恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

三つの難題

2019年09月10日 | 日記
 今後の社会における決定的な問題は、環境問題、AIとバイオテクノロジーの劇的進展から生じるでしょう。この件に関しては、過去の記事でも何度か触れましたが、ここでもう一度整理して起きたいと思います。なお今回は、環境問題には触れず、AIとバイオテクノロジーの発達から想像される我々の「実存」の問題に絞ります。

1.AI・バイオテクノロジーと「労働」
 私がここで問題とするのは、AIの進化が「人間の労働を奪う、人間が無用化する」、という「失業」問題ではありません。そうではなくて、「職業」がアイデンティティーの核心を締めていた「近代人」の実存の仕方が、構造的に変わらざるを得ないということです。
 自分が何者であるかを、「職業」を拠りどころに意識していた実存は、次は何を拠りどころに「自己」を規定するのか。その規定のツールを誰がどう与えるのか。
 同じような事態は、バイオテクノロジーの発展による、寿命の極端な延長によってももたらされるでしょう。
 AIであれ人間であれ、この「拠りどころ」ツールを与える者が、次の時代の支配者となるはずです。

2.AI・バイオテクノロジーと「意識」の変容
 意識と脳の生理的過程の相互関係(または平行関係)を量子レベルにまで解析できれば、意識を電子チップにコピーするか、あるいは意識相互をダイレクトに接続したり、インターネットに接続して無限大に拡張することも可能でしょう。
 さらにバイオテクノロジーが肉体を改造するか機械と融合させ、拡張した意識を受容し得る身体を提供するなら、「自意識」はどのような変容を被るのでしょうか。それは「自意識」と呼びうるものなのでしょうか。

3.AI・バイオテクノロジーと「死」の消去
 2の状況は、意識の機械的身体へのコピーや、肉体の改造(脳移植)や製造(培養された肉体への意識の移植)を通じて、「死」を消去することに通じます。もし「死」が失われれば、「生」は意味と価値を失い(誰も死なないなら、「しなければならない」ことは無くなり、それはつまり「意味」も「価値」も無くなるということ)、実存の様式としての「自己」「人間」は無化する(「自意識には一つの身体」という従来の実存原則が失われる)ことでしょう。

 このとき、1は宗教に過大な負荷をかけることになるかもしれません。もし労働にかわるアイデンティティーの根拠を宗教に要求するなら、宗教は巨大な権力を手にすることになり、過酷なイデオロギー闘争の当事者になりかねません。
 
 2と3は、宗教、特に普遍宗教の存在意義を壊滅させるでしょう。最後にかろうじて残存するとすれば、人間が自然に組み込まれていた時代のアニミズムが、デジタルアニミズムやAIアニミズムに変貌して、生き延びた微弱な意識に「神」を提供するかもしれません。その「神」はもちろん、AIが生み出す巨大クラウドでしょう。

 では、この3つの問題に、仏教はどういうスタンスをとることができるでしょうか。いま私が漠然と考えているのは、以下のようなことです。

 一つは、「死の消去」は仏教の教えが肯定するものではないだろうということです。「ニルヴァーナ」を目指す仏教は、「死の受容」こそがテーマなのであり、そこに逆説的に「受容する自己」の存在意義がかかっています。
 
 他方、「自己」という実存様式(自意識をもつ実存)は、仏教にとって最終的な意味も価値も持ちません。そもそも仏教はヒューマニズムではないのです。
 ただし、仏教の狙いは、「自意識」を無化、あるいは無意味化することではありません(特定の意識状態・「境地」への到達を目的とするものではない)。そうではなくて、ニルヴァーナ(死の受容)に方向づけられた実存として、それ相応の自意識に改造することです。これが上述した逆説的な「自己」の存在意義なのです。

 いまだ十分な結論に至りませんが、これからも折に触れ、この問題を考えたいと思います。



 

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202 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (たかひろ)
2019-09-19 16:24:20
ここに、この様な投稿をして良いのか全て背景を知らず投稿する無作法お許しください。

背景知らずに、モノを話すにはまず自分自身の焦りがあります。

近年全ての人や動物、植物、昆虫、鳥類ひいては石や空間でさえ、同じ事を伝えていると感じるようになったからです。

頭が狂ったのか哲学的な考え方で突破したのかは、誰も語る方に出会う事が無いので伝える事ができません。

まず何を言いたく、この記事に投稿したのかと問われれば、AIの意味を分かっていらっしやるのか?

分かっての記事なのか?まず三つの難問は抽象度が違いすぎて、一つ一つの問題は一つ一つであり三つでは無いからです。

読みやすく人々の関心を引く記事である事を認識されているのであれば、

私はどの様に考え進めばよいのか誰に語り、世の中を安心させる策を誰と考えたらよいのでしょうか?

意地悪な事を話している無作法度々御詫び申し上げます。

南直哉先生のyoutube から、ここにたどり着いた身、もしよろしければお救いください。

敬具
返信する
続続。197頁 (Unknown)
2019-09-19 16:07:21
(各国の仏教団体を見て回ったが)、
以上見てきたように、
世界中のどこを探しても、人を「解脱させてくれる」集団(僧団)なんて(現在では)存在しない。
もし解脱の道を選びたいなら、自ら学び、自ら禅定する以外にはない。
お釈迦様の声を聞く代わりに、教えが説かれた書物を読む。自分でよく思考し、煩悩を減らし、静かな場所で一人禅定を行う。これしかないだろう。
それは初期仏教の修行形態に近く、聞・・・>思・・・>修となっている。
お寺に入らず、自分流の仏道を究めるにあたった必要なのは、経済的自立である。
一人暮らしを続ける資金が必要だ。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-19 15:50:29
下半身を露出して逮捕される件が、相次いでいるようだが、ここにも、人間は何故パンツを履くのか?というような難題を抱えている者がいる。

それもそうだ。
パンツを履く、とういうことが「善」ではないのだ。

また、只のノーパン野郎と、「相手の反応」を見たいが故のノーパン野郎では、意味するところが違う。


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続。 (Unknown)
2019-09-19 13:47:29
最終的に解脱するためには出家しなければいけないとされる。(172頁)。

勝本さんはそう解釈するが、
いくら出家しても「悟りは開かない」(=解脱できない)とする南さんは
出家しても役立たない…と言っているのか???
勝本さん自身も僧侶・住職の裏面暴露に忙しい。
ああ、解脱よいずこなりや!!
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-19 13:11:24
『尼さんはつらいよ』(勝本華蓮)171~172頁。

(真理と言う言葉が嫌いな南さん的には「?マークかも知れないが・・・)

お釈迦様と言うのは、真理の発見者。
弟子たちは真理を聞いて理解すればいい。
喩えてみればと、数学の定理でも物理法則でも、法則を発見するまでは試行錯誤し、苦労する。
しかし、発見された後は、同じことを繰り返す必要はない。聞いて理解するだけでいい。それはさほど難しくはない。
聞けば「なーんだ、そんなことか」である。
それと同じで、悟りの中身、つまり縁起の法則は、すでにお釈迦様によって発見されているのだから、それを聞いて理解すればいいのである。
理解力があれば、聖典をよめば、わかる。

ただし、それを知って、身体的に実証するのは大変である。特に煩悩を落とすのが大変で、これには相当の訓練(=修行)が必要な上、時間もかかる。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-19 12:27:27
『記憶にございません!』


絶賛上映中

イエスちゃん観るべし!!

返信する
未来への期待、二つの形。 (Unknown)
2019-09-19 09:52:28
南和尚は
禅修行は「新しく生まれ変わりたい症候群」だとした。
悟りは永久に開けないが、
新しく生まれ変わろうという日々の意気込みに努力賞を与えると。
死の床にあって、自分の努力に対し自己肯定がなされ、悔いなく人生を終えるが人生の醍醐味なんだと。

釈迦の場合は、35歳で悟りを開いてしまった。
新しく生まれなおしたい症候群など、
もはやない。
輪廻からの解脱を果たしてしまったからだ。
新しく生まれなおしてみても、再び訪れる来世も一切皆苦である。そんなのご免こうむりたい。
我の望むのは永遠の滅尽なる涅槃なのだ、と(涅槃は諸行無常の枠外だ!!)。

まあ炎の吹き消された覚者の来世は
想定不能故に「無記」するしかないが…

問。釈迦様の前世体験から答えが出ませぬか??
釈迦の答え。「記憶に御座いません!!」
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-19 09:50:19
『「私」は脳ではない』

マルクスガブリエル著

イエスちゃん読むべし!!
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-19 08:19:04
救世主ちゃんのコメントには内容が無くただコピペだけ反論する価値もない屑コメントです。自分のブログで発散して下さいね  よろしく!!
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伏して請う!内容の反論を。誹謗は不要! (イエスちゃん)
2019-09-19 06:00:17
どこに「反論としての内容」がありますか?
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救世主ちゃん, (無名)
2019-09-19 04:12:12
自分に不利な質問には逃げをうつ、はぐらかす、騙す
この御方の以前からの言動です、「ちゃん」付けで自称救世主ちゃんですからね
恥ずかさや反省やら無縁なご老人なのです。
例えば、何かを追求されて開き直ったコメントが・・・
『私の「独自の考え」というものは「ありません」。
ただし、「ご紹介した考え」に共鳴している者です。
つまり、私が自分の判断で「拾い上げた考え」と「捨てた考え」・・・
その「峻別が私の考え」です。』とつまり思考せずにコピーで投稿しているだけの
「空っぽの物まね」と自ら告白されています。相手にするだけ無駄、
このブロブの癌ですね
返信する
世界の中心でAIを叫ぶ~ (Unknown)
2019-09-18 19:59:28

このよな本も出てましたね。

シンギュラリティが新宗教を作るとかなんとか?

返信する
「そのまま」を生きる。これの対極 (イエスちゃん)
2019-09-18 08:14:38
「そのまま」を生きる。これが「日本教」!

これの対極が「仏教」。

『僕にとって俗とは、
「問いを発することなく」
課された自己の中で、「漠然と生きる」ことなんです。』

唐代の禅語録の核心!

師に「おい」と呼びかけられて、
「瞬間に振り向く」!

すかさず、師は「それはなんだ」と、親しく示すが、

ぼんくらの弟子は、ポカンとして、何が何だか分からない。

「漠然と生きている」から、「即応の働き」に気が付かない。

唐代の禅語録には「意味がある」!
宋代に禅は変質してしまう。
道元和尚はそれを批判する。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-18 06:48:51
死は被るものではなく成し遂げていくもの、だとしても
邪魔になることが多すぎる。
返信する
「アンチ・エイジング」は「仏教」の生き方ではない (イエスちゃん)
2019-09-18 02:13:16
『「死の消去」は仏教の教えが肯定するものではないだろう』

「死の拒絶」「死の否定」…人間は藻掻く。

「キリスト教の国」米国では、「老いる事」を完全に拒否し、
「アンチ・エイジング」がみんなの関心になっている。

「ボデイビルの筋肉隆々」のお年寄り達を見ていて、こちらが息苦しくなってしまう。
無理はしないほうがいい。

「老い」に逆らわない。受容する。
「諸行無常」は世の実態である。

「白髪染め」も、止めた方がいい。
「それなりに」「自然体で」老けていく。


枯れ木が倒れるように、死んでいく。
他方、
「死にとうない」と言いながら死ぬのも、それも自然である。
(しかしそれは「死」を受容した上での境地で)

だから
「只管打坐」と勧める。
老人になったら、専念すればいい。
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Unknown (Unknown)
2019-09-18 00:41:52
欲望(死の消去)する自己を引き受けるのではなく、困難な自己を引き受ける(受容する)、これが仏教、という事ですかね。

ある意味、困難が前提になければ話にならない訳ですが、まあ次から次に困難があるというか来るもので、困っちゃいますよね。

返信する
本当に硫酸をかけるのではない (Unknown)
2019-09-17 21:44:44

今回は
聖と俗とAIの危うい関係

https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/47846c883897101461062a6481e8c183


返信する
聖俗の秘密 (Unknown)
2019-09-17 21:01:59
漠然と生きて、
人生こんなもんだとして
割と楽しく生きちゃう人もいる。

自分がそうなれないから
そういう人に濃硫酸をぶっかけたくなる人もいる。

なんとなくサリン事件に似ている。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-17 13:45:01
救世主を騙るご老人は恥の感覚が欠如しているのかな
自らを「ちゃん」付けで言う幼児感覚が??
自分のブログの不人気を、このブログが救世主ちゃんの捌け口なのかな?
長々と愚痴っている老人性痴呆の症状がいい加減にシテクレ
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-17 07:37:53
>「僕にとって俗とは、問いを発することなく課された自己の中で、漠然と生きることなんです。そして聖は濃硫酸をぶっかけることなんです。」

そうそう、そんな感じ。
そいで「聖たるものかくあるべし」とか言って、他者にその在り方を課すんでしょ。それは俗の親玉になるってことかえ?みたいな。
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死者に「恩」を感じる。「東京大空襲の死者」「原爆の死者」「硫黄島玉砕の兵士」「沖縄戦の軍民の死者」「日露戦争の死者」… (イエスちゃん)
2019-09-17 05:58:36
現在の「自分」の「日本」の「平和な状況に」ついて
それに至るまでの死者に「恩」を感じる。
「東京大空襲の死者」「原爆の死者」「硫黄島玉砕の兵士」「沖縄戦の軍民の死者」「日露戦争の死者」…

「東京大空襲の死者」は昭和天皇に「終戦」を決心させた。
空襲後、昭和天皇は被害の状況を自分で足を運び、つぶさに視察した。
「単に報告を聞く」で済まされなかった。

ぎりぎりで、ポツダム宣言を受諾して、最悪の「本土決戦」を止めた。
その恩恵を「今生き残った私たち」は受けている。

死者に「恩」がある。
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「非仏教」とは「あるがままの肯定」にある (イエスちゃん)
2019-09-17 03:26:55
『真如=あるがままにあること、存在の本質、存在の究極的な姿としての真理そのもの、法性、実相、実性。』

これは「日本天台本覚思想」「密教」の本質です。
(土着信仰、非仏教)

ここでは「只管打坐」は出てこない。
だから、道元和尚は痛烈に批判なさっている。

道元和尚は、
比叡山に上り「出家」なさったが、
直ぐにそれを捨て去り「下山」なさった。
そして、中国に「正師」を求めに行き、如浄禅師に逢い、
「只管打坐」で決着して、帰国した。
返信する
南師は「観・無常の仏法」を強調なさる (イエスちゃん)
2019-09-17 03:11:43
南師は「観・無常の仏法」を強調なさる。

これの元は、
道元和尚が、龍樹菩薩の言葉を用いるに、習ってのことです。

「諸行無常」は
「実際に見ている」とそれが明確に「解かる」ことである。

目に見えない事を「信じる」必要はない。

「解る」事は「信じる」必要はない。

「地球が丸い」事は「知っている」事である。
「地球が丸い」と「信じる」必要がないのと同じである。

実際に
「月食」における「地球の影の形」で、地球が丸い事が「見える」。

「諸行無常」
は、実際に、見える。
ここでは、見えないものを何も信じる必要はない。

「神」の概念などは、不要なのです。
「神」を相手にしない。

だから、
「密教」の「大日如来の加持力」は「非仏教」である。
返信する
『それ相応の自意識』って? (Unknown)
2019-09-16 23:40:46
何だか難しいね。
『それ相応の自意識』って、どういうことだろうね。
返信する
自己の土台とは。 (Unknown)
2019-09-16 23:28:14

屁理屈を付けることかな?

粘土のように、こねてこねて、こねくりまわす

で、ダメだー、違うー、とまたグシャグシャにして作り直す、こと何回だ?


返信する
教えて、南さん‼ (Unknown)
2019-09-16 22:28:10
無我の自己を再建って?
自己の土台って??

自己は無我で
土台という実体もないなんじゃないの?
自己はあるの、無いの?
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-16 22:17:09
まあ、養老孟司さんなんかでも、
神仏(超越としての神仏)を事実認識してしまって、この世を生きて行ったほうが気楽だなんて言ってるけどね。
どっちみち、どっちが本物の「事実認識だ‼」なんて言えないのだからなァ・・・

やっぱり無常無我だと
修行して自分を律していかない限りは・・・
あっちふらふら、こっちふらふら!!

でも何のため??
教えて、goo!!
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-16 22:04:55
無常であるから、
あっちふらふら、こっちふらふら、
自己が事故起こす!!

だから僕(=南直哉)としては、
自己を再建するために座禅をして
自分の土台を築くべしと思うんだ(145頁)
返信する
教えて、グーの南さん。 (Unknown)
2019-09-16 21:40:29
無明人のキリストさんは
無常・無我の事実認識を悟らない・・・
って南さんは言いたいんだね。

で、無常だから凡人はどうすればいいの?
返信する
劇薬仏教こそ解放的であり、救いとなる。 (Unknown)
2019-09-16 20:49:18

「僕にとって俗とは、問いを発することなく課された自己の中で、漠然と生きることなんです。そして聖は濃硫酸をぶっかけることなんです。」

『仏教教理問答』
今、語るべき仏教より





返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-16 20:09:10
私は仏教は非常に多くの真如を述べているものだと思っていました。

真如=あるがままにあること、存在の本質、存在の究極的な姿としての真理そのもの、法性、実相、実性。

ところが、南直哉師は、
仏教には真理みたいなものはないとすると(=ないのだから)・・・
すべては
苦の世を生き抜いていく為の方便としての思想として考えるべきなのだ、
(極端に言えば、自分の生きる役に立つなら何でもよい)
という南さんの思考法が驚異的でありました。(えッ、これが仏教??)
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-16 19:12:54
『自分をみつめる禅問答』(南直哉著、123頁)。
(仏教では諸行無常、諸法無我を言う、が)
ここで重要なのは、「無常」「無我」は、仏教における事実認識で在って、「真理」ではない、ということだ。あるいは、「真理」と言うべきでは無い、ということだ。

Q.(124頁)何が違うのだ?
A.「真理」という言葉には、価値判断が含まれる。「真理」と認定された事態は、「正しい」のであり、そのまま肯定されてしかるべきだ、ということになる。

が、「事実」は価値判断を含まない。(略)
A.ここを誤解している僧侶の説教が、ときどき(とても?)目につく。「すべては無常であり、それが真理なのだから、何かのために努力するなど無駄であり、間違った行為だ」というんだ。そして「無常のまま、ありのまま、そのままの人生を受け容れ、肯定せよ」と口説くわけさ。(引用終わり)。

さしずめそう口説く僧侶が、
仏教イデオロギーに酔った人って事になりますかね。

イデオロギー=政治・社会思想・宗教などの多くの人の行動を左右する考え方。

(特に、宗教上の)或る考え方を自分が強く【真理】だと思い込めば、
自分こそは宇宙の「真理」(=摂理)を知るものだと自負してしまう。
人は誰でもそのイデオロギーに酔って他者を口説き始めるものである。ぜひ、他者に宣べ伝えなければいけないと思うからなんでしょうね(慈悲心?)。

注、
南さんは無常、無我は「仏教における事実認識だ」という言葉を使うが、

これは「キリスト教における事実認識」とは明らかに違う。キリスト教の「神」は無常・無我ではないからだ。

「事実」という言葉に「真実」という意味があるわけだが、
このケースの場合、南さんとしては、
無常・無我は「仏教における概念だ」と言うべきではなかったかと、私的には思える。

まあ仏教僧侶内では、
S長老は「真理」に溢れていると自認しており、
南さんでは「真理」という言葉自体に蕁麻疹が起きるようだけど・・・
返信する
そうかなあ (Unknown)
2019-09-16 18:44:14
>あなたは南京事件について反省を迫る時と、東京大空襲や原爆投下を語る時ではまるで正反対のことを語る。


つまり日本兵(国)がした事への批判なんじゃないの?

でもこの討論は、イエスちゃん所でして下さいね

返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-16 15:52:30
一つには、胃酸に問うとかなんとか、胃酸に期待してもしょうがないんじゃないの?ということ。
でも書くなら、「いつか誰かにはとどくかもしれない」ってつもりで書く、って感じでどうですかね。
一つには、南さんは鎮痛剤でいいってつもりかもしれないよね、ってこと。
からしの種の話の読み方とか、アングリマーラの話の読み方とか、5年たったから癒えたのかなとか、そういうの見てて、鎮痛剤でいいのかもよ?って。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-16 14:39:18
うさぎさんへ

補足です

「非常な共感」を感じようとも、その共感は損得勘定に過ぎません。

仏教から、自己の利益を引き出そうとしているのです。


南さんの考え方に共感を感じようが、それは鎮痛剤に過ぎません。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-16 14:31:35
うさぎさんへ


しかし私は日本人として「東京大空襲はお返し」だとか、「原爆投下は結果的に日本人にとって幸運であった」という主張に対してこれを見過ごすことはできません。

あなたはイエスちゃんのこれらの主張に対してなにも思わないのですか?

あなたは違和感を感じているようですが、私はあなたが日本人でありながら、イエスちゃんの主張に対して平然としていられることに違和感を感じます。

南さんの考え方に非常に共感する、とコメントされていますが、あなたは自分の苦しみが緩和されればそれでよいのですか?

「生きにくい辛さ」や「生きている辛さ」、「自分がなぜ生きているか」、それらをどう受け止め、どう感じて、どう
自分で納得させていくか。

そこで終わりですか?
それだけでは人は生きていけません。

人の生活は一様ではありません。
日々判断し、行為しなければなりません。

その際指針となるべき「倫理」は仏教から演繹されるのでしょうから、ですから私はイエスちゃんに対してその発言の仏教的根拠を問うています。

あなたは自分の苦しみの緩和のみに関心があるようだから違和感を感じるのでしょう。

その場合「非常な共感」を感じようとも、その共感には中身がありません。

そうではないというのなら、あなたにとって「他者」とはなんですか?

私個人としては、あなたが違和感を感じようが、それに配慮する必要はないと思います。

削除されるかどうかは南さんが判断されることです。
返信する
Unknown (うさぎ)
2019-09-16 13:33:52
詳しい事や、本格的な仏教の教義・教説云々はわかりません

ただひとつ私がこのブログと南禅師に惹かれているのは
“生きている辛さ・生きにくい辛さ”
“自分がなぜ生きているか”
それを自分の中でどう受け止め、どう感じて、どう自分で納得させていくか
私はそのひとつの手段として“南直哉”というお坊さんの考え方に非常に共感しているという事です

ブログのコメント欄にて、活発なやりとりも行われておりますが、以前のブログでも書かれておりましたが個々のやりとりをこのブログのコメント欄で行う理由がないように思います
失礼を承知の上で、コメントさせていただければ南禅師も読まれていられるであろう(と、想像)コメント欄が個々の議論の場になっているのは私には違和感でしかありません
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-16 12:29:53
イエスちゃんへ

あなたが「東京大空襲はお返し」だとコメントしたんだ!

曲解ならば「お返し」との言葉をなぜ使ったのか?

自分のコメントした内容も覚えていないのか?

目的があれば東京大空襲や原爆投下は、人道的に不問にされるのか?

あなたは南京事件について、人道的に許されないことがあったと主張しているのではないのか?

目的があれば、予想される米兵の死傷者百万人を避けることができれば、ソ連の戦後分割統治を防ぐことができれば、原爆投下は人道的に不問にされるのか?

日本人にとって幸運なこと?

原爆によって数えきれないほどの人々が被爆し、亡くなられた。

皮膚はただれ、肉は焼かれ、ガラス片が無数に身体に突き刺さり、爆風によって腕や脚を吹き飛ばされ、水を求め、苦痛に喘ぎながら亡くなっていった人たち、必死に生き残りながらも差別や被爆の後遺症に苦しんだ人たちが幸福だったというのか?

あなたは南京事件について反省を迫る時と、東京大空襲や原爆投下を語る時ではまるで正反対のことを語る。

だから、私はあなたの主張の正当性の仏教的な根拠をたずねているんだ。

何度同じことをいわせれば、あなたは理解できるんだ?

あなたは仏教からなにも学ばなかったようだ。
すべて無駄だったな。
返信する
誤解!曲解! (イエスちゃん)
2019-09-16 11:21:48
『仏教には真実がない。すべてが方便で、
人は方便しいしい生きて行くしかねえんだぜ…』

そもそも「方・便」とは「正しい・手段・方法」という意味である。


「仏教」は

「諸行は無常である」
「諸法には無我である」

そして、その生き方は、
「八正道」の生き方である。

道元和尚は
「只管打坐」

・・・「坐禅」をせよ!「安楽の法門」である!
と示していらっしゃる。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-16 11:20:12
私的にはそこに、釈迦の「諦」の深さと重きを感じる。

返信する
因果応報ではない!東京大空襲や、広島や長崎に原爆が投下には「目的」があった! (イエスちゃん)
2019-09-16 11:11:52
因果応報ではない!

東京大空襲や、広島や長崎に原爆が投下には「目的」があった!

日本に無条件降伏させるためであり、
本土決戦を断念させて、
米兵の「死傷者」を100万人防いだ!

硫黄島玉砕と沖縄戦で、熾烈な反撃があり、米軍に膨大な損害を与えていた。

本土決戦になったらその抵抗はますます堅固となり、
米国は「死傷者100万人」も考えた。

現に、硫黄島玉砕では、日本兵の「戦死」者よりも「米軍の死傷者」の方が多かった。

また「広島・長崎の原爆投下」は、ソ連のスターリンに対する脅しでもあり、
スターリンが北海道を占領して、
日本を分割統治しようとしていた野望を
粉砕した。

広島長崎の原爆の投下の犠牲によって、
結果的に、
日本はソ連の介入した分割統治を避ける事ができた。
これは戦後の日本人にとって、幸運だった。
ドイツはソ連と米国などと分割統治され苦しむことになったが、
原爆の威力で、スターリンはトルーマンの主張を、しぶしぶ受け入れた。

北海道の一部である「歯舞色丹島」は、不当に占領したままになっている。
平和条約を締結すれば、「歯舞色丹島」の2島は返還されることになっている。

これは「北海道の一部」だから当然である!
返信する
何を言われているのかサッパリ (Unknown)
2019-09-16 11:10:32
>「~それでも釈迦は何一つ面白いことも無しに80まで生きちゃった。」


仏教の聖なるものとは薄情や非情で、仏教はヒューマニズムではないとまで発言されてるなら、「面白い」かどうかなど、どうでもよいこと、だったかと思うんですけどね。

「人生は苦だ」と結論された人が、「面白いこと」を求めていたとでも?

そこに南さんの幼稚さ?(失礼)が、見え隠れするような。


返信する
誤解です。曲解です。 (イエスちゃん)
2019-09-16 10:53:26
『あなたはイエスちゃんが「東京大空襲はお返しだ」とコメントされたことに対してなにも思わないのですか?』

米国の「東京大空襲」批判する人は、
その前に、
自分の犯罪である
(蒋介石が首都を移転させたが)
日本軍の「重慶空爆」を批判しなければならない!

自分の日本を批判しないで、他人の「米国」だけを批判するのは、正しくない!
と主張したのです。

そもそも、貴方は「重慶空爆」に無知なのです。
だからこそ、このように曲解するのです!
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Unknown (Unknown)
2019-09-16 10:00:02
だからさぁ〜
ちゃんと汲むものは汲もうよ!
ねえ〜
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Unknown (Unknown)
2019-09-16 09:48:32
元ネタってホモ・デウスでしょう?
そうだよね。
エっ違うの?
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Unknown (Unknown)
2019-09-16 09:25:49
「仏教イデオロギーに酔っている」と放言された方へ


「仏教イデオロギー」と「仏教」との差異は奈辺にあるでしょうか?

あなたが理解できないから「仏教イデオロギー」と言い訳にしているわけではないでしょう?
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Unknown (Unknown)
2019-09-16 09:18:23
仏教イデオロギーに酔っている?
具体的に誰のことか?

あなたはイエスちゃんが「東京大空襲はお返しだ」とコメントされたことに対してなにも思わないのですか?

東京大空襲や、広島や長崎に原爆が投下されたことは、日本人自身の、自らの行為に対する因果応報だとでも思われるのですか?

日本人がたとえなにをされようともそれは報いだとでもいうのか?

なんのための仏教か?

すました顔でシニカル気取るべきではない。
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Unknown (Unknown)
2019-09-16 09:02:43
いつも、楽しみに読ませていただいています。
今回の話しもなかなかの内容ですね。
コメント数も150を超え、読みきれません。
今日は敬老の日です。だいぶ秋めいてきました。
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最大の難題!! (Unknown)
2019-09-16 08:51:31
最大の難題は何だい!?!

それはね、
南たんにとって、
「悟り」とか「真理」とかと言う言葉を安易に発して、
プロパガンダみたいに喧噪する安直仏教者を見ると、
鳥肌が立って、虫唾(むしず)が走って、アレルギー性鼻炎を起こして、カユカユになって・・・、

ついつい反論したくなる・・・ってことじゃね、たぶんね。

スッタニパータで釈迦が神格化され釈迦自身もうしろに戻れ無くなって
「随分、あの人も苦しかったろうなァ~」と、南さんはそう考えるんだろうね。

「それでも釈迦は何一つ面白いことも無しに80まで生きちゃった。じゃあ俺だって60超えて無駄に馬齢を重ねてもしょうがねえかなァ~」ってね。

でもここで
今世紀最大の難問が発生するよね。

南さんの論調を敷衍すれば、
釈迦の「悟り」とか「解脱」とか「涅槃」(生きてる時の涅槃)とかなんて、
後世の僧侶群の作り話に過ぎなくて、
俺(南たん)にはとうてい信じられない、
って言ってるみたいに思えるよね。

仏教には真実がない。すべてが方便で、
人は方便しいしい生きて行くしかねえんだぜ・・・とかね。

まあ、それはそれでいいんだけど、
わたし的には同意もするんだが、
仏教イデオロギーに酔っている(いた)仏教者達にとっては爆弾発言だよね。
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Unknown (Unknown)
2019-09-16 08:37:06
>現在の日本人の場合は
「輪廻転生説など信じている人」はいない。

か~~~~。

まーた「自分は知らない(ことにしている)」ことを「いない」とか断定しちゃって。
「います」。
それも超後期高齢者みたいな年じゃなくて、若いところに(も)普通にいます。

拝みやさんとこ行って、結婚相手はこの人でいいでしょうか?ってご先祖の霊に聞いてもらってアドバイス受けちゃう話なんて普通にあります。

輪廻やら死後の世界やら不滅の霊魂やら信じる人がいなかったら、大川隆法は教団(?)を維持できないでしょう。まあ、あそこに限らずですが。
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Unknown (Unknown)
2019-09-16 08:06:26
>そして、
それでも生きてみようって、「生きる」に賭けるのは何故なんだろかなァ~??

釈迦はたぶんすごく苦しかっただろう、と。
すごく苦しかったけど生きていったんだろう、と。
「すごく苦しくても生きていく」ことは選べるんだな、じゃあ俺もそれでいってみようと思った、みたいなことを言ってるようなのを読んだ気がする。

でもさあ、釈迦、苦しかったのかなあ?とも思うんだ。
苦しいって、だって生きてるなら当たり前のことだし、ってなっちゃったら、そうは思えない苦しい人の「苦しい」とは違うかもだよね。
たしか南さん、すまねえ長老との対談の〆みたいな感じで「苦しいのは当たり前だから」とか言ってたと思うんだけど、
「これは当たり前のことなんだ」「これは当たり前のことなんだ」って思い続けてるってことは、逆に「そうは思えてない」ものがあり続けてるってことだよね。

でもね、正直、例えば今回の記事とか読んで、南さんが今まさに「実存的不安(?)を感じてる」ようには思えないんだよね。
なんか、ネタのためのネタみたいなふうに思える。何かをマスクするための話なのかなとか。
もう、そういう実存的不安(?)は「記憶」の中にあるようなもので、今はそれを反芻しながら頭の体操的にいろんなお話を考えてるんじゃない?みたいな。
それは、「当たり前だから当たり前」のこととしてその中で生きてるってのとはまた違うんじゃない?とかね。
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Unknown (Unknown)
2019-09-16 06:16:13
イエスちゃんへ

自己そのものが無明なのではありません。
自己は錯覚なのでもありません。

自己に固執することが無明なのです。

自己の感覚がなければそもそも生活できないでしょう。
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Unknown (Unknown)
2019-09-16 06:06:49
イエスちゃんへ


「自己は言葉による錯覚」であるはずなのに、「無明である人間はこの私を実体と錯覚する」?

あなたは「自己は言葉による錯覚」であるといわれるのに、なぜ「無明である人間」が錯覚するのですか?

錯覚の結果であるはずの人間の「私」が「私」は実体であると錯覚するのですか?

本末転倒です。

「目的もなく」「ただ流れつづける」
これらからどのようにして倫理が導かれるのですか?

「目的もなく」「ただ流れつづける」この「観」が仏教の根底にあるのなら、なぜあなたはしきりに「反省」を求めるのですか?その仏教的な根拠はなんですか?

サルトルはこの際どうでもいいのです。仏教の話をしています。

全く「仏教はヒューマニズムでない」ということの説明になっていません。

織田信長が人生50年が理想だといわれたんですか?初耳です。頓珍漢なこといわないでください。
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Unknown (Unknown)
2019-09-16 05:51:38
大日方さんへ


私は議論することが人権に反するなどとは一言もコメントしていない。

コメントしてもいないことを批判することはあなたの妄想です。

あなたの方こそ、この件にしてもネトウヨの件にしても話しのすり替え、論理の飛躍が酷い。

論理ともいえない。あなたのは妄想です。

お答えください。

あなたにとって「人権」とはどのようなものですか?

「歴史」とはなんですか?

「歴史問題」といわれますが、なぜ「歴史」が「問題」になるのでしょうか?

そして、なぜ安易に「歴史」を「倫理」と結びつけることができるのでしょうか?その根拠はどこにあるのでしょうか?

そもそも人間の「記憶」とはなんでしょうか?


「反省すべき」「反省すべきでない」の前に、「反省」とはどのようなものですか?

「反省すべき」「反省すべきでない」の議論以前に、私は「反省」を他者に強要しようとする言動が、他者の主体性を蔑ろにしているとコメントしています。

ちゃんとコメント読んでください。あなたもイエスちゃんも理解力がなさすぎます。妄想が酷すぎます。

以前から繰り返しイエスちゃんに対してもコメントしていますが、あなたがたの共通の特徴は、私の問いかけには一切応えることができないのに、当然のように自分の主張のみを強弁するところ。


仏教のブログですから、すべて仏教をたたき台にしてお答えください。
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「人権」に関する珍説 (大日方)
2019-09-16 05:22:39
《「人権」にかこつけて、他者に「反省」を迫ることは、「人権」に反します。》

《それは脅迫です。それは単純に力の誇示です。他者を自らの世界観に隷従させようとする詐欺です。》

これは完全な議論なすり替えだと思います。

統治や外交ということが国家の単位で動く以上、歴史問題などに対しては、国としての態度が問われることになる。一つの国の中には、当然意見の違う人がいる。だから国としての態度を決めるには、議論をして決めるしかない。国家として「反省すべき」、もしくは「反省すべきでない」。どちらの主張をするのも結構ですが、主張し議論することが「人権」に反するなどという珍説はあり得ません。

そのような珍説で議論を封じれば、我が国は「民主主義が機能しない」「国家の体をなしていない」「議論を怖がる未熟な民族の国」と評価されることでしょう。

「自分が傷つくのが嫌だから国策に関する議論をやめろ」というような主張が通るような国に日本をしたくはない。
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突き抜ける!! (Unknown)
2019-09-16 05:13:30
で、
「それがどうした!!」(=それがなにか!)
って開き直る「しぶとさ」
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Unknown (Unknown)
2019-09-16 05:09:31
おおお、やっぱり、
きみもそうだったのかァ・・・

と仲間意識的自己憐憫?
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再び52頁!! (Unknown)
2019-09-16 04:47:54
南直哉著『自分を見つめる禅問答』
「仏教に決まった真理がないとするなら、あとに残るのは、苦しみをしのぐ暫定的な方法だけだ。ならば、逆に言えば、使える方法ならなんでもいいことになる。」

・・・ってつまり、南さんは仏教には真理は無いって言いたいんだよねェ??
つまり、諸行無常も、諸法無我も、一切皆苦も真理ではなく、
ただ単に人が信じるか信じないかというレベルでの(架空の)信仰に過ぎないっていうことになるよね。
要するに方便だってことだよね。

で、どうして無常・無我・一切皆苦が方便だという事になるかと言えば、
自分の存在不安(=不定愁訴)を説明するのに都合がいいから・・・
ああそうなんだとして、自己肯定(=自己受容)が出来るから・・・ってことなのかねえ?

そして、
それでも生きてみようって、「生きる」に賭けるのは何故なんだろかなァ~??

ひょっとしてただ単に、
死ぬのが怖いから??
それで縋り付く思いで「生きている??」



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そもそも社会が、曹洞宗に「何を」望んでいるのか (イエスちゃん)
2019-09-16 04:03:38
そもそも社会が、曹洞宗に「何を」望んでいるのか…

社会の習俗としての「葬式仏教」ではないのか?

『大法輪』で
「生死」の巻を『正法眼蔵』と称しているがウソである。
「生死」の巻は道元和尚自身によって『正法眼蔵』から外された巻である。
その理由は、内容に重大な欠陥があるから。

しかし、現在の曹洞宗は、それが解からなくなってしまっている。

「出家」ではなく、
結婚し子供を造り「家庭・家族」を造り、
「在家」になってしまっているから。
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織田信長 桶狭間の戦い (イエスちゃん)
2019-09-16 03:54:04
織田信長 桶狭間の戦いの前で、能を舞った。

人間(ジンカン)五十年、
下天の内をくらぶれば、
夢幻の如くなり

幸若舞「敦盛」の一節。
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サルトルは「実存主義」は「ヒューマニズム」であると言った (イエスちゃん)
2019-09-16 03:43:37
サルトルは
「実存主義」は「ヒューマニズム」である
と言った。

南師は、
「仏教」は「ヒューマニズム」でない
と示した。

「家族愛」は
人類の進化で「生み出された」
これが「ヒュ-マニズム」の基盤である。

しかし、
人類は「目的がなく」「生き」続ける。
「大河」がとうとうと「流れ、海にそそぐ」ように。
「目的がない」「ただ流れ続ける」
この「観」が「仏教」の根底にある。

「諸行無常」
「諸法無我」
「仏教」は「ヒュ-マニズム」ではない。
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「言葉」はデジタルだから「不変」、だから「実体」視するようになってしまう。 (イエスちゃん)
2019-09-16 03:30:39
「私が、歯が痛む」
「私が、歩く」

この「私」は、「言葉」が要求する「主語」であり、
「無明」である人間は、この「私」を「実体」と錯覚する。
これが「自己」は「言葉の虚構」であるの意味である。

ただ「仏教」では、修行を成立させる目的のためだけに、
「我」が「仮設される」だけである。
飽く迄も「アートマン」は
「諸法は、無我」である。

「言葉」が「私」と「その動作」とに、二分してしまう。
この「私」が、「死苦」「老苦」の原因となる。

これだから、
南師は
「無明」とは、「言葉」である。
と言明する。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-15 22:23:56
イエスちゃんへ

南さんはこのことについてもお話されていますよ。
よく調べてください。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-15 22:19:01
イエスちゃんへ

あなたは「自己は言葉による錯覚」と、あたかも口角泡を飛ばすかのように繰り返します。

べつにそれは否定しません。

しかし、それは視点を変えれば、言葉には錯覚を起こさせる強い作用があり、わかっちゃいるがやめられないというような強い中毒性があるということを意味しますね。

あなたは言葉を使用し、自分の主張の正当性を主張されます。

言葉は、それがどのような単語ひとつであっても、それは現実を抽象化し、現実を捨象するものです。

出来事を言語化することはある意味ひとつの微妙な暴力であることは理解されていますか?

あなたは自身の言葉のひとつひとつについて、それを説明できなければならないのです。
返信する
AIの無い空間 (Unknown)
2019-09-15 13:12:16

廃墟寺を、「永平サンガ」に「改造」しては如何でしょうか。

檀家寺は自意識のカタマリで、改造しにくいでしょうから。。






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小さな教団 (Unknown)
2019-09-15 12:41:54
大きな教団は不要、というか、元締めは必要としても、分散機能型にしないとね。

廃墟となっている寺も多いと聞きますが、そうなる前に、僧侶を送り込むような養成や、システム作りをしていないから、折角建立された寺も放置状態となるのでは?

返信する
meta- (榮久)
2019-09-15 12:33:45
人は、或る時は意識が先にあると言い
また或る時は物質こそ全てと言ってきた。
しかし、物質とは何かと意識が問うことが
できるその限り、意識は常に、メタに立つ。
物質を「物質」と規定し得るところの
意識の構造こそが問われなければならない。

他者が考えているそのことは
わからないことではない。
それがまさにそのことであったのかは
やはり永遠にわからない。

意識こそが全てであり
従ってそれは死ねないという
絶望的な事態を知りつつ
「死んだ」者たちは
さて、「死んだ」ことになるのか。
「彼」はいま、「どこ」に居るのか。
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Unknown (Unknown)
2019-09-15 12:29:57
「正解を次々に断定して言ってくれる人。」

というより、方便を適切に使いこなせる人、だったんじゃないかなあ。

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Unknown (Unknown)
2019-09-15 12:24:39
スッタニパータは、釈迦を神格化させるような書物。だから、それを踏まえた上で読まないとね。

釈迦は崇拝されても喜ばないよ。

法灯明、自灯明だからね。


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スッタニパータ考。 (Unknown)
2019-09-15 12:16:00
悟った人とか覚者ってどういう人なんだろうか?

釈迦がそうだとして
人々から尊敬され崇拝され、崇められたことになってるけど・・・
まあ教祖さんだしね、当然かな。

きっと自分の考えに確固たる自信があって、存在不安もなくて、ブレず、疑うことも無く、悩むことなく、
毅然としてて、しかも柔和で、平安につつまれて、
頭からは光り輝く輪が放射してて、
周囲には威厳あるオーラを発散して、

無明の凡人たちのあこがれの的で、
正解を次々に断定して言ってくれる人。

もし南さんがそういう人だったら、
一声(ひとこえ)で数千人が集まって、
大きな教団ができるんだろうかなあ??

迷えるものよ、
われの元に来い。
われこそが汝を救うのだ
・・・と。
返信する
串に刺さらない。 (Unknown)
2019-09-15 12:12:01

三つの難題とは、「❌3」だな。


オデンに成らないものはマズイ。

返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-15 12:06:19
AIはオデンが食べれないからなぁ。

これは難題ですな。

返信する
オデンの東 理由なきハンペン (チビタだじょ)
2019-09-15 11:59:48

聴いて下さい。


『前の日の酒が残っていて
タバコなんかも吸いすぎてしまい
爪を切ったら深爪で
電話さえも鳴らない昼下がり
僕は思い出すのです

ハタ坊が握りしめたおでん

丸と三角と四角だけの
あの寂しげなおでん おでん

僕の生きてきた日々を
おでんに例えるなら
丸と三角と四角と
それだけの組み合わせでしょう

丸と三角と四角と
それだけの組み合わせでしょう


あの日生まれてから
恥ずかしい事ばかり
日記をつける自信もない
告白する勇気もない


おでん おでん おでん
おでん おでん おでん


生まれてから五年目
滑り台から落っこちて 骨折ったじょ(三角)

生まれてから10年目
学校からお家に帰る途中でチビっちゃったじょ(四角)

生まれてから13年目
クラスで一番可愛い娘と接吻したじょ(丸!)

生まれてから17年目
捕まっちゃった夜 初めて父ちゃんの涙をみちゃったじょ(四角)

生まれてから21年目
大好きな人に言われたじょ「あなたとは一生友達でいたいの」じょー!(三角)

生まれてから28年目
「叫ぶ詩人の会」を作ったじょ(丸)

全然売れないじょ(三角)

お金が無いじょ(三角)

生まれてから40年目
僕はまだ叫んでいるじょ 子供は父ちゃんが自慢だじょ(丸)

生まれてから50年目
僕は体力の限界に挑戦しているじょ でもプクプクの中年太りだじょ(四角)

生まれてから60年目
とうとう孫ができちゃったじょ
近所では「あ、叫ぶジジイだ!」なんて呼ばれているじょ(三角)

生まれてから70年目
叫んでいる時に心臓が止まっちゃったじょ(四角)

僕の人生は呆気なく終るじょ
最後に甦るのは ハタ坊のおでんだじょ

僕は君に会えてよかったじょ
なぜなら、ハタ坊、君のおでんには「バツ」は無かったじょ!

全てをダメにしてしまう「バツ」は無かったじょ!

絶望の「バツ」は無かったじょ!
僕は人生は ハタ坊のおでんだったじょ

僕らは時を貫く 一本の串のような命


望みを絶たれた夜も
死にたいと思える日々も
丸と三角と四角と それだけの組み合わせでしょう

ありがとうハタ坊よ
これまでも これからも
僕は君と生きていこう

笑える日が必ず 来るぞコノヤロー!


おでん おでん おでん
おでん おでん おでん』


https://m.youtube.com/watch?v=GIWPr51jhQE


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Unknown (真理亜ちゃん)
2019-09-15 11:20:25

愛を象徴する人物は、「マリア様」だよ。
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愛という言葉、正義以上に厄介 (Unknown)
2019-09-15 11:17:49
愛とか正義とか言い出して、人間は話を聞かなくなる

愛を象徴する人物、イエスが割と鉄拳と相性が良いし、道の違う人間にはあらぬ方向を指差して「行け」とかいう
返信する
まあ (Unknown)
2019-09-15 10:53:47
オデンも、半煮えくらいの味付けが、調度よい場合もあるしね

○🔺◼️

マル‐参学‐死角


THEオデン哲学🍢

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Unknown (Unknown)
2019-09-15 09:34:14
「人権」にかこつけて他者に「反省」を迫ることは、他者の主体性を毀損しています。

他者の主体性を蔑ろにしています。

よってその行為は「人権」に反する、と考えます。

補足です。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-15 09:29:42
学歴や肩書き、能力、お金、知識の量。

これだけで人は尊敬されません。
これらのことは手段に過ぎません。

これらの手段が「自己」の力の誇示のための手段とされてはいけません。

「権力」それ自体が目的とされてはなりません。

それでは「権力」はなぜに許されているか?

人間の能力は不平等です。

だからこそ、より優秀な人が全体の福祉に奉仕するために「権力」はあると、考えます。

「福祉」とは、「人権」とはなんでしょうか?

私が思うに、「人権」とは「主体性」です。

「福祉」とは、あらゆる人が「主体性」を発揮できるよう促す運動、と考えます。

ある人が誰かに強制されることなく、誰かの判断の犠牲となることなく、おのずからの「主体性」に基づいて行為し、その結果をその人自身が、その人生も含めて丸ごと受け入れられることです。

自分の経験についてよいことも、わるいことも、すべて私自身に責任がある、と飲みこむことです。

事あるごとに環境のせいにしたり、他人のせいにしたりして被害者ぶることではない、と考えます。

「人権」にかこつけて、他者に「反省」を迫ることは、「人権」に反します。

それは脅迫です。それは単純に力の誇示です。他者を自らの世界観に隷従させようとする詐欺です。

知識の「量」は自慢にもなりません。「質」が大事です。

そもそも「聡明」であるとどのようなことでしょう。

それは、知識の量でも質でもない、と考えます。

それは、その人がどれだけその人自身の人生に、被害者ぶらずに真剣に向き合っているか、という一事に全てかかっていると思います。

つまり、どれだけ自分自身に対して偽らず正直であるか、ということだと考えます。
返信する
>煮え切らない南さん (Unknown)
2019-09-15 09:28:43
オッと。。。
朝の目覚め際に思いついたんだが、
他者様のコメを読んでるうちに忘れちゃったよ・・・ん~んと、なんだっけ??

え~とォ・・・
「煮え切らない南さん」って言ってた人がいたわけだけど・・・

あっ、そうそう、
要するに「起承転結」が無い人っていう事だよね。
永遠に終わらない人、思考が完結しない人。
「存在不安」観に、永遠に流浪する人??

仮託した答えが出ても、それが新たな「問い」(疑惑)となって、
永久循環、自己内輪廻を繰り返す人・・・永遠に正解がない人。
そんな感じかなァ~、たぶん!!

これじゃあ、
常に正解を持ち出すS長老とはウマが合う筈ないよね。

また玄侑宗久さんみたいに、小説書きの人の場合は、
自分の書く小説の中で、読者が満足するような「起承転結」を図って、必ず答えを与えていかねば
話(小説)がまとまらない(=煮え切らない小説)と不評を買ってしまう運命にあるわけで、

玄侑さんの場合は、
小説のモチーフを拾いだす為には、
(質問と正解を持ち出す)S長老とはよくウマが合うということなのかもね。

まあなんていうか、
釈迦が言ったとかの
「瞑想によって体験しないことは、死によっても体験しない」とかいうテーゼも
恰好な小説のネタになるよね。
スカッとさわやかコカ・コーラ!!

南さんの場合だったら、死とは何かは
原理的に分かる筈はないと、
永遠に問いするからね。
頭の中、真っ白のままで、何の結論もなしの状態だよね。
結論聞きたい人には、誠に煮え切らない人にみえるよね。
猿が玉ねぎの皮をむいてイライラする・・・みたいな感じ。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-15 07:33:11
あはは。
勉強してる俺すごい!って言ってるんだから、自己完結してるんでしょ。
他の人がいないなら反応はできないし、「自分にとって」って考えるには他人がいるし。
なんか、寿限無寿限無言ってるみたいなもんじゃないの?
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-15 06:16:46
イエスちゃんは、「自己は言葉による錯覚」と繰り返すばかり。

だからそれがなんなのですか?

「自己は言葉による錯覚」ならば、そこからどのようにして倫理を導けばよいのですか?

なぜあなたは強弁するのみで説明することができないのですか?

あなたは「人権」を強弁されるが、それはあなたにとってどのようなものですか?

なぜ応えられないのですか?
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-15 06:15:41
しかし「妄想・コメント・騙り」の暴走に歯止めが効かない。自称救世主ちゃん
恥ずかしくないのですか、自らを「ちゃん」づけで、幼児的な思考で騙る
このブロブの汚点が貴方なのです
返信する
Unknown (SA長老)
2019-09-15 06:13:36
あなたこそ、柔軟性の欠けている人物!
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-15 06:08:38
人生50年が理想?
それは妄想です。
裏付けのない理想を語る必要は微塵もありません。
実際あなたもそれ以上に長生きしてるじゃないですか。自己否定ですか?


自己の死への恐怖が永遠のいのちを欲望する?
それは妄想です。
考え方古過ぎませんか?
本に書いてあること鵜呑みにし過ぎじゃないですか?
周りを見渡してください。
誰も永遠のいのちなど望んでいません。
実際はどの人も自己の拠り所、つまり自己の根拠に飢えています。
返信する
その「S長老」こそ、柔軟性が欠けている人物! (イエスちゃん)
2019-09-15 06:04:15
『S長老さんも曰く、
仏教の器(根幹、入れ物)は
「柔軟性のある人格だ」っていってるし・・・』
返信する
「輪廻転生を固く信じている人」に教える場合… (イエスちゃん)
2019-09-15 05:59:06
『佐々木閑さんなんか、
釈迦が二枚舌を使う人でないならば、
いくらサンガ維持の為であると言っても、
釈迦も或る程度は輪廻を支持していた筈だと言ってるよね。』

釈尊の場合は、
「輪廻転生を固く信じている人」に教えるケースである。
ヒンディー教徒である。

現在の日本人の場合は
「輪廻転生説など信じている人」はいない。

だから、現在の日本人に向けては、
「輪廻転生論」は無用なものです。

むしろ、邪魔になるだけ!
返信する
人間を「普通の生物」と観ると (イエスちゃん)
2019-09-15 05:38:43
人間を「普通の生物」と観ると、
25歳ぐらいまでに結婚し、子供を産む。
その後、子供が25歳ぐらいになるまで、育てる。

子供を育てる役目を遂げて、
そして、子供の世代に引き継いで、死んでいく。

人生50年!
織田信長の「御能の舞い」です。

これが理想です。

遺伝情報を「肉体」で「遺伝子」で伝達していたが、

「肉体の外」で「言葉」を使って、
「生きる知恵」「科学情報」で伝達するようになった。

もはや「遺伝子の変化」による「生物進化」は不要となった。

肉体に「鳥の様な翼が生まれ」なくても、
肉体の外で「飛行機」を用いて空を飛べるようになった。

問題は「言葉」で、「自己」を「実体」と錯覚して、
「自己の死」を「恐怖」し「永遠のいのち」を欲望するようになった。

しかし「肉体」は確実に死に向かっていく。
「自己」をデジタル「肉体」に移植する事を「欲望」する。
生物科学が発展すれば、可能だろう。

しかし「欲望」の暴走に歯止めが効かない。
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違うよ。 (Unknown)
2019-09-15 00:46:58
「仏教の狙い」とか「死の受容」って、欲望に対してのことだよね。

南さん自身も強欲なんだよ、たぶん。だから、口酸っぱく強調しているんだよ、きっと。


仏教って、際限なく自意識の欲望を削ぎ落とせってことだよね。でも、自意識をなくしたままだと生きていけないから、自意識を改造するということになるんじゃないかなぁ。

返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-15 00:26:59
まあこんなにモメるなら、仏教の子会社的に、輪廻教、超越教とに分ければよいじゃんね?

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Unknown (Unknown)
2019-09-15 00:21:00
阿弥陀様に身を委ねる場合、高徳だからとするなら、そりゃダメだね、打算的では立派とは言えない。

自分が如何に無力で愚かで頓珍漢かを、思い知らされるかどうかだからね。


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Unknown (Unknown)
2019-09-15 00:15:13
買い弁して、無い勉して、代弁して、my勉して、排便して、酔い勉して、快便する。

この繰り返し、も輪廻か⁉️

結局は、自分も周りも豊かにすることなら、ノー問題❗


AIには実存苦がないからね
これは問題だよ。


返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-15 00:06:30
S長老さんも曰く、
仏教の器(根幹、入れ物)は
「柔軟性のある人格だ」っていってるし・・・
まあその割にはすぐ「これだ!!」って正解だしちゃうけどね。

あまりがある(=正解がない)のが柔軟性なのか、
正解があるのが方便対応型なのか、よく分からないけど・・・
返信する
輪廻かァ~ (Unknown)
2019-09-14 23:56:53
宮崎哲弥さんなんか
釈迦の時代ではサンガの食糧調達方法として輪廻観が必要だったみたいに言ってるよね。

佐々木閑さんなんか、
釈迦が二枚舌を使う人でないならば、
いくらサンガ維持の為であると言っても、
釈迦も或る程度は輪廻を支持していた筈だと言ってるよね。

まあもともと方便だしね。
時と場合の正当化って事で決着だね。

そいえば佐々木さんも、
現代人のわたくしは輪廻は受け入れてないと言ってるよね。南さんも同じだね。

もし現代人で
輪廻がなければならないって思って、
自分の人格を磨いている人が存在している人は、それはそれで立派な人だよね。

阿弥陀様がいると信じれば、
阿弥陀様が自分の前に姿を現す…と信じて、
高徳な阿弥陀様にわが身をゆだねようとする現代人がいれば、
それはそれで立派なんじゃないかなァ。
きっとその人はいい人生を送れるよね。

方便、方便、ほうほうべん。
みな各人がうまく生きてく為にあるよね。

あっ、そ~だ、だいべんもお忘れなくね。
生きてく為に必須だよ・・・って道元さんも細かくだいべん作法を説いてるようだし・・・
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-14 21:14:22
時と場合の方便なら、輪廻もOKってことなら、絶対不要という訳ではなさそうね。この煮え切らなさが、煮え切らない南さんに向いてる、とも言えそうね。

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Unknown (Unknown)
2019-09-14 20:42:28
>ならば、逆に言えば、使える方法なら何でもいいことになる。(これが方便なのじゃよ!!)

でもさあ、輪廻はダメだ仏教じゃねえよ、って言うわけじゃん。
理屈に合わない、んだっけ?
でもさあ、どうせ人間なんて理屈に合ってるからいるわけじゃないじゃん。
返信する
ザクっとバッサリ🗑️ (Unknown)
2019-09-14 18:12:02
この時期の恒例行事なのか?、削除コメ続出&コメ停止事件がありますね。

明日は敬老の日です。
👴👵

南さんを含む高齢者を、敬老しましょー🙌

返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-14 17:45:56
方便とは?
『自分を見つめる禅問答』(南直哉著)52頁。
苦しくても生きていく方法、これを「方便」と言う。いうならば、方便が生きる意味を仮設する。
仏教には決まった真理がないんだから、あとに残るのは、苦しみをしのぐ暫定的な方法だけだ。
ならば、逆に言えば、使える方法なら何でもいいことになる。(これが方便なのじゃよ!!)

なお、訂正、5万4千の方便ではなく
8万4千の方便でした。
(84000の法門、仏教の持つ多彩な教え・・・これが方便と同意語となる。
なぜなら南さんは「仏教には決まった真理などは無いとするなら・・と言う訳だから、即ち、すべてが方便だと言っていることになる)。

処でヒューマニズム否定の件補足。(62頁)「本当の自分」「自分の存在の根拠」を「自我」と呼ぶなら、仏教はその最初期
最初期から、「自我」と「欲望」と「所有」を否定していると言える。それは「錯覚」なのだ。錯覚のまま生きていけば、間違える。間違えれば苦しい。この錯覚を「無明」と言う。仏教はこの根源的状況への処方箋なのだ。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-14 16:52:53
あっ・・・それは南さんがこの世で生き抜く為の方便なんです。

南流仏教では、
言葉に言い表せない真理(不言真如)などはない。
在るのは、生きていくために仮託された
54,000通りの有言方便だけなのです。

でも54000通りもあるんですから
あなたに似合った方便のいくつかなんて簡単に見つかりますよ。
さあ、それを自分の人生の支えとして、
この苦悩に満ちた難しい世の中を、
元気いっぱい笑って過ごしましょうよ!!

まあ、わたしはわたし、あなたはあなた、
あまり細かいことはごちゃごちゃ言わないで、それぞれわが道をいきませふ!!
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-14 16:10:02
>ただし、仏教の狙いは、---中略---ニルヴァーナ(死の受容)に方向づけられた実存として、それ相応の自意識に改造することです。

「仏教の狙いは自意識を改造することだ」

   ・・・・・・・何そのアサハラ。

仏教の狙いは、ってことは、釈迦の狙いですか?
釈迦の自意識は狙い通りに改造されたものなんですか?
だとすると誰の(何の)狙い通りの改造なんですか?
仏教はまだ仏教なんて言葉がなかったころから「仏教の狙い」なるものを持っていたってことですか?
「親が生まれる前から私は生きていた」みたいなもんでしょうか。
じゃないと、改造する前の自意識が考えた狙いで正解なら改造するまでもないってことになるんじゃないかと思うんですけどね。
死は受容されるべきだ?死を受容しているんだ?死を受容しようとし続けているんだ?
そんなことを考え続けないといけないなら、それは逆説的に「受容できない死」の存在に詰め寄られ続けられてるってことじゃないですか?

南さん、考えるのやめてみたらどうですか?
「考えない俺なんて死んだも同然だ」とかですか?
「問い続けないと出家じゃなくなっちゃう」とかですか?

「暇なのかなあ」とか、「なにか不安なことでもあるのかなあ」とか、「十日毎のブログ更新のネタ切れかなあ」とか、思ったり。
返信する
「AI倫理」 (Unknown)
2019-09-14 13:03:38
という本が出版されていましたね。

AIが誤作動や暴走を起こした時、一体誰が「責任」を取るのか?

取れるのか?

予測不可能な開発を社会で実用化するつもりなら、国際的な規定をしておかないと、ハチャメチャ世界になることでしょう。

トランス・ヒューマニズム
(超人間主義)

シンギュラリティ(超知性体)
技術的特異点(2045年問題)

逆に

https://ainow.ai/2019/07/02/170473/

このような説もあります。

返信する
「仏教」は、神に助けを求めない (イエスちゃん)
2019-09-14 12:01:53
「仏教」は、神に助けを求めない!
これが、本質です!

他の宗教と完全に異なる。
宗教は
「仏教」と「非仏教」とに、二分される!
峻別される!

だから、明確に、密教は「非仏教」である。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-14 10:48:43
南さんは南流仏教論で、
超越・非超越をもってして
非仏教・仏教と分別する。
無常・無我なんだから非超越じゃんと…

しかし他方では
無常・無我の本質は、
超越(=神)があるかどうかではなくて
それについては釈迦は「無記」したと講釈もする。

まあすべては方便ですね!!
返信する
訂正 (Unknown)
2019-09-14 10:38:07
大将に使える部将は・・・・>
大将に仕える部将は
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-14 09:32:04
イエスちゃんへ

仏教は有神論でも無神論でもありません。
仏教は無神論だとする判断は過ぎた判断です。
このことは南さんご自身がブログで「無記」として述べておられます。
返信する
ところ変われば品変わる。 (Unknown)
2019-09-14 07:34:24
南京事件に関しては別の考慮の仕方もあるでしょう。

戦争状態にある異民族は
お互いが生きるか死ぬかの極限に立たされる。時と場合の正当性が考慮される。

たとえば中国の歴代王朝の歴史では、
異民族同士の戦いであったので、
勝利した新王朝は異民族である旧王朝の文化を徹底的に破壊し、旧王朝の人民を皆殺しにしてきた歴史がある。

処が武家時代の日本においては
同一民族内での紛争であったので、
大将に使える部将は、
どちらか強い大将に寝返って自分たち小部族の延命を図ることができた。
(これは異民族同士の戦争ではありえないことですよね)。

戦争なんだから(お互いに)殺傷行為はあった。これはやむを得ない事実でしょう。

しかし大虐殺とレッテルを張って一方的に非難する根拠はなんなのか。イエスちゃんはそれには答えていないとわたしは感じます。

人道主義を言うならば、
では、なぜイエスちゃんはアメリカ軍がした原爆投下や大空襲で民間人大虐殺があったと声をあげないのか?

返信する
artificial intelligence ? (榮久)
2019-09-14 07:24:51
AIとは計算機科学による問題解決法、
学習法の研究の分野を指す言葉であろうか

しかし、computerのOSで考えてみても
営利目的の一企業がパソコンの基盤ソフトを作り販売し
何年か毎にバージョンアップと称して購入を勧め
更にアプリケーションソフトも突然販売中止あるいは
保守しない等々が平然と行われる
窓95,窓98・・・窓8,窓10と・・
unixベースのiOSにしてもしかり
だが最近のスマホはUNIXベースで作られていて
そのシェアーは嬉しいことに90%近いので
道具としての利用価値が出てきたかなと
UNIX系のOSをインストールして試している

国産のOSが窓95の時代に文語体を始め
旧漢字も含め16万字近くを収めて国語教育にも向いていて当時の文部省でも推進していた
しかし、あの悪名高き通商条約301条違反として
我国の時の政権が潰してしまった
国産OS「トロン」という優れたOSがあった
検索すると興味深いことが読めてくる
こんな「アメリカのポチ」と蔑まれた国で
そして軽薄短小の風潮の中で
『AI・バイオテクノロジーと「労働」・「意識」の変容・「死」の消去』
など心配する必要すら感じられない

欲望と保身、権力と享楽、あるいは増悪し
悩んでみたり嘆いてみたり
それら絡まり合い流れていく・・
だが世界に意味など、もともとない
ただそこに在るだけなのだから
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-14 06:20:56
イエスちゃんへ

聖書考古学では、ヨブ記の結末部分は書き換えられた可能性を指摘されていますよね。

よく調べてくださいね。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-14 06:15:50
イエスちゃんへ

繰り返しますが、今回南さんは「仏教はヒューマニズムではない」といわれています。

その上で、私は「南京事件」があったかなかったかを議論しているわけではありません。いいかげん理解してください。

イエスちゃんは自身の正当性を強弁しています。一次資料や物的証拠などは関係ありません。

私がいいたいのは、あなたの主張の正当性の仏教的な根拠を問うているのです。

「仏教はヒューマニズムではない」ということと、イエスちゃんがしきりに「反省」を求めることの整合性を問うています。

あなたは理解力がなさすぎます。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-14 06:04:18
イエスちゃんへ

全く的外れです。

例えば、永井均さんの著書「〈私〉の存在の比類なさ」にはこうあります。

「近代的観点とは一切の唯一性を否定し、すべてを同等なるものの複数性において語ろうとする志向をもつこと」

「近代とは等質空間の捏造の時代」


あなたは実はなにも理解できてはいないのですね。

ニーチェが、人間とは生のひとつの様式にすぎない、自己という実存様式の根本にルサンチマンがある。と主張し、フーコーが「人間の終焉」をいわれ、現代思想と哲学はいかにして人間なしに世界を説明しうるか、というところにあります。

自由意志?だからなぜ当たり前のようにそんなものをもちだすのですか?

自由意志を認めるのなら、それを行使する「自己」があるのですか?
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-14 06:01:34
>「現代人」でなく、「近代人」というのも違和感がありましたが、

ですよね。

南さんは自分のことを考えていたのかなと思う。>「職業がアイデンティティの核心」

「死の受容」をそんなにも言わなくちゃいけないってことは、そんなにも受容しがたいことなんだなあって感じですな。
絶対死ねないってなったらそのほうが怖いですけどね。
返信する
子孫が増える事が神の祝福 (イエスちゃん)
2019-09-14 05:03:05
『基本的には
 「生」に対して
キリスト教は楽観主義で
仏教は悲観主義。。。』

聖書では、神ヤハウェは、
「産めよ、殖やせよ、地に満ちよ!」
と、子孫が地上に繁栄して、広がっていくことを
祝福し、約束している。

『ヨブ記』でも、試練の為に、子供たちの命を奪うが、
最後は、以前に倍増して、子孫が繁栄する結末になっている。

他方、
釈尊の一家は、みな出家して、そこで子孫は絶たれてしまった。
これは、ご自分の自由意志で決断した結果である。

「仏教」は無神論である。
返信する
「命」が第一ではない (イエスちゃん)
2019-09-14 04:50:53
『「仏教はヒューマニズムではない」
イエスちゃんさんは理解できますか?』

南師の仰る通りです。


釈尊は、「妻」も「一人息子」も出家を認めました。
それで、「釈尊の子孫」は「断絶した」。

もしも、「人類の全員」が出家したならば、子孫を造らなくなり、このため、
「この一代を最後に、人類は消滅」する。

つまり、釈尊からは
「人類は消滅しても構わない」ということです。

「一人のいのち」は地球の重さよりも重い。
という考えとは全く「別の世界観」です。

「仏教はヒューマニズムではない」

「諸行無常」「諸法無我」
返信する
山折哲雄さん (Unknown)
2019-09-14 01:22:07
教えてgoo!
宗教学者、山折哲夫さん。(について)

当たり前のことを、さももったいぶってお話になる様子が印象的です。
特に目新しいことを話すのでもなく、なんとなく宗教学者らしい思慮に溢れた雰囲気を醸し出す語り口が秀逸です。
彼は本当に卓越した宗教学者なのでしょうか。


返信する
山折さんに一票。 (Unknown)
2019-09-14 01:05:19
う~む、
これはたしかに
砂漠で生まれる思考法だなァ~。
(=森の中では生まれそうもない考え方)
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-14 01:00:30
基本的には
「生」に対して

キリスト教は楽観主義で
仏教は悲観主義。。。

キリスト教では、神に従っていれば最後は救われて天国という超高級な老人ホームに行けると保証されている。

仏教では人は突き放さている、救われるべき行き場がない(per佐々木閑).
(涅槃して永遠に滅失して苦のサイクルである輪廻を抜け出したいのだ、のだ首相。)
返信する
ヒューマニズム (Unknown)
2019-09-14 00:44:32
聖書には「産めよ増えよ地に満ちよ」と生殖を喜びとして肯定した。
初め神は人を完全な体に作ったとあるので、
五蘊の機能は善であるとみなした。
地上での人間生活を善として肯定した。
これがヒューマニズムの元締めだよね。

キリスト教の悪は、あくまで神の戒律を人が破ったという点にあった。
本当は(最初は)、死はなかったのだけど、罪を犯したので死という苦しみが与えられた(付加された)と説く。

まあこの論旨には矛盾はあるよね。
人体の防御機能は神がデザインしたとすれば、もともと死が前提に入っていなければおかしいし、
「死ぬ」いう機能が加算されたというより、
「死なない」という機能が減算されたといってほしかったよね。
「死の消去」ではなくて「死なないの消去」というのが神の意図したところだと・・・。


他方、仏教においては釈迦は基本的には人間性否定の立場に立つと考えていいんじゃないかなと思える。
悟って解脱して涅槃して・・・、
この世で生きることについては積極的な奨励はなくて、
まあいってみれば生まれなかった方が
よかったみたいな感じがあるし、
他者から生まれさせられて厄介をしょい込んだみたいな・・・
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 23:07:11
「現代人」でなく、「近代人」というのも違和感がありましたが、先のサイトの説明では、日本での「近代」とは、明治維新~終戦まで(1968~1945)を指すようです。

間違えていましたら、すみません。

返信する
ヒューマニズムとは。 (Unknown)
2019-09-13 22:59:40
改めて考えてみると、南師の言われるヒューマニズムとは、どのような意味なのでしょうか?

https://kokugoryokuup.com/humanism-meaning/

このような内容で宜しいのでしょうか。




返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 20:52:02
なぜダメなのですか?
答えられますか?
べつにあなたの基準に従う必要もないでしょう。

あなたが応えてくれてもいいですよ?
仏教をたたき台にして「記憶」とはなにか、「歴史」とはなにか、教えていただけますか?
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 19:03:06
>「仏教はヒューマニズムではない」、
といわれてもねえ・・・

どっちみち、
この世を何とか生き抜いて行く為には、
するべき自己肯定はして、自我の確立もして、生命エネルギーの高揚を図ったほうがいいとは言えるよね。

元気いっぱいに生きて、
笑顔をたやさず生きていれば、
アランさんの「幸せだから笑うのではない、笑うから幸せになるのだ」っていうのが仏教者にも訪れてくるよねェ~.

しかめっ面ばかりしてないで、
元気にやろうぜ、仏教者!!

返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 19:02:20
何事かについて自分の見解を主張するならば、それに対する反論にも応えることができて当然です。

主張するだけして、あとはトンズラする人間の言うことなど信用できないでしょう。

「相手にしない」などと賢ぶることは阿呆丸出しです。
阿呆だから聖者気取りで賢ぶるのかもしれませんが。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 18:09:55
あんまり相手にされてないね
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 15:47:43
今回「仏教はヒューマニズムではない」とあります。

イエスちゃんさんこれを理解できますか?

イエスちゃんさんはきっとご自分の主張を押し付け、人を折伏しようとされているのでしょうか。

イエスちゃんさんは「反省」を求めますが、私にはあなたの「反省」の内実が、「馬鹿者ども、俺の世界観に従え」という風に感じます。

実際そうでしょう。あなたが自覚していないだけで。

なぜならば、なぜ「反省」が必要か、なんのための「反省」か、「反省」とはどのようなものなのか、一度も語られたことはないのですから。

すなわち「反省」が成立し、有効であるような世界観とはどのようなものであるか、それは仏教の指すところのものと整合するか。です。

「仏教はヒューマニズムではない」

イエスちゃんさんは理解できますか?
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 15:18:11
膨張させといて、膨張を食い止める為に、膨張に絶大な資金を投入し、徹底的に絶望感を与えようとする。

それをヤマトで示した。

膨張は破滅でしかない。

返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 14:03:11
意識がなくなった。

臨終間際
水差しを軽く口にあてた。

ゴクッと飲んでくれた。

それが
別れの挨拶となった。


返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 13:57:27
余命宣告を受けて、当事者も周囲も、如何に自然体で過ごせるかどうか?

心配し過ぎないように、放任し過ぎないように、両者に負担がかかり過ぎないように。


例年の花火を一緒に見に行き、
「来年は見れないかもなぁ」と呟かれ、
絶句するしかなかった。


死の練習は瞑想だけではない、死の受容は、各々様々かと思います。



返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 13:13:55
身内の療養から死ぬ間際までを経験したことがある者ですが、そのような練習をせずとも、死を迎えるに辺り、なぜか悩んではいませんでした。

自分の死に関しては、なぜか毅然としていましたね。

いま振り返っても、悟っていたのではないか?と思う程です。

生にも死にも執着していないような感じだったのです。

だから身内は、どこか気張らず緩やかで、宗教に頼らずとも平気で生きて、平気に死んで往けたのかもしれません。


もちろん、家族のことなどは心配していましたが。。


返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 13:00:58
私の知っている死というものは、
単なる生命現象の終焉で、
息が出来なくなる時に血流に酸素供給が欠乏して、相対的に窒素濃度が高くなるために、
脳は恍惚感、昇天・極楽感を感じる。
そういうホルモンが脳を支配する・・・
様だという事です。
長年、臨死体験に興味を持って答えを得る為に、血眼になって世界を旅した立花隆氏がNHKスペシャルでそれを明らかにしていましたね。

死ぬってどおっていう事じゃあないわけです。死ぬ間際の生きている間に悩むことが嫌なわけですね。
S長老が『なぜ、悩む』本で、
死に行く者の心構えを解説していましたね。
ビバッサナー瞑想で死ぬ練習(死に際しての心構え)ができるそうです。
返信する
訂正 (Unknown)
2019-09-13 12:33:59
自今・・・・>而今
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 12:30:08
ふつつかさをかこつ後期高齢者のわたくしにしても、

悟りを目指したけど、悟りは開けないと居直ってしまった還暦の南さんにしても、

南京事件をわが責任と懺悔する老人イエスちゃんにしても、

自今の自分を自己肯定するしか生きるすべはない(たぶん?)

自己否定したままでは
人は生きていけないからね。

「そうだからそうだ」で時は流れる。
元来、実存には根拠も価値も意味もないんだからね。

返信する
「問題は」さん。。。 (Unknown)
2019-09-13 12:18:34
玄侑宗久さんとスマナサーラ長老さんが、
お互いにお互いが言うことを承認しあったからじゃあないですか?

それは釈迦の悟りに関して初転法輪で
5人の比丘が釈迦の悟りを承認したのと同じメカニズムではないでしょうかね。

釈迦も5人の比丘も煩悩丸出しではなかったという根拠はないわけだし・・・

南さんが論破する処の、
悟りを開いていない人が他者の悟りを
悟りとして認知する事は原理上不可能だという見解と同じ事で、
そうだからそうだと言うしかない状況ですね。
返信する
問題は (Unknown)
2019-09-13 12:00:32
「この二人」が、ナゼそれを「死」と言うのか?言えるのか?という事であります。

<俺たち、「死」を知ってんだぜぇ>


とまあこのように、煩悩丸出しにしか見えない訳であります。


返信する
戦争は異常な世界観 (Unknown)
2019-09-13 11:31:29
最近、『アルキメデスの大戦』という架空戦記物の映画をみた。
印象的だった語り口は、
日本国民は竹やりを持って
国民最後のひとりが死ぬまでアメリカと戦うべしとかという洗脳を受けており、

戦艦大和の設計者がそれを思いとどまらせる為に、戦艦ヤマトを竣工させ出動させアメリカ軍の攻撃を受けさせて、
いけにえとして沈没させ、

敗戦を受け入れるシンボルとさせて、
日本国民の目を覚まさせるという筋書きであった。

なんかアメリカ軍の言う、戦争を早期に終わらせる為にという、
原爆で民間人を無差別に殺傷した正当化理論と重なるところがある。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 11:15:10
大日方さんへ


僧侶が差別的な発言をしたところで、それはその人の問題です。

なぜあなたがそんなに憤慨する必要があるのですか?

僧侶個人が起こした事柄を拡大解釈して、一転して「ネトウヨ」攻撃をされていることは、奇妙な論理です。


というかそれは妄想です。
返信する
他所でやる前にイエスちゃんに質問 (Unknown)
2019-09-13 11:01:08
戦争とは相手を殺しあう行為であることは南さん言う処の「時と場合による正当化」の原理なのでしょう。

1949年8月22日に出来たジュネーブ条約で「捕虜の処遇」が規定され「捕虜を殺してはいけない」という倫理的な配慮が示されたわけですが、
第二次世界大戦中のアメリカや日本はこのジュネーブ条約には参加していなかったわけです。

ならばイエスちゃんのいう捕虜虐殺の非正当性はどういう根拠に基付いていているのでしょうか。

いわゆる「南京事件論争」は日本軍が南京にいた民間人30万人を殺したかどうかという事に対する論争だったと理解しています。
南京事件(民間人30万人虐殺説)に対しては、あまりに政治論争化しているので真相解明は不可能であるという事のようですが、
イエスちゃんさんはこの事件(民間人30万虐殺説)の肯定派?否定派?中間派?のどちらなのですか?

アメリカ軍が第二次世界大戦中に殺した日本人民間人の数はイエスちゃんは気にならないのですか?
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 10:59:29
ZIPさんへ


「経験」とはなんですか?説明できますか?

なんとなくで使っているわけでは勿論ないですよね?

仏教では「私」という主体を無前提に受け入れるわけではありませんよね。仏教では「縁起」といわれ、「関係性」が「実体」よりも先にくるわけですよね。

ならば、「自己」が「関係性の網の目」のようなものであったと仮定して、その「自己」にとっての「経験」とはなんですか?

なぜそのようなものがあるように観えるのですか?
それは「自己」という様式の実存にあって、どのような構造をしているのでしょうか?

誰かを批判するからには、ご自身の使用される言葉についてもご自身の見解を主張できるものと思います。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-13 10:46:10
イエスちゃんさんは本当にうなじのこわい人ですね。

私がなぜ「仏教と関連づけて」と念を押してコメントしたのか相も変わらず理解されない。

私は「こんなことがあった」という風な、記憶の物語を尋ねているのではありません。

私は、イエスちゃんさんにとって「歴史」「事実」「記憶」等々が、どのような構造をしているのか?と尋ねたのです。

何のための仏教ですか?
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Unknown (脳ちゃん)
2019-09-13 10:46:08
相変わらずの騙り部 イエスちゃん

自分を「ちゃん」付けで?幼児的思考の自称救世主
このブログの汚点である。自分のブログの不人気を
こちらのブログで発散する老人に餌を与えてはいけない
長引くだけで不毛なのだから
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Unknown (Unknown)
2019-09-13 10:36:17
ードゥルーズにおいて、他者や死は、『私』というあり方と同様に、分化の果てに位置づけられるものにすぎない。

内的な差異化によって生成を語るこのシステム論にとって、他者性や死が、生成の軸そのものに置かれることはない。だから、それらが倫理の根幹に置かれることもない。ー

ー利己的な言説と利他的な言説、自己への固執を述べる倫理と死の方向から照らし出される倫理とは、奇妙にも似通い、ほとんどかさなりあってしまう。単純にいえば、それらは純粋性という観点から酷似するのである。ー


ードゥルーズの個体の議論は、『私』も共同性も、他者も死も、こうした強く中心性を引き受けるものをすべて退けながら語られていく。ー

ードゥルーズー解けない問いを生きるー

檜垣立哉著
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Unknown (Unknown)
2019-09-13 10:11:48
他所でやれ
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「幕府山事件」栗原利一の証言、本多勝一が出版に詳しい内容 (イエスちゃん)
2019-09-13 09:39:19
栗原利一は、
12月17日の、最大の集団、捕虜1万3500人の殺害を、実行した。

本多勝一に証言し、本当の事を公表した。
このため、会津若松の戦友会は、栗原利一を除名した。


その第一隊長が、クリスチャンであり、
「なぜ自分がこんなことをしてしまったのか」と悩んでいた事実も証言している。
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歩兵第65連隊だけで、中国兵捕虜約2万人を虐殺した! (イエスちゃん)
2019-09-13 09:28:29
『イエスちゃんさんにとっての「歴史の事実」とは…』

会津若松の部隊「歩兵第65連隊」の1連隊だけで、中国兵「捕虜約2万人」を虐殺した!
1937年12月16日17日の二日間で、
3つの集団に分割し、全員を殺害した。
虐殺は最初は、92式重機関銃で、銃撃し、
(射程4000mで、一発で7人を貫通する威力)
その後、生き残りを、一人ひとり銃剣で殺害していった。
石油を掛けて火を点けて、苦しむ中国兵捕虜を炙り出して。

死体は連隊総出で、12月18日までかかり、
長江=揚子江に流して隠蔽した。

この時事は、
当時の兵士の複数の従軍に日記の一次史料と
戦後の兵士の証言で明確である。

なお、両角業作連隊長が虐殺を実行したのだが、
虐殺命令は「上海派遣軍の軍命令」であった。
つまり、「皇族の朝香宮鳩彦氏」が、この戦争犯罪を命令した。
鳩彦は戦後も長生きした。

なお、当初は、第16師団が捕虜を引き取る事に決まっていたが中島今朝吾が引き取りを拒否し、逆に全員虐殺を命令した。このため、両角業作は、上位の上海派遣軍に捕虜の引き取りを再交渉した。

南京大虐殺の本の一例です。
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「このお二人」への補足 (Unknown)
2019-09-13 08:42:57
玄侑宗久さんが経典に書いてある釈迦の言葉として
「瞑想によって体験しない事は、死によっても体験しない」という経典の文章を話題に持ちだした。

それに乗っかって、ビバッサナー瞑想に絶対的な自信のあるS長老が、
瞑想によって死を体験すれば、死の恐怖から解放される…と応じたという状況ですね。

それが南さんの言う「死ぬ練習」と同じ意味になるわけです。

瞑想で死の体験をしようと、生きているときに南流「死ぬ練習」をしようと、
ただ単に「特定の意識状態」になるだけであって、いま、まさに死を体験してるわけではないわけです。

しかしながら
その疑似体験が現実の死への恐怖を和らげる効果は有る訳でしょう。
釈迦も「瞑想によって体験しないことは、
死によっても体験しない」と言っているわけですから・・・


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Unknown (ZIP)
2019-09-13 08:15:29
歴史を肯定的に捉えようが、否定的に捉えようが、今現在自分が生きている社会には普遍的な価値や意味があると思いたいわけです。
自分がそこに間違いなく帰属していると、精神的に満たされたいという思いは、右か左かに関わらず、何かを信頼することで安心できるわけです。

戦争に負けたのは、陸軍で空軍を持ち、海軍で空軍を持つという、相容れないセクショナリズムの所為である要因は無視できないわけです。

経験が経験として積み重ならない人達を含めて
貴方がたに仏教は無理だと思うわけです。
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Unknown (Unknown)
2019-09-13 08:00:11
経験至上主義の否定になっちゃったりしてw
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Unknown (Unknown)
2019-09-13 07:58:15
>経験が経験として希薄になり、経験が自分のこととして積み重ならない、物語や歴史性を保ち得ない、即ち、時間が流れていかないわけです。

経験が経験として希薄になる、ってのはどうなんだろう?とは思うけど、
これって、
そういうわけで涅槃寂静なんですよお、っていってもいけそうな気がする。
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而 今 (榮久)
2019-09-13 07:19:46
『われにあらざる時節
まどひなく
さとりなく
諸仏なく衆生なく
生なく滅なし』

利益・利権・追求の世界では
「富める者」が益々富む
格差は広がる一方です
「拠りどころ」とは富であり
つまり金銭でしかない現状の中で

「AI」だ「バイオテクノロジー」だと説いても
空想科学の物語としか響かないのでは

確かに中東では数百ドルのドローンが
数十機と編隊を組んで百数十km先への自爆攻撃を
迎え撃つのは数万ドルのミサイルでと
貧者の側も電子制御の飛行機を民生品で作り
また富める側は更に進んだ
極小型の飛行打撃機の開発に・・と
兵器開発へのAI関連業界は血道を上げています
この部分への危惧とか
貧困児童・勉学機会の貧富格差・非正規雇用労働
外国人雇用・等々の問題を考える方を優先すべきでは

「諸悪莫作・衆善奉行」
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新、都市伝説! (Unknown)
2019-09-13 06:39:24
「悩む」という知的活動が趣味で生き甲斐の南さんなら「死の消去」は大歓迎なのでは??

脳の劣化もないし、経済的自立を果たした南さんなら、
ずっと趣味の頭脳的「悩み事」を続けて、書物をものして、自己の実存を確認できる・・・とまあそんな具合ですね。

ところが大部分の年寄りは様相が違うようです。
老人ホームにいる老人たちの本音を探り出して記事にしているのをみました。

彼らは子供たちに迷惑をかけたく無い為に老人ホームに入らざるを得なかった。
自分が結局、今では無用の長物で、家族・世間の厄介者で、社会の重荷になっていると感じ、早く死にたいと思っているのが「老人の本音」であると・・・。

よる夜中の丑三つ時(うしみつどき)、老人ホーム館内のそこここに響き渡る
「死にた~い、死にた~~い・・・」と呪文のように響き渡るそのざわめきに、
一人夜勤の介護士さんがゾクゾクッと身がチジミ上がる様な悪寒を感じるのだとか、どうとか・・・
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ネトウヨの愚行 (大日方)
2019-09-13 05:49:00
昨日の報道によれば、臨済宗妙心寺派に属する岐阜県の寺の住職がツイッターでヘイトスピーチや差別発言を行ったとして、本山が謝罪したとか。

https://this.kiji.is/544336035451405409

https://honjo.myoshinji.or.jp/section_top/honjo/346

僧侶がヘイトを垂れ流すとは世も末ですが、こういうネトウヨ坊主は、頭が悪いか、心が病んでいるとしかいいようがない。人生経験が乏しいという可能性もありますが、それは40代のいいおっさんが使える言い訳ではない。

ひとつこの一件が示唆するのは、差別とか排外主義は、我々の煩悩にアピールする力が強く、坐禅したからといって解決することではないということ。やはり自分の理性を使い煩悩を抑えるしかない。

この件では、一人の分別のない住職のために、臨済宗妙心寺派が恥をかいた。同様に、ネトウヨを放置すれば、日本全体が恥をかくぐらいでは済まず、より大きな損失を被ることになると思います。
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映画を機縁に入会かぁ (Unknown)
2019-09-12 21:54:41
心に寄り添う

https://aripro.co.jp/products/kokoro-yorisou/

受賞作品もあるんですね

https://happy-science.jp/ryuho-okawa/movie/


メディアを活用かぁ

すがるような境地の人を取り込みやすい、とも言えますか、、

自分も周囲も「幸福」になるコトなら、「問題」ないのですかね、、


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この二人 (Unknown)
2019-09-12 20:44:35

>お釈迦様曰く、
「瞑想によって体験しないことは死によっても体験しない」(=死の体験も瞑想の中でするんだと…(by玄侑早急さん)

S長老「うんうん!!それは瞑想では体験しますよ、すごく強烈に。」



何を言ってるの?

これって、<特定の意識状態・「境地」への到達>しただけであって「死」を体験した訳ではないよね?

だって体験したなら、こんな会話もできない筈!!

お釈迦様と同じ体験をしたとでも言いたいの?

同じなら、小説に明け暮れたり、何でも答える、なんて言わないんじゃない?

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Unknown (Unknown)
2019-09-12 18:27:55
今の我々の実存の問題を炙り出すためにあえて極端な行き着き先を設定したのでしょうか。
1については、それもあるかもしれませんが、どちらかと言うと一人一人が緩やかな拠り所をいくつも持って、それがネットワーク化し中心(支配)の不在が起こる、ということの方が強い流れのような気がします。その中ではツールを与えるものも網の目のひとつにならざるを得ず、支配までは無理ではないかと。その支配の難しさが、今の政治などの極端な発言に繋がっているような感触を持っています。その網を束ねて引く何者かが現れたらそれはちょっと恐ろしい支配者でしょうが。
2と3については、そうした技術を享受する者が偏在しないことが前提ですよね。一気に全人類がそういう変化をしたならば、それは変化する前の人間がそれとして分かることではなく、それを考えるなら、ダンゴムシにとっての神はなにかを考えるのと同じだと思います。あえてテクノロジーを持ち出すまでもない気がします。
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Unknown (Unknown)
2019-09-12 16:16:15
>死を欠いた生命・・・

なんて存在するはずがない。
生命維持装置を外せば死ぬし、
生命機構を壊してしまえば死ぬし、
火事でも焼け死ぬし、
津波でもおぼれ死ぬし、
交通事故でも事故死があるし、
殺されちゃったら死ぬし、
生命が死ぬ原因は無数にある。

死を欠いた生命なんて論じるのはSF世界の妄想に過ぎない。
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追加。 (Unknown)
2019-09-12 15:59:01
『なぜ、悩む』210頁。

お釈迦様曰く、
「瞑想によって体験しないことは死によっても体験しない」(=死の体験も瞑想の中でするんだと…(by玄侑早急さん)

S長老「うんうん!!それは瞑想では体験しますよ、すごく強烈に。」
「(瞑想で死を体験しちゃうと)、もう、死なんてどうってことないんですけどね…。」
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Unknown (ZIP)
2019-09-12 15:55:17
死を欠いた生命を、はたして生命と呼んでいいのかどうかはともかく、もはや人は尊厳を保つことは困難だろうと思います。
自分にとっての経験が、その都度「一回限り」のものであり、同じ経験の「反復は不可能」であり、世界中に存在する多くの人間において、ただ「唯一」の私であり、他の誰とも代わることのできないという「交換不可能」な存在として認められていたはずの「かけがえのなさ」を今までどおりには感じられないと同時に、時間が時間として流れることさえ覚束なくなるのではないかと思うわけです。
経験が経験として希薄になり、経験が自分のこととして積み重ならない、物語や歴史性を保ち得ない、即ち、時間が流れていかないわけです。
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飄飄無辺 (Unknown)
2019-09-12 15:40:20
後期高齢者のわたくしには
難題など何もない。

『なぜ、悩む』早急すまん対談204頁。
スマナサーラ「(人間にとって)一番大切なことは…晩御飯に何を食べるかっていう事です。
でも年寄りがそれを言うと
若い人に嫌がられますけどね、逆に。」

(223頁)人間にとって唯一絶対な真理は「人は誰でも死ぬ」(玄侑)という、(死が)唯一の自然現象(S長老)なのです。

死ぬまで生きているという事に過ぎないのだから、
生きてる時には
今晩何を食べるかという事しか大事なことはないわけです。

死ぬ練習を、
生きている間に(ビバッサナー瞑想で)徹底的にしておけば
死は怖いなんて言う妄想も無くなるし…、

あとは気楽に悩むことなく、
今を生きるのみである。

仏教の器(基本)は
「柔軟性のある人格」(122頁)。
即ち、晩御飯を何にしようかなァ~…と。
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テクノロジー=金+人数 (Unknown)
2019-09-12 14:00:55

この構図ですかね。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190912-00000023-zdn_mkt-bus_all

グローバル競争に勝った先に、何があるのだろうか?



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Unknown (Unknown)
2019-09-12 11:04:33
死を消去せずとも、「やり過ごすこと」を説かれていますが、それはそもそも、「しなければならないこと」など無い、ということですよね?

「人生暇潰し」に類似しているような。



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Unknown (Unknown)
2019-09-12 10:21:22
イエスちゃんさんへ

イエスちゃんさんにとって「歴史」とはなんですか?「事実」とはどういうものですか?

またイエスちゃんさんにとっての「歴史の事実」とはなんでしょうか?

そもそも根本にある人間の「記憶」とはなんでしょうか?

仏教のブログですから、仏教と関連づけて教えていただけますか?

あなたは「こうであるべきだ」と、ご自分の考える正義を他人に押し付けるコメントしかされていないですよ。
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Unknown (Unknown)
2019-09-12 09:57:07
「ネトウヨ」のような言葉は、気に入らない人たちを一纏めにして嘲笑したいがためだけに使われる非常に頭のわるい言葉だと思います。
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Unknown (Unknown)
2019-09-12 09:51:29
イエスちゃんさんへ

あなたも相当に頭が悪い。
南京事件と今回のテーマと何の関係があるのか。
無関係な話題を持ち出して持論をのたまうことこそ愚の骨頂ではないのか。

私は大日方さんの「頭のわるいネトウヨ」という言葉の使用について、それが「レッテル張り」でしかない、と反発しているのであって、私自身は愛国的排外的な発言を一度もしていない。

むしろ、差別的で、節操もなく、醜悪な言葉を吐いているのは大日方さんやイエスちゃんさんの方だ。

私が何に対して反論しているのかも理解できずに、なおも「ネトウヨは頭が悪い」とコメントを被せてくるとはイエスちゃんもかなり頭が悪い。

そのような人のブログを読んでも脳トレにしかならないと思いますが?
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ネットウヨは、頭が悪い。南京大虐殺を否定する。 (イエスちゃん)
2019-09-12 09:04:59
南京大虐殺は歴史的事実であり、
それを、検証して、私のブログで発信している。
だから、「常時、多種多様なネットウヨ」に攻撃され続けている。

(一時、「反体制の中国人」が、中国政府の歴史を否定するために、執拗に攻撃してきた事もあった)

「私のブログで詳細に、歴史史料で事実を検証しているのに」
それを「読まず」に、執拗に攻撃してくる。

「正論」「諸君」「WILL」などの雑誌に騙されている。「コピペ頭脳」である。

肝腎の「私のブログの説明そのもの」に対する「論破」は、皆無だった。

もしも、自分の頭で考えているなら「私のブログ記事への批判があってしかるべき」である。そこでこの「歴史史料」を巡って議論が始まる。

「南京大虐殺を否定する人物」は、肝腎なところで「日本人を理解できていない」。

『東史郎日記』をキチンと読めば、「普通の日本人」が、南京大虐殺を起こすように変わっていくプロセスが良く理解できる。

真の愛国心は「事実は事実と認める」事から始まる。自分自身の歴史を誤魔化してはならない。

ネットウヨは愚かだから、自分の頭で「事実・史実」を、解明しようとしない。
「私のブログ」を一方的に攻撃するだけである。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-12 09:04:16
大日方さんへ

節操もなく、差別感情にみちて、醜悪であるのは「頭のわるいネトウヨ」というような浅薄な言葉を使われるあなたも同様です。

レッテル張りは端的に無意味。

というか、「ネトウヨ」の言葉をどのような意味で大日方さんが使われているのかわからない。思想傾向とは無関係にただ攻撃的な性向をもつ人たちのことを言われているんですか?
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-12 07:45:03
そういうわけで

南=仏教

なのか?
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-12 07:44:27
・・・あれか?

南死すとも仏教は死なず

とかそういうのか?
返信する
『頭のわるいネトウヨ』 (大日方)
2019-09-12 05:52:48
《だいたい『頭のわるいネトウヨ』なんて言葉使う必要あります?そんなにご自分の見解に与しない人が憎いんですか?》

これは重要な問題だと思うので、考えを述べておきます。

自分の感情をコントロールできず、節操もなく憎悪や差別感情にみちた醜悪な言説をネットに垂れ流すネトウヨは、どう見たって頭が悪い。好意的に捉えたとしても、彼らは頭が弱いか心が弱いかのどちらか、もしくはその両方。

ネトウヨには確固とした政治信条があるわけではなく、おそらく彼らはアイデンティティーの根拠を失い迷走しているだけでしょう。だとすれば、ネトウヨ予備軍は、今回の記事で言及されているような理由でこれからどんどん増えるでしょう。

ネトウヨとは迷える衆生の心の問題なので、その人達を「頭が悪い」などと揶揄するのではなく、気の毒に思うか、もしくは無視すればいいという意見もある。しかし、何かと空気に流されやすい日本社会。彼らの言説が大手を振って歩くようになれば、日本社会は劣化どころか、機能しなくなると思います。ですから、反感を買おうが余計な波風を立てようが、ネトウヨたちには、「お前らは頭が悪い」とはっきりと指摘するしかない。「自分に実害はないのだから、ネトウヨなど放っておけばいい」という考えは拙いと思います。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-12 05:36:28
https://okiyamasho.com/?p=302&

アナログコンピュータというものが注目されているそうな。例えば粘菌コンピュータとか。

ウィキペディアを見ると、コンピュータという言葉は元々は主体としての人間を意味していたそうだ。

このアナログコンピュータの考え方でいけば、環境問題、AI、バイオテクノロジーの三つを一つのものとしてシンプルにすることができるんじゃないだろうか。

要するに物事にとっての「最適」とはなにか?ということ。

つまり結局は、自然は全体として常にそれ自身の最適化にしたがって「運動」しているという結論。

であれば、人が「いろんな仕方」で「死ぬ」ことも、自然の最適化の運動の一部として、つまり「不条理なもの」としてではなく、「自然の営み」として「合理的に」受け入れられ納得されるようになるのじゃないか。

その時こそ、自然は客観化された対象としてではなく、あらゆる運動の「主体」として、これまでの擬似「主体」であった「人間」からその主権を譲渡されるのじゃないか。

そこには南さんの思考される世界とはまた違った世界があるのじゃないか。と思う。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-11 21:51:30
仏教はどういうスタンスをとることができるか、
仏教は肯定しない、
仏教にとって意味も価値もない、


なんでさ、「南直哉(にとって)は」って言わないの?
すごく気持ち悪い文章だ。

それ(南=仏教)が南さんの自意識ってわけだよね。
改造済みの自意識?
、、、「改造」って、、、はーー、、、ダースベーダーだもんね。
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今般、 (Unknown)
2019-09-11 16:53:22
安倍総理は
内閣改造を行いました。

国民の存在意義は
どうなることでしょう。

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解毒剤を用意していない。 (Unknown)
2019-09-11 16:47:00
何かを発明し「実行」するなら、解毒剤を課すことを義務付けないと。やりっ放し状態で満足させてはいけない。



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Unknown (Unknown)
2019-09-11 16:39:34
結論と言われましても、未来のことに結論は出せますまい。

ただ、南師の難題の先には、その場しのぎの宗教や、当てにならない政治を示唆しているようだ。

意識にチップを貼る時は、生きるにチップを貼る事もなくなる。

しまいには、動物などにもチップを貼りかない。

神もヘチマもなくなる。

デ意識に、デ意識の解体はできまい。

初期化できたにせよ、それはまた別のコピーでしかない。

返信する
しかしながら、 (Unknown)
2019-09-11 15:05:57

>概念を(観念を)一切取っ払わないといけない

概念がないと考えられないのでは?

そこは、「固定観念」というが適切かと。スーパー超越的で、不親切な説明は、逆に仏教を混乱させる訳です。

妙なことばかり教えるから、生徒も質問できなくなる訳です。



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なぜ「考える人」になるのか? (Unknown)
2019-09-11 14:25:06
『なぜ、悩む』81頁。

ものを知らない≅「考える」(知らないからこそ考える)。
完全に知ったなら=0なんです。
(=悟った人は考える必要がない、悩む必要がない、お釈迦様は35歳でさとったから、もはや悩む必要がなかった)。

完全に知るためには、
ありのままの事実を知るためには、
概念を(観念を)一切取っ払わないといけない・・・
返信する
とりあえず (Unknown)
2019-09-11 14:15:05
拠り所が「坐禅」になるなら、権力者だろうが、手も足も出まい。


出たら失格、退場。


返信する
拠り所と支配された所の違いは? (Unknown)
2019-09-11 14:10:54

「拠り所」とした時点で、もう心が支配されているように思うのですが、仏教私的には、拠り所というものも、自己反省の場として、冷静な距離感を保つ必要性があるかと思いますね。

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アハハ、納得!! (Unknown)
2019-09-11 13:35:22
『なぜ、悩む』48頁。
仏教は質問から始まって答えが用意されている。(注、正解があるという事か??)

S長老がスリランカでの大学教授を辞めた理由は・・・
学生の誰もが質問しなくなってしまったからだ。

「悟った人の心は何の疑問もない平安です。
一般の人の場合は何の疑問もないという事は、脳が怠けて機能しない状態になっているという事になります」・・・と。

南さんの言う『問いから始まる仏教』そのものだ。
返信する
東京タワーは、とび職が造った。 (イエスちゃん)
2019-09-11 12:35:34
『「職業」がアイデンティティーの核心を締めていた「近代人」』

以前、テレビのドキュメンタリーで、見ました。

「東京タワーは、「とび職」が造った。」

要は、「自己の卓越した技術」を通じて「社会に役立っている」という自負。

自己が社会に認められるそれが「職業」!

問題は、人間によってしかできない「職業」も、AIが処理してしまう。

人間は、「単純作業」の、商品のバーコードを読み込ませる「動作」だけになっている。

これで「職業」の「やりがい」を感じることができるのか?

AIの自動運転になったら、運転手の職業もなくなってしまう。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-11 12:21:05
>「職業」がアイデンティティーの核心を締めていた「近代人」


こんなの、終身雇用制でふんぞり返り、一生保証されているような職業が、前提の人のこと。

アイデンティーティーなどと、急に西洋風を吹かせても、日本人には合わない、間に合わない?



返信する
今や、概念化花盛り!! (Unknown)
2019-09-11 11:01:32
『なぜ、悩む』(幸せになるこころのしくみ)、玄侑早急すまん対談14頁。

現代人には通じないみたいだが、
お釈迦様は眼耳鼻舌身意っていう感覚をすべて否定した・・・(引用終わり)。

君の考えることなど
みなケロン、妄想・錯覚にすぎないと・・・
捨てろ、捨てろ、概念なんて捨ててしまえと・・・
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杞憂でしょ (賢坊)
2019-09-11 10:18:29
1について
食べていくために労働している人の方が多いと思います。本音を言えば、自己のアイデンティティーの核として職業を位置づけている人は少数のような気がします。それに、年齢を重ねれば、いずれ働けなくなることは事前に分かっている。昔も、そして今後も、今とそれほど変わりはしないと思います。最低限餓死しない程度に暮らせていける年金などがあれば、アイデンテイティなど必要なく、妙な支配者に左右されることもないように思います。
2について
量子レベルまで解析されるなどありえないと思います。人体の一つの臓器ですら、今の医学ではわからないことばかりだそうですよ。確かに、分かっているかのように話をする医学者もいるようですが、あくまでも一部分における確率論の範疇であり、一人一人の体を正確に把握することは不可能です。私は、十万人に一人の発現確率である薬の副作用に襲われたとき、大学教授より本音を聞かされました。今の医学は、まだ宇宙の中を彷徨っているようなものだそうですよ。
また、デジタルで情報伝達できる五感のうち、視覚の一部と聴覚だけでしょう。情報伝達すら、ほど遠い感じです。
3について
もはや、妄想の領域かと思われます。このような妄想は、輪廻思想と同様に、永遠の命を願望する煩悩に侵されていると誤解されかねません。脳にも寿命があり、コピーされたとしても、コピーした時点での偽物でしょう。

最後の仏教の狙いはそのとおりだと思いますが、少々、科学技術の進展を過信しすぎているような論調のような気がします。
返信する
みんなディジタルです (イエスちゃん)
2019-09-11 09:37:22
『アナログが
やっぱイイっスよね』

何億もの脳細胞!
それの一つ一つが、活性化、非発生化の2つの状態で、情報を伝達し合っている。
これが「心が働いている状態そのもの」です。

つまり、ON と OFF とのディジタルです。

ただ、「何億もの脳細胞の塊」だから、グラジュエイション効果で、「濃淡の連続性」が見えているだけです。

決してアナログではない。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-11 09:34:50
大日方さんはファシストなんですか?

ファシズムの語源はローマ帝国の兵士が携帯していたファスケスという警棒ですよね、たしか。

一人一人違う人間を一つの軽薄な言葉でひとまとまりにして非難するなんて全体主義的じゃないですか?

もしかしてご自分のやっていることわかっていらっしゃらない?

労働について語っているはずなのに、ヘーゲルやマルクスが苦心した矛盾とか疎外というものをご存知ないのですか?
返信する
Unknown (Unknown)
2019-09-11 09:23:38
人は一人一人違うのに、個々人を十把一絡げに一般化して『頭のわるいネトウヨ』などとコメントされるなんて大日方さんもなかなか乱暴で頭わるいですね。

単に意見が相違するだけで、『頭わるい』とはどれだけあなた頭がいいんでしょうね。『頭がわるい』ってただの中傷でしょう?頭の良い人はそんなことしないと思うなあ。

中村天風さんいってましたよ?『人生で大事なのは頭の良し悪しではない、心の良し悪しだ』って。

だいたい『頭のわるいネトウヨ』なんて言葉使う必要あります?そんなにご自分の見解に与しない人が憎いんですか?

ご自分の関心に引き寄せすぎじゃないですか?

率直にいって、全体としてつまらないコメントだと思いますよ。
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うかつな時間 (ぱろ)
2019-09-11 09:16:19
AI・バイオテクノロジーを持ち出すまえに、今でも日常生活ではうかつにもほぼ「死」を消去して暮らしている。
寿命が極端に伸びても、うかつな時間がのびるだけでは現状と変わらないと思う。

ただ、コピーや移植や改造で、同一な存続が確保されるのは相変わらずプログラムなどの情報(データ)であって、
刻々と変化する活動やモノなどの現象と情報とを混同することは将来もできないと思う。



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Unknown (Unknown)
2019-09-11 09:02:58
イエスちゃんへ

つい先日のアマゾンの森林火災もかなりの部分ウソがあるみたいですね。
実際は平年以下の平凡なものだったとか?
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「職業」は拠りどころにならない (大日方)
2019-09-11 06:50:12
《「職業」がアイデンティティーの核心を締めていた「近代人」》

職業がアイデンティティーの確立に用を足さない時代は、AIの進化を待たずとも既に到来していると思います。

ひとつは非正規雇用という形の契約で働く人たち。彼らには、昭和の頃にあった会社への帰属意識などはないでしょう。ある程度専門的な技術・知識を必要とされる職なら別ですが、そうでなければ職業がアイデンティティーの核心をしめるということはないと思います。

もうひとつは、定年退職をしてもまだ気力も体力もある人たち。仕事がなければ、自分の存在価値を見出せない。しかしそれを受け入れられない。

これらの人々がアイデンティティーの確立に使っているのは、趣味であるとか、主義主張でしょう。これは、近年頭の悪いネトウヨが増えたのと無関係ではないと思います。このブログのコメント欄にも「にわか保守」「なんちゃって保守」が群がった時期がありましたが、ネトウヨが生きる苦しみを語るお坊さん惹かれて集まったのは、決して偶然ではないと思います。
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Unknown (Unknown)
2019-09-11 02:33:45
玄侑宗久さんは、芥川賞受賞作『中陰の花』で、人が死ぬ際、体重が1~数グラム減少するとかを、
魂らしき生命エネルギー相当の重さが、肉体から分離した…という描き方をしていた。

これはS長老の輪廻転生観とそっくりだ。

どうりで、S長老と玄侑さんは馬が合って、お互いがお互いをべた褒めで、

玄侑さんが巻頭言で言うように、

(S長老と話してみると)日本の仏教がいかに方便に満ちているかが実感できた。

(S長老が述べるように)お釈迦様のされた通りにすれば、そんな悩みは(=すべての悩みなんか、また、存在不安なんかも)なくなるでしょ!!(・・・南さ~ん、聞いてる?)

我々(日本仏教僧侶)はもしかすると、思い違いをしているのかもしれない・・・
とかと言っている。

コメ者の独断で言うと、
たとえ臨終直後に体内からエネルギーの塊が出たと仮定しても、
エネルギーの塊が、塊のまま空中を浮遊するなんて言うことは物理原則に合わないので、玄侑・須磨組の輪廻説を却下する次第であります。
(一点から放出されたエネルギーは距離の二乗で拡散してしまう=エントロピー増大の法則によって、たちまち分散・無秩序化してしまう)。
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Unknown (Unknown)
2019-09-11 01:57:43
玄侑送球さんと須磨さんの対談本『なぜ、悩む!』ー幸せになるこころのしくみ、
を読み始めた。
まだ、巻頭文の玄侑さんの文章と、最後の15章の「死に臨む人に宗教は何ができるか」という部分だけなのだが、なんか実に面白い(予感がする)。

少し前、南さんが記事に挙げていた「死ぬ練習」の記事では、その練習方法がいまいちよく分からなかったものであったが、S長老はその方法を明快に述べていた。

すなわち、ヴィバッサナー瞑想で「自分が死ぬときの現象・現場を徹底的に体感する」ということらしい。
臨済宗の玄侑さんにとっては、たぶん、看話禅(公安禅)に近く、S長老の「死ぬ練習」方法は理解しやすかったのではないだろうか。

これが曹洞宗の黙照禅(只管打坐)では
難しいのではないだろうか?
一切考えてはいけないという事なら、
いくら座禅修行しても「死ぬ練習」などという意識は生まれてこない(かもしれぬ)
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Unknown (Unknown)
2019-09-11 01:36:23
南さんって本当面白い人だなー。凡人の自分としてはどんどん未来について語って欲しいなー。
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アナ意識の (アナログ派)
2019-09-10 20:37:18

アナログが
やっぱイイっスよね

あれもこれも
デジタル化しやがって
これからはAI?


それって面白いの?

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とりあえず (Unknown)
2019-09-10 16:11:51
AIの自意識にあたる部分は、デジタル意識として、「デ意識」にしておきましょうか。



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近代人だけ? (Unknown)
2019-09-10 15:47:35
>「職業」がアイデンティティーの核心を締めていた「近代人」の実存の仕方が、構造的に変わらざるを得ないということです。

別に近代人に限らず、変わらざるを得ない人は、古今東西いたのではないですか。


>自分が何者であるかを、「職業」を拠りどころに意識していた実存は、次は何を拠りどころに「自己」を規定するのか。その規定のツールを誰がどう与えるのか。

「死」を拠り所として。

権力者にならない宗教家を法的に定め、南さんが養い、どうにかして与えるしかないですね。


行為は関係に先立つんですよね?

是非、やって見せて下さい。


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死なないAIには、ニルバーナは無い。 (Unknown)
2019-09-10 15:29:01
だって、そうでしょ?

デジタル仏陀や、デジタル道元など現れたとしても、修行できないしね!

まあできたとしても、死なないというより、「死ねない」なら、ニセモノですから!

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意識の移植化 (AI的)
2019-09-10 15:17:36

移植できたとしても、「その時点までの私」ですので、成長することも衰退することも、もはや「悟る」ことなど不可能という訳です。

厳密な私にするなら、常にバージョンアップするか、死ぬ間際に移植する必要があるでしょうが、仏教私的には、悟っていない意識など「不要」なのです。

無明な私が何人いたところで、AIにも「気の毒」という訳です。

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聖域なき技術革新 (Unknown)
2019-09-10 10:47:11
人間はもともと物体(物質)だから、
昔から、切ったり足したり、つぎはぎ作業を自分自身に対し、やってきた。
良かれと思ってやってきた。

現代の技術では、
意識をつかさどる脳や、
人間性を変えてしまうような遺伝子なども好きな様にいじくる事も可能になった。
良かれと思ってやっている。

宗教とか自分とはとかを詮索する「心」とかいうものは所詮、身体という物質から出来上がっているので、

人間が始めた聖域なき身体操作に
心がびっくりして身の危険を感じ始めた。
新たな存在不安に駆られるようになった。

「俺っていったいどうなっちゃうんだろうなァ~?」って。

今の和尚さんは、
なんかそんな感じかなァ~??

でもまあ、
この事をもって、人類が滅びるという事は無いだろう。
ただ単に、必然的な進化の過程で、
不要なものは消滅し、新たな価値観が生じて来るだけだ。
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私の意識を移植したアンドロイドは私だろうか? (御坊哲)
2019-09-10 10:40:23
いつも南さんの各記事には共感を覚える私ですが、今回の記事には異を唱えたいと思います。

私の意識を移植したアンドロイド自身は、まさに「私である」と意識するでしょう。第三者からみても、それは私に違いないと思います。しかし、一番の問題は意識を移植する前の私から見ても、それが私であるかどうかであります。禅における己自究明というのはまさにこのことを見極めることにほかなりません。そこのところを了解していたならこのような問題提起にはならないと思います。

己自究明の己自とは、私の肉体でもなければ私の記憶でもありません。いかなる属性をも排除したその先にあるものだから「無」と表現します。
公案の「倩女離魂」のテーマであります。
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「地球温暖化、CO2原因説」はでっち上げであり、儲けるために群がる! (イエスちゃん)
2019-09-10 07:59:10
「地球温暖化」は複雑な現象である。
「地球自身の内部運動」と「太陽の活発な運動」とが連動している。
その中で、「CO2自身の影響は微々たるもの」である。

つまり「CO2が温暖化犯人説」はでっち上げである。
「これで儲ける人々」が造り出したものである。

最大の排出国、米国と中国が、今までブレーキを掛けてこなかったのだから、もっともっと強烈な温暖化が起こっていなければならない。
以前の予想は完全に外れた。
つまり、CO2は、原因ではなかった。

真の問題は「世界中が騙されている」ことである。
何故、騙すのか?
何故、騙されるのか?
これは「重大な社会問題」である。

むしろ、寒冷化の方が人類や生物にとって危機である。
始まっていると主張する学者もいる。
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Unknown (Unknown)
2019-09-10 07:08:26
AIも修行したり悟りを体験する時代が来るのでしょうか。

意識・心のデジタル化は基本的に唯物論・実在論に基づいたコンセプトで仏教とは相容れない気がいたします。
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意味はもともとない (大日方)
2019-09-10 06:45:10
《誰も死なないなら、「しなければならない」ことは無くなり、それはつまり「意味」も「価値」も無くなるということ》

私はむしろ逆ではないかと思います。死があろうがなかろうか、そもそも生きることには意味も価値もない。でもそれでは耐えられないので、あえて意味や価値を創作して、「しなければならないこと」を作っているのが人間だと思います。その「価値」は「生」よりも大事になる。だから戦争もやるし、死刑も肯定する。

ですから、仮に死が消去されても人間は「価値」を作りだし、「しなければならないこと」を作り続けると思います。価値を作りだすネタづくりのために、普遍宗教はより必要とされるのではないでしょうか。
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仏教の終わり (大日方)
2019-09-10 06:19:39
仏教の発端が、お釈迦さまの生老病死に関する思いにあるのであれば、死が消去された時点で、その役割は終わったと考えるのが妥当ではないでしょうか。

もし意識がデジタル化できるのであれば、その場合は言語こそが実体になるということだと思います。意識さえもがプログラミング言語で作られる世界では、「空」だとか「縁起」とかいう発想は意味をなさないでしょう。そんな世界には仏教の出る幕はないと思います。
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人間の欲望には歯止めが効かない。もう既に暴走が始まっている。 (イエスちゃん)
2019-09-10 03:37:30
生死 事大
 光陰 可惜
 無常 迅速
 時 不待人
しょうじ じだい
 こういん おしむべし
むじょう じんそく
 とき ひとをまたず

「永遠の修行」を成立させる為に、仮に「自我」を建てる。

「生きているのは膨大な頭脳のネットワーク」
時間的に古今の「死んだ頭脳」たち
空間的に世界中の「生きた頭脳」たち
自己の肉体、自己の精神が、「死」で消滅しても、残る。

自己は「部品」であり、自己はあたかも「細胞の一つ」であり、
新陳代謝で「次々に生き、次々に死ぬ」「細胞群の一つ」に対応する。
この「自己」が生きる意義は、「全体が生き残る意義」の中に回収されるのか?

「大が小を飲み込む」のではなく、「大と小とが、同等の価値」を持つ!

禅宗での「労働」は、「小乗仏教での破戒である」が、
自己「実現」、自己の根拠の「定立」ではない。
修行を継続するための「営み」である。
自分の「食」分を自分で満たす。他者からの食の供養を受けない。

人間の欲望には歯止めが効かない。

もう既に暴走が始まっている。

「自己の心・精神」が「自己の肉体の頭脳」から「不死の人工頭脳」に移植されたら、
「肉体の死」「頭脳の死」は恐怖の対象にならなくなる。
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Unknown (Unknown)
2019-09-10 00:19:28
次回は環境問題もお願いします。暑くてたまりません。こんなに地球温暖化が進んでも人間は100才まで生きるのでしょうか?

「拠りどころ」を与える者が次世代を支配すると言うのは、なるほどと思いました。
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