草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

過半数割れを心配するマスコミを嗤う

2010年07月09日 | マスコミ評

 マスコミの動きは常に要注意だが、民主党が負けそうになると、真っ先に忠臣ぶりを発揮するのが産経新聞だったりするから、わけがわからない。ネットで与党が過半数割れになれば、一大事のごとく報道しているのには、いやはやまいってしまった。なぜ今の時期にそんなことを書くのだろう。この国のかたちを守れとか言っていたのは、真っ赤な嘘なのだろうか。権力に擦り寄ることで、生き残りを図ろうとする魂胆が見え見えである。しかも、記事の内容と見出しがちぐはぐなのも、ついつい嗤ってしまう。整理部はもっと丹念に文章を読んでやらないと、世間様に馬鹿にされるだけである。いくら保守派を名乗っても、色々な記者がいるんだろうから、自民党御用達ばかりではなく、民主党御用達もいて、手分けしてスポンサーを喜ばせないと、商売が成り立たないのだろう。しかし、民主党の経済政策を修正させるためにも、政治的な地殻変動は歓迎されるべきなのに、そこにクレームをつけるのだから、いい度胸をしている。言論は自由だが、保守派の国民が厳しい目で見ていることを、産経新聞といえども、肝に銘じるべきだろう。

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菅首相よ靖国の御霊を冒涜するなかれ

2010年07月09日 | 思想家

 菅直人首相の本性はサヨクであるが、権力を手放したくないから、現実主義をスローガンにしているのだろう。何としても許せないのは、靖国神社への参拝についての発言である。小泉純一郎元首相のことを引き合いに出して、「アジア諸国から反発を買ったのは、靖国神社へお参りしたからだ」と批判したからだ。菅首相は靖国神社のことを勉強したことがあるのだろうか。そこに祀られている多くは、国のために命を捧げた普通の国民なのである。だからこそ、祭神が240万6000余柱にものぼり、戦場に赴いた者たちは、靖国神社での再会を誓い合ったのだった。末木文美士が「仏教が、死者との関わりを本来もっと深く持ちながらも、それをあたかも恥ずかしいことのように隠して、死者の忘却の上に近代化を図ろうとしていたときに、かえって神道が積極的に死者との関わりを新しく作り出そうと努めてきたのである。今日、靖国神社ではみたままつりのときに盆踊りも取り入れて、積極的に死者との関係を作ろうとしている」(『仏教VS倫理』)と書いているのは、真実のことなのである。しかも、境内には鎮霊社という末社があり、世界中の戦争犠牲者を祀っている。つまり、賊軍とされた会津藩士もそこに含まれているのである。靖国神社への参拝の是非を、外国が口をはさむのは、内政干渉ではなかろうか。さらに、菅首相が死者に辱めを与えようとすることに対して、怒りの声を上げるのは、日本人であれば当然のことだ。国のために散華せし者を冒涜することは、断じて許されないからだ。

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国民主権を守りアメリカニズムを排するのが真の保守

2010年07月09日 | 思想家

 国のかたちを守るというのは、一つに国民主権の原則を崩さないということであり、もう一つは、誤ったアメリカニズムの市場原理主義を軌道修正することだ。今求められているのは、この二つを満たすことができる政治勢力なのである。国際化という美名を持ち出して、国家を否定するコスモポリタン的な議論が横行しているが、それは現実にそぐわない。日本人が日本列島を支配しているという根拠すらも、失われかないからだ。鳩山由紀夫前首相が「日本は日本人だけのものではない」ということを口にしたが、一国の宰相らしからぬ空理空論には、ついつい嗤ってしまった。故坂本多加雄の文章を噛みしめるべきだろう。「現在に生きる国民は、過去に生きた国民から様々な資産を感謝をもって受け継ぐ権利を持つ。と同時に、反省とともにその負債を引き受ける義務も負う。そして、これらを、より良きものにして、未来の国民に引き渡す責任を持つのである。国民という存在は、そうした各世代の人々の努力を通して存続していくのである」(『国家学のすすめ』)。日本国の国民になるというのは、過去の継承者になることなのである。永住外国人に地方参政権を付与して、国のかたちを破壊するのは、言語道断なのである。日本人としての文化や伝統を踏まえて、日本は成り立っているからだ。さらに、市場原理主義も、日本人の価値観とはなじまない。自立だとか自助努力とかいう言葉は、戦後の思想界をリードした進歩的文化人が、何かすると持ち出していた「個の確立」と同じ意味だし、西洋に追いつけという発想が根本にあるからだ。政治の混乱を一日も早く収拾するためにも、真の保守の理念もう一度思い起こすべきではなかろうか。

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