書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

山田正行 『アイデンティティと戦争』

2010年06月30日 | 人文科学
 副題「戦中期における中国雲南省滇西地区の心理歴史的研究」。

 彼〔引用者注・オーラルヒストリー聴き取り調査の対象となったタイ族の男性〕に対して、筆者が日本の戦争責任を自覚し、個人としてではあるが、反省と謝罪を表明し、その上で改めて証言を求めると、彼は証言を始めた。 (「第2章 滇西地区における侵略戦争と抵抗」「第2節 滇西地区におけるジェノサイド」 本書97頁)

 “個人として”というところが、勝手に日本人を代表して“反省と謝罪”をしてまわる、そこらへんの凡百の輩とは違う。しかし、1953年生まれ(筆者略歴による)の筆者が、反省はべつとしてどうして謝罪しなければならないのだろうかという疑問は、払拭されない。連帯責任ということであろうか。それでは、この人は、戦争中の損害賠償を起こされたら、自分とは縁もゆかりもない国籍が同じというだけの過去の日本人の罪業のために、“個人として”、自分の財産から賠償金を拠出する準備があるのだろうか。そうであるならとても立派である。私にはとても真似できないし、そもそもやろうとも思わないが。
 巻末の著者略歴では「アウシュヴィッツ平和博物館理事」とある。
 そのことでしりとり話になるが、中国の反日政策や“市民運動”が猖獗を極めるあいだだけ活発に活動し、対日政策が転換したととたんにほぼ休止状態になった、ドイツ戦後処理を賞賛し「それにひきかえ・・・」と日本をさかんに非難した人びとやその活動(たとえばこのインターネット掲示板)は、あれは一体なんだったのろう。やはり、中国の意向を体した国内のシンパ・別働隊の攪乱工作か、あるいはエージェントによる扇動活動だったと見るのが妥当なのかしらん。

(グリーンピース出版界 2002年5月)

「At Russia-China Border, Bear Paws Sell Best」 から

2010年06月30日 | 
▲「The New York Times」June 29, 2010, By ANDREW E. KRAMER. (部分)
 〈http://www.nytimes.com/2010/06/30/world/asia/30animals.html?hp

 BLAGOVESCHENSK, Russia ― It was a routine arrest, warranting only a brief mention in the local newspaper, Amur Pravda. Customs agents, suspicious of a woman’s bulky clothing, discovered she had tape wrapped around her torso./Removing it, they found the contraband: several large, furry bear paws./Closed for decades, the border between Russia and China has been creaking open in recent years, allowing more trade and travel but also clearing the way for a peculiar cross-border criminal enterprise in animal parts for Chinese medicine and cooking. [...] But it is bear paws, a ritual dish for the Chinese, that are the most common commodities in this underground market, Mr. Vaisman said. He estimated that thousands were smuggled each year.

 いま、中国料理の熊の掌の多くがロシア産だそうな。

YouTube 『ロマンスの神様 広瀬香美 ap bank fes'08 HD』

2010年06月30日 | その他
http://www.youtube.com/watch?v=8dsZkH7wsoo&feature=related

 画面を見ているだけでも感じるほどの、うだる暑さの夏(櫻井さんの顔を見ろ)を、タオル一枚振るだけで瞬く間に雪積む冬へと変えた、歌のうまさと声量には昔から感嘆していたが、べつに好きでもなかったこの人の、その持つカリスマに、鳥肌が立った。
 もっともこの寒気、20パーセントくらいは、歌の前のトークでこの人が見せた、何とも言えない独特の間のせいもあるけれど。

文明にあらざれば独立は保つべからず

2010年06月29日 | 思考の断片
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2010/06/29 16:46:14、「【社説】韓国型宇宙ロケット開発戦略の見直しを」 (部分)
 〈http://www.chosunonline.com/news/20100629000062

 羅老号の失敗は、技術の自立なき宇宙開発の限界を如実に示した。

 これしきの教訓を、じっさいにやっていくら掛かったのか知らないが莫大な血税を費やした挙げ句でなければわからないというところがわからない。
 しかしそれにしても、こと羅老号に関するかぎり、韓国のやっていることは、江戸幕府が幕末にやっていたことと変わらないことに驚きを覚える。

 英に千艘の軍艦あるは、ただ軍艦のみ千艘を所持するにあらず、千の軍艦あれば、万の商売船もあらん。万の商売船あれば、十万人の航海者もあらん。航海者を作るには、学問もなかるべからず。学者も多く、商人も多く、法律も整い、商売も繁盛し、人間交際の事物、具足して、あたかも千艘の軍艦に相応すべき有様に至て、始て千艘の軍艦あるべきなり。(略)他の諸件に比して割合なかるべからず。割合に適さざれば、利器も用を為さず。(略)けだし巨砲大艦は以て巨砲大艦の敵に敵すべくして、借金の敵には敵すべからざるなり。今、日本にても、武備を為すに、砲艦は勿論、小銃軍衣に至るまでも、百に九十九は外国の品を仰がざるはなし。あるいは我製造の術、いまだ開けざるがためなりというといえども、その製造の術のいまだ開けざるは、即ち国の文明のいまだ具足せざる証拠なれば、その具足せざる有様の中に、独り兵備のみを具足せしめんとするも、事物の割合を失して実の用には適せざるべし。故に今の外国交際は、兵力を足して以て維持すべきものにあらざるなり。 (福澤諭吉『文明論之概略』巻六「第十章 自国の独立を論ず」)

 これは、福澤が幕府のそんな安直な“近代化政策”を批判した内容である。同時に、たくまずして、当時進行していた中国清朝の同種の近代化政策である洋務運動の失敗を予見した内容になっている。のち、幕府に替わった明治政府は、福澤の唱える近代化の道を採った(だから福澤はいろいろ不満をもち、批判もしたが、基本的には明治政府を支持しつづけた)。清政府は、日清戦争で日本に敗けて、自らの政策の誤りに気が付いた。ところが韓国はまだこれが分かっていないのだろうか。まさかね。

 無産の山師が外国人の元金を用いて国中に取引を広くし、その所得をば悉皆金主の利益に帰して、商売繁盛の景気を示すものあり。あるいは外国に金を借用して、その金を以て外国より物を買入れ、その物を国内に排列して、文明の観を為すものあり。石室、鉄橋、船艦、銃砲の類、これなり。我日本は文明の生国にあらずして、その寄留地というべきのみ。結局この商売の景気この文明の観は国の貧を招て、永き年月の後には、必ず自国の独立を害すべきものなり。 (同上)

 →2005年02月18日「坂出祥伸 『大同書』 / 譚嗣同著 西順蔵・坂元ひろ子訳注 『仁学 清末の社会変革論』」参照。

Caesar 『The Conquest of Gaul』

2010年06月29日 | 西洋史
 カエサル『ガリア戦記』。
 Translated by S.A. Handford.

 読んでみると、ガリアとガリア人についてそれほど筆が割かれているわけではなかった。地誌ではなく戦況報告なのだから、当たり前ではある。
 カエサルの文章(というか文体)は、水晶のような完璧さを誇る。それが分かったのは、この訳者の見事な翻訳による。英語として達意でありながら、英語的でないトーン――おそらくは原典のラテン語の持つスタイル――を、残している。昨日の桑田さんの他人の楽曲のカバーの話ではないが、これがほとんど超人の業であることは、同業者のはしくれとしてわかる。

三橋広夫訳 『韓国の高校歴史教科書 高等学校国定国史』

2010年06月28日 | 東洋史
 「世界の教科書シリーズ」第15巻。

 わが民族は5000年以上の悠久の歴史を持ち、世界史上まれな単一民族国家としての伝統が続いている。 (「I. 韓国史の正しい理解」 本書16頁)

 他人事ながら恥ずかしいなあ。恥ずかしいついでに、「韓民族は世界一知能指数の高い民族である」という記述があるかどうか探してみたが、なかった。過去に会った何人もの韓国人がそう言っていたので、てっきり国定歴史教科書にでもそう書いてあるのかと思っていたのだが。いや本気で。
 話を戻すと、だから夫余、高句麗、沃沮、東穢、三韓はすべて韓民族の国家なのである(「II. 先史時代の文化と国家の形成」「2 国家の形成」本書30頁)。
 いちいち相手にしているとしんどいから、それはもういいのだが、今度はそうするとである、これらの諸国が存在したのは「満州と韓半島各地」(同頁)だから、つまり今日の中国東北地方も現在の韓(朝鮮)民族の国家=韓国の領土であるということになる。中国の東北工程がなるほどこれは認められないわけだ。
 
(明石書店 2006年12月)

高崎宗司/朴正鎮(パクジョンジン)編著 『帰国運動とは何だったのか 封印された日朝関係史』

2010年06月28日 | 政治
 騙した側も悪いが騙された側も悪い、だから日本に(また“も”だ)責任がある、だから日本(日本政府・日赤・日本人)は反省しろというのはどういう論理であろう(高崎宗司「第一章 帰国問題の経過と背景」)。

(平凡社 2005年5月)

石渡延男監訳 三橋広夫訳 『入門韓国の歴史 国定韓国中学校国史教科書』

2010年06月28日 | 東洋史
 1945年8月15日、日本の降伏で第二次世界大戦が連合国の勝利に終わると、わが民族は日帝のきびしい植民地統治から解放され、ついに感激すべき光復を迎えた。われわれが光復を迎えられるようになったのは、連合国の勝利がもたらした結果といえるが、その間わが民族が日帝に抵抗し、たゆまず展開してきた独立運動の結果であるといえる。 (「XV 大韓民国の発展」「1 光復と分断」 本書366頁。太字は引用者)

 “も”の輝きが格別である。つまり日本の降伏は朝鮮民族が「日帝に抵抗し、たゆまず展開してきた独立運動の結果」なのである。しかし、万が一の逆櫓に、「そう書いてあるではないか」と責められたら、「連合国の勝利がもたらした結果」と書いていると、言い抜けられるようにしてある周到さ。
 さて期待の安重根に関する記述だが、

 国内外で義兵将として抗日戦を展開していた安重根(アンジュングン)は、初代統監としてわが国侵略の先頭に立っていた伊藤博文をハルビンで処断した(1909)。 (「XIII 近代国家運動」「4 義兵戦争」 本書318頁)

 とある。
 これは賢い。“戦争”なら殺人は罪にならない。しかも義兵、正義の戦争なのだから公然と、一点の疚しさもなく賞賛できる。民族差別丸出しに“処断”などと思い切り上から目線の言葉を使っても問題にはならない。ちなみに“処断”とは本来法に照らして処分することで、つまり合法的な行為の謂である。
 もっと賢いのは、韓国人(というか北朝鮮人もふくめた全体としての朝鮮民族)は、個々人の頭のなかで「これは戦争だから」と勝手に思いさえすれば、日本人を(あるいはすべての外国人を)、いつでもどこでも好きに殺せるのである。韓国人は、「これは義兵である。処断したのだ」と言えば殺人を犯しても無罪になるのである。素晴らしい!だがそんなことを全国の中学生に教えるのは狂気の沙汰だ!

(明石書店 1998年11月)

宋讃燮/洪淳権著 藤井正昭訳 『概説韓国の歴史 韓国放送通信大学校歴史教科書』

2010年06月28日 | 東洋史
 「世界の教科書シリーズ」第9巻。
 隣国の一市民から見て、これはかなり冷静で客観的な内容だといえる。

 一九〇九年には安重根(アンジュングン)がハルビン駅で朝鮮侵略の元凶・伊藤博文を射殺した。〔略〕日帝の侵略に反対して国内外で繰り広げられたこのような愛国闘争は、日帝の侵略の野望を暴露し、民族の抗日の意思を高めたが、個別的で孤立した闘争では、すでに傾きはじめた民族の運命を反転させることはできなかった。 (「第3部 近代社会」「第12章 “保護条約”の締結と国権回復運動」 本書328頁)

(明石書店 2004年1月)