“文化大革命以後に再復活した小平は後継者養成に力を入れて、自らは表向きナンバーワンの地位につくことをせず、後継者の養成に意を用いた。これと比べて江沢民は、胡錦濤に表向きで権力を譲ったように見せかけ、実は権力の保持に腐心した、この結果、「二つの司令部」が生まれ、胡錦濤の指導は妨げられ、下部は大混乱に陥った。その最も典型的な事例が二〇〇五年春の反日デモ騒ぎである。これは江沢民‘会長派’の反日政策を「中日新思考」の考え方に立つ胡錦濤‘社長派’が軌道修正しようとして、両者の葛藤の過程で生じた摩擦であるとみるのが矢吹の見方である。” (「第2章 嫌日の深層へ――江沢民の漢奸トラウマとは何か」 本書66頁)
江蘇揚州生まれの漢奸の息子は、その出自にまつわる心の傷のゆえにか、はたまた単におのれの権勢を守るためにか、自国にとり不可欠な経済的パートナーである隣国との関係を、むこう数十年間もとに戻らないであろうほど台無しにしてまで、一国を挙げて反日敵視政策を推進しましたとさ。
(日経BP社 2007年5月)