中国歴代の暦算学者の伝記集。「疇人」は『史記』の語に因む。参考。
1799(嘉慶四)年刊。つまり乾嘉の学の産物である。
阮元は王年孫を通じて戴震の学派の流れを汲み、清朝考証学の最盛期にそれを集大成する役割を果たした存在であると同時に、宋学を批判しつつも漢学を墨守することなく、自身の創見(ときとしてかなりの僻見)を陳べるのを辞さなかった点、次の時代の今文学派への橋渡しとなる学風を持っていたと評される(狩野直喜『中国哲学史』「阮元」条)。
巻三十六に黄宗羲の伝がある。阮元は評して曰く、「博覧群書、兼通歩算」。歩算とは算術、数学のこと。
この書にはあっと驚くような以外な人物が「疇人」として収録されている。
反対に、入っていないこともある。清代に限って言えば、例えば、
1. 戴震は入っている。(これは当然である。)
2. 顧炎武は入っていない。(これもまあ妥当な判断かと思う。)
3. 恵棟、王鳴盛といった呉派も入っていない。(これも同様。ただし銭大も入っていないのは少し意外。)
なお、この書は時代順、王朝毎にその時代の人物の伝が配列されているが、三国時代、蜀漢からは一人も挙げられていない。魏・晋は各一名づついる。理由はわからないが興味を惹いたので記しておく。
(北京 中華書局 1991年 文選楼叢書版)
1799(嘉慶四)年刊。つまり乾嘉の学の産物である。
阮元は王年孫を通じて戴震の学派の流れを汲み、清朝考証学の最盛期にそれを集大成する役割を果たした存在であると同時に、宋学を批判しつつも漢学を墨守することなく、自身の創見(ときとしてかなりの僻見)を陳べるのを辞さなかった点、次の時代の今文学派への橋渡しとなる学風を持っていたと評される(狩野直喜『中国哲学史』「阮元」条)。
巻三十六に黄宗羲の伝がある。阮元は評して曰く、「博覧群書、兼通歩算」。歩算とは算術、数学のこと。
この書にはあっと驚くような以外な人物が「疇人」として収録されている。
反対に、入っていないこともある。清代に限って言えば、例えば、
1. 戴震は入っている。(これは当然である。)
2. 顧炎武は入っていない。(これもまあ妥当な判断かと思う。)
3. 恵棟、王鳴盛といった呉派も入っていない。(これも同様。ただし銭大も入っていないのは少し意外。)
なお、この書は時代順、王朝毎にその時代の人物の伝が配列されているが、三国時代、蜀漢からは一人も挙げられていない。魏・晋は各一名づついる。理由はわからないが興味を惹いたので記しておく。
(北京 中華書局 1991年 文選楼叢書版)