恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

ある教訓

2007年12月04日 | インポート

 おそらく、最後に死がわれわれに送り届けてくる孤独は、物質である。それは感情でも感覚でもない。あらゆる感情が滑り落ち、すべての感覚を反射する、圧倒的な質量と密度の、物質である。

 死なない人の共感も同情も解釈も拒絶される、この孤独はしたがって精神ではない。したがって、すでに孤独でもない。それは単なる直面なのであり、そのとき我々が見ることができるのは、この世で唯一経験として与えられる、「絶対」の似せ絵である。

 先月、父を看取りました。死について、ずいぶん久しぶりに味わう、いつわらざる実感です。


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5 コメント

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ちょうど、昨日「老師と少年」拝読いたしました。 (賢木)
2007-12-04 22:03:29
ちょうど、昨日「老師と少年」拝読いたしました。
幾度となく読み返すことになるでしょう。
私は、今は地元を離れていますが、東通村で生まれました。私にとって、恐山は観光地ではありません。
文筆の仕事をしておりますが、いま、信仰と恐山、また文学と恐山の関係について調べたいと考えています。そのためにぜひお話をうかがいたいのですが、つてもなく、いきなり電話してよいものかどうかためらっています。もう少し考えがまとまったらご連絡させていただいてよろしいでしょうか。
情報社会もいろいろトラブルがありますので、今はこのような形で失礼します。
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大変ご無沙汰をしております。 (叢林@Net)
2007-12-04 23:42:04
大変ご無沙汰をしております。
ご尊父さまのご冥福を衷心より祈念申し上げます。
合掌。
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ご愁傷さまです。 (Unknown)
2007-12-05 00:03:58
ご愁傷さまです。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。
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おとうさまのごめいふくを、 (さいたまから)
2007-12-05 10:08:51
おとうさまのごめいふくを、
こころよりおいのりもうしあげます
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言葉が足りませんでした。「ある教訓」の冒頭を読... (賢木)
2007-12-05 20:13:51
言葉が足りませんでした。「ある教訓」の冒頭を読み、読了したばかりの『老師と少年』に思いが走ってしまい、お悔やみの言葉も申し上げず、不徳を恥じております。改めて、ご尊父さまのご冥福をお祈り申し上げます。
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