書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

吉川幸次郎注 『詩経国風』 上下

2010年04月30日 | 文学
 「中国詩人選集」第1、2巻。

 履我即兮  履(おきて)もて我に即(つ)きしなり (「斉風 東方之日」下巻100-101頁)

 通常は漢文の文の語順はSVOで、英語のように目的語は動詞(述語)の後にくる。ところがこの句はまるで日本語よろしくSOV(~は~を~する)の語順になっている。韻の問題があるからといって、いくらなんでもこの語順はどうか。しかも『詩経』の「国風」は、各地の民謡を集めたという建前なのだが、文体も語彙も統一されている。地域の方言差がまるでない。少なくとも注釈者の吉川氏はそのことについてはひとことも触れていない。
 こういう奇妙なことがしばしばあるから、私は、漢文というのは最初から人工的に作り出された言語ではなかったかという疑いがぬぐいきれないのである。
 おまけに、古い時代の作品であるから解らない語や言い回しに後世の注がついているのは当然だが、これは『詩経』のそれに限ったことではないけれども、中国の伝統的な注というのは、「~は~である」と、結論しか言わない。根拠もなしにおいそれとは信用しかねるのである。

(岩波書店 1958年3月第1刷 1985年8月第23刷、1985年9月第25刷)

「『人民軍が敵に痛快な報復』北朝鮮労働党が内部講演で公開」 から

2010年04月28日 | 抜き書き
▲「東亜日報」APRIL 28, 2010 08:08。(部分)
 〈http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2010042822088

 北朝鮮の朝鮮労働党が、党員を対象にした講演で、「最近、英雄的な朝鮮人民軍が敵に痛快な報復を与え、南朝鮮が我々の自衛的軍事力に対して、国家的恐怖に震えている」と主張していたことが分かった。/北朝鮮専門のインターネットメディア「デイリーNK」は27日、咸鏡北道(ハムギョンプクト)の消息筋の話として、「24日、穏城郡(オンソングン)のA企業所(工場)の党員対象の『土曜情勢講演会』で、党の細胞書記(細胞=朝鮮労働党の下部組織)がこのように話した」と伝えた。

 どうして“報復”なのか。

『海がきこえる』(1993年)

2010年04月27日 | 映画
 『大使閣下の料理人』のミン・ホアの声を坂本洋子さんにしたのは、この『海がきこえる』の武藤里伽子が大人になって、世の中の荒波にもまれて、苦労して、例えばシングルマザーになったとしたら、もしかしたらミン・ホアのようになるかもしれないと思ったから。
 私はつねづね、密かにジブリの故・近藤善文さんを「大近藤」、近藤勝也さんを「小近藤」と呼んでいるのだが(ちなみにこの“大”“小”は、単に年齢差を指して言っているだけで、いかなる価値判断も含まれていないので念のため)、私は、その大近藤の監督した『耳をすませば』(1995年、脚本・絵コンテは宮崎駿さん)よりも、小近藤のこの『海がきこえる』(キャラクターデザイン・実質的な絵コンテおよびレイアウトの作成担当・作画監督)のほうが、同じティーンを描いた作品としては、好きである。
 現代日本の若者像を描くには、ジブリの“総領息子”近藤善文さんの“それでもこうあるべき”正統ジブリ(宮崎駿)式の半歩理想主義の作風より、“放蕩息子”近藤勝也さんの“実際こうだから”式現実肯定写実主義のほうが、私にはしっくりくる。『千と千尋の神隠し』の公開時、ある米国人の少女が宮崎監督に向かって、「私の十歳はこんなステキな十歳じゃなかった」と、監督によれば「これで全てが報われる」と感じるほどこれ以上ない賞賛の言葉を述べたというが、私はこの『海がきこえる』に同じ言葉をたむけたく思う。私の青春はこんな素敵な青春じゃなかった。けどそれはそうしようとはしなかった自分が悪いのだけれど。

二ノ宮知子 『のだめカンタービレ』 24

2010年04月27日 | コミック
 番外編といっても、田村由美『BASARA』の番外編と同じように、作品世界の円満な完結のための付けたりや単なる落ち穂拾いではない。本編とおなじくらいに力がはいった構造と展開になっているのは、もともとこの漫画が野田恵(と千秋真一)の物語ではなく、“のだめ”たちの群像劇だったからか。

(講談社 2010年4月)

谷沢永一/加地伸行/山野博史 『三酔人書国悠遊』

2010年04月27日 | 抜き書き
 批評なんてものは、あたっていようがいまいが、そこに述べられていることが反響を呼べば、それでいいわけですよ。 (仙人=谷沢永一、「清冽のひと 飯田龍太」 本書161頁)

 つまり、批評家の言葉とは人目を引くための銅鑼や太鼓であり、発言された言葉自体にはほとんど何の意味もないということである。最良の場合でも、その問題に世間の関心を向けさせ、自分で考えさせることが目的であって、それ以上ではないと見たほうがいい。私の経験から言ってもそうである。学者や専門家と呼ばれる人々のなかにも、このでんで発言したり論文を書いたりする人がいる。とくに一般向けの場面において。

(潮出版社 1993年6月)

「How Russia really won」

2010年04月26日 | 西洋史
▲「Economist.com」Apr 15th 2010 | From The Economist print edition.(部分)
 〈http://www.economist.com/culture/displaystory.cfm?story_id=15905807&source=most_commented

 Russia Against Napoleon: The True Story of the Campaigns of War and Peace (By Dominic Lieven. Viking; 618 pages; $35.95. Allen Lane; £30)の書評。

 うろ覚えだが、萩原延壽氏の『遠い崖―サトウ日記抄』によれば、アーネスト・サトウは晩年、たしか70歳をすぎてからロシア語の学習を始め、約2年後には毎日の時間と分量を決めてトルストイの『戦争と平和』を読み始め、これもまた2年ほどで終了したという。サトウの母語は英語で、英語とロシア語はおなじヨーロッパ言語といってもあまり親近性はないから、2年かそこらでトルストイを読むというのは、70すぎてという点を除いても、超人的といっていい。
 ただいま、そのサトウの顰みにならったというわけではないが、『戦争と平和』を原語で通読中。これまで最後まで読み通したことがなかったので、今度こそはと発願したのである。
 そんななか、なんたる偶然か、この実に面白そうな本のことを知った。本読みには、時々こういう偶然が起こるらしい。他の人にも似たような例を聞く。

  As he pursued his empire’s geopolitical interests, Alexander I managed to rally support from Prussia and Austria, presenting Russia’s invasion of Europe as liberation. In creating this favourable impression of the campaign, the tsar was helped not only by propaganda but by the remarkably disciplined behaviour of his troops who neither stole nor marauded as they advanced through Europe.

  The central point made by Mr Lieven’s witty and impeccably scholarly book is that Russia owed its victory not to the courage of its national spirit or to the coldness of the 1812 winter, as some French sources have argued, but to its military excellence, superior cavalry, the high standards of Russia’s diplomatic and intelligence services and the quality of its European elite. Thanks to the intelligence he obtained, Alexander was able to outwit Napoleon, anticipating his invasion.

  Napoleon’s intention was not to occupy Russia or overthrow Alexander by stirring a domestic revolt against him. He was counting on his superior force and his own military genius to destroy the Russian army swiftly and force the tsar to accept his peace terms. Alexander’s intention, on the other hand, was to destroy Napoleon and break his Grand Armée. Mikhail Barclay de Tolly, his war minister, devised and implemented the strategy of drawing Napoleon deep inside Russia, away from his supply base, exhausting his army by defensive war and then attacking.

 面白そうだ。

西村ミツル原作 かわすみひろし漫画 『大使閣下の料理人』 17

2010年04月26日 | コミック
 本物のフレンチシェフならそれがたとえ卵をご飯にぶっかけたものでもフランス料理になる

 上村信蔵のこの言葉は、やはり名言である。
 この言葉に出合うたびに思うのだが、これは、私の仕事である翻訳にも通じる金言ではあるまいか。
 料理人も、翻訳者も、技術者である。職人である。この点で共通する職業だ。
 この名言を吐く直前、上村は、言う。

 ちょっとした才能があれば本物のフランス料理は作れる/だが本物のフレンチシェフになるために必要なのは才能じゃない/気の遠くなるような歳月をかけて古典的レシピを繰り返し作ることなんだ

 さらにその前には、器用すぎる(つまり才能のありすぎる)シェフは、ともすれば古典的な味に安住しないで自分独自の味をもとめるようになる、そしてそのうち壁にぶつかって自滅するという言葉がある。
 これを翻訳者流に引き寄せて解釈すれば、外国語をあやつったり、それを日本語に訳したり、あるいは日本語をその外国語に訳したりすることは、語学の才能があればさして困難なわざではない、しかし精密な文法と当該外国語翻訳の歴史についての知識、さらには先人達が積みかさねてきた翻訳上のテクニックや共通の了解事(陳腐なものも含めて)についての会得もしくは少なくともそれについての了解、それらを踏まえることなしに、己の直観と限られた知見経験のみに頼っていては、やがては限界が来るということであろう。ひとことでいえば、ひとりよがりの行く道はいずれ行き止まりになるということである。伝統と定石に囚われていてはその奴隷であるにすぎないが、それらをおのが手駒として使いこなし相手をこそおのれの奴隷とすることなしには自分の個性も見いだせないし真の自由も手に入れることはできないということであろう。
  
(講談社 2003年9月)

西村ミツル原作 かわすみひろし漫画 『大使閣下の料理人』 15

2010年04月25日 | コミック
 息子達に手料理を食べさせてやりたくて、近頃50の手習いで料理を始めている。その縁でまた読み直し始めたもの。
 アニメ化かラジオドラマ化されているのかどうかは知らない。しかしこの巻の主人公と相田先輩のやりとりを眺めていて、自分なりに登場人物たちの声の出演は誰がいいかを考えてみる気になった。

 大沢公・・・・・・田中秀幸さん、あるいは宮本充さん
 相田・・・・・・大塚明夫さん

 なんか定番ぽいけど。
 それでもって、以下。
 
 大沢ひとみ・・・・・・戸田恵子さん

 これも定番ぽい?

 大沢かおり・・・・・・柊瑠美さん

 アニメーションのローティーンの女の子の子役の声って、この人ぐらいしか思いつかないんだよね。

 大沢巧・・・・・・大塚周夫さん

 うわー定番。

 忠さん・・・・・・樋浦勉さん、あるいは玄田哲章さん

 玄田さんも定番に近し。
 さあめげずにどんどん行ってみよう。

 江口悟・・・・・・平田広明さん
 青柳愛・・・・・・玉井夕海さん
 北島萌・・・・・・高山みなみさん
 倉木洋子・・・・・・麻上洋子さん
 古田誠一・・・・・・古谷徹さん
 ロック大統領・・・・・・納谷悟朗さん

 最後にこの二人。ちょっと、むずかしい。

 ミン・ホア・・・・・・坂本洋子さん

 倉木和也・・・・・・納谷六朗さん

(講談社 2003年2月)

山際素男 『チベットのこころ』

2010年04月25日 | その他
 著者によるダライ・ラマ14世インタビュー(というより拝謁のごとし)および、亡命チベット人の証言など。
 そのインタビュー中に見られる、ダライラマ14世による興味深い人物評および事実説明。

 ●周恩来はとにかく狡猾な男。(38-39頁)
 ●ペマ・ギャルポは汚職をしたのでチベット亡命政府日本代表の地位から解任した。(52-61頁)

 何をいまさら常識に属することをと、その筋の専門家からは思われるかもしれないが、私はその当否を知らず。

(三一書房 1994年11月)