補版第1刷)

保阪正康 『昭和天皇』 下

2008年09月24日 | 日本史
 確かに「戦争責任」という語は、行動が伴わなければ単なる「言葉のアヤ」にすぎない。天皇が言わんとしている意味も、「君主の言葉には実行が伴わなければそれは不誠実だ」ということであろう。 (「補章(二)昭和天皇の秘められし『言語空間』」、本書324頁)

 昭和50(1975)年10月31日の日本記者クラブにおける記者会見での、有名な質疑応答に関する著者の解釈。以下、その質疑応答部分原文。

 記者 陛下は、ホワイトハウスの晩餐会の席上、「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言をなさいましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるということでですか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか。
 陛下 そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます。 (高橋紘 『陛下、お尋ね申し上げます』文藝春秋、1988年3月、226-227頁から)

 上下巻を通読して、そうかも知れないという感想を持つ。

(中央公論新社 中公文庫版 2008年7月)

安全地帯の戦争屋

2008年09月24日 | 抜き書き
▲「大公報」2008-9-23、無署名 「警麻生輸出日本『內困』」
 〈http://www.takungpao.com/news/08/09/23/LT2-965008.htm

  麻生太郎已經粉墨登場,擺在他面前需要最優先處理的,自然是總裁選舉中的爭論焦點──國內經濟和民生問題。但在全球金融危機的大背景下,麻生在經濟上可進行的政策選擇相當有限。日本議會選舉即將到來,在國內政策難有作為的情況下,打「外交牌」往往能夠轉移注意力,聚集人氣,提升支持率。中國應對日本輸出「內困」保持高度警,妥善處理雙邊關係中可能出現的各種各樣的問題,防止中日關係出現倒退。

▲「大公報」2008-9-24、陳群 「中日四大問題考驗麻生」
 〈http://www.takungpao.com/news/08/09/24/LTB-965574.htm

  以「強硬派」著稱的麻生充滿「麻生主義情結」――成為政治大國一直是日本這個第二經濟大國夢寐以求的願望。追隨美國、鉗制中國、東海爭議、力爭「入常」、建正規軍……都是帝國意識的典型表現。

 唐淳風(敬称略)や朱成虎(敬称略)とおなじ。「日本(米国)が攻めてくる(かもしれない)!」と、自分は弾の飛んでこない後方にいながら、他人だけ煽る。