書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

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藤田覚編 『日本の時代史』 17 「近代の胎動」 

2005年06月30日 | 日本史
 江戸時代から日本人(とくに知識人)は朝鮮を蔑視していた、例えば新井白石がそうだと言う。「折りたく柴の記」だけからの感想だが、本当かね。
 それはいいとしても朝鮮に対する差別感情の興起が日本の「近代の胎動」のメルクマール(すくなくともそのひとつとなる)という考え方は果たして有効なのだろうか。いったいどういう「近代」なのかしらん。定義が見当たらないから分からないが。

(吉川弘文館 2003年10月)

坂本多加雄 『近代日本精神史論』

2005年06月30日 | 日本史
 勉強。

(講談社 1996年9月)

田中浩 『近代政治思想史』 

2005年06月30日 | 日本史
 同上。・・・・・と思ったら以前に読んでいた。

(講談社 1995年7月)

田中浩 『日本リベラリズムの系譜 福沢諭吉・長谷川如是閑・丸山真男』 

2005年06月30日 | 日本史
 丸山真男はリベラリストか?

(朝日新聞社 2000年10月)

羽田明ほか 『世界の歴史』 10 「西域」/岩村忍編 『世界の歴史』 5 「西域とイスラム」 

2005年06月29日 | 東洋史
 仕事でオーレル・スタイン Serindia (1921年)のごく一部を読む。
 文中、“Limes”の意味が分からず、英語辞典を引いた。“lime”は「石灰」とある。しかし石灰は物質名詞だから複数になるはずはない。「ライム(の実あるいは木)」という意味の“lime”もあった。これは可算名詞だが、文脈と合わない。“linden”(菩提樹)と通用という説明もあるがおかしいのはライムと同じ。第一“Limes” と語頭が大文字になっているから固有名詞である。
 どうにも分からず先達の教えを請うた次第である。
 その結果分かったのは、スタインは中国の万里の長城をローマ帝国が辺境に設けた城壁になぞらえて、“リーメス・ウォール”(the Limes Wall)と呼んでいたことである。“Limes”はその省略形だった。つまりラテン語だったのである。

 おそまきながら自分で調べ直してみた。

DVD-ROM 平凡社『世界大百科事典』第2版より

リメス
limes

ローマ帝政初期には単に小道あるいは道を意味したにすぎないが,のち敵地への軍事行動の際に軍隊により切り開かれた道を意味するようになったラテン語。次いでこの語は防備された億所や信号塔を備えた軍道を,そしてついには帝国国境を意味するに至った。ローマの拡大が続いている間は,静止した国境という考えは存在しなかったが,拡大の速度が緩み,ついには拡大が止まると,国境という概念が生じた。河川や山脈などの自然の遮断物が存在しない地域では,ドミティアヌス帝の時代以後,石壁,柵,堀,土塁などの人造の遮断物が築かれるようになった。ブリタニアにおける石造の〈ハドリアヌスの防壁〉と〈アントニヌスの防壁〉,ドナウ川上流とライン川上流を結ぶ地域における柵,ヌミディアにおける堀などが大規模なものである。 (市川 雅俊)

(河出書房新社 1989年11月)
(中央公論社 1984年8月13版)

土田世紀 『編集王』 全16巻 

2005年06月28日 | コミック
 愛読書。
 狂言回しも兼ねている主人公の桃井環八を除き、好きな登場人物ベスト×を挙げる(“×”なのは書きだした今もまだ何位までにするか決めていないから)。

 第1位 仙台角五郎
 第2位 マンボ好塚

 これは、動かせない。マンボ好塚編は、仙台角五郎と疎井一郎の若き日の関わりを描く回想編、そしてマンガの神様がこれも若い好塚と疎井のもとを訪れる最終話と並んで、ストーリー構成・画ともに全編の白眉だろう。
 だから、

 第3位 疎井一郎

 である。

 第4位 骨川サヨリ 

 “ぼくのマンガは逃げも隠れもしませんよ”
 およそ大言壮語からほど遠い、この地味で謙虚なキャラクターの口から吐かれた台詞に圧倒された。

 第5位 晴海

 こういう一途にイッた人も好きである。それに見合う実力があれば、傲慢と見えるほどの自信もまた好し。

 最後に(ということは6人か?)、

 第6位 陳子昂

 “誰かの心を傷つけてまでする仕事なんてアホらしいからな”
 美事な敵役ぶりである。
 顔のモデルになったスーパースターも幼児性的虐待裁判で無罪になったことだし、めでたい。

 これで仕舞いか。ああ、まだいる。

 第7位 社長

 「カッちゃん」という同期同士のあだ名だけで名前もないが、渋い。
 
 まだいた。強烈すぎて落とすに落とせないキャラクターが。

 番外 宮史郎太

 番付すら拒否する強烈さである。テレビで本物を見てもこちらに見える。

 このあたりで打ち止めにする。際限がなくなりそうである。
 ・・・・・・というより、みながみな素敵だからだ。

(小学館 1994年7月ほか) 

フジ子・ヘミング 『魂のピアニスト』 

2005年06月28日 | その他
“わたしの演奏は、テクニックで弾くというものではない” (152頁)

“わたしのピアノは誰にも弾くことのできない、わたし自身の世界である。それは誰にも真似することのできない、たったひとりの世界であることをわたしは知っている。芸術家にとって、それはとても大切なこと。誰にも容易に真似のできる世界ではない。そう信じている” (164-165頁)

“わたしは、音楽を通していったい何を伝えたいのだろう。(略)わたしは、自分が愛した作品を通じて伝えたい。リストの人間としての偉大さ、温かさ、格好良さを。ショパンのやるせなさを。そしてシューマンやドビュッシーの高貴さを” (168頁)

“わたしにとって、音楽は最高の楽しみ” (168頁)

 私はこういう人を尊敬するし、好きでもある。

“間違えたっていいじゃない。/機械じゃないんだから” (扉)

(求龍堂 2000年6月4刷)

川西進/瀧田佳子訳 佐伯彰一解説 『アメリカ古典文庫』 22 「アメリカ人の日本論」 

2005年06月27日 | 日本史
ウィリアム・E・グリフィス「皇国」(1876年)
  ――どうということはない。

エドワード・S・モース「日本の住まいとその周囲」(1885年)
  ――モースの観察眼の犀利さと思考の緻密さはやはり群を抜いている。

ヘンリー・アダムズ「日本からの手紙」(1886年)
  ――当時の米国における大知識人・歴史家・作家であった著者の観察と意見はとても面白い。鎌倉の大仏を見て“おだやかな軽蔑の笑みをたたえている”と形容するところなど、奇矯に幾し。

パーシヴァル・ローエル「極東の魂」(1888年)
  ――日本人に個性なし。

シドニー・L・ギューリック「日本人の進化」(1903年)
  ――日本人に個性あり。

ラフカディオ・ハーン「神国日本」(1904年)
  ――案外平凡。

ジョン/アリス・デューイ「中国と日本からの手紙」(1920年)
  ――ちょっと振り向いてみただけの異邦人。

チヨノ・S・キヨオカ(清岡千代野)「チヨの帰国」(1935年)
 ――帰国子女のルーツ確認と違和感と。ちなみに著者は『武士の娘』(→2004年10月28日欄)の著者杉本鍼子の娘。

ジョゼフ・C・グルー「滞日十年」(1944年)
 ――抄訳。全訳が必要。

(研究社 1995年11月5刷)

今週のコメントしない本

2005年06月25日 | 
 順調に第3回を迎えました。さて今週の当選作は! 

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  高津春繁 『ギリシアの詩』 (岩波書店 1956年4月)

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  小倉金之助 『小倉金之助著作集』 6 「近代日本の数学」 (勁草書房 1973年10月)

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  ジョージ・タケイ著 貞包智悠/貞包有美訳 『星に向かって ジョージ・タケイ自叙伝』 (有悠 2005年5月)

④つまらなさすぎて感想も出てこない本
  依田熹家 『再増補 日中両国近代化の比較研究序説』 (龍渓書舎 1993年3月再増補版第1刷)

⑤出来が粗末で感想の持ちようがない本
  該当作なし

⑥余りに愚劣でわざわざ感想を書くのは時間の無駄と思ってしまう本
  該当作なし

⑦本人にも分からない何かの理由で感想を書く気にならない本 
  該当作なし

 (講評)
 「今回は当選作が少なかった上、⑤⑥⑦と該当作なしが続いてやや寂しい結果となった。諸家の一層の精進を望みたい」

 また来週! ちなみに「講評」が次回もあるかどうかは不明!

桑原三郎 『福沢諭吉の教育観』 

2005年06月24日 | 日本史
 書名は“教育観”となっているが、内容は福沢の思想全般に渉る。表題は収録された論文の中のひとつからつけられたもの。
 同じ著者の『福澤諭吉と桃太郎 明治の児童文化』(→今年3月27日。4月10日柳田泉『明治初期の文学思想』上下も参照)でも感じたことだが、桑原氏の福沢に対する見方と評価は、私の福沢観と重なっていて、ほとんど異なるところがない。
 福沢の専門研究家である氏は、素人の私などとは異なって、立論にはすべからく福沢の『時事新報』論説を初めとする文章を根拠として引いている。たとえば日清戦争を福沢は決して手放しでは喜んでいなかったことは「戦勝の虚栄誇る可らず」(明治30・1897年)を見ればわかる、「我輩は寧ろ戦勝を後悔する者なり」と福沢は言っているのである、朝鮮を植民地化せよなとどは言っていないのは「日本の資本を朝鮮に移用するも危惧あることなし」(明治16・1883年)で明らかである、まして併合などは「土地は併呑す可らず国事は改革すべし」(明治27・1894年)で反対の立場を明確にしているではないか・・・・・・といった具合である。

 しかし、アジア(とくに朝鮮・中国)への侵略支持やアジア蔑視という通説を裏付けることのできる発言も同様に存在する。だから通説が存在しているわけである。
 矛盾している。
 この矛盾を解くための答えは、二つしかない。
 1.福沢がこれらの問題について、違う時と所で180度反対のことを言った。
 2.どちらかが福沢の本当の発言で、どちらかは福沢の発言ではない。つまり福沢以外の人間の発言や文章が福沢作とされるものの中に紛れ込んでいる。  
 2の立場を取るのが、伊藤正雄氏、井田晋也氏、平山洋氏である。
 1の立場を取るのが遠山茂樹氏、服部之総氏、鹿野政直氏、竹内好氏、安川寿之輔氏、子安宣邦氏といった、上記の問題をめぐる福沢批判派である。意外に思えるが、丸山真男氏、桑原三郎氏ほかの福沢擁護派も、分類すれば1になる(明言しているかどうかは別)。
 批判派はもちろんそうだが、擁護派もまた自説に有利な著作や論説だけ取りあげて自説の論拠にするご都合主義者としか言いようがない。自説に都合の悪い福沢の著作や論説は、ただ目をつぶっているだけであるからだ。両者ともにそれが本当に福沢の言説であるのかどうかの検証の労を取ろうとしないところは共通している。
 彼らは、現行の『福澤諭吉全集』の正しさを自明のこととしているのである。 
 福沢擁護者は福沢批判者に対し「テクストが読めていない」か「無知」であるがゆえに福沢を貶める者として批判する。これは正しい。だが、福沢諭吉をいわば二枚舌の嘘つきもしくは精神異常者扱いしている自分たちが批判者以上に福沢を貶めているとは思わないのだろうか。 

 福沢擁護派の中には、正当な根拠に基づいて現在の『福澤諭吉全集』(岩波書店)の内容の信用性に疑問を呈し、そして福沢批判者が貶めた福沢の名誉を回復しようとする平山氏のような人間に向かって、肝心の論にはまともに答えず、まるで己の売名のためにあらぬ言いがかりをつける輩といわんばかりの人格攻撃を行う人がいる。
 例えば竹田行之氏の「ジャーナリスト福澤諭吉」という文章である(『交詢雑誌』第482号、平成17年3月20日発行、20-30頁。2005年1月28日交詢社における講演録。もっとも竹田氏は平山氏の名前は出していない。しかし明らかにそれとわかる形の言い方であげつらっている)。
 「ジャーナリスト福澤諭吉」末尾の講演者紹介文によれば、著者の竹田氏は慶應義塾大学卒、岩波書店で『思想』編集長、編集部長を歴任し、岩波を定年退職ののちは平成3年から平成13年まで社団法人福澤諭吉協会理事を務めたという履歴の人である。
 竹田氏の講演には奇妙なところがある。『歴史とテクスト 西鶴から諭吉まで』(→今年5月31日)の井田進也氏については、これは名前をちゃんと挙げたうえ「刺激的な問題提起で、どれほど有効で、どこまで可能性をもっているかについては慎重に見究めたいと思います」と、一定の評価をしていることだ。
 井田氏の議論は、要は、現在福沢の作と思われている『時事新報』論説の中に福沢の作ではない文章が混じっているというものである。この点においては平山氏が『福沢諭吉の真実』(→2004年12月14日)で提出された議論と変わるところがない。井田氏の主張が「刺激的な問題提起」なら、平山氏の主張も当然ながら「刺激的な問題提起」であろう。ところが平山氏だけ否定して井田氏については「どれほど有効で、どこまで可能性をもっているかについては慎重に見究めたいと思います」と、口先だけの社交辞令で要は黙殺ながら、一応は評価するという素振りを見せるのはどういうわけであろうか。
 この待遇の差は、まさか平山氏が助手(静岡県立大学国際関係学部)で井田氏は教授(東京都立大学人文学部を経て現在は大妻女子大学比較文化学部)だからではあるまい。

 この講演を行った時の竹田氏は、昭和版『続福沢全集』第5巻に記されている石河幹明(大正版『福沢全集』および昭和版『続福沢全集』の編者)の以下の言葉を忘れておられたのであろう。

“(福沢先生は)二十四五年(注・明治)頃から草せらるゝ重要なる説の外は主として私に起稿を命ぜられ、其晩年に及んでは殆ど全く私の起稿といつてもよいほどであつた。勿論其間にも私自身の草案に成つたものも少なくなかつたが、先生は病後(注・1898年9月第1回の脳出血の後、1899年2月以降)も私に筆記せしめられたものがある。則ち本篇の「先生病後篇」と題する七十余篇がそれである” (前掲書 737頁。平山洋『福沢諭吉の真実』75頁の引用による)

 平山氏は、この石河の言葉を引用した後、現行の富田正文編『福沢諭吉全集』(1964年)は石河のいう「先生病後篇」までも福沢の著作として収録している事実を指摘している(『福沢諭吉の真実』 78頁)。
 今月20日の伊藤正雄『福澤諭吉論考』における問いに対する答えがこれで出たわけだ。編者自身が全集のなかでこう明白にことわっているのであるから、現在の富田正文編『福沢諭吉全集』(1964年)が出るまでは、『福沢全集』『続福沢全集』に福沢のものでない文章が混じっているのは、日本近代史・思想史研究者(のみならず注意深い一般の読者)にとっては、やはり周知の事実だったのである。

 それとも竹田氏はこの事実について故意に口を噤んでいるのであろうか。
 竹田氏は、富田正文の現行『福沢諭吉全集』の版元である岩波書店の社員だった。さらには、伝え聞くところによれば氏は富田版の『福沢諭吉全集』(岩波書店)の編纂も手伝われたそうである。だから石河のこの言葉や大正・昭和版『福沢全集』にまつわる諸事情を知らなかったとは思えないのである。
 しかしながら、昭和25(1950)年慶応卒業という御歳である氏はそろそろ往事茫々の境地になり始めておられるのではないかと考えることもできる。むしろこちらの方が自然な推測かもしれない。学問的論争の場で論理を以て論理に立ち向かうのではなく、相手の人格を貶めて論者の信用を落とそうという不見識な手段に訴えた時点で論争自体には既に負けているのだという簡単な道理もおわかりにならなくなっておられるのを見れば、その可能性は大である。
 いずれにせよ一つ確実に言えることは、氏が学問的な真理よりも岩波書店の面子と現行の『福沢諭吉全集』の権威を護っているという印象を一般に与え、ご自身については言うまでもなく他の真面目な福沢研究者(ということは必然的に福沢の擁護者になるわけだが)の信用までも失墜させているということだ(氏は現在『福澤諭吉年鑑』および『福澤手帖』の編集委員として編集作業に加わっておられるそうだが、これらの出版物の信用も墜としていることは言うまでもない)。氏の経歴と学界内における地位を考えれば、これは決して誇大の言ではないと思う。
 竹田氏は、そろそろ後進に道を譲られるべきではないか。

(慶應義塾大学出版会 2000年11月)