恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

確信と情熱の行先

2022年02月01日 | 日記
「説得力という言葉があるだろう。説教する立場の君からすると、それはどこから出て来るものだと思うかね?」

「簡単に言えば確信と情熱だな。話し手が自分の言っていることに確信を持っていて、それを情熱的に主張すると、大きな説得力を持つ。つまり、説得力は往々にして、話す内容ではなく、話し方から生じる」

「ということは、間違った確信や、偽りの狂信からも生じるということか」

「世間を見渡せば、わかるだろう。政治と宗教にありがちなことだ」

「その『力』は説得なのか?」

「いや、正体は扇動だ。しかし、それは説得力と思われやすい」

「どうして?」

「扇動の要諦は、聴衆が漠然と、しかしハッキリと持つ不安や不満を察知して、そこに単純な原因(政治の場合だと、時にはスケープゴート的な)をあてがい、原因を除去する簡単でわかりやすい手段を提供することだ。聞いている方は、一発で『わかる』快感がある。そこに『説得された感』がある」

「それは効くだろうなあ。目からウロコと思う人も多いかも。だが、実際それは扇動で、説得ではないな」

「扇動に対して、扇動される者は乗せられ、巻き込まれ、流されていく。それは感情を支配されているだけで、話されたことを十分理解しているわけではない。扇動はスローガンのような短い言葉を繰り返し、意識に徹底的に刷り込む。語られた言葉の意味をよく考える余裕を与えない」

「では、説得は?」

「説得する者は、聞き手に納得してもらわなければならない。説得と納得は対なのだ。説得する者は、相手を巻き込んで自分の思うように動かそうとするのではない。それは扇動者のすることだ。説得とは、聞き手の腑に落ちるように説明して、次にその聞き手が自分の判断で行動するように導くことなのだ」

「すると説得力は演説では生じにくい?」

「必ずしもそうとは言えないが、対話の方が生じやすいだろうな」

「もし、大勢の人を説得しようとするなら、君はどうする」

「まず自分の主張の前提を説明した上で、己れの腑に落ちていることだけを話す。出てきて当然の質問に十分に答えるためには、それが必要だ。そして最後に、聞き手が話の是非を自前で考えるように促すね」

「面倒だな」

「当たり前だろ。だから説得力のある言葉など、滅多にお目にかかれない。扇動だったら、単に見栄えとコツの問題だ」

「おい、オマエ、ちょっと危なくないか?」

「デカいし目つきも悪いし、コツも知ってるし、と言いたいのか?」

「いや、・・・・」

「ただ、オレは恥も知ってるぜ」






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