いまとなってはほとんどトンデモ本である。「〔日本では〕むき出しの『中国叩き』が日常的に行われているのと比べ、中国の民族主義はむしろ遙かに穏やかなものである」(金熙徳、23頁)や、日中関係の目指すところは「善隣関係」であり、それは「『不再戦』を具体化しかつ現実化にする〔ママ〕こと」(同、143頁)であるやら、「同じ侵略者であるドイツが侵略の犯罪行為を心から反省できたのだから、日本も当然そうできるはずだ」(林治波、45頁)やら、2012年の大晦日の目で眺めると、噴飯ものである。
金熙徳・中国社会科学院日本研究所教授(当時)は、結局学匪でその報いがきていまは塀の中(の筈)だし、林治波・「人民日報」評論員(論説委員)(当時)は阿呆の癖に人に上から説教を垂れたがるたわけだからどうでもいいのだが。
(日本僑報社 2003年9月)
金熙徳・中国社会科学院日本研究所教授(当時)は、結局学匪でその報いがきていまは塀の中(の筈)だし、林治波・「人民日報」評論員(論説委員)(当時)は阿呆の癖に人に上から説教を垂れたがるたわけだからどうでもいいのだが。
(日本僑報社 2003年9月)