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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

思考の断片の断片(43)

2007年10月30日 | 思考の断片
● 「心にもないことを言ってしまった。」
 感情にまかせて誰かに暴言を吐いた後で、「ゴメンナサイ」の言葉と一緒によく聞く文句。
 ないものをどうして言えるか。あるから言えるのだ。


●口先だけ達者な相手への対処法。
 法螺でもはったりでもあるいは口汚い侮辱でも、どんな手段でも使って、とにかく相手をやりこめて自分の言い分を通せばそれで勝ちと思っている相手に、まともな話し合いのルールや人としての礼儀を守っていて、敵うわけはない。

川人博 『金正日と日本の知識人 アジアに正義ある平和を』

2007年10月28日 | 政治
 neto氏は「世界読書放浪」で、姜尚中氏や佐高信氏について、日本の保守政権を攻撃するダシに北朝鮮を持ち上げているだけで、本心はあの国を支持しているわけではあるまいと言う。しかし氏の意見は両氏に対してあまりにも失礼ではなかろうか。これでは姜氏と佐高氏が口と胆がまるで違う、腹黒い悪人になってしまう。私は、彼らは本心から金正日氏を崇拝し、朝鮮民主主義人民共和国を愛しているのだと思っている。

(講談社 2007年6月)

思考の断片の断片(42)

2007年10月28日 | 思考の断片
 心底「死ね」と思えるほど憎む対象が、近年増えてきた。自然死でも何でも、一刻も早くこの世から消滅しろと思う。おのれがいかに下らない人間か、齢と共に身に沁みて自覚しながら、なおかつそうである。そうして人に優しくなるのではないのか。一体どうしたことだろう。まったく大人げない。

水谷尚子 『中国を追われたウイグル人 亡命者が語る政治弾圧』

2007年10月28日 | 政治
 「祖国に逆らうチベット族など何人殺したって構わない」と言った中国人(漢族)を、私は知っている。「祖国に逆らうウイグル族など何人殺したって構わない」と言う中国人(漢族)は、やはりいるのだろうか。もっともいたとしてもどうでもいいことだが。馬鹿と関わり合うのは一瞬なりとも時間の無駄である。馬鹿は何処にでも居る。さなきだに国内に数多居る。

(文藝春秋 2007年10月)

矢吹晋 『激辛書評で知る中国の政治・経済の虚実』

2007年10月27日 | 政治
“文化大革命以後に再復活した小平は後継者養成に力を入れて、自らは表向きナンバーワンの地位につくことをせず、後継者の養成に意を用いた。これと比べて江沢民は、胡錦濤に表向きで権力を譲ったように見せかけ、実は権力の保持に腐心した、この結果、「二つの司令部」が生まれ、胡錦濤の指導は妨げられ、下部は大混乱に陥った。その最も典型的な事例が二〇〇五年春の反日デモ騒ぎである。これは江沢民‘会長派’の反日政策を「中日新思考」の考え方に立つ胡錦濤‘社長派’が軌道修正しようとして、両者の葛藤の過程で生じた摩擦であるとみるのが矢吹の見方である。” (「第2章 嫌日の深層へ――江沢民の漢奸トラウマとは何か」 本書66頁)

 江蘇揚州生まれの漢奸の息子は、その出自にまつわる心の傷のゆえにか、はたまた単におのれの権勢を守るためにか、自国にとり不可欠な経済的パートナーである隣国との関係を、むこう数十年間もとに戻らないであろうほど台無しにしてまで、一国を挙げて反日敵視政策を推進しましたとさ。

(日経BP社 2007年5月)

徳富蘇峰 『徳富蘇峰 終戦後日記Ⅳ 「頑蘇夢物語」完結篇』 

2007年10月15日 | 日本史
 徳富蘇峰の生涯の敵は福沢諭吉だった由。意外に感じると同時にそれはそうだろうなと腑に落ちる気もする。
 ところで254頁6行目、「予は何れにあれ、民友社から営利事業を、全部切り離す事を希望していたから、その目的さえ達すれば、予には別に遺憾はなかった」のあと、本書中、ここだけ“(中略)”とある。理由についての説明はない。巻末、伊藤隆氏の「解説」でも触れられていない。

(講談社 2007年8月)