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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の命による旅立ち / 羽鳥頼和

2021年07月08日 | Weblog

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今週はエジプトを脱出したイスラエルの民の荒野の旅の準備について、旧約聖書の民数記からお話ししてきました。神が与えると約束された地に向かう旅に旅立つ時がいよいよ来ました。
 旅をするにあたって、神はイスラエルのために旅の仕方を教えられました。宿営のときの宿営の仕方、旅をするときの部族ごとの順番、そしていつ旅立ちどこに宿営するか、いつまで宿営するか、すべて神が命じられる通りにするように教えられました。

 エジプトを脱出してから二年目の第二の月の二十日。神がおられることを表わす雲が 幕屋の上から離れて上り、イスラエルの民はシナイ山から荒野に旅立ちました。イスラエルの民は神の命令により宿営し、神の命令により旅立ちました。神の命じる通りに旅するイスラエルに神の愛と絶対の守りがありました。

 神のすばらしいお守りについて語っている詩篇121篇をお読みします。

 「見よ イスラエルを守る方は/まどろむこともなく 眠ることもない。
  【主】はあなたを守る方。/【主】はあなたの右手をおおう陰。
  昼も 日があなたを打つことはなく/夜も 月があなたを打つことはない。 

  【主】は すべてのわざわいからあなたを守り/あなたのたましいを守られる。
  【主】はあなたを 行くにも帰るにも/今よりとこしえまでも守られる。」 
     (詩篇121篇4節~8節)

 今も神は共にいてくださるお方です。ともにいて私たちを守り、導いてくださいます。 神は今も聖書で私たちに語りかけてくださっています。聖書を読むことによって、私たちは神のことばを聞くことができるのです。この世の光も神のことばを聞く時です。コロナ禍で不安や心配が多い私たちです。神はそんな私たちと共に歩んで下さり、私たちの歩みを守り、導いてくださいます。主と共に歩んで参りましょう。

   (PBA制作「世の光」2021.1.21放送でのお話より)
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■銀のラッパを吹き鳴らすとき / 羽鳥頼和

2021年07月07日 | Weblog

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今週はエジプトを脱出したイスラエルの民の荒野の旅の準備について、旧約聖書の民数記からお話しています。 

 私はスマホのアラームをよく使います。朝起きるときばかりではなく出かける時間や会議の時間の少し前に鳴らします。何かに夢中になっていると用事を忘れてしまうのでアラームを使っています。昔から軍隊ではラッパによって合図をしていました。兵士たちが行動するときの命令・合図として用いられています。聖書にも神の行動の合図としてのラッパのことが出てきます。今日は旧約聖書の民数記10章に記されている、神が命じられた銀のラッパについてお話します。

 神は銀のラッパについて、イスラエルの指導者モーセに命じました。 「銀のラッパを二本作り、それは銀を叩いて作りなさい。そしてそれを吹いて人々を集めたり出発させなければならない。」 このようにラッパの制作とその目的を教えられました。

 さらに神は吹き鳴らす長さと回数によってそれぞれの合図を定めました。祭司が神の指示に従ってラッパを吹き鳴らすのです。

 こうして最後に、神はこう言われました。「あなたがたの内で侵略者との戦いに出るときにラッパを吹き鳴らすなら、あなた方は神に覚えられ、敵から救われる。 また、あなたがたの喜びの日、礼拝の時にラッパを吹き鳴らすなら、あなたがたは神に覚えられる。」

 銀のラッパは、イスラエルの民が神の命令を知り、聞き従うためのものでした。人々はラッパの音を聞くとき、自分たちが神に覚えられていることに感謝し、その神に期待して従うことができたのです。

 今も神は聖書のみことばによって、「わたしはあなたを愛している。あなたを守り導き、いやし、救い、あなたを幸せにする。わたしのことばに聞きなさい。」と語りかけておられます。

   (PBA制作「世の光」2021.1.20放送でのお話より)
 
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■ともにいてくださる神 / 羽鳥頼和

2021年07月06日 | Weblog

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今週は旧約聖書の民数記からお話ししています。

 出エジプトという出来事をご存知でしょうか。エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民が神によってエジプトを脱出した出来事です。今からおよそ3300年か3500年くらい前の出来事です。昨日からお話ししている民数記は、エジプトを脱出してから2年が経ち、イスラエルの民がシナイ山の麓に宿泊しているところから始まります。

 脱出してから二年目の第一の月に、シナイ山の麓で神はイスラエルに過ぎ越しのいけにえをささげるように命じられました。さらに成年男子の登録、礼拝を司る祭司とレビ人の登録と任命を命じて、また部族ごとの宿営の配置と、旅をするときの隊列の組み方を教えられました。

 神が命じられたのは荒野を旅して約束の地に入るまでの旅の準備でした。シナイ山の麓で、イスラエルの民は神が命じられた旅の準備をその通りに行いました。

 さらに神は、旅をするための大切な命令をされました。それは、いつ旅立ち、どこへ向かい、いつどこで宿営するのかということでした。すべては神が決められることでした。神は、雲を用いてその指示をされる、と言われました。


 まず神は、宿営の真ん中に設置された神の幕屋をその雲で覆われました。そしてこの雲が動くとき民は旅立ち、雲がとどまるところに民は宿営をするように命じられたのです。
 雲は神がそこにおられることを示していました。荒野の旅において神はいつもイスラエルの民と共におられるのです。

 コロナ禍の中にある今、ウィズ(with)コロナと言われています。コロナと一緒にいる生活を覚悟しなければなりません。そんな私たちに、聖書は神が共にいてくださることを教えています。

 今も神は私たちと共におられるお方であることを忘れないようにしたいと思います。神はあなたと共にいて、あなたを守り、導いて下さいます。

   (PBA制作「世の光」2021.1.19放送でのお話より)
 
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■イスラエルの人口調査 / 羽鳥頼和

2021年07月05日 | Weblog

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。今週は私、羽鳥が聖書のメッセージをお話しさせて頂きます。

 さて、去年は国勢調査がありました。聖書の中にもそんな人工調査が記されています。有名なのは、今からおよそ2020年前、イエス・キリストが誕生する時にローマ皇帝によって行われた住民登録です。もっと古い人口調査が聖書にあります。聖書の中で人口調査について最初に語っているのが旧約聖書の4番目の書物である民数記だと思います。今からおよそ3300年か3500年くらい前のことです。今週はこの民数記からお話ししようと思っています。そして今日は民数記の人口調査についてお話ししたいと思います。

 民数記という名前は民の数と書きます。それはイスラエルの民の人口調査が記されているからです。この人口調査は、神がイスラエルに命じられたことでした。神が命じられたのは、種族ごとに二十歳以上で戦に出ることのできる者を全てその軍団ごとに登録しなさい、というものでした。イスラエルは一人一人、本人確認をしてその名前を登録しました。彼らは神に命じられたとおりに登録を行いました。神はさらに、宗教儀式の奉仕をするレビ人の登録と彼らを聖別することを命じられました。聖別とは、その人をきよめて神の奉仕に任命することです。彼らはレビ人の登録と聖別を命じられた通りに行いました。

 民数記の1章から8章には、このように神が指導者モーセに、イスラエルがするべきことを命じられ、イスラエルがその神の命令を全て命じられたとおりに行ったことが語られています。神のことばを行うことができることは素晴らしいことです。神のことばを聞くためにはどうしたらよいのでしょう。今私たちは聖書を読むことによって神のことばを聞くことができます。またこの世の光のメッセージを聴くことによっても神のことばを聞くことができます。私たちは神のことばに聞き従うものになりたいと思います。

   (PBA制作「世の光」2021.1.18放送でのお話より)
 
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■ルカの福音書47 / 大嶋重徳

2021年07月03日 | Weblog

2021.1.16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 12歳のイエス様がエルサレムの神殿に行き、「わたしの家は父なる神の家だ」とおっしゃったことがルカの2章に記されています。しかしその後イエス様は神殿で両親に別れを告げられたのかというと、そうではありませんでした。イエス様は生まれ故郷の「ナザレに帰って両親に仕えられた」と聖書にはあります。次にイエス様が登場されるのは三十歳になってからです。つまりここから約18年間、両親に仕えられたことになります。三十歳からの働きが始まってからは父親ヨセフの名前が一度も出てきません。父親のヨセフは亡くなったのではないかと思われます。またイエス様は大工の仕事をしていたと、とありますので父親ヨセフと一緒に大工をして家業を助けたのです。またイエス様の下にはヤコブ、ヨセ、シモンという弟たち、さらには妹たちもいました。つまり父を早くに失った後は父に代わって兄妹姉妹、母マリヤを三十歳まで支えたのです。イエス様は神の独り子でありつつ両親に仕えられました。

 今回、神と人に愛されたイエス様の子どもの頃を見てきました。そしてここでわかることは、きちんと両親に仕える子どもが育つ、ということです。

 聖書の十戒という教えにあるように、父と母を敬う生きき方をきちんと教えるんです。わがままに自分勝手な生き方を子どもにさせてはいけません。家のお手伝いをし、両親に仕えること、それが神と人に愛されて育つ子ども時代の生き方なのです。

 しかしそれは子ども時代のことだけではないでしょう。私たちもまだ自分の人生を神と人に愛されて生きることを選びとって行かなければいけません。私たちもまた神を信じるときに、神の子どもとされるのです。神の子どもとされるとき、神様は私たちを父なる神の家で神様に愛されて神様の眼差しの中で育てられるのです。私たちの人生を誰かがとやかく言いながら縛りあげようとするときに、私たちは私の人生は神のものである、と言い抜かなければいけないのです。そのためには私たちはイエス様のように聖書を学んでいきたいと思います。またイエス様のように、誰かの思惑で生きるのではなく神の子どもとして生きていきたいと思います。そしてイエス様のように両親に仕え家族に支えたいと思います。何よりも神の恵みが今日も私たちの家族の上に注がれていることを信じ、神の子どもとして生かされていきたいと思います。


     ( PBA制作「世の光」2021.1.16放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■ルカの福音書46 / 大嶋重徳

2021年07月02日 | Weblog

2021.1.15放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 12歳のイエス様がエルサレムの神殿にとどまって律法の専門家に質問をしている箇所が出てきます。しかし、一方で自分たちからはぐれてしまったことを心配する両親のヨセフとマリヤはどれだけ心配したでしょうか。 心配した分、怒りがこみ上げてきたのです。
 母マリヤは「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい、父上も私も心配してあなたを捜し回っていたのです。」

 するとイエス様がおっしゃいました。「どうして私をお探しになったのですか? 私が必ず自分の父の家に居ることをご存知なかったのですか?」

 マリヤはイエス様を見失った時、カーッとなりました。そして、どのような経緯でこの子が生まれたかを忘れてしまっていたのです。この子どもは神様から預かった子どもなのだという事実です。自分の思いを握り締め、自分の思いで子どもの人生を押し量ったのです。

 しかし、イエス様はそういう訳にはいかなかったのです。「どうして私をお探しになったのですか?」 ・・・ 私の人生は父なる神様のものです。あなたたち親のものではありません・・・。 確かにイエスはヨセフの子としてマリアを通して誕生されたのですが、あなたの人生の思い通りになるわけにはいかない、と。なぜなら、私の人生は神のものであり、私の父の家とは本来的に父なる神の家なのだ、と言われたのです。

 私は子どもが生まれた時に、あるクリスチャンの先輩から、「命を預かったのですね」という手紙をもらいました。その時にハッとしたんですね。あー、この子の人生は神様のものなんだ。いつか神様にお返ししないといけないんだ。その日に至るまで、誠実に忠実に子育てをするんだ、ということを教わったのです。

 今日ここで私たちが教えられるべきことは、子どもの人生を握りしめてはいけない、ということでしょう。私たちはこんなに愛しているんだからこそ自分好みの子どもに育ってくれるはずだ、という思いを持ちやすいものです。しかし、神に愛され人に愛される、それは神の家に居る子どもとして育てていくということです。偏差値の高い高校に入れるために私たちは子どもを育てているのではありません。 将来が安定した仕事に就くために子どもを育てているのではありません。神と人に愛される人生をひたすら願って子どもたちを育てていくのです。 


     ( PBA制作「世の光」2021.1.15放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■ルカの福音書45 / 大嶋重徳

2021年07月01日 | Weblog

2021.1.14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 12歳のイエス様がエルサレムの神殿に行かれた記事がルカ2章に記されています。教会では多く教会が日曜日に教会学校という子どもたちのクラスを行ないます。それは子どもの時に神様のまなざしの中で神様に愛されていることを知っていくことの大切さを子どもたちに届くことばで伝えること、それが大切だからです。

 先日も、私が牧師をする教会にクリスチャンではないご家族が来られました。「子どもの頃に教会学校に通った経験を自分の子どもにしてもらいたくって」と教会にいらっしゃったのです。子どもの頃に聞いた聖書のお話が人生を通して大きな励ましと慰めをもたらすのだなあと改めて思いました。特に12歳頃というのは、いろんな疑問が湧いてきます。 小学校でも、自分はどのグループに入れるのかという緊張感がとりわけ女の子にはあるでしょう。また人は何のために生きているのかと考え始めます。死んだら人はどこに行くのだろうか? という死の不安もまた子どもながらに持つのです。また、クリスチャンを両親に持つ子どもたちにとっては、なぜ自分はクリスチャンホームに生まれたんだろうか? 自分はよその家に生まれたら日曜に礼拝に来ることなんかなかったんじゃないかという疑問もあるでしょう。私も聖書の語る神様以外にも宗教はあるじゃないか、・・・中学生の頃にいろんな疑問が湧いてきました。この自然界と人体の神秘を見て、神がいないとは言えない。でも聖書の記す神が本当の神かどうか分からないじゃないか、と思ったわけです。なんだったら自分で聖書みたいなものも書いて宗教をできるようにしてみようか、とも思いました。しかし、そんなことを教会学校の先生に、自分の親に、ぶつけていいんだろうか? 困らせるだけなんじゃないか? と 自分の中でも悶々としていたのです。

 こんなことを聞くと、重徳君は信仰を失ったんじゃないか、と心配されるような気がする。何も言わずに教会からはそおっと離れていこう。

 しかし、子どもたちの抱える人生の疑問、信仰の疑問に寄り添ってあげる場所が必要です。子どもの持つ質問に頭ごなしに押さえつけるような態度を取るのではなく、いい質問だねと、きちんと悩む場所を持つこと、きちんと質問のできる場所を持つことが、子どもにとって大切なことです。

 教会がそんな場所であったら、どれだけ子どもたちの大きな慰めになるでしょうか? 悩むことのできる教会、質問のできる教会になりたいと思います。 


     ( PBA制作「世の光」2021.1.14放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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