ゴータマ・ブッダの生涯については、初期経典に言及する文章が散在してます。また、後代には伝記的経典も作成されました。
その中から古来、特に重要な出来事を四つ選んで「四大事」と言います。その四つとは、誕生、成道(悟りを開く)、初転法輪(最初の説法)、涅槃(入滅、逝去)です。この四つを誰が「大事」と決めたのか知りませんが、私には個人的な不満があります。
たとえば、どうして出家が入ってないのか不思議です。我々にしてみれば、出家したゴータマ・シッダールタに意味があるのであって、ただのシッダールタの誕生などは、どうでもよいことです。
それに初転法輪を言うなら、それを可能にした梵天勧請(梵天による説法の要請)も重要でしょう。
そこで、これらの仏伝のエピソードについて、日ごろ私がつらつら考えていることを書いてみようと思います。
〇誕生
これについては、要するに、彼は大変結構な生まれと育ちで、十分な教育を受けていたということが重要です。極端な貧困や差別などの社会苦や、様々な病気や複雑な人間関係に苦しむような青少年期を過ごしたわけではない。ということはつまり、世間で宗教に「はまる」三大原因と言われる貧(貧困あるいは金銭問題)・病(自分や家族の病苦や介護)・婚(結婚・恋愛をはじめとする人間関係)とは関係がないということでしょう。
〇出家
彼の出家は、人間が生きていることの根本条件である、老い・病い・死がテーマであったということ。しかも、それらが嫌で、不老不死を目的にしていたわけではなく、三つを嫌がる人間の考え方や態度を問題視していたことが、実にユニークな点です。
〇成道
何を、どんな方法で悟ったのか、まさにその時の状況について、本人の言及がまるでありません。「悟り体験」みたいなものがあったとしても、それほど大したことではなかったのではないでしょうか。
〇梵天勧請
ここで大事なのは、誰が説法を要請したかではありません。梵天はバラモン教・ヒンズー教の主神ブラフマンのことですから、仏伝作者がこれを持ち出すのは、仏教の優越性の主張として当然です。
問題はそこではなく、要請でもされない限り、シッダールタ本人に自分の「悟り」を他人に教える気がまったく無かったということです。ということは、彼は自分が「悟った」ことを普遍的で絶対的な「真理」、すなわち誰もが知るべき・知らなければならない「教義」などと考えていなかったわけです。それはすなわち、彼はこの時点で、出家の動機となった自分の切実な問題にそれなりの見解を得たので、もうそれで十分だったということです。
しかしながら、梵天勧請の最も重要な意味は別にあります。シッダールタが何を悟ろうと、それを誰かに話してみて、相手が納得しない限り、ただの個人的妄想と区別できません。これが単なる「自己満足」的錯覚ではないことの立証は、話を十分に理解し納得する他者がいるかどうかの一点にかかります。梵天の説得は、この事情を象徴的に物語っているのです。
〇初転法輪
シッダールタがゴータマ・ブッダとなり、彼の考えが「仏教」になったのは悟りを開いたときではなく、まさに最初の説法のとき、その話を昔の修行仲間の一人が理解したときです。他の誰にも理解も共有もされないアイデアは、アイデアでさえありません。
さらに私が面白いと思うのは、ブッダの修行仲間は、話を聞いただけで「悟った」と経典にあることです。修行仲間が当時どんな修行をしていたかは定かにわかりませんが、まさか後代の仏典で説く通りの修行をしていたわけではありますまい。とすると、ブッダはそれでも悟れるような、聞いてすぐわかる話を最初の説法でしていたということになります。
〇涅槃
涅槃は仏教の最終的な到達点ですが、それは当事者でない第三者からみれば、死ぬことです。ということは、仏教の最終目標は、敢えて言えば、特定の死に方で死ぬことでしょう。あるいは、死の受容の仕方を稽古することなのです。
ところで、ブッダは涅槃に入る直前、第四禅という禅定段階にいて、そこから涅槃に入ったと経典にあります。すると、後に教義として体系化された禅定段階において、さらに上位にある禅定はみな、仏教究極の目的と直接関係ないわけです。
第四禅とは、簡単に言うと、あらゆる感受を停止し、意識を安定的に保ち、苦も楽もない心身状態に入ることです。なるほど、これなら精進によっては自分たちにも到達可能だと、修行者に思わせるところもあるでしょう。
その中から古来、特に重要な出来事を四つ選んで「四大事」と言います。その四つとは、誕生、成道(悟りを開く)、初転法輪(最初の説法)、涅槃(入滅、逝去)です。この四つを誰が「大事」と決めたのか知りませんが、私には個人的な不満があります。
たとえば、どうして出家が入ってないのか不思議です。我々にしてみれば、出家したゴータマ・シッダールタに意味があるのであって、ただのシッダールタの誕生などは、どうでもよいことです。
それに初転法輪を言うなら、それを可能にした梵天勧請(梵天による説法の要請)も重要でしょう。
そこで、これらの仏伝のエピソードについて、日ごろ私がつらつら考えていることを書いてみようと思います。
〇誕生
これについては、要するに、彼は大変結構な生まれと育ちで、十分な教育を受けていたということが重要です。極端な貧困や差別などの社会苦や、様々な病気や複雑な人間関係に苦しむような青少年期を過ごしたわけではない。ということはつまり、世間で宗教に「はまる」三大原因と言われる貧(貧困あるいは金銭問題)・病(自分や家族の病苦や介護)・婚(結婚・恋愛をはじめとする人間関係)とは関係がないということでしょう。
〇出家
彼の出家は、人間が生きていることの根本条件である、老い・病い・死がテーマであったということ。しかも、それらが嫌で、不老不死を目的にしていたわけではなく、三つを嫌がる人間の考え方や態度を問題視していたことが、実にユニークな点です。
〇成道
何を、どんな方法で悟ったのか、まさにその時の状況について、本人の言及がまるでありません。「悟り体験」みたいなものがあったとしても、それほど大したことではなかったのではないでしょうか。
〇梵天勧請
ここで大事なのは、誰が説法を要請したかではありません。梵天はバラモン教・ヒンズー教の主神ブラフマンのことですから、仏伝作者がこれを持ち出すのは、仏教の優越性の主張として当然です。
問題はそこではなく、要請でもされない限り、シッダールタ本人に自分の「悟り」を他人に教える気がまったく無かったということです。ということは、彼は自分が「悟った」ことを普遍的で絶対的な「真理」、すなわち誰もが知るべき・知らなければならない「教義」などと考えていなかったわけです。それはすなわち、彼はこの時点で、出家の動機となった自分の切実な問題にそれなりの見解を得たので、もうそれで十分だったということです。
しかしながら、梵天勧請の最も重要な意味は別にあります。シッダールタが何を悟ろうと、それを誰かに話してみて、相手が納得しない限り、ただの個人的妄想と区別できません。これが単なる「自己満足」的錯覚ではないことの立証は、話を十分に理解し納得する他者がいるかどうかの一点にかかります。梵天の説得は、この事情を象徴的に物語っているのです。
〇初転法輪
シッダールタがゴータマ・ブッダとなり、彼の考えが「仏教」になったのは悟りを開いたときではなく、まさに最初の説法のとき、その話を昔の修行仲間の一人が理解したときです。他の誰にも理解も共有もされないアイデアは、アイデアでさえありません。
さらに私が面白いと思うのは、ブッダの修行仲間は、話を聞いただけで「悟った」と経典にあることです。修行仲間が当時どんな修行をしていたかは定かにわかりませんが、まさか後代の仏典で説く通りの修行をしていたわけではありますまい。とすると、ブッダはそれでも悟れるような、聞いてすぐわかる話を最初の説法でしていたということになります。
〇涅槃
涅槃は仏教の最終的な到達点ですが、それは当事者でない第三者からみれば、死ぬことです。ということは、仏教の最終目標は、敢えて言えば、特定の死に方で死ぬことでしょう。あるいは、死の受容の仕方を稽古することなのです。
ところで、ブッダは涅槃に入る直前、第四禅という禅定段階にいて、そこから涅槃に入ったと経典にあります。すると、後に教義として体系化された禅定段階において、さらに上位にある禅定はみな、仏教究極の目的と直接関係ないわけです。
第四禅とは、簡単に言うと、あらゆる感受を停止し、意識を安定的に保ち、苦も楽もない心身状態に入ることです。なるほど、これなら精進によっては自分たちにも到達可能だと、修行者に思わせるところもあるでしょう。
『部派仏教では、涅槃とは煩悩を滅し尽くした状態であるとしている[1]。部派仏教でいう涅槃には有余涅槃(有余依涅槃)と無余涅槃(無余依涅槃)の2つがある[1][注釈 4]。有余涅槃は、煩悩は断たれたが肉体が残存する場合を指す[1]。無余涅槃は、全てが滅無に帰した状態を指す[1]。無余涅槃は灰身滅智(けしんめっち)の状態である[1][注釈 5]。』
『涅槃、般涅槃、大般涅槃の語は、この世に人として現れた仏(特に釈迦牟尼仏)の肉体の死を指すこともある[1]。『総合仏教大辞典』は、これは無余依涅槃を意味しているようだとしている[1]。』
(以上、ウィキペディア)
9段階の4番目たる第四禅定をして涅槃とする解釈があることを初めて知りました。
生きてる限り煩悩の滅尽は無理、と現実的解釈をする人がいる。
それは可能、と超人的解釈をする人がいる。
家族も財も全て捨てて出家して、日々、托鉢で食を得て1日1食で、食を蓄えることをせず、ガリガリに痩せて、未明に起きてから深夜寝るまで、ビパッサナー瞑想(観瞑想)やサマタ瞑想(止瞑想)に専念する。
それって現実的?
それとも超人的?
その両方?
それを自分で使える道具にするために各自で考える、それが現実的なのでしょうね。
超越と実存買います!
これである
間違いなく消えません!
これ絶対的真理
といいつつ削除に期待する
それで毎回 unknown が納得した 揃って悟りもちかい
今は意識的に世界を組み立てる必要がある時代なのかもしれない、と思うのです。世界の形が不確かですから。なんとなく、曹洞宗に密教を取り入れた古仏の方々の気持ちが、最近分かってきました。やはり、状況がそうさせたのでしょうか。
ブッダの悟りが何なのかは意見が分かれるところですが、そのひとつが縁起の法であることは、仏教徒であれば、ある程度納得する人が多いのでは、と思います。
つまりは、縁起によって成り立つとすれば絶対的なアートマンは否定される、ということになるのではないか、と思います。
しかし、縁起の組み合わせによっては、アートマンもブラフマンも成り立つ可能性はあります。絶対に成り立たない、ということもあり得ないのです。
だから、釈尊は無記、とされたのではないか、と思います。
unknown unknown unknown unknown unknown 何を意味するのか
無名 無名 身元不明 不明 後出しジャンケンのような応答
「如何に」と問い「何故に」と根本に向かうことが少ない。
あたり前なことほど人はわからない。わからないものほど人は有難がる。有難がる限り自分では考えていない。
難しいから挑戦して次々にやっていく。何かを考える。自分が居ることの根拠を問い詰める。
文句ばかり言っていてるのは狭い。
自分の空虚を埋めるために言葉を紡ぎ出してゆく。 猫が呼んでいる。 月曜 今朝も凍える。
これは、どの経典にあるのですか?
勉強不足ですみません、教えて下さい。
2、「すごく人間くさい」とは
3、なぜわざわざハイデガーを持ち出すのでしょうか? A 今、印哲は残念だが一般的でない。
ゴータマブッダを知らないのですか? A 愚問
バルトリハリを知らないのですか? A 有名だがこれも一般になじみがない
Q バルトリハリを知っているなら印哲が通じるのかと質問してみる
インダス文明から説明したり印哲の用語、概念を説明する無駄を省く為の前提として設問したが
4、 A 私の説明についてはもう少しお時間をください。今少し用事がありますので。とコメント
今みると お答えがなく、ただ誹謗中傷が始まった なんなんでしょうか
落ち着いて まず印哲での前提条件を提示して下さい。バルトリハリを持ち出したのはねじさんなのですから。
アートマン肯定してないのでは?
500文字の制約の中でどう簡略化していくのかを頭に書いてみたが。
所詮「本」を読まない事には始まらないし身に付かない。
南さんの著書にもハイデガー、ラカン、メルロー・ポンティ、マルクス、レヴィナス等々を
バックグラウンドとして思考する役に立つ道具として使うと書いてある。
勉強あるのみ
実話なのか知らんが
創作だったら仏教は墓穴ほってるよってこと。
権威付けのためにブラフマンを安直に利用したはいいが
その神と否定するはずのアートマン概念を肯定することになるのだから。
アートマン否定が仏教のアイデンティティでもあるからね
これはちょっとなんかおかしい感じしますね。
ブラフマンって権威の象徴みたいなものでしょう。
ブラフマンから説教を要請したとなると
ブラフマンが委託者になり
釈迦が受託者になるってことだよね。
受託者という立場が釈迦の優位性の主張をするとみてるんでしょう。
これは見ようによってはブラフマンが釈迦を認めたということでもあり
権威者が権威付け 箔をつけたということ。
格付け機関が評価したみたいなもんだ。
前提がブラフマンの権威なしでは成立しないことなんですよ。
格付け機関がしょーもなかった聞く耳もちません。
さらに重要なのはブラフマンの存在を暗に認めることだ。
アートマンとブラフマンは不可分で結合、統合しているのが梵我一如の要諦である。
ヨーガは統合の意味である。
したがってアートマンの存在を認めずにブラフマンの存在を容認することはできない。結合しているため一方を否定し、一方を肯定することはできない、
梵我一如の論理でいけばブラフマンの存在を認めると同時にアートマン容認へと連鎖するのだ。
梵天を物語に登場させた時点で梵天と連結したアートマンを否定できなくなるのである。
つまり仏教はアンチヴェーダではなくなるということだ。
ここにインドで仏教が吸収された一因がある。
あなたのハイデガー云々のコメントがありましたが、あなたの方のコメントこそ「抽象的で具体性のない御伽噺」ではないですか。
なにをいいたいのか全然伝わりませんよ。そんな哲学 価値がないからやめたほうがいいと思いますよ。
『身振りと言葉』は脳がエネルギーを20%消費することに至る過程を確認できるものである。
西洋哲学を学ぶことは現在において、仏教を理解する際に必要欠くべからざるものであると思われる。
というのが、道元門下の発想ですが、気がむかなければ無意味ですので、お好きにどうぞ。
あーすいません細かいところぜんぜんわかってません。
六派哲学とかきいただけでぜんぜん読んでもいません。
シャンカラあたりをざっと読んだ程度なんです。古代あたりはちんぷんかんぷん。
正直いったらね仏教もどっちもほんとにわかっていないんです。
どっちも密林で迷子です。
梵我一如、仏教どちらも手に負えない怪物なんです。
思想はあえていえば潮流のようなもので互いに混濁しているようなものと私はかんがえてます。
それにしてもこの怪物をどう飲み込んだらいいんだろうと途方にくれてましてね。
思想をもてあそぶんではなく実生活に生かせないもんかとおもってるんですが。
たすけてくれんでしょうか。
私はどちらも支持しません。なぜ支持しなければならないのですか?
あなたは他人の学説に頼らなければコメントができないのですか?
私の説明についてはもう少しお時間をください。今少し用事がありますので。
ニヤーヤ学派とヴァイシェーシカ学派の何れかの論説を元に言語的実存を展開することになるでよろしいでしょうか。
そこで確認させて下さい。名無しさんはどちらの学派の説を支持して説明してくださいますか。
よろしくお願いします。
また、仏教とヒンズー教の梵我一如の違いは、そこに形而外的な視点があるかないか、だと思います。ヒンズー教の場合はアートマン・ブラフマンは実存するものですが、仏教の場合はそれすら、空である世界に仮設されたもの、と考えることが妥当でしょう。
ななしさんではない別のななしなんだけど
梵我一如と仏教の根本的、決定的差異わかる?
俺はまったくわからないんだね。
佐々木閑さんは後期の大乗仏教は梵我一如に近似してくるといっている。
鈴木大拙は彼によるとヴェーダンダとなんらかわらんと批判されたらしい。
となるとますますわからなくなってくるんだね
実在(reality)、実存(existence)、存在(be-ing)
それらは梵我一如じゃ不可分でひとつ。分けられない。
究極のところじゃことごとく言語では矛盾する表現になるとか。
すべて存在しない。無こそ存在するとか
「はああ??日本語でお願い」って感じ。
まあ気になりますわね。
仏教じゃ無記でしょう?なんかあるんか?ないんか?
はっきりしないよね。もどかしいったらないよ。
おれはここでずーっと停滞。
なんとか今年でブレークスルーを狙ってるんだけど無理そう。
壁が高すぎる。
南さんは実存はいうが実在とはひとこともいわない。
なぜいわないか?
実在はいわないにしても存在と実存はいかにちがうか。
その定義さえ明らかにせず適当に使っていると私には写る。
といいますかこれ定義できるのか??
あえて定義せず曖昧にしたほうが使いやすいのか
おそらく南さんは「様式」とよくつかうので
いかようにあるかつまり有様ありよう存在様式?のことを実存というっぽい?
じゃありようを認める主体は誰なんだと考えるとわからなくなる。
じゃ気づきってなに?
気づきは梵我一如では真我からくるといわれ非常に重要なもの。
仏教でも正念とするわけでやはり重要。
南さんは気づきをいわない。
いや、どこかで説明しているのかもしれないが私は知らない
どこから気づきがくるのか?原因は??
ここらへんなのね
ひっかかってるところは。なんかのど元にひっかかって飲み込めない。
さとうさん
なんかおいしそうなヒントちょうだい。
飲み込めるやつ。
榮久さん。
サルトルは読んだことないですけど
私が知りたいのはサルトルじゃなくて南さんのいう実存の意味するところなんですよ。
誰かの使った実存がそのまま南さんの使う実存と一致してるともいえんでしょう。実存という言葉が一致しているだけですわね。
ただし
>「本質」があると思いこむ思考法を拒否する
これは南さん同意しそうだな。
本質ってなに?ややこしいですけど。
なんか本質とか不用意に使う癖ない?
ついでにいっとくと大御所の引用ばっかりで己の言葉が一切ない。
あなたイエスちゃんに自分の言葉で語れとかいってませんでしたっけ?
自分でいえないものを人に要求できないよ。
このままだとコピペ職人じゃんと揶揄されますよ。
ごもっともですね。ただ、偉そうにコメントするさとうさんの理解の程を知りたかったんですよ。
ー現在はインド哲学科に在籍中で西洋哲学までいたっていないー
言い訳でしょうか?子供っぽい言い訳ですね。
ー説明のくだりについてー
なぜわざわざハイデガーを持ち出すのでしょうか?ゴータマブッダを知らないのですか?バルトリハリを知らないのですか?インド哲学を学んでおられるのに?
言語がなんらかの存在を前提としているシステムというのはどういうことですか?「なんらかの存在」の存在はどのようにして説明するのですか?あなた哲学を学んでいるのでしょう?
ー「存在」という言葉は、確実に我々の世界の中にあるという語感を帯びているー
「存在」が我々の世界の中に「確実」にあるということをなぜ確実にいえるのですか?しかも、「確実に」といいながら、なぜ「語感を帯びている」などと曖昧な中途半端な表現をするのですか?あなた哲学を学んでいるのでしょう?
ーハイデガーの哲学は西洋的思考方法や言語観への執着であり、言語の神秘化に他ならぬと考えることができるー
だから、なぜそういえるのですか?それだけの説明ならば単なるあなたの思い込みでしょう。考えることができるならばそれを教えてください。「考える」ことができるというのは「論理として示すことができる」ということでもあるでしょう。あなた自身が「言語の神秘化」を否定されているのだから。あなた哲学を学んでいるのでしょう?
ー言語に通ずる道の公式とされるもの……ー
なにがいいたいのか?それで説明したつもりになっているのですか?あなたは自分の知っている言葉をただデタラメに並べているだけでしょう。あなた自身の経験、思考が全くみられないですよ。それで人を騙せるとでも思っているのですか?子供っぽさが文面から滲み出ていますね。
また別にコメントします。
自分以外の人も参加しているんだから、いろいろ聞けるでしょ。
的を得ないかもしれませんが。
インド哲学を学んでおられるならお分かりだと思いますが、西洋と東洋では実存のとらえ方が違います。私は大乗仏教的なとらえ方で世界を把握してますので、私の感覚を書かせていただきます。
空である世界では、本質的な実存は存在しません。様々な関係性で組み上げられ、今この瞬間に仮に現成しているものであり、関係性を失えば消え失せてしまいます。言語は瞬間的な実存の立ち上がりの起爆剤のようなものですが、あくまで媒体に過ぎません。
何かが確かに実存しているように見えるのは、瞬間的に立ち上がる存在が連続しているからであるだけです。時の経過がそのように見せるのです。
言語のみで存在が立ち上がるわけではありませんが、存在の立ち上げの重要なファクターであることは、間違いありません。
ハイデなんとかの本を読む必要があるのかどうか。
現在はインド哲学科に在籍中でまだ西欧哲学には至っていません。
そこで「言語的実存」を考えると言語的実存 ハイデガーが浮かびます。
それは、言葉とか言語は、何らかの「存在するもの」を前提としているシステムとするものです。
また「存在」という語は西洋語であり、確実に我々の世界(物質的であれ精神的であれ)の中にあるという語感を帯びています。ハイデガーの方法は西洋的思考方法や言語観への執着であり,言語の神秘化への道に他ならと考える事ができます。
「言語に通ずる道の公式」とされるものは,彼自身が否定せざるを得なかった「現象学的循環」を端的に示すものと言えます。
逆に 名無しさんの「言語的実存」のとらえかたを教えて下さい。よろしくお願いします。
内面から直接に出てくるものとはちがっている。環境というか、自分の周囲にとりまくものと関係がある。
気分とは、つまりは自分の何かと外の何かがまじるものなのだ。
個人の自由や個性の開花を追求すればするほど、近代社会の主知的な傾向にぶつかって
それが社会と個人の対立を促すことに気がついた ゲオルク・ジンメルはこの問題(自由・個人・個性の挫折)
の鍵を握っているのは、きっと経済主義や通貨や流通市場の問題だろうと考えて、『貨幣の哲学』(1900)を書いた。
20世紀初頭の西欧で人間の不安を扱う文学がふえてきた
神に頼って不安と戦えないとするとそこには自分がいるだけ 自分で闘うしかない。
それで、不安をめぐる哲学が登場し、キルケゴールからハイデガーにおよぶ実存哲学が芽生え
また、その一方で心理学や精神医学が始まった。
1945年のサルトル著『実存主義はヒューマニズムである』で「実存(existence)は質(essence)に先行する」
と表現した。ここにコップがあるとして、コップはそれがどのように使われるかという「本質」を前提にして
そこに存在する「実存」である。
その著書では人間という存在に「本質」があると思いこむ思考法を拒否するところから出発している。
そのかわり、世界や社会にポンと投げ出されてしまった「裸の実存」から思索を開始しようとした
そのとき、人間の「内」へ向かうのではなく、断固として「外」へ向かおうとした。
人間は、何が「本質」だということを前提にしないで生まれてきてしまった「実存」なのであるとし
また「人間は時代と社会の状況に拘束されている」と見た。
日本で「実存」は久松真一著『東洋的無』 が禅の思想と行為に発見したこと、端的にいうなら「無相の自己」という言葉を発見した再検証し読まれることをおすすめる。
西田幾太郎の著書、更に埴谷雄高 『不合理ゆえに吾信ず 』難解だが一読を。自明の事だが勉強しなければ掴めない。
簡略すぎるが「実存」という言葉の経過だ
けども、いいたかったのは(御三方は違うだろうが)わかるやつだけわかればいいというものではないだろうということなんです。
訳もわからず「苦しい」ともがいている人たちに、嘘でも方便でもいいから寄り添って支えて「生きる」ことの「苦しみ」を、せめてやわらげてあげること、これが慈悲ではないのか、と。
きっと南さんは全部わかっていらっしゃるのでしょうね。「苦しみ」をどのような形であれ癒された人は、それを絶対のものとしてしまうことが往々にしてあるということ。
だからこそ、南さんのような方が「そうではない」ということを言い続けなければいけないんでしょうね。それが出家(世俗を離れた)した仏教者の役割なのだろうと思いました。
私のコメントについて不快があったならあやまります。
さとうさん、あなたの使った「御伽噺」というのは侮辱でしょう。受けますよ、それ。私のいったことにちゃんと答えてくださいね?
あなたのコメントも負けず劣らず抽象的で具体性のない御伽噺だけどね。
少なくとも私は「私はこう思う」と言えるけどね。あなたのコメントは結局なにがいいたいのかわからないよね、それはあなた自身の意見てものがなに一つないからだよね。わかってるふりがしたいだけでしょ。
あなたは批難するだけの人ですか?そうでないなら「言語的実存」てのをみんなにわかるように説明してくださいよ。
逃げないでくださいよ。さとうさん
宗教という言語化を超えていくか離れるか不明だが
宗教の教師は同じやり方で通用するとも思えない。
とても難しいのでしょうが是非どうにかしていただきたい。
哲学に不慣れであり、言葉の難解さで初歩から躓いている人間が私含め多数いるだろうことは知ってほしい。
現代にも通じない古語で引用されてもなにも心に響かない。
南師がよくつかう「ささる言葉」を我々ののど元につきつけてほしい。
ぜひそのささる言葉とつばぜり合いをしたい。
よい教師の例。
平易で当たり前だと思っていたものをまるで未知のものであるかのように教える。
難しいと思っていたものを平易に分かりやすく具体例を添えて噛み砕いて明示する。
例えはあくまで例えにしかならないのであるがそれも錯覚に近いことを教える。
わかるということが過去の見方をどれだけ劇的に変化することを身をもって体感させる。
教え子の「ふんふん」とわかったふりを見抜きわかっていないことを気づかせる。
応用問題で変化球でも対応可能か見定め理解しているかどうかを確かめる。
対して南師のよく使う「実存」という言葉。
いったいどれだけの人間が彼の意図するところの意味に接近できているのだろうか。
正確に伝わっているのか非常に心もとない。
悪くいえばこれは教師がいいっぱなしの状態で言葉が独り歩きしている。
ここに南師のいう実存を正確にわかると思う人はいるのか?
昔々のお話しに感化されているようですね。 その時代背景や「法然、親鸞」の宗派と一休との違いをぬきに一括して感動的に語るお伽噺としかし思えません。抽象的な言い方で自分の物語で都合の良いように方向付けしようといないのか。
具体例を示し書いて欲しいものです。
この人たちの語りは難しい。普通一般の生活感覚とは真逆のことをいうのだから、そうならざるえないんだろうが。
難しいから、反発するか、「なんかわからんがすごいこといってるぞ」的に受け取ってカリスマ化するかどちらかが多いと思う。。
今の時代なら、そして意欲のある人なら哲学とか現代思想とか心理学とかスピリチュアルとか物理学等々から段階を踏んで理解を深めていけるだろうと思うが、みんながみんなそんな人たちではないしね。
そんな意欲がもてない人、そもそも興味がない人、生活に追われてそんな余裕のない人、なにをどうしたらいいのかわからない人、そんな人たちが沢山いる。けど、そんな人たちも「苦しい」と思いながら1日1日踏ん張ってる。
そのような人たちは「語り」を求めてないと思う。求めてるのは「寄り添って」くれることだ。
一休や法然や親鸞などは、そういう人たちの生活の次元にまで「降りて」「膝をおって」「触れて」「励まして」時には同等に「喧嘩」して寄り添ったように思える。すごく人間くさい。
そういう面が欠けていると思う。
思いきっていってみた。
生活上は、「今」「目の前に」「現れて」「ある」「ようにみえる」「もの」「こと」も、「思考」も「感情」も「欲望」も「この」「身体」も「身体の痛み」も「喜び」も「怒り」も「哀しみ」も「快楽」も「苦痛」も、それら全てをひっくるめた「自己」を「おこなう」だけだと思うよ。
「」つきなのはそれらに根拠がないからだよ。でもなんでそうなのかってことは誰にも知りえないってことだと思う。
道元が「知るべし」といわれたとしたら、このことを知るべしといわれたのだと思う。
道元禅師は「信じるべし」ではなく、「知るべし」とおっしゃるけど。
輪廻を不要とする私流仏教。
輪廻を必要とする私流仏教。
どっちもあってもいいだろうけど
それ散在したら衆生は迷いに迷いますよ。
迷わせた責任とれるんですか?
なんで好き勝手個人個人いわせているわけ?
迷信ともそうでないともいいづらいものをどうして勝手きままに誰でもいうんだよ。
ほんとどうかしてる。
とか判断しちゃってますからね。
過去、記憶は妄想。未来は想像。とかいうのも判断の一種だと思うんですけど
だから判断がすでに下っておきながら判断を控えるといっているようなものです
背景とりんごが同一化した状態でりんごがあると
背景のみでりんごはないの状態の区別がつかない。
りんごはあるかどうかもわからない。
最初でりんごがあるという前提を誰かから知らせてもらえないかぎりりんごを探そうともしないだろう
だったら、輪廻を否定するも肯定するもないだろう。どちらも言葉による判断じゃないか。「中道」は判断しないってことだよ。
リンゴがベタ塗りでどこにあるのかわからんのならわからんでいいじゃないか。
もう新興宗教おこしたらどうかね
判断することを控えるの!
わかってくれよぉ。
これも例え話だからな
りんごが陰影のないベタ塗りの赤だったとしよう
背景と完全に同色(りんごに影や照り返しなどないと仮定する)としたら
りんごはどこにあるのかわからないのではないか?
位置がわからないことにはつかめないし、食べられない
なあ?わからんだろう?
輪廻は不要?
そんな理由で簡単に輪廻否定できるんですかね。
おっと「不要」でしたねこれまた失礼。
リンゴが目の前にあってね。あなたはリンゴをあっちから見たり、こっちから見たりするだろう。見るだけじゃなくて、触ったり、食べたりするだろう。そういうことだよ。
わかるな?分かれよ!
将来死んだらどうなるかなどは想像であって今にはない。
だから輪廻は不要。
そんな単純な理屈で輪廻否定できるなら苦労しないってば。
相手されないにきまってるわけよ
むしろ今の世論的風潮からいったら輪廻は迷妄、盲信の部類にはいるのかもしれない
だがそれでもなお否定してはいけないと私は思う。
輪廻は不要であって否定してはないなどは言い逃れだ。
「意識」も「自己」も言葉にした途端に対象化されてしまってる。
対象化されえないんだと思う。
あらゆるものの根本が対象化されえないのだから、なにかが「ある」とはいえないでしょう。だって「ある」といってしまえば、どのような仕方でそれが「ある」といえるのか、その根拠を示さなければならないのだから。
だからゴータマブッダは「無我」(どのようなモノ−コトもそれ自体で自立して「ある」とはいえない。)といわれたんだろうと思う。
だからといって、「存在しない」ともいえないでしょう。だって、目の前に「ある」ようにみえるんだから。「ある」とか「ない」とかいうことは端的に知りえないこと。だから無記(答えない、沈黙)なんだと思う。
いろいろ後付の条件付加されるんですね~
いいな都合よくて
輪廻否定を勝手にしちゃいかんだろ。
実害、実利がどうあるのか知らんけど
伝統、歴史という重みをよかれ悪しかれ仏教はもっとるわけ。
ならばしがらみという伝統の一部も引き受けよ。
自己をひきうけるんだろう?
輪廻をひきうけるのは おことわりですか?
それピーマン嫌いいっとる小学生レヴェルwww
あれか?
無我と輪廻がどう整合するかということ?
私はどっかで誰かが説明してたの読んだけど全く理解できなかった。
唯識じゃ阿頼耶識みたいなのが輪廻主体とみなすんだったっけ?
よくわからんねーや
院代は輪廻という考え方には実害が多いといわれた、故に積極的に語ることには否定的なんだろう。だから院代にとっては率直に、輪廻を語ることには価値がないんだろう。それだけのこと。
三島は豊穣の海では唯識持ち出してきて輪廻語ってる。
いやむしろ輪廻が主テーマだ
南さんは輪廻は不要といってる
輪廻の点からいっても三島と南さんと類似性どこにもないよ。
自分が飲み屋で叔父さんに説教されている夢なのだが、その叔父さんがどういうわけか三島由紀夫なのである。
説教の内容に、ぐうの音もでない自分がいる。
頭を小突かれた感触までもが妙にはっきりとしている。
三島嫌いじゃないよ
いやむしろ抱かれてもいいうわなにをいう
文壇デビューあたりのみずみずしさがよかったんだけどね。
右傾化したあたりからもうついてけない感じよ。
ありゃどう考えても死に場所探してうろうろしているようにしかみえない。
もう話題がブログ本文と逸脱したから削除っすね。
管理者さんさーせん。
南直哉は禅僧だけど、三島は武士だ、という違いしかないと思うけどね。
あとね、私がいいたかったのは生活に観念を持ち込むことは南さんも嫌いだろうな、ということ。それと、南さんが結婚されるにあたってきっと同じことを思い巡らせたのだろうなと思っただけさ。私のことをバカといってるが、あなたのその過剰に妄想を膨らませることは利口にはみえないけどな。
ー私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、その実践によって、文学に対する近代主義的盲信を根底から破壊してやろうと思ってきたのである。ー
ー守るとは何か?文化が文化を守ることはできず、言論で言論を守ろうという企図は必ず失敗するか、単に目こぼしをしてもらうかにすぎない。「守る」とはつねに剣の原理である。ー
ー守るべきものは日本というものの特質で、それを失えば、日本が日本でなくなるというものを守るということ以外にないと思う。ー
ーことばを通じてわれわれは日本につかまれている。だから私は、日本語を大切にする。ー
ー実は私は「愛国心」という言葉があまり好きではない。ー
「三島由紀夫100の言葉」宝島社より
「悟り」「悟る」をコメントのテーマとしなければ話が進まないように思います。よろしくお願いいたします。
ボディビルしたりさ俺かっこいいとか自分の姿みて惚れ惚れしてるんだよ。
ホモだし自己陶酔の典型だ。
ふんどし一丁の自分の写真みてうっとりしとるんだよ。
つまりだあのおっさんは自分の肉体が老い朽ち果てるのをみてらんなかったわけさ。
自慢の肉体が老いぼれていくんだから耐えられないのよ。
あの自衛隊の演説やら割腹自殺はその理由を隠蔽しマスクする手段にすぎん。
単にかっこよく死ぬ理由を探していただけだ。
老いに伴う肉体美の喪失など不可避な事実に直面することを回避し自らの死によって老いを固定化するのだ。
大衆の記憶に残るというおまけつきで2度おいしい。
現人神の信者である水戸学に発する尊皇観、明治維新から延々と2・26事件から三島由紀夫までの慕天皇主義者と
院代南さんの哲学が同じという。考える力がないのか、きっと勉強してこなかったんだな。可哀想なバカだ!
ー 人は本当のところ、自分の行為が、宿命のそそのかしによるものか、自由意志のあやまちによるものか、知ることなど決してできない。(中略)こんなことをかんがえたのち、私は結婚することに決めたのである。ー
「三島由紀夫の言葉」より
ははは 南直哉と三島由紀夫は同じだあ。
追伸1:
『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』をありがたく拝読しております。仏教私流の受講を思い出しながら、「行間」も楽しんでおります(笑)
新潮社編集ご担当金寿煥様、赤坂豊川稲荷様、この本の成立に関わった全ての方にも心より深く感謝申し上げます。
追伸2:
『禅僧が教える 心がラクになる生き方』が半年たっても読者が増え続けているのは、嬉しいような、少し不安なような。
禁書が「公に販売される書籍」になった当惑にも似ているのかもしれません(笑)
いつも、楽しく読ましていただいています。
しかし、皆さんのコメントが激しく、びっくりしております。
釈尊が悟ったことは、釈尊でなければ知ることが出来ない。しかし、2500年前のインドで釈尊が悟ったことは、その時釈尊に必要であったこと。
異なる世界に住む私は、私自身が考える「釈尊が悟った」と推察することがあれば、充分に支えとなる。釈尊が悟ったことそのままでなくとも、良い。
もちろん、人によってはそれが異なる内容であることは当然である。一人一人の世界は異なるものだから。
今朝はマイナス気温、私の部屋は飼い猫用炬燵のみ震えながら考えも凍るようです。
1月も残りわずか陽射しの春を猫共々待ってます。
共に考えを深めましょう言葉でしか分かり合えないのですから。
「寒い 寒い すこしだけ小さな猫用炬燵で暖を」
人類の三大発明は「神」「言葉」「貨幣」である。三つはとてもよく似ている
神も言葉も貨幣も作用しているだけなのだと経而上学的なに語る
そもそも言語の発明、神々の発明、貨幣の発明は、どう見たって人類最大の“謎の三大発明”なのである。
言葉というものは「通じる」ということのためにある。しかしどんな言葉も通じるとはかぎらない。
一方、わかりにくい言葉が呪能をもつということもあった。
密教の真言や陀羅尼は梵語を背景にしているために、つねにそういう呪能をもたらした。
「言葉が先か、概念が先か」という「意味」に対する重要な視点がある。
ここに、赤いおいしそうな果物があったとして、それをリンゴというかトマトというかは
それらがトマトあるいはリンゴであるという「記号としての言葉」を知っているとともに
トマトとリンゴを概念としても把握している必要がある。
ここで概念といっているのは、それがないと生活や思考が進まないものをいう。
その奥にひそむ「意味」を、言葉にならない概念の先触れか閃きのような何かを掴む。
言語を「思いを実現するための技術」と語る
ルロワ=グーラン 著書に『先史時代の宗教と芸術』『身ぶりと言葉』 などがある。
道教と仏教の結びつきが現世の円環的リズムから脱却するための方向をつくったのではないかといった意外な指摘とか
人間がまわりの世界を知覚するには二つの方法があって、ひとつは動的に空間を意識しながら踏破することだが
もうひとつは静的に未知の限界まで薄れながら広がっていく輪を自分は動かずに次々に描くことではないかという
指摘をしていた。 一読されたい
ご周知の清少納言『枕草子』には、「同じことなれども聞き耳異なる物語、法師の言葉。男の言葉、女の言葉、
下衆の言葉にはかならず文字余りたり」
今風にいえば「同じ内容を聞いていましても、その言葉が違って聞こえることがあるものですが、
たとえば坊さまが言うことはたいてい同じことを言っているはずなのに、坊さまごとに聞こえかたが違ってまいります。
男と女も同じ言葉が違った意味に聞こえますでしょ。下衆(げす)の勘ぐりなど・・・・・」
まとまりなく書いてきたが、やはり言葉の考察は奥深く、ゆっくりと語り合いたいものです。
例えば、「静と動」
しかし、この世に「静」はない。
この世には「動」しかない。
しかし「動」は神ではない。
諸行無常。
言語の限界を知る。
どうしようか、善を選んで、言葉を選んで、菩薩行
『「私」をおこなう」』←ななしさんの言葉。有難い。
榮久さんの「関係しあいながら動いている」という言葉から良い方へ思考ができそうです。
尚且つ人体のエネルギーの消費量のうち、20%近くが脳によって消費されていることを思えば
大変効率の悪い臓器である。
しかし、その効率の悪さと引き換えたとしても敢えて脳という臓器を巨大化させていることには訳があるはずである。
現実とはそれだけ、不確かなものです。
いったいあなたは脳のなにを知っているのか?
不完全というがどれだけの神経細胞がつながり複雑なのかわかっているのか?
不完全だとなぜ断ずることができるのか。
脳が解明されたわけでもあるまい。
たしかにこれだけ複雑な臓器でありながら表面上はおろかな振る舞いにみえるときがある。
それを不完全といいきっていいのか。
不完全ではなくおそろしく不可解なのである。
同じ言葉を使っても、一つによって背景が違い、全く異なる意味に取ることはよくあることですし、その影響で大きく結果が変わることは、よくあることです。例えば、りんご、という言葉一つとっても人によっては全く異なるイメージを持つもの。相手の背景を推察しながら言葉を選び、影響を検討する必要があります。
状況が変われば、また、同じ人でも言葉を違う意味でとるでしょう。五感で受け止めた刺激(情報)から組み立てたイメージが、その人の世界です。
また、言葉はイメージを組み立てる上で、編集機器のような働きをしているのです。同じ情報でも、異なる編集をすれば全く違うイメージが創られます。が、編集機器はあくまで編集機器であり、情報そのものでは、ありません。
目の前に現成した世界しかみることができないということ、このことが成り立つ存在論をご提示いただけますか?
言葉は媒体でしかない、言葉はそのものをあらわすことはできないということはわかりますが、「できない」と断言するのなら説明を尽くすべきでしょう。それができないのであれば、あなたは結局 他人のいったことを真似しているだけでしょう。あなた自身の理解はないでしょう。
諸行無常
確かなものは、何もない。
なにかしら善なるものを追い続けるのが、仏法の道。
複数回答ではあり得ない。
悟りの上に悟りをかさねる
目の前に現成した世界しかみることはできない
別の方もコメントされていますが、これで説明したつもりですか?
身心一如
あなたの世界は、あなたの経験からつくられています。
高熱にうなされて語るうわごとも弟子には、ありがたい教えに聞こえたのかも
安易にわかった、と思ってはならない。言葉で表されたものは全て、喩え話と言っても良い程、発信者の意図から離れていくものです。同じ場所に住み、価値観を共有し、近い世界感を持つ人からの言葉にはズレは少ないかもしれません。しかし、今あなたは私が書いたコメントの文字を読んだだけなのです。その背景になにがあるのか、知りません。
あなたは、あなたの背景にあるものをベースに、私の言葉を解釈し、よくわかりました、と思ったかもしれない。それはあなたのフィルターを通した理解であることを忘れてはなりません。
言葉だけで理解出来ることはまず無い、と思った方が良いでしょう。言葉はそのものをあらわすことはありません。媒体にすぎませんから。
仏教に大乗の語を冠していることに示すように仏教そのものではなく、その中の一部でゴータマ・ブッダが直接に
説かれたものではないことを認めている、詳しくは三枝 充悳の著書を参考にされたい。
江戸期の富永仲基の「加上」説による「大乗仏説」に発する大乗は釈尊の説にあらず、直接の言行を伝える文献は
『アーガマ文献』(阿含経)のみである。
ご承知のとおり初期仏教より数百年後に始まる中期仏教の編纂確立しつつある時期の成果として大乗を捉え
繰り返すと初期仏教経典は阿含・ニーカヤ系にあり釈迦のオリジナル仏教に近いと考えられている。
この事も含め日本仏教を再考し「仏教」とは何かを考えることとなる。やはりナガーイ…ナガーイ話しに・・・
即ち、知ることが可能である自分の状態そのものに問題の本質があるということであり、望ましからぬ事として判断する事が、どうして知るという事に結びつくのか?
何故、「老」「病」「死」が望ましからぬ事としての方向性を帯びるのか?
知る事と結びついている、ある方向性を帯びている状態そのものが問題なのである。
あなたの悟るべきことは、あなたにしかわかりません。いまここに在るあなたの世界は、あなたにしか見えないのですから。
と言うコメントが今回のテーマに沿っているように考えます。
院代の著書にも「縁起的実存の自覚」「縁起の法」を「悟る」とあるように。また「悟る」は他動詞であり目的語だと。
今日の問題意識でもある「苦悩」からの救済を求めた私たちの解決の糸口でもあるように思います。
「悟り」を具体的に言葉に出来る一つのアイデア、と短絡的に考えると、間違うのです。そもそも、言葉は物事を正確に伝えることが出来ません。世界の一部しか現さず、また、媒体に過ぎないために、異なる世界に住む人が誤解を生む原因ともなり得ます。
しかし、言葉は同時に世界の一部を切り取り、現成させる力を持っています。鎌倉時代の祖師方はそのことを充分理解した上で、より多くの衆生を救うため、世界を構築するしてみせたのでしょう。
言葉は有益であると同時に、危険でもあります。狂言綺語を戒めた道元禅師は、言葉の力を誰よりも意識していた一つだったのかもしれません。元々、和歌とはじめとした、言葉に深く関わる家系にお生まれでもありますから。
「自己」が消えて無くなるわけではないと思います。「自己」が消えて無くなるのではあれば、それは無性格になるのでしょうから、イエスキリストもゴータマブッダも一休も法然も誰も彼も同じように振る舞うはずです。しかし、そうではない。
自分が見ている世界だけが真実である、と思ってはならない。他者が見ている世界は自分の前に展開している世界とは異なっていることを忘れてはならない。世界はありとあらゆる形で現成しているのだ。今、会話している相手とさえ、相手の世界の、ほんの一部を共有しているに過ぎない。
そのことを踏まえた上で、自分の目の前に展開する世界を、どのように現成させるかは、自分で決めればよい。囚われが無くなれば、より良い形に現成し得る可能性が高まる。
気をつけなければならないのは、他の人は自分とは異なる世界を生きていることを忘れてはならない、ということ。その人が自分の世界に満足しているのなら、なんの問題もないのだから、その世界で生きれば良い。他者の世界を安易に壊してはならない。
満足してない人に対しては、釈尊の、龍樹祖師の、道元禅師のアイデアをすすめても良いと思う。いや、すすめるべきなのだろう。すすめるだけの威儀が備わっているのであれば。わたしはまだ、自信がないですが。
龍樹祖師が仰る通り、言葉は媒体に過ぎず、また、媒体となって、世界を現成させる。
中論読め。
「悟る」ことは、運動です。行動と、時間と、空間と、全てが関わり合う世界で一瞬垣間見る、その時々の光です。
ヴェーダ文献を根本聖典としたバラモン層(ブラフマーナ)は貴族を中心に、一方ではきわめて汎神論的な思索に耽り
他方ではきわめて呪術的な解脱術に傾倒していた。こうしたなか、しだいに確立されてきたのが宇宙原理ブラフマンと
個人原理アートマンを統合しようとする「梵我一如」の思想である。
周知のように、不変概念と個概念をつなげようとしたもので数々のウパニシャッド書にこの思想を書き残している。
バラモンたちが苦行ばかりしているなか、シッダールタの自問は、仮に「梵我一如」をめざすとしても、
そもそもその「我」や「自己」にあたるアートマン(真の我)とは何なのか
もともと身体や感覚や知覚がそなわっているが、それは何なのか
ブラフマンとアートマンを分離してから統合しようとしていたバラモンの教義に疑問をもち
そもそもアートマン(自己)があると思って突きつめていくことがおかしいと
むしろアートマンなんてないと思ったほうがいいのではないか(諸法無我)。
これらの個々にとらわれずにこれを消し去って、そのうえですべてが相互に関係しあいながら動いていると
見たほうがいいのではないかという考え「関係しあいながら動いている」という考えを「縁起」として捉えた
このことがシッダールタの"悟り"だったのであろう。(聞いていたわけでもないが想像力で)
世界を「一切皆苦」とみなして自己を世界に向かって突き放し、そこにそれぞれの「縁起」という「関係の哲学」を
発見し、「四諦」(苦・集・滅・道)と「十二縁起」を説いて行動方針としての「八正道」を示唆し、
無明に対するに明(ヴィディアー)を対置していく事となる。
私たちは釈尊が見ていた世界が、何であったか推察するしかありません。でも、それでいいのではないか、と思います。私たちは今を生き、今の世界を観るしかないのです。
ただ一つ言えることとしては、龍樹祖師が仰るように、空から生まれた世界は互いに関係して見える形に現成する、ということです。より深く、より美しく仏法を感じている人と接する時、見える世界があるのでしょう。
サンガに在ることの大切さを、切に感じています。合掌。
味を抱き続けています。亡くなって100年以上も後に、口伝され
たものから編集された仏典となれば、脚色も多いだろうから、真実
は誰にもわからない。だから、このようなことを考えるのがとても
面白く感じます。
後代の仏典で説くような修行をしていないと思われる釈迦の仲間が
話を聞いただけで何らかの悟りを得たことに対しての驚きや疑念は
私にもずっとあり、同感です。
数日間聞いてすぐにわかるような内容だったとしたら、それは一体
なんなのでしょうか。今の学校なら、容易に学べる量ですよね。
40年以上前に、学校で「古代インド哲学」という科目で、ウパニ
シャッドのリグヴェーダを中心とした概要の授業を受けたときの先
生は「当時のインドの人々は、輪廻思想を持ち、輪廻から離脱して、
完全に消滅することを強く望んでいた。つまり、生きることは苦で
あり、生死を繰り返して永遠に苦を受けることから逃れたいと考え
ていた。今より良い生、来世を求める日本の輪廻思想とは異なる。」
と申されていました。
そのときは、フーンと思っただけだったが、後年、初期仏典の翻訳
本を読み、釈迦が「生まれることは尽きた。もはや再びこのような
生存を受けることがない」とか繰り返し申されているところから、
人間釈迦もその仲間達も、行動の目的、動機は輪廻から離脱し、死
によって完全消滅するのが目的だったのではないかと勝手に想像し
ています。
心のどこかで自己の中に永遠の命のようなものを欲望しているから
様々な輪廻思想が成り立つわけで、そのような欲望がほんとうに
なくなれば、輪廻思想そのものは消滅していく。
多くの迷信に染まっている当時のインドにおいて、死んだ後のこと
に関して、釈迦は一言も語らなかったこと、弟子に対して葬儀に
関わることを禁じたこと、子作りを禁じたこともわかるような気が
します。
リグヴェーダを幼いころから学ぶ環境があった上流階級や知識人た
ちの中に、そういう人たちがいて、出家していったのではないかと
思っています。
いわゆる何かを悟ること、つまり「悟り」が目的だったのではない
のでは?と思います。いずれにせよ、遠い昔のこととて、永遠の謎
で、勝手な想像は尽きませんね。
上記の記事内容には共感するものがありますね。
説法に関わったことではないのですが、
似たような体験をしました。
院代から坐禅の指導を受けていた時、
五感の扱い方について説明を受けながら
その行い方を聴いていると
思っていた疑問や体の苦痛が嘘のように消えて、
坐禅の時間が楽になりました。
私自力では絶対に思いつけないイメージ力だったので、
(例えば、音が体を抜けていく様子をみる)
聴いていて完璧に(抜け目がなく)答えられ感が得られました。
私は仏教の教えに比較検討できるような知識は無いので院代の不満がどのような意味を成すかさえわかりませんが、
疑問の重荷を降ろして頂いた後のすっきり感は今でも鮮やかに意味を成しています。
納得できる説明に人は簡単に従わないと思いますが、心の苦悩の根を抜いてもらうと
人は自然に従うようになるでしょうね。
古代文明発祥の地インドからたどり簡略化して始めると先ずバラモン支配やカーストに対する不満が立ち上がっていき、ガンジス型の新興勢力層となっていったかれらは、バラモンだけに富が集中するブラフマニズムよりも新たな宗教文化を求めて出家して、いわゆるサマナ(シュラマナ=沙門=努め励む人)となることを好んだ。
やがてそうした一群からいくつもの自由思想者が登場し、ジャイナ教の開祖マハーヴラ(=ニガンタ・ナータプッタ)に代表されるような、独自の修行と思想を展開する活動が目立ちはじめた。人間は「おこない」が原因で、外部から「業」が魂に付着し、魂の自由を束縛して輪廻に陥らせるという見方は、マハーヴィラが最初に説いたものだ。シッダールタの仏伝もこの流れに沿い展開してゆく。
草原アジアの遊牧民のなかから、のちに大月氏(だいげっし)と呼ばれた民族のなかから
AC127年前後にガンダーラを含む北インドにクシャーン(クシャーナ)朝を興し、その4代のカニシカ王のとき、改めて仏教充実を図っていった。
仏伝が意識され、ブッダの誕生・出家・成道・初説法・涅槃といった重大場面が編集されて、仏弟子たちのアヴァダーナ(因縁譚)も揃ってきた。総じて、ここに大乗仏教が芽生えていった。それまでガンダーリー・プラクリット(ガンダーラ地方で習合したインド語)で書かれていた経典が正典用のサンスクリット語に書き替えられたのも、中インドのマトゥラーでブッダ(釈尊)が人間の姿で描かれるようになったのも、弥勒(マイトレーヤ)が未来仏として浮上していったのも、いずれもクシャーン朝でのことである。
ガンダーラには「ギリシアと仏教のヘレニズム」が生まれただけではなく、「グレコ・ローマンの仏教化」がおこっていた。仏教史学では「仏教東伝」というシルクロード経由中国化の発信地のひとつであり大乗仏教の道なのだ。
日本型とも言える仏教までの道程は仏教の発生から1000年ほど様々な解釈が加えられて大乗仏教のみが伝播された。
その後約千年を経て「道元」まで至る。
私の「独自の考え」というものは「ありません」。ただし、「ご紹介した考え」に共鳴している者です。
つまり、私が自分の判断で「拾い上げた考え」と「捨てた考え」・・・その「峻別が私の考え」です。と
相手して欲しいだけの茶飲み話です、コメント返すのは無駄なだけ、自称救世主ですから。
私の「独自の考え」というものは「ありません」。ただし、「ご紹介した考え」に共鳴している者です。
つまり、私が自分の判断で「拾い上げた考え」と「捨てた考え」・・・その「峻別が私の考え」です。と
相手して欲しいだけの茶飲み話です、コメント返すのは無駄なだけ、自称救世主ですから。
人のことはどうでもいいはずです。なぜそこまで他者の行為を問題にするのでしょうか。自己が錯覚であるなら他者も錯覚であるはずです。自己がなければ、どのようにして他者が存在できるでしょうか?
私は理解力の問題ではないと思います(そのような考え方は多大な実害があると思います)それは、どこまで目の前の現実に誠実に素直に向き合えるかの問題だと思います。思想は現実からの逃避でしょう。
ゴータマブッダの弟子に教育レベルの高い人たちが大部分であったとして、それがどうしたのでしょうか。
それはただそうあっただけで、そのことに特別な意味を見出すのはイエスちゃんという「自己」でしょう。それはイエスちゃんの解釈であり、趣味であって(そのような解釈は、私(イエスちゃん)は選民でありたいとの欲望ではないですか?)「ゴータマブッダの語られたこと」としての「仏教」とはなんの関係もないでしょう。
自分の都合だけで書かれた物語ですね客観など無視「バカの壁」
そこには、一切、強制はない。
集団で修行する・共通の目的で生活を共にするのだから、
「それを阻害する事例」が起こる度に、「それを防止・禁止する戒律」が追加されたのです。
だから、強制は何もない。
自分から率先して「戒律を受けるのです」。
「戒律を守る事が困難に」なれば、「集団から出て行く」自由があった。
また、再び、戒律を守って集団に、入る事もできる。
(実際、南方仏教では、何度も出家して修行している)
「在家」から「出家」に移り、
また「在家」に戻る事ができる。
要は、戒律を破った僧侶は、「自分の犯した罪を公開して」再び「守る事を、仲間の僧侶に誓う」のです。
ここには、強制は一切ありません。
自分からするのです。
ところが、この重要な行為が、日本ではなされていない。
「誰も理解出来ないだろう」「から」→理由、
そのまま坐禅を続けて、餓死しようかと考えてたとありますから、
「何故」釈迦はその考えを翻したのか??
「死にきれなかった」??』
「自己の死」に、自分と同じように苦しんでいる人々が多くいて、
そこに「いろいろな理解力の人」がいることに気が付き、
「教えが理解させる可能性」を知る様になったので、
「説法しよう」と、以前の考えを翻した。
だから、相手は「元の禅定の師匠」や「元の苦行の修行仲間」だった。
つまり、理解力の高い人々だった。
実際、釈尊の弟子たちは、出身を調べると、
教育レベルの高い階層のカーストが大部分であり、
最下層のスードラ出身の弟子は少ない。
「釈尊の教え」を理解するのが難しかった、
実際「諸行無常」「諸法無我」は、高度な抽象的な思想であり、「現代の人間でも」理解するのは難しいでしょう。
仏教構成作者集団の巧みな物語編集や逸話編纂により明文化された仏伝仏典が数百年を経て
老荘も儒教も含めた解釈翻訳で漢文となり韓国を経て日本に政治的外交的な利用目的に輸入したのはご案内のとうり、
原文に脚色や編集され伝播してきたのは明らかだし、この前提を踏まえてから始める事が大切だ。
ご指摘のように仏伝作者の意図は、シッダールタは自分自身の苦しみから抜け出そうと修行を重ね悟りの手がかりを得た
そこにバラモン経の偉いさんがやって来て説法を依頼にきた、つまりブッダのほうが上なんだと言わせる構図がある
他を批判し使い物にならないことを主張する事がその存在の優位をしめすものだから。
「悟り」を完成させるには他との関係でしか確かめられない。
個と言えるのは、いつも全体に対してなのだし、それを全体と言えるのは個においてしかないように
「悟り」を完結させるには他者を要し
「世のため人のため」に運動を始める宣言文が「耳ある者たちよ・・・・」で教化運動が始まり今日に至る。
宗派成立の物語と釈迦行跡記録これもマハーヴァッガ、ジャータカ、ニダーナカター等あり
さすがによく練れた構成になっている。
しかし文献学的な考察も大事だが、今回のテーマは「苦悩」を如何に救うのかが問われているのだろう。
私は、自己を支配し、己の世界観に自己を服従させたいと欲望します。罪や悪とか楽しいことも含めながら。
どうしても実存する自己を、
個の私は、釈尊、道元禅師、南師の有難い知恵のおかげで、善なる道を進み、なんとか自己を納めることが出来ている。
多数の傍目があってこそ、学び、選ぶことができるのかな。
「罪の告白」がイエスちゃんのいわれる「釈尊の仏教」と調和することはないと思います。
イエスちゃんはいわれるではないですか。「自己は言葉による錯覚」と。罪は「自己」のものでしょう。「自己」がなければ罪を罪と認識するものはないでしょう。
当時はザラにある名前でも、現代で しかも日本でイエスと名乗れば あの有名なナザレのイエスを意識していることは明らかじゃないですか?
男一郎誠とて
幸子の幸は何処にある
男一郎ままよとて
昭和余年は春の宵
桜吹雪けば蝶も舞う
無知な人!
「イエス」は、当時、ざらにある「名前」の一つです。
日本で言えば、例えば…
「一郎」「宏」「太郎」「次郎」のような名前。
現在にまで残っている「当時の歴史書」では、500人以上の別の「イエス」が記録されています。
「ナザレ村のイエス」といえば、もっと限定されますが・・・
大工の息子が「イエス」と名付けられている事からも、特別な名前ではない。
なお「イエス」の意味は、「神は救う」です。
「一・郎」の意味は「最初の男子」です。
「釈尊の仏教」の「生と死」を考える場合には、
「出家の世界」の価値観は、「在家の世界」とは全く異なっている。ということ。
それが、現代の日本では、「在家の世界の価値観」が、「無反省に」「出家の世界」を席捲している。
インドで、大乗仏教が興っても、「僧侶の戒律を何も変更する必要がなかった」。
「同じ戒律」だから、インドでは、大乗仏教の僧たちも、小乗仏教の集団の中で、生活ができた。
更に、仏教では戒律は重要だから、
毎月のように、「布薩で」一人ひとりその期間に犯した自分の罪を告白して、仲間の赦しを受けた。
日本では、罪の告白の行事は、なくなった。
戒律がなくなったのと並行している。と思う。
「自己」がなければ内も外もなく、物理的事実も心理的事実も同じこととして扱われるのでないでしょうか。それらは同じものであると同時にそれらの存在は否定されます。なぜならそれらの存在を「認識」するのは「自己」です。
その仏教の律(禁止事項)のなかで第一が「淫戒(性行為の禁止)」がありますが
これは仏教に限らず多くの宗教が禁じています。
瞑想や苦行よりこちらが良いに決まっているからですね。きっと!
逆に密教では性行為を悟りに利用したりヤブユムと呼ばれる性行状態像を祭ったりします。
釈迦の弟子スディンナは両親から還俗できないなら、せめて跡継ぎをと懇願され元妻と交わり子をなしますが
釈迦からは咎められてはいません。「律」は動機主義でその理由が罪の軽重に係わることになりますから。
恵信尼は 親鸞の妻、在覚、蓮如にも妻が、澄憲は「いっさいの女人は過去、現在、未来の三世におわす諸仏の真実の母であります・・・・・」と説きます。 あの神の子が処女懐妊などどう考えても無理のある話です。怒られるかな。
「バカの壁」をよく読まなかっただな能信仰信者の自称救世主かぁ批判するほどに自惚れていたとわバカまるだしだな
客観性などなくただ自分の都合によい物語にこだわる反知性的特徴があるのは当然ですから
返信無用の趣味のコメントと考えたほうが賢明です。
釈尊がもし性欲はいけない、結婚はいけないといったとしても、それは釈尊の方法であって、単に釈尊の性格の反映ではないかな、と。全て否定するやり方が一番言葉少なくて済むし。釈尊自身が言葉というものに散々振り回されて悩まされてウンザリしてたんではないかなと思う。
性欲の是非、結婚の是非を殊更にいうことは無意味だと思う、結局それは誰が問題にするのか?ということ。前提には「自己」があるし。「誰の性欲か」「誰が結婚するのか」それは「私」という「自己」でしょう。性欲は「自己」によって認識されるから「性欲」であるのだと思う。結婚は制度ですけど。「自己」がなければ性欲は自然そのもの、本然ですよね。「自己」がなければ性欲に過剰はないでしょう。
しかしながら、一つだけ、見解が違います。
『仏教の最終目標は、敢えて言えば、
特定の死に方で死ぬことでしょう。
あるいは、「死の受容の仕方」を稽古することなのです。』
これは「生の受容の仕方」と同じ事です。
釈尊は、弟子に、「性欲を禁止」し、当然「結婚を禁止」しました。
つまり、子孫を残すという「動物本能」を否定したのです。そして、その結果、
釈尊は「妻を出家させ」
「その一人息子を出家させ」た。
つまり、「釈尊自身の子孫の継続・繁栄」に価値を置かずに、
釈尊、妻、息子が「自分の意志」で断った。
この「動物の本能」を「否定」している。
「禁止」している。
動物・生物として自然な「行為・性行為」を「自分の意思」で断つ。反「自然」。
これは「釈尊の仏教」の本質から出ていると考えるのです。
日本の仏教は「釈尊の仏教」が理解できない、それを「受容しない」から、
「性欲・動物本能」を容認している。
親鸞聖人の時代は、多くの僧侶が「実際は」結婚していた。親鸞の結婚事態はめずらしいことでなかった。
親鸞聖人が追放されたのは「浄土教以外では救われない」「排他的」という「急進的な思想」が原因だった。
これは法然上人も同じ。
多くの僧侶が結婚していたからこそ、
鎌倉時代に、戒律の厳しい「律宗」に、当時の民衆が信頼し、人気が高まることとなった。
江戸時代は、徳川幕府が、「僧侶を処罰していた」から、僧侶は結婚しなかった。
しかし、明治政府になって、処罰しなくなったら、思想的な背景が何もなく、
曹洞宗で「僧侶が結婚する」ように変わった。
強制ではなく自分たちから変わった。
当然「道元和尚の仏教」とは異なる。
「日本の仏教」は、異なって当然。
ならば、「その当然である根拠」を深める「自他とも」納得させる必要を感じるのです。
僧侶が結婚したら「在家」ですから。
昨日の寝る前の「自分」が、今日目を覚めた「自分」と、「同じ」自分であると「考えて」しまう。
すると、そこに「実体」として「自分」が存在すると「信じ込んで」しまう。
養老孟子は「二つの物を同じと考えるのは脳の習慣・くせである」という。
つまり、人類が進化の過程で習得してきた「生物の本能」なのであろう。
釈尊は、「この動物の本能」に真っ向から対立した「観方」を発見した。
だから、人類史上、最大な飛躍である。
だから、普通の人には理解ができない。
「苦行の修行で断食」を行う。
生物の身体の構造から、
「大量の養分と酸素を消費する頭脳」に対して「生きるのに最小限しか」補給しなくなる。
すると、生物進化の最先端の「大脳皮質の思考機能」を低下させて、
「元・爬虫類の脳部分」だけを「辛うじて」働かせるだけとなり、「肺の呼吸」と「心臓の血液」の動きに限定されていく。
進化の最先端「自己認識機能の部分」は機能「停止状態」になる。だろう。
「自己」とは、「現象・働き」なのだから、当然、「消滅する」だろう。
釈尊が、最初の説法の相手を、「禅定の元・師匠」は無くなっていたので、その代わりに、元・一緒に修行した5人の仲間に決定したのは、彼らが一緒に厳しい「断食を含む・苦行」を行っていたからである。
「自分が「消滅する」体験」を、「既に」していたのです。
(しかし、理論には、できていなかった)
要は、「その体験」を「言葉でどのように説明するのか?」「理論・思想とするのか?」に結実させなければならない。
これは、釈尊自身が、「自分」の「経験」を納得するために必要であったと考える。
「自分の脳を調整する」「自分のそれまでの知識体系の中に、悟りの経験を、包含させる」
このことによって「既存の知識体系が、大きく変化する」ことも起こったであろう。
「観方」が180°変わったのである。
実際、釈尊は、「悟った」「発見した」その後、3週間・21日間も、大樹の下、涼しい日陰の下で、「禅定・坐禅」をし続けた。
原初の「発見の経験」を反芻し、その出来事を思索し続けた。
22日目で、「新しい人生」を開始した。
『出家とその弟子』倉田百三が、古くは『方丈記』鴨長明だが今回のテーマに沿えば倉田の世界観の方にある。
大正7年に発足した武者小路実篤の 「新しき村」 にも積極的に関わり
大正10年(30歳)発表の 『愛と認識との出発』 は当時の学生によく読まれたと記されている。
ご承知のように仏教は「苦」(自身内部の自己矛盾)
「欲」との裏返しに「欲望が苦悩をつくっている」これから「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」
いろいろと名前のついた「苦」が。
疎外感、焦燥感「うまくいかない」「望みどおりにならない」と思ってしまうことが苦しみのもとであり
現実問題である「アイデンティティ・クライシス」も「引きこもり」も「癒しの社会」も「自死」も
シッダールタの出家も今日的な動機とみることがきる。
なにかしらの解決の手がかりを語り合いたいものだ。
貴方は、本を読んで、この事を「既に知っていた」のでしょうか?
Unknown (Unknown)2018-01-21 10:46:23
貴方です。
そして、知った後に、貴方の意見・主張は何でしょうか?
私の「独自の考え」というものは「ありません」。
ただし、「ご紹介した考え」に共鳴している者です。
つまり、私が自分の判断で「拾い上げた考え」と「捨てた考え」・・・その「峻別が私の考え」です。と
本読めばわかることを長々と相変わらず無駄なコメント 老醜 イエスチャン
釈尊は
「浅い禅定から深い禅定まで、何度も往復していて」、
「それが釈尊の普通の生き方」であって、
偶々「或る地点において」体力が尽きただけ。
死の直前の「その禅定の深さ」には特別な意味はない。と思うが。
「大脳皮質の「自我」意識「機能を抑制」する」
そこに「安楽の法門」「平安」がある。と思う。
坐禅は「足が痛い」という「苦行」ではない。
増谷文雄先生は、
「梵天勧請とは「文学の表現形式」である。
それで「釈尊の心理内部」を描写したのである。
釈尊は「誰も自分の教えを理解できないから」説法は無駄と考えていたので、どうしようか迷っていた」
そして、最後は、
「禅定の師匠」「苦行の修行仲間」ならば、理解して貰えると判断して、説法を決心した。
これが重要である。
「諸法無我」は「大脳皮質の自我意識機能」を「低下・停止させる経験」で、本当に解る。
逆に言えば、
普通の人には「諸法無我」は本当には「体験・実感としては」解らない。
「身心学道」特に「身の学道」
「坐禅・禅定」を重視する理由がそこにある。と思う。
釈尊は、「普通の人には理解不可能」と考えて、
「初転法輪の相手」に選定したのは、かつての「禅定の」師匠だった。
アーラーラ・カーラーマ師 無所有処定、および
ウッダカラーマ・プッタ師 非想非非想処定。
彼等なら「自己・自我」が「消滅・停止」することが理解できると考えた。
しかし、既に亡くなっていた。
だから、次に「理解できる能力が有る者」として選定したのは、かつて一緒に修行した5人の修行者である。
「苦行」を行った仲間であり、「断食なども行い、死ぬ直前まで」体験した。
この状態では「自我意識機能は停止状態」であった。と思う。
このため「何百Kmも離れた」かつての仲間の所まで「何日も歩いて」会いにいった。
更に、かつての5人はプロの宗教者である。
簡単には釈尊の教えには納得しなかった。
「徹底的な議論」を「何日も」行った。
その間、食事の托鉢・乞食を、5人が3人・2人と分かれて交代で行った。
つまり、合宿形式で、「5人の仲間のかつての修行でのあらゆる疑問点」の質問を前にして、徹底的な議論を展開した。
そして、ようやく、コンダーニャが最初に「釈尊の仏教」を理解した。
その後も議論を深め、残りの4人も、ようやく理解できた。
5人のうちコンダンニャに「生ずるものはすべて滅するものである。」という法眼が生じた(悟りを得た)(四沙門果の第一)預流果に達した。
ワッパ、バッディヤ、マハーナーマン、アッサジの4名にも次々と法眼が生じた。
釈尊は、「無我相」の教えを説き、五比丘に五蘊無我の修習を指導した。五人は阿羅漢果(四沙門果の第四)に達した。法を説き終えて、釈迦は「世に6人の阿羅漢あり。その1人は自分である。ともに同じ悟りを得た者。」と言った。
ここで、仏教教団が成立した。
「諸法無我」は理解が困難な教えである。
「自我意識機能」を低下・停止する体験が、理解の基底にあるから。
人間は「自我意識機能」に縛られている。
「生苦・老苦・病苦・死苦」これらの
「自己の消滅の恐怖・不安」からの解放は、
「自己」が「実体」でなく「実体に見える虚構」であると
発見・気が付くことで、達成できる。
だからこそ、普通の人には理解は困難。
只管「打坐」。と、教える理由はそこにある。と思う。
釈尊は、「禅定体験」「苦行体験」の人ならば、「釈尊の仏教」が「辛うじて」理解できると考えた。
そして、かつての「苦行修行仲間」と何日間も必死に議論した。相手も必死だったろう。真剣だったであろう。「世間を捨てる覚悟のプロの宗教家」なのだから。
南さんは問題のありかを察知し、明らめて、自分にとって「使える可能な仏教」に置き換える視点が信用できるというか、頼りになる。
神とか、宇宙一体とか、精神統一とか、そんな抽象的な話ではなく、合理的で明確なんですよね。
「私」という「自己」には「死」を知ることはできない。けれども「死」と「生」は生命の両輪だから、生命を「生」きるためには刻一刻と「死」ななければならない。それは同一性と継続性をもった「自己」には知り得ない。
パーリ語で書かれたもののなら長部・中部・相応部・等々の初期経典
このパーリ五部が釈迦の創った仏教に近いと考えられている
釈迦の時代(BC500~600)文字は定着してはいない初期経典といえど「直伝」とは言いがたい
さらに、ご案内のように明治政府が廃仏毀釈政策をとり仏教を排斥したとき
仏教諸派の動きとして教学復興の手がかりを主にスリランカ(パーリ語が仏教の象徴)に求めた者が多く
スリランカ、ミャンマー、タイ等のテーラワーダ教徒の強い影響をうけた
ブッダが使っていた言語は最近の見解ではマガダ語となっている
サンスクリット語も釈迦の時代には確立されていない
これを先ず前提として「ブッダ昔話」として読むことになる
南さんの文章最後の禅定の事に及ぶと
「九次第定」と呼ばれる禅定の定義に始まるので中村元先生はじめ先賢たち諸学者を
頼りに諸学説を展開する長い話しになる。
さてどうしたものか
(おかめはちもく)とは、
「囲碁用語。傍目(岡目)はわきから見ること、傍観の意で、八目は囲碁の手数(てかず)をいう。囲碁の対局をわきから見る観戦者は、冷静に局面を判断して、八目先まで見通すことができる。その意から、傍観者の立場にたって判断するほうが、物事の真相や利害得失を、当事者よりかえって的確にとらえることができることのたとえ。」
これによりますと、
当事者より周りの方が理解があるような感じがしますね。
でも、個人的には法然のような人がすきだなあ。饒舌に喋る人間、もっともらしいことをまくしたてる人間は信用ならないですよ。言葉も大事だけど、もっとも弱いものたちのために自身の限りを尽くそうという慈悲が法然にはある。法然は外向的です。単に性格の違いだと思いますが。
ゴータマが悟ってから、餓死しようとしたのは、生きる目的が消滅してしまったのではないでしょうか。
あぁ、苦しみって、自分の「思い」だったんだ、、。と認識して、生きる意欲が消えた。
つまり、生きることは、苦しみがあってこその人間であり、人生。その苦しみを排除することは最早できず、しなくてよくなった。
そこで、梵天が要請して、新たに生きる意欲、目的ができた。
編集布教し始めたことに発する。
ダ・ヴィンチの壁画「最後の晩餐」の十二使徒(キリストの初期仲間か弟子)ではなく「パウロ」が宗派理念をつくった。
キリスト教も傍目からみると死後何百年とかの時差で旧約、新約と体系化された物語はブッダのそれと似たように思える。
誕生の地インドではもはや宗派は遺跡にしかなく儒教的解釈を加え中国、韓国を経て日本に至り。
自称救世主は歴史上、何百何千人かいただろう。
しかしユダヤ教から分かれたキリスト教、イスラム教等の一神教と仏教が残った。
今、世界で仏教教義経典の編纂や研究の中心は日本にあるとも言える。
こうした日本的仏教の理念を社会に問うために先ず自ら問い言葉にと傍目思うのです。
ならば、初転法輪での旧友が、サッと理解出来ちゃったのはなぜか??・・・等々、
釈迦のプロファイリングには興味が尽きないですね(作られた歴史の裏読み)。
釈迦の悟りは実は特別の神秘的な事ではない(第四禅)という事であれば、
なぜ釈迦は他の人には理解されないのだから、そのまま自分一人で坐禅を続けて餓死しようなんて思っちゃったのか??
も疑問符として残りますね。
しかし、悟りを開いた直後の釈迦は、
自分の体験(悟り)は、誰も理解出来ないだろうから、そのまま坐禅を続けて、餓死しようかと考えてたとありますから、
何故釈迦はそ考えを翻したのか??
死にきれなかった??
原始仏教に詳しい高橋さんの見解をききたいですね、すぐにでも・・・