恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

「原理」の要・不要

2009年02月10日 | インポート

 私事ですが、端無くも最近立て続けに雑誌やテレビに出させてもらい、思いもかけず大勢の人に声をかけていただいて、まことに恐縮に存じます。わざわざ御高覧下さった皆様、ありがとうございました。

 そこで気がついたのですが、いまや「人の噂も七十五日」ではありません。私の実感では、「人の噂も一週間から十日」くらいではないでしょうか。

 雑誌の発売やテレビの放送から、ほぼ一週間程度は、知り合いは無論、通りがかりの面識のない(あるいは私が覚えいない)人にまで、「見たよ!」などと声をかけられましたが、この一週間を過ぎたあたりから、パタッと何も言われなくなりました。

 お前ごときがメディアにでたところで、その程度しか話題にならないのは当然だ、という御意見はまことにそのとおりなのですが、私に限らず、テレビで報じられる「大事件」も個人的な印象では、同じくらいのスパンで消えていくような気がします。

 メディアの性質として、情報が一過性に強く傾くのは当たり前なのでしょうが、噂が七十五日もつ時代の社会は、それだけの関心と思考の持続があるのでしょうから、ある意味では迷惑でしょうが、見方を変えれば、今の我々の社会よりも精神的に強靭なのだと言えるかもしれません。

 しかし、それにしても、昨今の経済状況の劇的悪化と、働く人々の極端な苦境は、七十五日ではとてもすまされない問題でしょう。

 とりわけ、非正規労働者と言われる派遣労働者や期間労働者などの雇用状況は深刻の度を増し続け、連日メディアに取り上げられています。

 そういう報道を見ていると、ときに派遣労働の禁止や規制が提案され、賛否両論が紹介されたりします。このとき、必ず出てくるのが、例によって「自己決定・自己責任」論です。つまり、「期限付き雇用と知って派遣労働者になった以上(自己決定)、会社の都合で解雇されるのは当然覚悟すべきで(自己責任)、それがいやなら正社員になるべく、あるいは起業すべく自分で努力して頑張るのが当たり前である」という主張です。

 このアイデアは、ほかの二つのアイデアとリンクしていて、いわば雇用問題に関する「市場原理主義」的考え方の要素となっているでしょう。ほかの二つとは、 ①そのような働き方を望んでいる人たちも数多く存在する。 ②非正規労働者が存在しなくては、日本の企業は熾烈な国際競争に淘汰され、勝ち抜けない。

 私が思うに、もしこの三つがワンパックで主張されるなら、そのような「市場原理主義」は不要でしょう。それというのも、次のように考えるからです。

 まず①と②が主張されると言うことは、この社会には個々の意志や希望とは無関係に、常に一定量の「非正規労働」が必要とされるということでしょう。個人的に誰が正規に雇われ、誰が非正規労働をするのかは別として、かなり大量の人々とその家族が、現在の社会・経済構造に組み込まれた「非正規労働者階層」として、必要不可欠だということです。

 そうなると、当然正規労働者にも構造的かつ恒常的に「定員」があることになりますから、個人的にどう努力し頑張ろうと、それと無関係に、必・当然的に「定員外」の非正規労働者が「社会的必要もしくは要請」として発生することになります。

 このとき、「非正規労働者階層」に属した場合、解雇されれば即ホームレスになるような状況、再就職もままならず、必要な医療も受けがたい極端な状況に、急転直下滑り落ちるとすれば、これは単純に「自己責任論」で片付きますまい。この階層を必要とし、生み出した社会・経済体制に責任の一端、それも相対的に大きい責任があることは当然でしょう。まして、国をあげて少子化が叫ばれ、その対策が急がれるというときに、結婚や子供を持つことさえ困難な「階層」が無策のまま放置されることは、どうみても社会的経済的な大損失です。

 宗教であれ政治であれ何であれ、およそ「原理主義」は、あらゆる「真理」と同じで、条件付き・賞味期限付きでしか通用しません。それを「絶対真理」のように錯覚して、原理自体を具体的に実現しようとすれば、必ず現実を破壊して、原理自体が無意味になります。

 私には、非正規労働者の苦境と、振り込み詐欺の激増と、「誰でもよかった」殺人の連続には、やはり共通する問題があると思えてなりません。それは社会における人々の信頼関係の衰弱・劣化、それと裏腹にある「自己決定・自己責任論」の、根拠が曖昧で、それこそ無責任な拡大解釈です、

「原理」は、現状を批判的に熟考し、我々の意志と行動をよりよく導く「方法」として有効なのであり、正邪・善悪を裁く「真理」としては不要なのです。


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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
わたしの乏しい経験から言えば、2が大きいかな、と... (つちや)
2009-02-12 12:29:33
わたしの乏しい経験から言えば、2が大きいかな、と思います。
派遣元って奴隷商人みたいに「この子は素直でよくはたらきますよ」と派遣先に紹介し、発生した利益は吸い上げますが、派遣社員に対する責任やら保証やらは知らん顔という感じ。派遣先でも、正社員が有給で旅行やら、産休とって育児やらと「人間らしい生活」をするため、派遣の事情なんかお構い無し(もちろん派遣はなにも文句はいいませんから)。
バブル期、そういう役割を外国人労働者に押し付けていたのが今は日本人同士でやっているだけで、かといって恒常的にはたらく非正規を正社員並みに引き上げるのは無理だし、正社員たちの生活水準を下げて平等にというのもムリな気がします(長くてすみません)
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「人買い」の現代版が「派遣」と言った人がいまし... (ハンス)
2009-02-13 01:58:44
「人買い」の現代版が「派遣」と言った人がいましたが、ヒトのモノ化傾向はこのままますます深まるんでしょう。産業革命頃の機械打ち壊し、ライダット運動でしたか???、世界史で習った近世イギリスの労働者の抵抗の場面を思い出します。派遣会社を打ち壊す、そんな動きもあると予想します。
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市場原理主義は医療福祉業界にも進み法改正もされ... ()
2009-02-13 15:24:47
市場原理主義は医療福祉業界にも進み法改正もされています。歯止めがかかってほしいです。
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私はまだアルバイトしか経験がありませんが、周り... (へいワ)
2009-02-14 01:35:54
私はまだアルバイトしか経験がありませんが、周りにも非正規労働者で懸命に仕事をしながら、でも器用でなくあるいは年齢制限にかかる人がいます。いわゆる力を持った人間が、人の痛みも分からずに自分の立場だけを必死に守り、人の上に立つのをみるとやはり理不尽で仕方ありません。
まだ私は全然わかっていないのでしょうが、帰る家があることに感謝し、諦めたくないと思っています。
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南さま、 (makouta)
2009-02-15 23:57:30
南さま、

再びコメントさし上げます。東京は、昨日と今日、突然の春日和でした。お元気でいらっしゃいますか。明日、赤坂にいらっしゃるそうですので、ぜひ、伺わせていただきたいと思います。

ひとの噂も・・のお話ですが同感です。そして、すべてのことに関連する、人間関係の希薄さと、社会に本来あった大切なものが底から失われている感じは、日々感じます。

けれど、わたしは10日では直哉さんを忘れはしませんでした。

アエラは、図書館で予約して借りて読みました。You Tubeにアップされている番組も拝見しました。そして、周りのひとに「直哉さんという和尚さんがいて、とても素敵だ」と誰彼かまわず言いまくり、人がきたら、途中から見て、たった最後の15分しか録画できなかった教育テレビの番組をみせています(笑)。


わたしは、「コレだ」と思ったひとは忘れません。そして、これだけ煩雑で、ひとの情が薄れているような世の中でも、わたしのようなしつこい人間がほかにもいるような気がこの頃しています。


若い頃にかかった精神科医は、精神科の博士でしたが、同時にチベット仏教の尼でもありました。彼女がわたしに言いました。「すべてのひとに、essenceがある。」きっと、日本語で「信じるこころ」とか「良心」とか「愛でるきもち」とか、そういう言葉だと思うのですが、、、わたしほどしつこくもなく、思ったことをそのまま言うような人間ばかりでなかったとしても、多くのひとが覚えているような気がします。だって、直哉さん、強烈ですし(笑)そして、たとえ日本中のひとが忘れていたとしても、少なくともわたしは、直哉さんに感動し、大好きになり、そう簡単には忘れません!と申し上げたく、書かせていただきました。

直哉さんが個人的なことをここでおっしゃりたかったのではないことは重々承知しておりますが、わたしが生きてきた世界では、こういいます。

「いくら相手が一流でも、すでに世の中で認められているひとでも、そのひとの仕事や作品に感動したら、必ず、感謝と素直な気持は伝えるべきだ。」


ですので・・言わせてください。


I love you and thank you for sharing your precious thoughts with us.
And whether you like it or not, I shall not forget you so easily :)


Sincerely,

Makouta




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これは私の知る限りで多くの工場や会社組織が採用... (橋のない川)
2009-02-17 19:12:23
これは私の知る限りで多くの工場や会社組織が採用している雇用形態です。そこには生産や補助的な作業の要員として「パート従業員」と「派遣従業員」の二種類の労働者がいます。両者は同じ仕事をしているにもかかわらず職場での扱いが全く違います。パート社員は会社から直接雇われ、忘年会や社員旅行など会社の行事に参加することができます。派遣社員はパート社員より若干高い賃金を派遣元の会社から貰いますが、会社の行事には参加できず完全なよそ者扱いです。そして会社の業績に応じて突然解雇を言い渡される可能性がつきまとうのは派遣社員の方です。

これはパート社員まで含めた日本的な「和」の経営を目指しながらも、雇用調整弁としての人員も同時に雇用し、社員に対して両者を明確に区別させているに他ならないように思います。この問題は個々の企業努力だけでは解決は難しいでしょう。法的な整備が必要です。これは私の個人的見解ですが、いまだ多くの日本企業は「和」の経営を旨としており欧米から最近になって輸入された自己責任論的な経営は目指していないように思います。ただ自分たちの「和」に含める人と含めない人を区別しているのだと思います。そして「和」に入ることのできなかった人たちに対し心無い人間が自己責任だと叫んでいるように見えます。だからこそ法的整備が必要だと思うのです。
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失礼ですが、このブログは曹洞宗の南直哉師のブロ... (高木  亮)
2009-02-21 21:35:06
失礼ですが、このブログは曹洞宗の南直哉師のブログでまちがいないですか。
 私は、昨年夏より栃木県の大雄寺に参禅させていただき、自宅でも坐ることで精神の平衡をかろうじて保ち(そう自分では思っているのですが)その際、「日常生活の中の禅」をよませていただきました。今、「正法眼蔵」(講談社版)を解からないながら読み通すことを行にしていますが、読後読もうと南先生の「正法眼蔵を読む」を購入しました。
今は、「日常生活の中の禅」に書かれている入道のような生活ができないか考えています。受戒にも興味がありますが、1週間も仕事が休めないのでどうしたらよいかな~と思っています。
ぶしつけに失礼します。
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