書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

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山本光雄訳 『イソップ寓話集』

2018年08月31日 | 西洋史
 各話の最後で、これはこれこれということ――概して教訓――のアレゴリー(という言葉は使われていないが)であると、すべて種を割ってみせている。文章作法上はつたなく見えるが、これは筆者と読み手の(たとえば時と場所を違えた私)文章表現に対する通念・感覚の違いに帰せられるのか、あるいは筆者もそう思いはしたが、自身の想定する読者の正確な理解を考えての付けたりの説明か。

(岩波書店 1942年2月)

トーレイフ・ボーマン著 植田重雄訳 『ヘブライ人とギリシャ人の思惟』

2018年08月24日 | 西洋史
 (古典)ヘブライ語では「やぐら」という詞は「征服しがたい者」「近づきがたいもの」「誇り」「純潔」「処女性」という意味もあるという(第二部第二章「人間の印象」本書120-121頁)。これらは隠喩・提喩そして換喩である。それぞれ結びつけかたが言語またその背後にある思惟もしくは文化伝統によって異なるということがよくわかる。理屈立てて説明されれば――実際ここでされているわけであるが――、一見してやぐらがどうして純潔になるのか、処女性を意味するのかはわかりにくい。

(新教出版社 1957年9月)


ミーニンとポジャルスキーって誰?赤の広場の銅像建立から200年 ゲオルギー・マナエフ

2018年02月21日 | 西洋史
 『ロシア・ビヨンド』2018年2月20日

 モスクワの「赤の広場」にミーニンとポジャルスキーの銅像が建立されてからちょうど200年になる。モスクワっ子の手にモスクワをとり戻した商人と貴族について振り返ってみよう。

 クジマー・ミーニンとドミトリー・ポジャルスキーの記念碑を建立することが初めて提起されたのは1803年のこと。1808年には、皇帝アレクサンドル1世がこれを支持して、記念碑建立のための寄付を募る勅令を出した。1812年にナポレオンのロシア遠征が起きたが、これは、プロジェクトの背後にあった愛国的感情をさらに強めただけだった。

 彼らは誰だったかも興味深いが、彼らはなぜ有名なのかなぜロシア史上の偉人として持ち上げられるのか、そして何時また如何にして彼らの銅像が建ったのかも、非常に興味深い問題だ。

八木雄二 『神を哲学した中世 ヨーロッパ精神の源流』

2018年02月16日 | 西洋史
 出版社による紹介

 英語のpassionが、passiveと源を同じくする語であって、現に「受動」という意味を持ちながら、なぜ同時に「感情・情熱」という意味にもなり、さらにはイエス・キリストの受難の意味でもありえるのかということが、ありありとわかった。こういう原理的なことを丁寧にしかもわかりやすく説くのはそれだけで名著と見なすに足ると、つねづね思っている。いまひとつ、私がこのテーマに関連して長らく分らなかった核心の一点を、やはり簡明な言葉遣いでずばり説明しておられることと合わせての感想。

 〔ペルソナは「仮面」から「人間精神の顔」へ、そして〕「一人一人で違う理性の性格」を意味するようになり、その結果として現代では個人の性格を意味する。 (154頁)

 つまり人間の性格とはまず第一に理性のそれなのである。これをさらに突き詰めれば、人間とは理性をもつ者、あるいは本質は理性そのものとなるであろう。

 十七世紀のデカルトが「我思う、ゆえに我在り」と言ったときの「我」は、情をもつ「理性的自我」である。
 (156頁)
 
 ところで「理性の情」と「感覚の情」(本書第5章「中世神学のベールを剥ぐ」の“フォーマルな知と情”、なかでも193-196頁あたり)は、それぞれ「本然の性」「気質の性」と、どこがどう違うだろうか。この著に新儒教のことが一切出てくるわけはないので、これは読んだ私の勝手な連想と疑問。

(新潮社 2012年10月)

BBC Radio 4 - In Our Time - How to be virtuous, according to Seneca the Younger

2017年03月02日 | 西洋史
  Seneca believed that there was a pervading divine reason that dominates the world: he said that the wise man would be able to discern it and follow it willingly, instead of being dragged along by an arbitrary faith. Living a life of virtue showed your respect for that divine reason.

 この形容から判断するかぎり、セネカの"reason"は朱子学の“理”に非常に近いと思える。


秦剛平訳 『七十人訳ギリシア語聖書 イザヤ書』

2017年02月20日 | 西洋史
 出版社による紹介

 「翻訳は学問的業績に値しない」とか、「原書ではなくて翻訳を資料に使うのは研究者として失格」とかと仰る向きは、この本などはもちろん価値はないし、この訳を利用する当該分野の研究者は失格、と仰るべきである。そしてさらに、そもそも聖書研究という営為自体が、『七十人訳』以前に原語テキストを遡るのが近年になるまで非常に難しかったのだから、聖書研究は学問として基本的に無価値で聖書研究者は研究者として失格と断言されてはどうか。それがご自身にとり論理的な言動である。また「それしかないのならそれでやるしか仕方がないだろう」という意見は、もし心中思っておられたり、まして口にされれば、相当な蔑みになるのは認識されておられるだろうか。

 頭も創意もあって目障りな部下は、彼が上げてきた書類や行った仕事を、理由を言わずに駄目だしして何度もやりなおしさせると、完全にやる気をなくしてすべて上司の指示を仰ぐようになると、管理職(設定)のアカウントがだいぶ前に部下操縦の秘訣として書いていた。大学の研究室でも通用する手である。それがどの組織、世界にせよ、自分のことしか考えていないのならいい手だ。

 最初にあげたことどもは、あと研究会での質問と称したマウンティングなどとともに、この角度から理解すればそれでよく、こと足りるのかもしれない。

 今回は話がややそれた。秦氏のこの訳注は、同業者(翻訳者としても、研究者としても)のはしくれとして、ただ頭を下げるしかない労作であり偉業である。

(青土社 2016年10月)

小林標 『ラテン語の世界』

2016年08月18日 | 西洋史
 このなかで、ラテン語に対するギリシア語の関係を指して、「傍層語」=すぐ近くにあって長時間影響を横から与える言語との位置付けがなされている(「Ⅳ 拡大するラテン語」99頁)。例えば日本語では以前は中国語で今は英語がそれに当たると。
 かつて橋本萬太郎氏は、傍層語という語は使わぬまでも、殷の言語と周の言語とをギリシア語―ラテン語の、いま述べた両者間の関係に擬えられた(諏訪哲郎編 『現代中国の構図』古今書院1987/5所収「民族と言語」65頁)。どうなのだろう。

(中央公論新社 2006年2月)

Deism - Wikipedia

2015年08月06日 | 西洋史
 https://en.wikipedia.org/wiki/Deism#cite_note-32 …

 In particular, the ideas of Confucius, translated into European languages by the Jesuits stationed in China, are thought to have had considerable influence on the deists and other philosophical groups of the Enlightenment who were interested by the integration of the system of morality of Confucius into Christianity.
 ('3.1.1 Discovery of diversity' )

 つまりイエズス会宣教師によるバイアスのかかった報告や中国古典のラテン語訳が、西洋におけるdeism=理神論のかなり大きな起因となっているわけだ。

ライプニッツ 「中国自然神学論 中国哲学についてド・レモン氏に宛てた書簡」

2015年07月11日 | 西洋史
 山下正男訳、『ライプニッツ著作集』10「中国学・地質学・普遍学」(工作舎 1991年12月)収録、同書15-90頁。


 2014年09月03日「石川文康「ドイツ啓蒙の異世界理解―特にヴォルフの中国哲学評価とカントの場合」」また
 同「堀池信夫『中国哲学とヨーロッパの哲学者』上下、就中下の読後感」より続き。

 中国人の奉じる第一原理は理(Li)と呼ばれますが、これが全自然の根拠をなすものであり、もっとも普遍的な理性的実体です。
 (21頁)

 あかん。

 この偉大で普遍的な万物の根源は〔略〕理性によってのみ把握できます。 (同上)

 あかん。

 〔...〕以上から考えて、中国人の理とは、ヨーロッパ人が神という名のもとにうやまっている最高存在のことだといってはいけないでしょうか。 (25頁)

 ぜんぜんあかん。

ピーター・バーク著 亀長洋子訳 『ヨーロッパ史入門 ルネサンス』

2015年05月25日 | 西洋史
 ルネサンスの特徴を論じるもう一つのよくあるやり方は、理性の面から特徴づけるものである。人文主義者が称賛した人間の理性、遠近法の発見によって可能となった空間の合理的な秩序づけ、もしくはブルクハルトが一五世紀のヴェネツィア共和国によって集められた統計から例証して『計算する精神』と呼んだものがそれである。 (「第5章 結論」同書94-95頁)

 遠近法自体はルネサンス以前から存在するが、中世では閑却され、この時代になって科学や芸術において復活した。まさに理性=ratioということか。

(岩波書店 2005年11月)