恐山の岩場、「賽の河原」を巡り歩いていると、ところどころに、ひっそりと隠れるように、しかし、よく見るとかなりの数の、写真のようなものがあります。それは石板に戒名や人の名前、それに命日などを刻んだものです。わざわざ作って持って来たのでしょうか。あるいは表札と思しきものを立てていく人もいます。
これらは一種のお墓なのでしょう。石板を立て、石を積み、お供えをし、中にはお賽銭を置く皿まで準備しているものもあります。倒れないように石板をセメントで固定したものさえあるのです。かと思うと、拾ってきた石に直接戒名や名前を書き込んで置いて行ったと思われるものもあります。
恐山はこういうものを許しているわけではありません。本当のことを言えば、勝手にそこらじゅうにこういうものを立てられては困るのです。実際、墓石かと見まごうばかりに大きいものを立てられたときには、断然、撤去します。しかし、草の影や、目立たない場所にひっそり置かれたものを見ると、それを立てて行った人の心情が思われて、一挙に取り除いてしまう気持ちには、なかなかなれません。
ここに石板を立てて行った人たちには、お墓がないわけではないでしょう。お寺か霊園に、自分や家族の遺骨を収めるお墓があるか、将来は用意しようと思っているはずです。では、なぜ、恐山にこういうものを持ってくるのでしょう。
これらの「お墓」は、「終の棲家」、死んで後の我が家と言う意味のお墓とは違うのだと思います。これは、懐かしい人の記憶を納めている「お墓」なのではないでしょうか。遠方から参拝に来られる人の中には、「ここには本当に亡くなった人が来ているような気がする」と言う人がいます。恐山には、亡くなった人を強く、時には生々しくさえ思い出させる、ある種の磁力があるのかもしれません。その気持ちを静め、またいつか思い出す頼りにするため、人々はこのような「お墓」を立てていくのではないのでしょうか。
つまり、これは遺骨を納めるお墓とは別の、思いを納めるお墓なのです。ある一つの「お墓」に供えられた石には、右の写真のような言葉が書かれていました。