goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「明国太祖・朱元璋は高麗人だった?」 から

2010年03月31日 | 抜き書き
▲「人民網日本語版」15:16 Mar 30 2010、編集KM。(部分)
 〈http://j1.peopledaily.com.cn/94475/6934964.html

 韓国第2のテレビ局・MBC(韓国文化放送)の「神秘なTV サプライズ」は、世間に明かされていない重要な秘密を紹介する番組だ。3月7日放送のテーマは、「中国明朝の祖・朱元璋の出生の謎」で、朱元璋が高麗人だった可能性が探られた。翌8日、韓国最大の新聞「中央日報」ウェブサイト版には、「明の太祖・朱元璋は高麗人だった?中韓両国の歴史学者が激論」と題する文章が掲載された。これらの報道を見た韓国国民からは、朱元璋が韓国人だったとは思いもしなかったとの感想が続々と挙がり、「歴史を書き直すべきだ」という主張も相次いだ。「環球網」が伝えた。

 「朱元璋高麗人説」を知った韓国人ネットユーザからは、「考えもしなかった」「大きなショックを受けた」「中韓の歴史は書き直すべきだ」などの反応が見られた。一方、「それほど意外なことではない」、「明朝はもともと、高麗人が成立させた」という意見もあった。

 韓国人が唱えるという「~~は実は韓国人だった」説、しかしこれはネット上のデマではなくて、本当らしい。
 だがもし説の中身が正しかったとしても、それがどうした。それを聞いて快哉を叫ぶお前に、何か関係あるのか。

「【社説】小学生に『独島は日本領』と植え付ける日本政府」 から

2010年03月31日 | 日本史
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2010/03/31 08:22:49。(部分)
 〈http://www.chosunonline.com/news/20100331000012

 数多くの日本の知識人ですら、「独島に対し、日本が領有権を主張するのは難しい」と認めている。

 数多くの知識人のいちいち名前を挙げてみろ。 

 にもかかわらず、日本政府は小学生の脳裏に誤った領土概念を植え付け、未来の対立の火種を残す挑発的な行動に出たといえる。

 人殺しのテロリストを「平和主義者」と植え付けるお前ンとこよりマシだろう。

橋本萬太郎 『言語類型地理論』

2010年03月27日 | 人文科学
 世界の言語に関する概説かと思いきや、大カトーの演説のごとく、あるいは昔の熊本の演劇のごとく、何をテーマに取り上げても落ち着くところはただ一つであって、「さて中国語はといえば・・・・・・」という、すこし変わった本であるが(朝鮮語のこともすこし出てくるが)、その「中国語」(という名称で通常呼ばれる言語とその諸「方言」)についての指摘と洞察が、やたら面白い。
 古代の「中国語」は、どちらかといえば南方的要素が強く、名詞句において修飾語は名詞の後についた。名詞句において形容詞などの名詞修飾語が名詞の後につく言語は、統計的に、動詞句は、目的語は動詞の後にくるものだという。そして、「中国語」は、本来の南方型の言語であったが、まず名詞句において北方のアルタイ系言語による影響を受けて(紀元前10世紀末以前)語順が逆転し、ついで動詞句がそれに続いた(紀元後9世紀以降)という。この変化は、北部(だいたい華北地域)のそれにおいてとくに著しい(「第2章 統辞構造の推移」、73-75頁)。
 ちなみにこれら「中国語」おける統治構造の二段階に渡る変化は、前者は時期的に殷周の交替期、後者は唐末五代期以後に当たっている。前者はもともと西方起源で東方起源の殷(商)とは民族を異にする周、後者はもちろんアルタイ諸語に属するテュルク諸語を話す、北方のテュルク系民族による侵入があった時期である。

(弘文堂 1978年1月)

「中国毒ギョーザ:対日配慮か 首相相互訪問にらみ」 から

2010年03月27日 | 抜き書き
▲「毎日jp」2010年3月27日 10時34分 更新:3月27日 11時4分、北京・浦松丈二。(部分)
 〈http://mainichi.jp/select/today/news/20100327k0000e030017000c.html

 中国製冷凍ギョーザによる中毒事件で、中国当局が製造元の天洋食品(河北省石家荘市)の元臨時従業員、呂月庭容疑者(36)逮捕をこの時期に発表したのは、中国と欧米との関係がぎくしゃくするなか、日本の対中世論を好転させようとする中国指導部の意向を反映したものとみられる。/日中両政府は5月1日に開幕する上海万博に合わせた鳩山由紀夫首相の訪中と温家宝首相の訪日の調整をスタートさせており、中国側はギョーザ事件を解決することで首相相互訪問を後押しする方針とみられる。

 いちばん納得できる解釈。

 しかし、地元の河北省警察当局は「犯人逮捕までは中国側で毒物が混入されたことを証明できない」と強く抵抗。中間報告の発表は見送られ、中央の公安省主導で捜査が続けられてきた。

 この一連の事件の背景について、構図が知りたい。「中央対地元」なのか、「中央対地元につながる別の中央」なのか。

 →「asahi.com」2010年3月27日7時19分、「ギョーザ事件 呂月庭容疑者、08年に一時拘束」(部分)
 〈http://www.asahi.com/national/update/0327/TKY201003270010.html

 事件発生から2年が過ぎても捜査態勢を維持。呂容疑者を含めた臨時工へのねばり強い聴取を進め、ようやく自供を得たものとみられる。日中首脳会談のたびに日本側が毎回、事件解決を強く求め、「日本政府や国民が事件をきわめて重く見ていることがよく伝わった」(中国政府関係者)といい、胡錦濤(フー・チンタオ)指導部がメンツをかけ、捜査部門に事件の解決を指示した結果ともいえる。

 誰か有力者が捜査に介入していたのではないのか。

 →「msn 産経ニュース」2009.12.27 15:40、共同「ギョーザ事件指揮官が転出 中国、解決の意欲後退か」(部分)
 〈http://sankei.jp.msn.com/world/china/091227/chn0912271542000-n1.htm

 事件捜査は、製造工場の従業員数人を拘束して聴取したものの、犯人を特定できないまま難航中。こうした状況下での指揮官異動は、中国側が「事件解決への意欲を後退させている」(日本外交筋)ことが背景にあるとみられる。

宮崎市定『アジア史概説』を読み返して発見したこと

2010年03月26日 | 抜き書き
 カザフ人のことを、20世紀前半期までの誤称(帝政ロシアにおける通称)であった「キルギス人」のままで記している(「第六章 最近世文化の東漸」、本書342頁)
 ロシアのコサックについて、はっきり「半遊牧のトルコ系民族」と定義してある(「第六章 最近世文化の東漸」、本書343頁)。

(中央公論社版 1987年2月 もと学生社 1973年8月)

董国強編著 関智英/金野純/大澤肇編訳・解説 『文革 南京大学14人の証言』

2010年03月24日 | 政治
 文化大革命時代には「毛主席万歳!」と叫んで辺り構わず物を叩き壊し、四人組裁判が始まると「騙されていた」と怒りに身を震わせ、天安門事件(第二次)が起こると「僕はもう学生に中国を教えられない」と暮夜啜り泣き、そうして21世紀ももはや10年が過ぎたこんにちに至って「でも僕はやはり中国が好きなんだ」と言う人間がもし居るとすれば、それは所詮他人事だからだろう。

(築地書館 2009年12月)

「人はなぜそれをするのか(=仕事にするのか、あるいは生業にするのか)?」という問い

2010年03月23日 | 思考の断片
 それによって存在するからですよ。 (宮崎駿・NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』2007.3.27「映画を創る~宮崎駿・創作の秘密~」)

 それをしなければその人物に存在理由がなくなる、あるいは存在しないに等しくなる、ということであろう。よくわかる。
 だが、あるいは、こうも言えないか。
 ピアニストはピアノを弾くことでおのれを解放する。アニメーターは描いた絵を思いのままに動かすことによって解放される。物書きは文章を書くことによって解放される。「解放」とは難しい言葉遣いだが、つまりは脇目を振らず集中できる、さらに望むらくはそのことを心から楽しんでやれる、ということ。つまり、解放される(あるいはされたい)から、人はそれをするのである、と。
 しかしこのことは、逆に言えば、それをすることによって自らを解放できない人間は、(たとえ生業として成り立たせることができていたとしても、)本当はその仕事には向いていないということでもある。

吉川幸次郎 『漢文の話』

2010年03月22日 | 東洋史
●2010年03月04日「『ウィキペディア』「漢文」項 から
●2010年03月04日「『Wikipedia』「Classical Chinese」項 から

より続き。
 
 古代の記載のいとなみは、漢字としてよく表記し得る語だけを、口語の中からつまみあげ、書きつらねるという方法で、成立したと思われる。口語が A x B y であり、A と B のみが漢字をもち、x と y とは表記すべき漢字が用意されていない場合、ただ A と B とのみ記載し、x y をはぶく方法である。(略)/かくして記載語の A B は、はじめから口語の A x B y とは別のものとして発生し、存在したと思われる。/かくして記載語 A B が、口語 A x B y よりも、より簡潔な形であると、意識されたとき、記載語は意識的に、簡潔な上にも簡潔な方向へと、みずからをねりあげて行った。 (「第四 中国の文章語としての性質 その一」 本書68-70頁)

 著者は、「漢文」(著者の言葉を借りれば「記載語」)は、まったくの架空の人造言語ではないにせよ、成立の最初から、実際にはどこでも使用(口頭では)されたことのない人工的な言語であったと見なしている。ただし文法的には基本的に口語のそれを、簡易化しつつも踏襲したと見なしているようである(このところ、明言がないのではっきりしない)。

 「論語」の文章は、すでにその段階にあり、当時の口語との間に、すくなくとも最も口語的な口語との間に、相当の距離をもっていたと思われる。もっとも「論語」の場合は、孔子の言語の記録が大部分であるから、比較的に口語的要素が多いとも考えられるが、しかし口語との距離は、すでに相当であることが、より大きな事実であろう。 (「第四 中国の文章語としての性質 その一」 本書70頁)

 口語との関連がまったく途切れた後世の「記載語」(漢文・文言文)は、それ自体だけの、自己完結し閉じられた、語彙・文法が成立当初のまま固定化した世界のなかで、「簡潔さ」を求める運動、あるいは洗練、発達へのいとなみを、営々と続けていくことになったということであろうか。

(ちくま学芸文庫版 2006年10月)

植田樹 『コサックのロシア 戦う民族主義の先兵』

2010年03月21日 | 世界史
 現在、ソ連崩壊後のロシアにおいてコサック(とその共同体)は、「職業」や「身分」ではなく「民族」であると見なされ、「チェチェン人やクリミア・タタール人の民族に準じる集団」(「8 ロシアの現在とコサックの役割」本書245頁)として扱われているそうだ。

(中央公論新社 2000年4月)

浅野裕一 『墨子』

2010年03月21日 | 東洋史
 墨子は(あるいは墨家)は、なぜ自然資源を有限と考えたのか(→「第六章 節用上篇」「第七章 節葬下篇」)。というより、現に手元に有る(もしくは恒常的に確実に手に入るものとして計算に入れることが出来る)物産を節約することしか頭にないのはなぜか。

(講談社 1998年3月)