書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

金熙徳/林治波 『日中「新思考」とは何か 馬立誠・時殷弘論文への批判』

2012年12月31日 | 政治
 いまとなってはほとんどトンデモ本である。「〔日本では〕むき出しの『中国叩き』が日常的に行われているのと比べ、中国の民族主義はむしろ遙かに穏やかなものである」(金熙徳、23頁)や、日中関係の目指すところは「善隣関係」であり、それは「『不再戦』を具体化しかつ現実化にする〔ママ〕こと」(同、143頁)であるやら、「同じ侵略者であるドイツが侵略の犯罪行為を心から反省できたのだから、日本も当然そうできるはずだ」(林治波、45頁)やら、2012年の大晦日の目で眺めると、噴飯ものである。
 金熙徳・中国社会科学院日本研究所教授(当時)は、結局学匪でその報いがきていまは塀の中(の筈)だし、林治波・「人民日報」評論員(論説委員)(当時)は阿呆の癖に人に上から説教を垂れたがるたわけだからどうでもいいのだが。

(日本僑報社 2003年9月)

長田幸康 『仏教的生き方入門 チベット人に学ぶ「がんばらずに暮らす知恵」』

2012年12月31日 | 地域研究
 チベットは夢の土(くに)で、チベット人はみないい人ばかりのよう。西川一三や木村肥佐生、またリンチェン・ドルマ・タリンが伝えるチベットとチベット人とはずいぶん違う。生きて行くだけでも苛烈な自然と人文の場所である筈だ。

(ソフトバンククリエイティブ 2007年5月)。

クンサン・ハモ 『小さい母さん〔アマ・チュンワ〕と呼ばれて チベット、私の故郷』

2012年12月30日 | 地域研究
 同じ著者による『バター茶をどうぞ 蓮華の国のチベットから』(文英堂 2001年10月)同様、とにかくことばが美しい。編集者の手が相当入っているのかもしれないが、日本人でもこれほど見事な日本語の文章をかける人は少ないのではと思える。

(集英社 2006年10月)

井上雄彦 『リアル』 12

2012年12月30日 | コミック
 『バガボンド』もそうだが、私はこの人のファンだから、基本「面白かった」以外の感想が持てない。進行やストーリーの組み立てでところどころ「?」と思う箇所がないではないが(「俺ならそうしない」と)、「何か考えるところがあるのだろう」と思ってしまう。

(集英社 2012年11月)

帯谷知可 「オストロウーモフの見たロシア領トルキスタン」

2012年12月29日 | 地域研究
 ニコライ・ペトローヴィッチ・オストロウーモフの伝える19世紀末-20世紀初頭の西トルキスタンにおける現地語・ロシア語“双語教育”事情。
 この人の『サルト(Сарты)』(3-е издание, Ташкент, 1908)という著書、読んでみたい。
 ちなみにこの人、1917年に1877年以来住んでいたタシケントから故郷のロシア・タンボフ県に帰っていたが、1921年に再びタシケントに戻っている。
 
(『ロシア史研究』76, pp. 15-27, 2005-05-25)

Sean R. Roberts 「Imagining Uyghurstan: re-evaluating the birth of the modern Uyghur nation」

2012年12月29日 | 地域研究
 長いばかりでくだらない。読むのに青息吐息となった。1921年以前に 'pre-national' identity が後に「ウイグル人」と呼ばれる人々の間にあったと主張するのだが、「なかった」とは誰も言っていない。あったのは確かだが、その程度と具体的な有り様がどうであったかが、問題なのだ。問題設定からしてずれている。もとがおかしいから、あとはいくら綿密に論を組み立て先行研究を丹念にひっぱってこようと、むしろそうであればあるほど、読む側はなぜ随いてゆかねばならないのかが分からず、苦痛になるだけだ。
 この論文には、'pre-national' identity の例証となりえる事例については多々挙げているが、肝心の'pre-national' identityについての定義がないから、挙げられるおびただしい事例を評価できない。西トルキスタンに逃れたタランチとトゥンガン(回族)と、それから東トルキスタンのカシュガルリク(カシュガル住民)にはあったというのだが、ではそれは裏を返せばそれ以外の新疆(天山山脈の南と北)地域には、なかったということである。これを「そんなにあった」と肯定的に捉えるのか、それとも「それだけしかなかった」と否定的に捉えるのか。評価の座標軸が示されないから、当然評価もされない。それでは読む方は途方にくれる。
 それだけではない。そもそも本文にセルゲイ・マローフの名が出ず、「ウイグル」の語が選ばれた理由についても触れず、文献目録に日本人の研究が一つも見えないというのはどういうことだろう。
 しかしながら、少なくとも私にとっては、文献目録は辛うじて役に立った。1921年タシュケント会議についての関係研究(論文および著作)を知ることができたからだ。それ以外はいまのところ、どうしようもないという感想しか持たない。

(Central Asian Survey, vol. 28-1, 2009)

新免康 「『東トルキスタン共和国』(1933~34年)に関する一考察」

2012年12月28日 | 地域研究
 再読。勉強の積もりなので意見なし。ただ一事のみ確認した事柄を記しておく。論文中で引用される当時の資料中の記述や言説に、「東トルキスタン」はあるが「ウイグリスタン」はなく、「東トルキスタンの住民」はあるが「ウイグル人」はない(例えば「カシュガル地区政府設立趣意書」1933年11月12日付け・原文はヒジュラ暦、同論文12頁)。

(『アジア・アフリカ言語文化研究』46・47,1994, pp.1-42)

宮崎駿 『本へのとびら 岩波少年文庫を語る』

2012年12月27日 | 文学
 前半50冊の推薦文も良いが、後半部の語り下ろしをもとにした原稿が、いつも以上に熱が入っていて素晴らしい。児童文学の紹介というこの本のテーマを超え、私たちの住む世界の「終わりの始まり」を説き、そのなかでの自分の映画作りのあり方、そしてこれからの子供たち、世代へ託す思いが、「この子たちが生まれてきたのを無駄だと言いたくない」、直球で語られる。この人の常のように、しばらくすると正反対のことを言い出しそうな危うさをもつ“その情況下かぎりの論理”というところがない。

(岩波書店 2011年10月)

青木正兒 『青木正兒全集』  全10巻

2012年12月26日 | 東洋史
 再読。おなじ東洋史畑でも、内藤湖南や桑原隲蔵は分析的頭脳と学風の人だったと思う。もちろん二人とも、必要に応じて総合的思考も出来たが(内藤はむしろ総合的思考への傾向のほうが強い)、青木という人は、根っからの総合的思考の持ち主だったと思う。

(春秋社 1983年1月ほか)